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第2章:吠える木箱と氷の聖女

1.廃墟の監視者

 背中を押していた熱狂的な歓声は、重厚な城門が閉ざされるとともに、まるで電源を切ったように途絶えた。

 後に残ったのは、荒涼とした風の音と、自分の足が砂利を踏む乾いた音だけ。

 王都を出て数時間。景色はすでに彩りを失い、枯れ木が墓標のように並ぶ荒野へと変わっていた。


(……やっと、一人になれたか)


 僕は大きく息を吐き、わざとらしく重そうに背負っていた荷物を下ろそうとした。

 だが、その手は空中で止まる。

 気配がした。魔物ではない。もっと鋭利で、静謐な気配だ。

 場所は、街道沿いにある朽ちた礼拝堂の跡地。待ち合わせ場所として指定されていたポイントだ。


「――遅かったですね、勇者カイト様」


 崩れかけた石壁の陰から、その声は響いた。

 鈴を転がすような美声でありながら、一切の感情が削ぎ落とされた声。

 僕は瞬時に「臆病な新米勇者」の仮面を被り直し、大げさに肩を跳ねさせた。


「うわっ!? ……び、びっくりした……」

「失礼。驚かせるつもりはありませんでした」


 現れたのは、一人の少女だった。

 年齢は僕と同じくらいだろうか。特筆すべきは、その異様なまでの「白さ」だ。

 新雪のような長い銀髪。陶磁器を思わせる蒼白い肌。纏っている聖職者の法衣も、塵一つない純白。

 唯一、色を持っていたのはその瞳だ。凍てついた湖面のような、底冷えのするアイスブルーが、僕を値踏みするように見つめていた。


「初めまして。教皇庁より派遣されました、聖女エリナと申します」


 彼女は優雅に、しかし事務的に一礼した。

 聖女。治癒魔法のエキスパートであり、神の愛を説く者。だが、彼女の腰には不釣り合いな銀色のメイスが吊るされており、その目は慈愛とは程遠い冷徹さを宿していた。


「あ、どうも……勇者のカイトです。えっと、君が僕の旅の仲間?」

「『仲間』という表現は正確ではありません」


 エリナは表情一つ変えず、淡々と言葉を紡ぐ。


「私は貴方様の身の回りの世話、健康管理、そして――その行動を逐一記録し、教皇猊下へ報告する『監査役』を仰せつかっております」

「監査……役?」

「はい。勇者様が道を踏み外さず、正しき英雄として振る舞われているかを見極めるための『目』です」


 なるほど、そういうことか。

 僕は内心で舌打ちをした。教会は、最初から僕を信用していない。

 僕が魔王と内通していないか、あるいは恐怖で逃げ出さないか。それを監視するために、この「氷の聖女」を送り込んできたのだ。もし僕が不審な動きを見せれば、そのメイスが僕の後頭部を砕く手はずになっているのだろう。


(やれやれ。ルシアン、とんだお目付役がついたもんだよ)


 だが、表面上は情けなく眉を下げてみせる。


「そ、そうなんだ……。僕、実戦経験も浅いし、君みたいな人がいてくれると助かるよ。足手まといにならないように頑張るから、よろしくね」

「……」


 エリナは僕が差し出した手を一瞥し、数秒の沈黙の後、革手袋越しの指先だけで軽く触れた。

 握手というよりは、検体への接触確認といった風情だ。


「ええ。貴方様が『勇者』に相応しい振る舞いをする限りは、全霊でサポートいたします」


 その言葉には、「そうでなくなった時は容赦しない」という無言の圧力プレッシャーが含まれていた。


2.王道からの逸脱物

 旅は、息が詰まるような沈黙と共に再開された。

 エリナは僕の三歩後ろを歩く。近づきすぎず、離れすぎず、僕の背中を常に視界に収める位置取りだ。足音は驚くほど小さく、まるで幽霊に憑かれているような気分になる。


 会話はない。

 僕が「いい天気だね」と言っても「気象条件は移動に適しています」と返されるだけ。

 「荷物持とうか?」と聞いても「訓練を受けていますので」と遮断される。

 彼女は徹底して壁を作っていた。


 参ったな。これではルシアンへの連絡もままならない。

 彼とは「道中の特定のポイントで物資や情報を交換する」という手はずになっているのだが、この監視下ではうかつに動けない。


 その時だった。

 前方の街道の真ん中に、奇妙なものが鎮座しているのが見えた。


「……あれは?」


 エリナが警戒して足を止める。

 それは、古びた木箱だった。大きさはミカン箱ほど。街道のど真ん中に、誰かが置き忘れたかのようにぽつんと置かれている。

 だが、ただの木箱ではない。

 箱全体が、ガタガタと小刻みに震えているのだ。


「罠の可能性があります。勇者様、下がってください」


 エリナが素早く前に出て、メイスを構える。その動きには一切の無駄がない。

 彼女が短く詠唱すると、周囲の気温が急激に下がった。大気中の水分が凍りつき、氷のつぶてが生成される。


「待って、エリナさん! ただの落とし物かもしれないよ?」

「この荒野で、震える木箱が『ただの落とし物』である確率はゼロです。魔物か、あるいは爆発物でしょう。遠距離から氷結させ、粉砕します」

「ふ、粉砕!?」


 彼女の判断は正しい。正しすぎる。

 だが、僕は冷や汗をかいていた。

 あの木箱の側面に描かれている、下手くそなドクロのマーク。あれは、僕が見覚えのある筆跡に酷似している。

 10年前、僕とルシアンが秘密基地の入り口に飾っていた看板のドクロだ。右の眼窩だけが妙に大きい、歪なドクロ。


(まさか……ルシアン?)


 あいつが送ってきたのか? こんな初歩的な罠みたいな形で?

 「勇者への最初の補給物資だ!」とか言って、中にお気に入りのアイテムでも詰めて転送してきたのかもしれない。

 だとすれば、ここで粉砕されるわけにはいかない。中身を見られるのもマズい。


 ガタガタガタッ!

 木箱が一際大きく跳ねた。

 そして、次の瞬間。


「ワンッ!!」


 木箱が吠えた。

 比喩ではない。本当に、野太い大型犬のような鳴き声を上げたのだ。


「……は?」


 エリナの詠唱が止まる。その冷徹な表情が、一瞬だけ呆気にとられたように崩れた。

 木箱の蓋がパカッと開き、中から真っ赤な舌のようなものがデロンと飛び出す。そして箱の四隅から、短い木製の脚が生えてきた。


「ワオーン!!」


 木箱は遠吠えを上げると、よちよちと不器用な足取りでこちらに向かって走り出した。

 ミミックだ。

 それも、なぜか犬の真似をしている、極めてふざけたミミックだ。


「……新種の魔物です。殲滅します」

「ちょ、ちょっと待って!」


 エリナが気を取り直してメイスを振り上げた瞬間、僕は慌てて彼女の前に立ち塞がった。


「どいてください、勇者様。あれは危険です」

「いや、見てよ! 明らかに弱そうじゃないか! いきなり殲滅なんて可哀想だ!」

「……魔物に慈悲を? 正気ですか?」


 エリナの瞳が絶対零度になる。まずい、不信感メーターが跳ね上がっている。

 だが、あの「ワンワン木箱」は、僕の足元まで来ると、尻尾(箱の取っ手)を振るように蓋をパタパタさせながら、僕のブーツにすり寄ってきたのだ。

 間違いない。これはルシアンからのメッセージだ。あるいは、あの変人参謀モロの差し金か。


「け、剣の稽古にちょうどいいと思ってさ! 僕がやるよ!」

「勇者様が直々に? ……あのような雑魚相手に?」

「そう! ほら、まずは小手調べというか、ウォーミングアップというか!」


 僕はエリナの返答を待たずに、聖剣を抜いた。

 キラリと輝く刀身に、ワンワン木箱が怯えたように「クゥ〜ン」と鳴く。ごめんよ、あとで直してあげるからね。


「とりゃあーっ!」


 僕は気合一閃、大袈裟な掛け声とともに剣を振り下ろした。

 ただし、刃筋はあえてずらす。箱の核を破壊するのではなく、蓋の留め具あたりを狙って衝撃を与える。

 ガゴッ! という音と共に、木箱がひっくり返った。

 その衝撃で、箱の中身がポロリとこぼれ落ちるのではなく――箱自体が白旗を上げるように、中から白いハンカチを掲げた。


「……降参、しているようです」

「あはは、可愛いなぁコイツ! なあエリナさん、僕、コイツを荷物持ちとして飼うことにするよ!」

「はい?」


 エリナが心底理解不能といった顔をした。


「だ、だってほら、勇者の荷物は多いし! 従順そうだし! 名前は……そうだな、『ポチ』だ! どう?」

「……理解に苦しみます。魔物を連れ歩くなど、教義に反します」

「でも殺すのは寝覚めが悪いし……ね? お願い!」


 僕は両手を合わせて懇願する。

 エリナは深い、深いため息をついた。


「……教皇庁への報告書には『勇者が魔物を手懐けた』と記載しておきます。ただし、少しでも害意を見せれば即座に破砕します。よろしいですね?」

「ありがとう! よろしくな、ポチ!」


 僕が頭を撫でると、木箱――ポチは嬉しそうに蓋をガタガタと鳴らし、僕の足に噛み付くふりをして甘噛み(?)してきた。

 その口の中、牙の奥に、小さく折り畳まれた羊皮紙が見えたのを、僕は見逃さなかった。


3.焚き火と通信

 その夜、僕たちは街道から少し外れた岩陰で野営することになった。

 火を起こし、簡素な食事をとる。

 エリナは食事中も無言だった。彼女は干し肉を小さくちぎり、機械的に口に運ぶ。その姿には、食事を楽しむという概念が欠落しているように見えた。


「エリナさん、見張りは僕がやるよ。君は先に休んで」

「いいえ。監視……いえ、随伴者の務めとして、私が最初の見張りに立ちます。勇者様こそ、お休みください」


 言い直したな、今。

 彼女は頑なに僕を監視するつもりらしい。これではポチから回収した手紙が読めない。

 仕方なく、僕は毛布にくるまり、寝たふりをすることにした。

 足元にはポチが丸まっている(四角いが)。コイツがいるだけで、少しだけ心強い。


 焚き火がパチパチと爆ぜる音。

 エリナが聖典をめくる、微かな衣擦れの音。

 夜の冷気が厳しさを増していく中、僕は呼吸を深く、一定のリズムに整えていく。


 一時間ほど経っただろうか。

 エリナの気配が少し遠のいた。水を汲みにでも行ったのか、あるいは周囲の巡回か。

 今だ。

 僕は毛布の中で、そっとポチの口から抜き取っておいた羊皮紙を開いた。

 焚き火の明かりがわずかに透けて、達筆だがどこか芝居がかった文字が浮かび上がる。


『拝啓、主演男優殿。

 “観客”の反応はどうだい? 教会の監視付きとは、初っ端からハードモードな脚本シナリオだね。

 助演メカ「ポチ」を同封する。演出家モロが徹夜で組み上げた舞台装置だ。腹の中は四次元だから、小道具の管理に使ってくれ。


 こちらの“悪役”パートも、なかなか骨が折れるよ。

 四天王という名の重役たちが、「もっと派手な破壊エフェクトを!」と突き上げてくるものでね。特に東方将軍ヴァルグの演技指導には苦労している。あいつはアドリブで人を食おうとするから困る。


 さて、次の街への道中に、第1章のクライマックスを用意した。

 昔、僕らが書いた「没ネタノート」の13ページにいた奴だ。派手な立ち回りを期待しているよ。


 追伸:無理な熱演は禁物だ。君が倒れたら、この舞台は幕引きだからね。

 ――魔王の仮面を被った親友より』


 ……あいつは、相変わらずだ。

 僕は込み上げてくる笑いと、鼻の奥のツンとする痛みを同時に噛み殺した。

 魔王軍の幹部を「重役」、侵略行為を「演出エフェクト」と呼ぶそのセンス。あの脳筋狼男ヴァルグに「演技指導」をしているルシアンの姿が目に浮かぶようだ。

 それに、「没ネタノートの13ページ」。子供の頃、僕たちが「これは強すぎてボツだね」と笑い合った、あの合成獣キメラのことだろうか。


 僕は羊皮紙を握りしめた。

 孤独な旅だと思っていた。世界中を騙し、たった一人で歩む道だと。

 けれど、僕たちは繋がっている。

 このふざけた木箱と、一枚の手紙が、それを証明していた。


 ふと、視線を感じた。

 心臓が跳ね上がる。

 薄目を開けて様子をうかがうと、エリナが戻ってきていた。

 彼女は僕が起きていることに気づいていないようだ。焚き火の前に座り込み、聖典ではなく、何か小さなペンダントのようなものを握りしめていた。


「……お母様」


 風の音に紛れて、その言葉が聞こえた気がした。

 彼女の横顔は、昼間の冷徹な仮面の下に、迷子のような、あるいは何かに怯えるような少女の素顔を覗かせていた。

 氷の聖女。感情を持たない監視者。

 だが彼女もまた、何かを背負い、何かを演じているのかもしれない。教会という巨大な組織の中で、正義を信じようと必死に。


 僕は気づかないふりをして、再び目を閉じた。

 手の中の手紙の感触と、足元のポチの寝息(木箱だが振動している)。そして、近くにいる孤独な聖女の気配。

 奇妙な三人旅が始まった。


 脚本は走り出したばかりだ。

 次はどんなアドリブが待ち受けているのか。

 僕は不安と、微かな楽しみを抱きながら、偽りの眠りについた。


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