最後の話
南の街に戻ったのは、夕方だった。
詰所で隊長に報告した。
魔王と接触したこと、今日は戦闘にならなかったこと、次が決着になること。
隊長は青い顔で聞いていた。
「魔王と、直接話されたのですか」
「はい」
「よく、ご無事で」
「今日は戦う気がなかったようです」
隊長はしばらく黙っていた。
「我々にできることをします。守備隊の配置を見直して、住民の避難経路も確認します」
「ありがとうございます」
詰所を出て、宿に向かった。
道を歩きながら、シオンが隣に来た。
「ねえ、エレナちゃん」
「なんですか」
「魔王って、怖かった?」
私は少し考えた。
「怖かったです」
「そうだよね」
「でもそれより、悲しかったです」
シオンが少し黙った。
「悲しかった、か」
「名前を忘れた、と言っていました」
「うん」
「本当に忘れたのか、忘れたことにしているのか、わかりません。でもどちらにしても」
私は言葉を探した。
「長い時間をかけて、自分がいなくなっていったんだと思います」
シオンが空を見た。
「それでも戦うんでしょ」
「戦います」
「うん。エレナちゃんらしい」
「らしい、というのは」
「悲しいって言いながら、それでも行くじゃん。それがエレナちゃんだよ」
私は少し黙る。
「シオンさんに言われると、不思議と腹が立ちませんね」
「褒めてんだけど」
「わかっています」
宿が見えてきた。
夕食の後、フィリアが私を呼んだ。
「続きの話じゃ」
「まだあるんですか」
「最後の話じゃ」
二人で宿の裏手に出た。夜風が冷たかった。
「今日、魔王と話した。どう思った」
「疲れた人だと思いました」
「そうじゃな」
「救い続けて、裏切られ続けて、それでも長く生きてきた。どこかで折れるのは、当然かもしれないとも思いました」
「共感するか」
「完全にはしません。でも理解はできます」
フィリアは空を見たまま言った。
「魔王を倒した後のことを、考えたことはあるか」
「考えました。大臣派が力を持つかもしれない。派閥争いが続くかもしれない。問題は残ります」
「それでも倒すか」
「倒します」
「なぜじゃ」
私は夜空を見た。
「今ここにいる人間が明日もいてほしい。それだけです」
「倒した後のことは」
「倒した後のことは、倒した後に考えます。私にはこの世界しかないので、ここで生きていくしかない。問題が残るなら、残った問題と向き合うしかない」
フィリアが振り返った。エレナを見た。
「それが、お主とソラの違いじゃ」
「どういう意味ですか」
「ソラは世界を救った後のことを考えていなかった。それですべてが解決すると思った。だが、救ったはずの人々に排除された。だから絶望した。しかしお主は、救った後も、残った問題と向き合い続ける覚悟がある。共に生きようという意志がある」
私は少し黙った。
「それが、答えになりますか。魔王への」
「なるかどうかは、儂にはわからない。しかし」
フィリアは立ち上がった。
「お主が出せる答えとしては、十分じゃと思う」
本を棚に戻した。
「続きはない。これで全部じゃ」
「全部、話してくれましたね」
「話すべき時が来たからな」
フィリアは宿の方に歩き出した。
「フィリアさん」
「なんじゃ」
「勇者の力のことですが」
フィリアが足を止めた。
「力の覚醒は、力を求めた時には来ない、と以前言っていましたね」
「言った」
「今もそう思いますか」
フィリアは少し間を置いた。
「今のお主を見ていると、もう遠くないと思う」
「なぜですか」
「お主はもう、力の覚醒のために戦っていない。気づいているか」
私は少し考えた。
「気づいていませんでした」
「そうじゃろう。気づいていない方が良い」
フィリアが扉を開けた。
「覚醒を待つな。待っていたら来ない。ただ、お主がお主であり続ければ、来たるべきときに、来る」
「曖昧な話ですね」
「そういうものじゃ」
扉が閉まった。
私は一人、宿の裏手に残った。
夜風が吹いていた。
お主がお主であり続ければ、来る時に来る。
急いで飲み込もうとは思わなかった。
空を見上げた。
星が出ていた。
足音がした。
振り返らなくても誰かわかった。
「また通りかかりましたか」
「そうだ」
「今夜は信じます」
「なぜだ」
「毎回通りかかるのが、もうそういうものだとわかったので」
宗一郎が隣に立った。テオが肩の上で光っていた。
「フィリアと何を話していた」
「覚醒の話と、ソラさんの話です」
「そうか」
「意志が折れた時に隣に誰もいなかった、ということが、今日一番頭に残っています」
「ああ」
「宗一郎さんはテオがいた」
「そうだ」
「テオが隣にいたから、立てた」
「そうだ」
私は空を見た。
「私には、たくさんいます」
「何が」
「隣にいてくれる人が。レオン、シオンさん、フィリアさん、テオ」
少し間を置いた。
「そして、あなたも」
宗一郎は何も言わなかった。
テオが甲高い声で何か言った。長かった。
「そうだ、と言っていますか」
宗一郎が少し間を置いた。
「腹が減ったと言っている」
今日も間が長かった。
私は小さく息をついた。
「夕食にしましょう」
「ああ」
「みんなを呼びます」
私は歩き出した。
宗一郎がついてきた。
二人の足元に夕方の光が、伸びていた。
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