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第3章:霧の中の八百長試合

1.舞台セット:迷わずの森

 世界は、真っ白なカーテンに閉ざされていた。

 王都から北へ旅して三日目。僕たちの目の前に立ちはだかったのは、大陸名物『迷わずの森』だ。

 名前の由来は単純。「一度入れば二度と迷わない(なぜなら生きて出られないから)」という、ブラックジョークの効いた場所である。


 視界はわずか数メートル。乳白色の濃霧が肌にまとわりつき、湿度を含んだ空気が肺を重くする。

 本来なら、熟練の冒険者でも尻込みする難所だ。だが、僕には不思議な安心感があった。

 なぜなら、この霧もまた、ルシアンが仕掛けた「舞台装置セット」の一部だと知っているからだ。


「……勇者様、離れないでください」


 前を行くエリナの声が、霧に吸われてくぐもって響く。

 彼女は愛用のメイスを構え、氷魔法の輝きをランタン代わりにしながら、慎重に歩を進めていた。その背中は張り詰め、神経を尖らせているのが分かる。


「は、はい! くっついて行きます! お尻が見えるくらいの距離で!」

「……セクハラ発言として記録します。距離を保ってください」

「す、すみません!」


 僕は大げさに頭を下げながら、内心で舌を出した。

 エリナは優秀だ。この濃霧の中でも魔力の流れを読み、正しいルートを選んでいる。教会の教育水準の高さが窺える。

 だが、彼女は気づいていない。僕の足元で、木箱の『ポチ』が、微弱な振動音を発して道案内ナビゲートをしてくれていることに。


 『右、30度。障害物あり』

 『直進、安全ルート』


 ポチの振動パターンは、モールス信号のように正確だ。ルシアンの手紙にあった通り、このルートには「観客エリナ」に見せるためのイベントが用意されている。


(さて、そろそろかな)


 僕は記憶の引き出しを開ける。

 ルシアンの手紙にあった『没ネタノートの13ページ』。

 12歳の頃、僕たちが図書館の秘密基地で、あーでもないこーでもないと議論しながら書き殴った「最強の魔物」のデザイン。

 あれは確か、ルシアンが「魔法攻撃が無効な敵がいたら絶望的だよね!」と言い出し、僕が「じゃあ物理攻撃も弾き返す装甲をつけよう!」と悪乗りし、最終的にモロが「弱点がない敵なんて三流だ。致命的なアキレス腱があってこそ、倒された時のカタルシスが生まれるんだよ」と添削したやつだ。


 ガタガタッ!

 ポチが激しく震えた。敵襲の合図だ。


「――止まってください」


 エリナが鋭く警告を発した瞬間、前方の霧が爆発したように吹き飛んだ。

 ズゥゥゥゥン……!

 地響きと共に現れたのは、巨大な影。

 その姿が露わになった瞬間、僕は懐かしさと恐怖で、変な笑いが出そうになった。


「グルルルルァァァァッ!!」


 それは、悪夢のコラージュだった。

 胴体は巨大な戦車のようなグリズリー。右腕は巨大なカニのハサミ、左腕はしなやかな触手。背中からは鋼鉄の羽が生え、首から上は――三つの顔がひしめき合っている。

 怒り狂うライオン、嘲笑うような山羊、そして無機質な鉄仮面。


 合成獣キメラ

 それも、子供の無邪気な悪意を煮詰めたような、最悪のデザインだ。


「な……ッ!?」


 常に冷静なエリナが、息を呑んで後退る。

 無理もない。こんなデタラメな生態系の魔物は、教会の図鑑には載っていないはずだ。


「ひ、ひえぇぇぇ! なんだあれ! お化け!? 怪獣!?」


 僕は腰を抜かしたふりをして、派手に尻餅をついた。

 完璧な「ビビリ」の演技だ。

 さあ、ショータイムの始まりだ。脚本シナリオ通り、この理不尽な暴力を「辛勝」で乗り切らなければならない。


2.想定外のハードモード

「勇者様、下がって! 氷結牢アイス・プリズン!」


 エリナの反応は早かった。

 即座に詠唱を完了させ、合成獣の足元から巨大な氷柱を突き出させる。対象を凍結させ、動きを封じる上級魔法だ。

 ガガガガッ!

 氷が合成獣の脚を覆い尽くす――はずだった。


「メェェェ〜!」


 中央の山羊の頭が、愉快そうに鳴いた。

 次の瞬間、山羊の口から紅蓮の炎が吐き出され、エリナの氷を一瞬で蒸発させたのだ。

 いや、ただの炎ではない。魔力を食らい、燃料にして燃え上がる「対魔力炎」だ。


「魔法が……効かない!?」

「あわわわ! エリナさん、あいつ火を吹いたよ!?」

「落ち着いてください! 魔法がダメなら……!」


 エリナはメイスを構え、果敢に懐へと飛び込んだ。

 身体強化の奇跡を乗せた、渾身の一撃。その鉄球が、合成獣の脇腹に直撃する。

 ゴィンッ!

 鈍い音が響いた。だが、合成獣は痒そうに身じろぎしただけだった。

 グリズリーの毛皮の下にあるのは、ドラゴンの鱗をも凌ぐ重装甲だ。「物理も弾く」という僕のアイデアが、10年越しに牙を剥いてきた。


(……いや、ちょっと待てルシアン。これ、強すぎないか?)


 僕は冷や汗をかいた。

 当時の設定では「中ボス」レベルだったはずだが、実体化したこいつは明らかに「ラスボス手前」くらいのスペックがある。

 ルシアンめ、調子に乗ってステータスを盛りすぎだ。それともヴァルグあたりが余計な入れ知恵をしたのか?


「くっ……!」


 エリナがカニのハサミの一撃を辛うじて回避するが、衝撃波で吹き飛ばされる。

 彼女は受け身を取って着地するが、その白い頬には擦り傷ができ、息が上がっていた。

 まずい。このままだとエリナが死ぬ。

 僕が本気を出せば、聖剣の一振りでこのキメラを分子レベルで分解できる。だが、それでは全てが水の泡だ。「臆病な勇者」という配役を守りつつ、彼女に勝利を譲らなければならない。


 その時、合成獣の鉄仮面が、機械的な音を立てて開いた。

 中から覗いたのは、不気味に赤く明滅するレンズのような目。


「ピピピ……標的、ロックオン」


 無機質な音声と共に、魔力の収束が始まる。

 あれは、当時の僕たちが一番盛り上がった必殺技。『全方位殲滅ビーム』の予備動作だ。


「エリナさん、逃げてー!」


 僕は叫びながら、頭を抱えて地面を転がった。

 だが、ただ転がったわけではない。

 転がる勢いを利用して、足元の小石を強烈なスピンをかけて蹴り飛ばしたのだ。

 狙うは、合成獣の右の翼の付け根。

 あのデタラメなデザインの中で、唯一、モロが書き加えた「弱点」の場所。


『いいかい、坊ちゃんたち。最強の生物には、必ず滑稽な弱点を作るんだ。例えば……脇の下がくすぐったい、とかな』


 小石は誰にも気づかれることなく、弾丸のような速度で宙を切り、合成獣の右脇の下に吸い込まれた。


3.台本通りの大逆転

「メ゛ッ!?」


 合成獣の動きが止まった。

 三つの頭が同時に白目を剥き、巨大な体がビクンビクンと痙攣を始める。

 くすぐったいのだ。

 強靭な装甲も、魔法耐性も関係ない。神経に直接作用する「くすぐり」の衝撃が、合成獣の思考回路をショートさせた。


「……え?」


 ビームの発射体勢に入っていた合成獣が、まるでお笑い芸人のようにズッコケた。

 その拍子に、溜め込んでいた魔力が暴発する。

 ドォォォォン!!

 自分の足元で爆発が起き、合成獣はひっくり返って腹をさらけ出した。

 その腹部には、赤く輝くコアのようなものが露出している。あそこだ。あそこが動力源だ。


「い、今のうちに! エリナさん、なんかあいつ転んだよ! お腹が光ってる!」

「こ、転んだ……? 何という幸運……!」


 エリナは呆然としていたが、戦士としての本能がすぐに体を動かした。

 彼女は残った魔力を全てメイスに注ぎ込む。


「主よ、迷える獣に安息を! 聖撃ホーリー・スマッシュ!!」


 純白の光を纏った一撃が、無防備なコアに叩き込まれた。

 パリンッ!

 ガラスが割れるような音と共に、合成獣の動きが完全に停止する。

 巨体が光の粒子となって崩れ落ちていく。ルシアンの魔法生物ゴーレム特有の消滅反応だ。


 静寂が戻った森に、エリナの荒い息遣いだけが響く。


「はぁ……はぁ……倒し、ました……?」

「す、すごい! すごいよエリナさん! 一撃であんな怪物を倒しちゃうなんて!」


 僕は駆け寄り、手放しで賞賛した。

 エリナはその場にへたり込みながら、信じられないといった顔で自分の手を見つめている。


「いえ……私の力ではありません。あの魔物が、勝手に転倒して自滅しただけ……。あんな偶然、ありえません」

「女神様が見ててくれたんだよ、きっと! 日頃の行いがいいからさ!」

「……そうでしょうか」


 エリナは訝しげに僕を見た。

 鋭い。やはり彼女は、ただの「ラッキー」で納得するタイプではない。

 だが、証拠はない。僕はずっと地面を転げ回って悲鳴を上げていただけなのだから。


 その時、消滅した魔物の跡地から、何かが落ちているのが見えた。

 キラリと光る、紫色の結晶石。

 レアアイテムだ。ルシアンの奴、ドロップアイテムまでしっかり設定していやがった。


「あ、綺麗な石! これ、お土産にしよう!」

「……それは魔石です。教会の研究機関に提出すれば、高値で……いえ、貴重な資料になります」

「じゃあエリナさんが持っててよ。僕が持ってても猫に小判だし」


 僕が魔石を押し付けると、エリナは少しだけ困ったような、それでいて少しだけ嬉しそうな顔をした。

 彼女の「氷」が、ほんの少しだけ溶けた気がした。


4.舞台裏の独白

 その夜、僕たちは森を抜けた先の宿場町に到着した。

 エリナは報告書を書くと言って部屋に引きこもり、僕は一人、安宿の窓辺で夜空を見上げていた。

 足元ではポチが、合成獣からこっそり回収した「予備パーツ(ネジ)」をポリポリと齧っている。


 懐から、今日の手紙を取り出す。

 そこには、戦闘の結果を予見していたかのような追伸があった。


『追伸2:もし、あの合成獣の右脇の下を狙ったなら、君は相変わらず性格が悪いな。あれの弱点を設定したのはモロだぞ?』


「……うるさいな、名脚本家」


 僕は苦笑いした。

 すべてはお見通しか。

 今日の「八百長試合」は成功した。エリナは僕の実力を疑うことなく、むしろ「運がいいだけの頼りない勇者」という認識を強めただろう。そして同時に、「自分が守らなければ」という責任感も。


 完璧だ。

 だけど、あの合成獣の強さはやっぱり調整ミスだと思う。

 あんなのがゴロゴロ出てきたら、僕の演技力が保つかどうか怪しい。


「次は手加減してくれよ、ルシアン」


 僕は夜空に向かって呟いた。

 北の空にある黒い雲が、微かに笑ったような形に見えたのは、きっと気のせいだろう。


 ――だが、僕たちは知らなかった。

 この「おままごと」のような旅が、次の街で一気に血生臭い現実へと引き戻されることを。

 そこには、脚本にはない「選ばれなかった男」の嫉妬と殺意が待ち受けていた。



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