初陣
川に着いたのは、夜明けと同時だった。
守備隊がすでに配置についていた。隊長が駆け寄ってきた。
「斥候からの報告では、本隊が山道を上り始めているとのことです。早ければ一時間以内に川に差し掛かります」
「わかりました。予定通りに」
私は川の向こうを見た。
まだ何も見えない。
風が冷たかった。
「エレナ」
宗一郎が隣に来た。
「はい」
「指揮官まで辿り着いたら、迷うな」
「迷いません」
「できるか」
「迷っている時間はないので」
宗一郎は少し黙った。
「そうだな」
テオが何か言った。
「行ってこい、と言っていますか」
「腹が減ったと言っている」
「決戦前にもそう言いますか」
「テオは時間を問わない」
「三度目ですね、それ」
「本当のことは何度でも言う」
テオがぷいと顔を背けた。
私は小さく息をつき、口元が緩みそうになるのを堪えた。
この掛け合いが、緊張をほぐしているのかもしれない。
意図してやっているのかどうかは、わからなかったが、そういう効果があった。
「来るぞ」
レオンの声がした。
山道の先に、影が見え始めた。
一つ、二つ、十、百。暗がりの中から次々と現れてくる。
昨日の比ではなかった。
地面が揺れている気がした。
私は剣の柄に手をかけた。
心臓が速くなっていた。怖い。
怖かったが、足は動く。
「フィリアさん」
「わかっておる」
フィリアはすでに岩壁の上に移動していた。
「シオンさん」
「いるよ」
「レオン」
「ああ」
魔族の先頭が川に差し掛かった。
「今じゃ」
フィリアの声と同時に、岩壁から魔法が放たれた。
轟音が谷に響いた。
岩が砕けて、先頭の集団に降り注いだ。
怒号が上がる。
「行きます」
レオンが飛び出した。
私はその後ろに続く。
混乱している先頭集団に、レオンの盾が突っ込んだ。
弾き飛ばされた魔族が岩壁に叩きつけられた。
私は前に出た。
剣を振る。
当たる。
退く。
また出る。
前に出すぎないように、と頭の片隅で考えながら動いた。
「シオン!」
「見えてる!」
レオンの腕の傷が光って塞がった。
魔族の数が多かった。次々と来る。
「エレナ」
宗一郎の声がした。
振り返ると、いつの間にか宗一郎が集団の横に回り込んでいた。
「今だ」
宗一郎が一歩踏み出した。
それだけだった。それだけで、周囲の魔族が止まった。
本能で察知しているのだ。
この男は危険だと。
前列が退いた。
一本の道が生まれた。
後方へ続く、細い道。
「行け」
その言葉を合図に駆け出した。
道の両側で魔族が動いたが、宗一郎が剣を構えたまま動かないでいると、止まった。
後方が見えてきた。
その中に、一際大きな影があった。
あれが指揮官だ。
距離が縮まった。十、五、三。
気づかれた。
指揮官が私を見る。
驚きが、その顔に一瞬浮かんだ。
指揮官が腕を振り上げた。
周囲の個体がこちらに向かってきた。
――多すぎる。
その時、光が走った。
テオだった。
小さな体から強い光が放たれて、周囲の魔族の目を焼いた。
悲鳴が上がる。
一瞬だけ、道が開いた。
私は迷わなかった。
駆ける。
指揮官との距離が縮まる。
指揮官が腕を振り下ろしてきた。
躱せない。
ならば。
左腕で受けた。
衝撃が走った。
痛い。
でも右手は空いた。
剣を突き出す。
指揮官の胸に、剣が深く入っていく。
一瞬の静寂。
指揮官が膝をついた。
統率が、崩れた。
魔族の群れが逃走を始め、それが連鎖していく。
「押せ!」
レオンの声がした。守備隊が前に出る。
私は左腕を押さえながらそれを見ていた。
痛みが遅れてやってる。
テオが目の前に浮かんできた。
「よくやった、と言っていますか」と私は聞いた。
「……腹が減ったと言っている」と宗一郎は言った。
「今は信じません」
「そうか」
シオンが駆けてきた。エレナの腕を見て、顔色が変わった。
「やっぱり無茶してる!」
「少しだけです」
「腕で受けたの?」
「それしかなかったので」
「馬鹿じゃん」
シオンが腕に手を当てた。
温かい光が広がった。痛みが引いていく。
「ありがとうございます」
「もう無茶しないでよ」
「善処します」
レオンが戻ってきた。
私の頭に手を置いた。ぽん、と一回だけ。
フィリアが岩壁から降りてきた。
「悪くなかったぞ」
「ありがとうございます」
「前に出すぎだったがな」
「わかっています」
私は谷を見渡した。
魔族が退いた後の川岸は、静かだった。
終わった。
ひとまず、今日のところは。
手に、感触が残っていた。
自分で動いて、自分で仕留めた感触が。
「シュークリーム」
シオンが言った。
「帰りに食べに行こ。約束したじゃん」
「行きましょう」
「全員で行く?」
レオンが「行く」と言い、フィリアが「甘いものは嫌いではない」と言った。
シオンが宗一郎を見た。
「宗一郎さんは?」
宗一郎は少し間を置いた。
「……どこだ、その店は」
シオンが笑った。
テオが甲高い声で何か言った。
嬉しそうだった。
「行きたい、と言っていますか」
「腹が減ったと言っている」
「それは本当だと思います」
「本当だ」
一行は帰還する。
朝の光が山道を照らしていた。




