暴走
翌朝、私は宿の裏手に出た。
いつも通り木剣を振る。一。二。三。
百回を数えた頃、気配がした。
振り返らなかった。
「今日は通りかかっただけとは言いませんね」
「そうだな」
「珍しく認めましたね」
「たまにはな」
私は木剣を下ろして振り返った。
宗一郎が壁にもたれていた。
テオが肩の上にいた。
いつも通りだった。
「緊張していますか」
「していない」
「本当ですか」
「お前は?」
「しています。でも昨夜よく眠れました」
「それでいい」
私は木剣を握り直した。
「宗一郎さんは、今日が終わったらどうしますか」
「どうする、とは」
「この世界に、しばらくいますか」
宗一郎は少し間を置いた。
「わからない」
「わからない、ですか」
「決まっていない」
私は夜明けの空を見上げた。
まだ暗かったが、東の端がほんの少しだけ白み始めていた。
「いてほしいとは言いません」
「そうか」
「言いたいですが、言いません。あなたが決めることだから」
「……そうか」
「ただ」
私は少し考えて、言った。
「今日、終わったら、考えてもらえますか」
「わかった」
「答えが出たら、教えてください」
「ああ」
テオが何か言った。短かった。
「行こう、と言っていますか」
宗一郎が少し間を置いた。
「腹が減ったと言っている」
「今日は少し間がありましたね」
「そうだな」
「そうでした」
宗一郎は空を見た。
「行くぞ」
「はい」
トルバンの森に着いたのは、昼前だった。
前にも来た道だ。
でも今日は空気が違った。
重かった。
木々の間を風が通っていたが、その風は冷たい。
冷たく、密度が高かった。
何かが溶け込んでいるような空気だった。
フィリアが立ち止まった。
「宗一郎」
「わかっている」
呼びかけに即答える。
私にも感じられた。先日来た時とは違う空気。
何かが変わっていた。
森の奥から、力が滲み出てきていた。
「暴走が始まってる」とフィリアが言った。
「前より、ずっと強くなっている」
「暴走、というのは」
「意図しない力の放出じゃ。ソラの意志と、魔族の血の力が、乖離し始めている。意志が弱まるほど、魔族の血が表に出る。表に出た力は、意志では制御できない。ソラ自身が望まなくても、周囲に影響が出始める」
「止められますか」
「儂には止められない。おそらく宗一郎にも――」
「なぜですか」
「外から力で抑えても、血は止まらない。中から働きかけられるのは、同じ血を持つ者だけじゃ」
私はその意味を考えた。
「私が、ということですか」
「そうじゃ」
「どうやって」
「わからない」とフィリアが言った。
「方法は儂にもわからない。ただ、できるのはお主だけじゃ」
わからない――三百年生きた人間でも。
方法はわからない。
でも行く。
行くしかない。
「行きます」
私は森の奥に向かった。
魔王の力の暴走を、止めるために。
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