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第4章:選ばれなかった男

1.要塞都市の歓迎

 霧の森を抜けた先に待っていたのは、安息の地などではなかった。

 国境の要塞都市ベルディア。

 対魔王軍の最前線基地であり、高い城壁と無数のバリスタに囲まれたこの街は、入った瞬間から肌を刺すような緊張感に包まれていた。


「……空気が重いな」


 僕は街の大通りを歩きながら、わざとらしく肩をすくめた。

 活気がないわけではない。通りには兵士や武具職人が行き交い、鉄を打つ音や怒号が飛び交っている。だが、そこにあるのは「生活」の匂いではなく、「戦争」の焦げ付いたような臭いだ。

 すれ違う人々は皆、僕の腰にある聖剣を見て、一瞬だけ目を見開き、そしてすぐに興味を失ったように視線を逸らす。そこには、王都で見られたような熱狂的な「勇者万歳」の空気は微塵もない。


「ここは騎士団の直轄地です。教会の威光よりも、現場の武力が優先される場所ですから」


 エリナが小声で補足した。彼女もまた、この街の殺伐とした空気に居心地が悪そうだ。純白の法衣は、煤けた石造りの街並みの中ではあまりに目立ちすぎる。

 僕の足元では、ポチ(木箱モード)がガタガタと怯えるように震えながら、僕の足にへばりついて歩いている。どうやら、この街に漂う「魔物への敵意」を敏感に感じ取っているらしい。


「とりあえず、宿を探そうか。エリナさん、どこか……」

「――お待ちしておりましたよ、勇者殿」


 僕の言葉を遮るように、通りの前方から声がかかった。

 その声は、よく通る美声でありながら、ガラスを爪で引っ掻いたような不快な余韻を残した。


 人混みが、モーゼの海割れのように左右に開く。

 そこに立っていたのは、一小隊の重装歩兵を従えた、黄金の騎士だった。


 聖騎士レオン。

 王都でのパレード以来の再会だ。

 彼は豪奢な白銀の甲冑を、埃一つつけずに完璧に着こなしていた。夕日を背負い、長い金髪をなびかせるその姿は、皮肉なことに、この薄汚れた街で唯一「勇者」らしい輝きを放っていた。


「やあ、レオン卿! 奇遇だね、こんなところで!」


 僕は精一杯の「能天気な笑顔」を貼り付けて手を振った。

 だが、レオンは笑わなかった。氷のような蒼い瞳で、僕を――いや、僕という存在そのものを汚物を見るように見下ろしている。


「奇遇ではない。貴様のような『足手まとい』が、魔物に食われずにここまで辿り着けるか、賭けをしていたのでな。……チッ、どうやら賭けは私の負けらしい」


 レオンは露骨に舌打ちをした。

 周囲の兵士たちからも、クスクスと嘲笑が漏れる。この街は彼のホームグラウンドだ。ここでは「聖剣に選ばれた田舎者」よりも、「実力で騎士団の頂点に立ったエリート」の方が圧倒的に支持されている。


「ご期待に添えなくて残念だよ。エリナさんが守ってくれたおかげで、なんとか生きてるって感じかな」

「……謙遜ではなく、事実でしょうね」


 レオンは鼻を鳴らし、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。

 一歩ごとに、重厚な金属音が響く。その圧迫感は、昨日の合成獣キメラ以上かもしれない。なぜなら彼からは、明確な殺意(殺す気)が漂っているからだ。


「カイト。貴様が道中でどんな茶番を演じてきたかは知らんが、ここは『戦場』だ。王都のように、笑顔と運だけで生き残れる甘い場所ではない」


 彼は僕の目の前、鼻先が触れそうな距離で立ち止まった。

 そして、耳元で囁く。


「聖剣を返せ。今ならまだ、『任務中に不慮の事故で死亡した』という報告書を書かずに済むぞ?」


 脅迫ではない。最後通告だ。

 僕は背筋に冷たいものが走るのを感じながら、それでもヘラヘラと笑い続けた。


「怖いこと言わないでよ。……でも、これは女神様からの預かりものだから。勝手に返したら怒られちゃうし」

「……愚か者が」


 レオンは憐れむように首を振り、そして大声で宣言した。


「よかろう! ならば証明してもらうぞ! 貴様がその聖剣に相応しい器かどうかを! この場で、私との決闘デュエルにおいて!」


 広場にどよめきが走った。

 決闘。聖騎士が勇者に挑む。本来なら許されない下剋上だが、この街の空気はそれを歓迎していた。「偽物を暴け!」「レオン様こそ真の勇者だ!」という声が、あちこちから上がる。


「ええっ!? 決闘!? 無理無理、僕なんかじゃレオン卿に勝てるわけないよ!」

「拒否権はない。これは『騎士団法』に基づく、指揮権の確認だ。貴様が負ければ、聖剣と指揮権は私が一時的に預かる」


 レオンは有無を言わせず、腰の騎士剣を抜いた。

 その切っ先が、僕の喉元に向けられる。


「抜くがいい、カイト。それとも、背中を向けたまま斬り捨てられるか?」


2.黄金の獅子と逃げ腰の兎

「れ、レオン卿! おやめください! 勇者様への剣劇は、教皇庁への反逆とみなされます!」


 たまらずエリナが割って入った。彼女はメイスを構え、僕を庇うように立つ。

 だが、レオンはその美しい顔を歪め、冷ややかに彼女を一瞥した。


「どけ、聖女。これは男の問題だ。それに……教会のお飾り人形に指図される覚えはない」

「っ……!」


 エリナが言葉に詰まる。

 レオンの剣圧が上がった。本気だ。彼はこの衆人環視の中で、僕を「事故」に見せかけて始末するつもりだ。あるいは、再起不能なほどの恥をかかせて、精神的に殺す気だ。


(……やれやれ。ルシアンの脚本にはないぞ、こんな展開)


 僕は内心でため息をついた。

 ルシアンの想定では、人間側の敵はもっと陰湿で、政治的な妨害をしてくるはずだった。だが、レオンのような「純粋な力による暴力」は、ある意味で計算外のバグだ。

 ここで僕が実力を見せて彼を倒してしまえば、「臆病な勇者」の仮面が剥がれる。

 かといって、負ければ聖剣を奪われ、旅が終わる。

 詰んでいる。普通なら。


(でも、モロ先生ならこう言うだろうな。『ピンチこそ、最高のアドリブの機会だ』ってね)


 僕は震える手で、聖剣の柄を握った。


「わ、わかったよ……。やるよ、やればいいんでしょ! でも手加減してね!?」

「手加減? ……フン、肉片くらいは残してやる」


 レオンが踏み込んだ。

 速い。

 神速の突き。音よりも速く、僕の左胸――心臓を正確に狙った一撃。

 一般人なら、刺されたことに気づく前に絶命していただろう。

 だが、僕には見えていた。彼の重心移動、筋肉の収縮、呼吸の予備動作。10年間、ルシアンを守るために磨き上げた観察眼は、彼の動きをスローモーションのように捉えていた。


(避けるのは簡単だ。でも、普通に避けたらかっこよすぎる)


 僕は一瞬の判断で、自分の右足の靴紐を踏みつけた。

 そして、盛大にズッコケた。


「うわあああっ!?」


 情けない悲鳴と共に、僕は地面に顔面から突っ込んだ。

 ヒュンッ!

 レオンの剣が、僕の頭上数センチの空気を切り裂く。

 一歩間違えば即死。だが、完璧なタイミングでの転倒だった。


「な……ッ!?」


 レオンの目が見開かれる。

 手応えがあったはずの剣が空を切り、勢い余った彼は体勢を崩した。

 僕は転がった勢いのまま、手足をバタつかせ、偶然を装ってレオンの足首に自分の足を絡ませた。


「いたたた! あ、ごめん!」

「ぐおっ!?」


 王国の至宝、聖騎士レオンが、泥にまみれた勇者に足をすくわれ、無様に石畳に転がった。

 ガシャーン! という派手な金属音が広場に響く。

 重装甲が災いした。一度転んだ亀のように、彼はすぐには起き上がれない。


 静まり返る広場。

 そして数秒後、「プッ」という誰かの吹き出す音が聞こえた。


「き、貴様ァァァ……ッ!!」


 レオンの顔が朱色に染まる。

 プライドの高い彼にとって、これは死よりも屈辱的な醜態だ。

 彼は顔を真っ赤にして跳ね起き、もはや騎士道もへったくれもない、獣のような形相で剣を振り上げた。


「殺す! 殺してやる、このド素人がァッ!」

「ひいぃぃ! ごめんなさい! 靴紐が! 靴紐がぁ!」


 僕は逃げ回る。

 レオンが振るう剣は、看板を切り裂き、屋台を破壊し、石壁を砕く。

 だが、僕には当たらない。

 つまずき、転び、ポチ(木箱)につまずいてよろめき、その全ての動作が奇跡的に回避行動になっている。

 側から見れば、運のいい道化が暴れる獅子から逃げ回っている喜劇だ。

 だが、レオンにとっては悪夢だろう。振るえば振るうほど、攻撃が空回りし、自分の株が下がっていくのだから。


「はぁ、はぁ……! なぜだ! なぜ当たらん!」


 数分後。

 肩で息をするレオンと、涙目でへたり込む僕が残った。

 レオンの剣は刃こぼれし、美しいマントはズタズタになっていた。対して僕は、泥だらけだが無傷だ。


「も、もう許してよぉ……。僕の負けでいいからさぁ……」


 僕が泣き言を言うと、周囲の兵士たちから、殺気とは違う空気が流れ始めた。

 それは「呆れ」と、微かな「同情」だった。

 あまりに必死に逃げる僕と、大人げなく本気で殺そうとするエリート騎士。どちらが「勇者らしい」かは別として、どちらが「大人げない」かは明白だった。


「そこまでです!」


 エリナが、今度は毅然と二人の間に割って入った。


「勝負あったとは言えませんが、これ以上の私闘は聖騎士の名誉に関わります。レオン卿、貴方の剣は乱れています」

「……黙れ」


 レオンはギリリと歯ぎしりをした。

 彼も馬鹿ではない。これ以上続けても、自分が恥の上塗りを重ねるだけだと悟ったのだ。

 彼は血走った目で僕を睨みつけ、剣を鞘に叩き込んだ。




3.手遅れの赤、閉ざされた門

「……勝ったと思うなよ、カイト。今日のところは、その泥まみれの運の良さに免じて見逃してやる」


 負け惜しみ。

 だが、レオンは悔しがるどころか、どこか冷ややかな、目的を達した者の笑みを浮かべていた。彼は懐中時計を取り出し、チラリと確認すると、満足げに頷いた。


「まあいい。十分な『時間』は稼げた」

「……え?」

「貴様が猿のように飛び跳ねている間にな、私の副官率いる精鋭部隊を、すでに『西の森』へ向かわせたのだ」


 レオンが指差した方角。

 西の空が、不自然なほど赤く染まっていた。

 夕焼けではない。太陽はすでに沈んでいる。

 あれは――炎の色だ。


「まさか……」

「そうだ。今夜、西の森にある獣人族の集落を一斉摘発する。……いや、もう『終わっている』頃かもしれんな」


 背筋が凍った。

 レオンは、僕をここで釘付けにするために、わざわざ茶番のような決闘を仕掛けたのか。

 僕が「道化」を演じている間に、罪のない人々が焼き討ちにされている。


「そ、そんな……! 騎士団が、一般人を襲うなんて!」

「『浄化』だ。貴様のような偽物が遊んでいる間に、我々が汚れ仕事を済ませておいてやったのだ。感謝するがいい」


 レオンは兵士たちにハンドサインを送った。

 ガシャン、ガシャンと重厚な音が響き、広場を囲むように重装歩兵が展開する。

 彼らは僕たちに背を向け、街の出口を完全に封鎖した。


「おい、この者たちを宿へ案内しろ。朝まで一歩も外へ出すな。『魔王軍の残党』がうろついていて危険だからな」

「はっ! 勇者様の警護、厳重に行います!」


 監禁だ。

 虐殺が終わるまで、僕たちを目撃者にも、介入者にもさせない気だ。

 兵士たちが鉄壁の構えで迫ってくる。エリナが青ざめた顔で杖を握りしめるが、多勢に無勢だ。


(……やられた)


 ルシアンの脚本にはない、人間の悪意。

 僕の「弱者の演技」が、完全に裏目に出た。舐められていたからこそ、こうして蚊帳の外に置かれたのだ。


 燃え上がる西の空。あそこには、今も逃げ惑う人々がいるはずだ。

 ここから強行突破すれば、僕の実力なら一瞬で兵士を制圧できる。だが、それでは正体がバレる。

 しかし、このまま宿でおとなしくしていれば、取り返しのつかないことになる。


 思考を加速させろ。

 演技を崩さず、この包囲網を突破し、かつ最速で現場へ向かう方法は?


 僕は足元のポチ(木箱)を強く踏んだ。

 合図は『緊急・撹乱パニック』。


「わ、わかったよぉ! 宿に行くよ! もう怖いのは懲り懲りだ!」


 僕は涙目で叫び、両手を上げた。

 兵士たちの警戒がわずかに緩む。

 その瞬間、僕はポチにつまずくふりをして、広場に積まれていた「油の入った樽」の山に突っ込んだ。


「うわぁぁぁぁっ!?」


 ドガラガッシャーン!!

 派手な音と共に樽が崩れ、大量の油が石畳にぶちまけられる。

 そして、偶然・・にも、僕の手から滑り落ちた松明(レオンの部下が持っていたものをこっそり奪った)が、その油溜まりに落下した。


 ボッ!

 爆発的な炎の壁が、兵士と僕たちの間に立ち昇る。


「火事だァァァ! 勇者様が転んで火事になったぞぉぉ!」

「熱い熱い! 逃げろぉぉ!」


 僕は悲鳴を上げながら、炎の混乱に乗じてエリナの手を掴んだ。

 兵士たちが消火活動と馬の制御でパニックに陥っている。


「エリナさん、こっちだ! 火事から逃げるために、森へ走ろう!」

「ゆ、勇者様!? いったい何が……」

「いいから走って! 女神様が『急げ』って言ってる!」


 僕は強引に彼女を引いて、混乱する兵士たちの隙間を縫うように駆け抜けた。

 誰も僕たちを止められない。彼らは「ドジな勇者が起こした事故」の処理に追われているからだ。


 街門を抜け、夜の街道へ。

 僕は走った。

 今までの演技で見せてきた遅い足ではなく、エリナがついてこられるギリギリの速度で。


(間に合ってくれ……!)


 西の空は、さらに赤さを増していた。

 風に乗って、焦げ臭いにおいと、微かな悲鳴が届き始めていた。

 僕の胸の中で、ルシアンとの「誰も死なせない」という約束が、警鐘のように鳴り響いていた。


 だが、僕たちは知らなかった。

 すでに「赤い夜」は、取り返しのつかない深さまで進行していることを。

 そこには、ただの虐殺だけでなく、もっとおぞましい悲劇が待ち受けていることを。


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