覚醒
フィリアの言葉を思い出す。
今日初めて、その「ただの事実」が力になる気がした。
倒す、というのは、力で制することではない。
同じものとして、向き合うことだ。
私は剣を下げ、構えを解いた。
無防備な姿を晒す。
「エレナ!」
とレオンが叫んだ。
「大丈夫です!」
霧が近づいてきた。
ゆっくりと、しかし確実に近づいてきた。
触れた。
冷たい。
そして、重い。
体の奥に入ってくる。
さっきよりも、強く。
それでも止まらなかった。
自分の中にも、同じものがある。
私は目を閉じた。
剣の柄を両手で持った。
ただ、握って、語りかけるために。
語りかける、というのは言葉で、ではなかった。
もっと根源的な何か。
血に語りかけた。
自分の中を流れている血に、彼に流れている血に。
それが同じ根源から来ていることを、ただ確かめた。
確かめた。
ここにいる、と知らせた。
同じ血を持つ者が、ここにいると。
何かが、手に伝わった。
温かかった。
冷たい霧の中で、手だけが温かかった。
剣を持っている手が、じわじわと温かくなった。
私は目を開ける。
――光が走った。
剣から、光が溢れ出す。
白く、静かな光だった。
神聖な輝きが、ただ、そこにあった。
自分の中にずっとあったものが、今初めて外に出てきた。そういう光。
黒い霧が、光に触れる。
触れた部分が、薄くなった。
薄くなって、また戻ろうとした。
しかし光がそれより速く、触れるたびに、薄くなった。
消えるのではなく、薄くなっていく。
ソラの目が、光を見ていた。
焦点が、定まってきた。
「同じ血だ」
ソラが言った。
「はい」
「お前の血が、応えている」
「そうみたいです」
エレナは光る剣を、ソラに向けて、一歩近づいた。
霧がまた近づいてきた。
また光に触れて、すぐに薄くなった。
「止められるか」
「止める、というより」
私は剣を持ったまま、手を差し出す。
「一緒に、手放せますか」
ソラは長い間、エレナを見た。
差し出された手を見ていた。
光る剣を見ていた。
手放す、という言葉が、何かに触れた気がした。
終わらせる、でも、止める、でもなく、手放す――
続けることに疲れた人間に、手放す、という言葉は、重い。
「手放す」
ソラが繰り返した。言葉を確かめるように、もう一度言った。
「手放す、か」
「はい。力を、ではなく」
私は少し間を置いた。
「一人で抱えてきたものを、手放す。それでいいと思います」
ソラの目が、揺れた。
長い時間、揺れていた。
揺れながら、少しずつ、焦点が定まっていった。
霧が薄くなっていった。薄くなるのと同時に、ソラの輪郭も薄くなり始めた。
体が透けてきた。
透けながら、しかし目は確かにそこにあった。
「怖いですか」
ソラは少し考えた。
「怖くはない」
「本当ですか」
「怖くない。ただ」
ソラは空を見た。
木漏れ日が、薄くなっていく輪郭を照らしていた。
「惜しい」
「惜しい?」
「もう少し早く、お前のような者が来ていれば、と思う。そういう意味だ」
私は少し目を伏せた。
「フィリアさんが、いました」
「いた」
「気づかなかったんですか」
「気づいていた。しかし言えなかった。言い方がわからなかった」
「フィリアさんも同じことを言っていました」
ソラは少し黙った。
それから、かすかに笑った。
本当に可笑しいと思った時の笑い方だった。
「そうか。お互い、言えなかったのか」
「そうだったみたいです」
「フィリアは、元気か」
「元気です。今日も来ています」
「そうか」
ソラは少し間を置いた。
輪郭が、さらに薄くなっていた。
「伝えてくれ」
「何を」
「楽しかった、と」
エレナは頷いた。
「伝えます」
ソラは頷いた。
エレナは剣を、ソラに向けて、静かに突き出した。
力で刺すのではなかった。
ただ、届かせた。
ソラの奥深くまで。
光が、ソラに触れた。
触れた瞬間、霧が、一気に薄くなった。
薄くなって、散って、消えていった。
森の空気が、軽くなった。
ソラの輪郭が、最後に一度だけ、はっきりと見えた。
白い髪、深い皺、しかし今日の目は違った。
焦点が定まっていた。ちゃんと、私を見ていた。
「ソラさん」
「ああ」
「フィリアさんへの言葉、ちゃんと伝えます」
「頼む」
「あと一つだけ」
「なんだ」
「あの頃のことを、フィリアさんはまだ覚えていますよ。三百年経っても、ちゃんと覚えています」
ソラは意外そうな顔をした。
それから、もう一度笑った。
今度は乾いていなかった。
子供の頃のような、本当に嬉しい時の笑い方だった。
「そうか」
それだけの返答。
しかしその言葉の中に、三百年分の時間が込められている気がした。
光が、最後に一度だけ強くなった。
目は閉じていなかった。
しっかりと開いていた。
最後まで、静かに私を見ながら、消えた。
霧も、消えた。
朽ちかけていた木々が、止まった。
森に静寂が戻り、その後、鳥の声が一つ聞こえた。
それから、二つ、三つと続く。
さっきまで鳥がいなかった森に、鳥の声が戻ってきた。
木漏れ日だけが、森の中で煌めいている――




