ある日の朝食
王城の食堂は、朝から騒がしかった。
正確には、一人の女が騒がしくしていた。
「エレナちゃーん! 聞いた聞いた、異世界の勇者様が召喚されたって! どんな人だった! かっこよかった!?」
修道服の裾をまくり上げながら駆けてきたのは、僧侶のシオンだった。
亜麻色の髪を雑に結って、目元には昨日落としそびれたらしい化粧が薄く残っている。
聖職者の風上にも置けない見た目だったが、本人はまったく気にしていない。
気にしていないどころか、気にする必要があることにすら気づいていない。
そういう、稀有な人間だった。
「おはようございます、シオンさん」
「おはようじゃなくて! ねえ、どんな人だったの!」
「……普通の人でした」
「絶対嘘じゃん」
シオンは私の向かいに腰を下ろして、ずいと顔を近づけた。
観察するような目つきだった。
こういう時のシオンは、妙に鋭い。
普段の振る舞いからは想像のつかない、鋭さを持つ。
「目、腫れてる」
「寝不足です」
「嘘つくと神様に舌抜かれるよ」
「シオンさんが言いますか、それを」
シオンはけらけらと笑った。
気にした様子は全くない。
レオンがパンの皿を二つ持ってテーブルに戻ってきた。
シオンを見て、心底うんざりした顔をした。
「また朝から騒がしいな」
「レオンくんも聞いた? 異世界勇者!」
「知ってる。昨日いた」
「え、見たの!? どんな人だった!」
「普通の人だった」
「二人して同じこと言う! 絶対示し合わせてるじゃん!」
私はパンをちぎりながら、少しだけ口元が緩むのを感じた。
こういう朝は、悪くない。
「ていうかさ」
シオンが急に声を落とした。
周囲をさっと見回してから、誰にも聞こえない距離に顔を寄せてくる。
「あの人、今どこにいるの。まだ城にいる?」
「いるはずですが」
「会ってみたいんだよね。せっかくだし」
「やめてください」
「なんで!」
「なんとなく」
シオンはむくれた顔をした。
それからまた何かを思いついたように目を輝かせた。
この切り替えの速さは羨ましい。
「じゃあ、パーティ組むことになったら私も入れてよね。勇者のパーティとか、話のタネになるじゃん」
「……話のタネ」
「それだけが理由じゃないけど! ちゃんと働くし! 回復魔法、うちら三人の中で一番うまいのあたしだよ?」
それは否定できなかった。シオンの回復魔法は、見た目に似合わず本物だった。どんな重傷でも手際よく、しかも早い。初めて見た時は少し怖いくらいだった。
「……考えておきます」
「やった」
「まだ何も決まっていませんが」
「でも考えるって言った。エレナちゃんが考えるって言ったら大体やる」
レオンが小さく吹き出した。私は彼を睨んだ。
「何ですか」
「いや、そのとおりだなと思って」
「違います」
「違わないよ」とシオンが言った。
二対一だった。
私はパンを口に押し込んで、それ以上何も言わないことにした。
そうかもしれない、という考えを、黙って噛み砕いた。
食事を終えて廊下に出たところで、私はまた異世界の男と鉢合わせた。
今日で二度目だった。
この城は広いはずなのに、どういうわけか会う。
廊下というものは、人を引き合わせる何かを持っているのだろうか。
あるいは単に、自分がこの男を意識しすぎているだけなのかもしれない。
男は廊下の真ん中に立って、天井を見上げていた。
特に何かを見ているわけでもなく、ただ漠然と上を向いていた。
何をしているのかわからなかった。
私が立ち止まると、男が視線を下ろした。目が合う。
「また会いましたね」
「そうだな」
「城の中、わかりましたか」
「迷った」
迷ったという割に、焦った様子は全くなかった。
私は少し考えてから、仕方なく口を開いた。
「どこに行きたいんですか」
「飯」
「……食堂なら、今来た方向です」
「助かる」
男は短く言って、私が来た廊下の方へ歩き出した。
すれ違いざまに、ぽつりと言った。
「今日も早かったな」
私は振り返ったが、男はもう背中を向けていた。
今日も、と言った。
やはり見ていたのだ、ちゃんと。
見ていて、しかし見ていたとは言わなかった。ただ今日も、とだけ言った。
それだけで、見ていたという事実が伝わる。
私は返す言葉が見つからなくて、結局何も言えなかった。
男の背中が廊下の角に消えるのを、ただ見ていた。
「……なんなんですか」
誰にも届かない声で、そう言った。




