20. 「お話し」はいつも、最悪な始まり 2
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
二回目の譚師傅は、お茶も出さなかったし、笑いもしなかった。
そのほうが、よほど怖い。
背後で気密ドアが「カチ」と鳴って閉まる。音は小さいのに、棺桶の蓋を合わせてみて、寸法が合うか確かめているみたいだ。前室は相変わらず白い。病院の白。公式マニュアルの白。あらゆる悪いことが始まる前に、「自分は清潔な手続きを踏んでます」と言い張るための白。
譚師傅はシミュレーションシートの横にしゃがみ、闇市物の煙草を口の端から反対側に移し、私を見上げる。
「今日は、いい人のふりはしない」
私は立ったまま動かない。
「おめでとう」と言う。「昨日の時点でバレてました。ただ、めんどくさくて指摘しなかっただけです」
「口が生きてるな。結構」と彼はシートの背を叩く。「座れ」
腰を下ろしたとき、座面が少し冷たかった。その冷たさは、寒さじゃない。注意喚起だ。首の後ろに硬貨を貼りつけられて、「お嬢ちゃん。今のお前の命の値段、たぶんこのくらい」と教えられている感じ。
ベルトが固定される瞬間、肩を少し持ち上げて押し返そうとした。譚師傅は見ることもなく、ただ口だけで言う。
「芝居はよせ。昨日、本当に逃げる気があったなら、ドアが閉まる前にとっくに暴れてる。今になって動くのは、『やることはやりました』って自分に言い訳したいだけで、抵抗とは言わない」
……このジジイ。
神経コネクタを一つ一つ留めていく。鍋に入れる鶏を縛るのと同じ手つきで。ふと、自分の出世を実感した。
四十二日前の私は、研究室の白いネズミだった。
四十三日目の今日は、高級調理コース行きの鶏になった。
連邦は本当に、人間の扱いが上手い。心からそう思う。
「今日は、痛みは出さない」と譚師傅。
「昨日も、人間みたいなことをいろいろ言ってましたよね」
「今日は、本当に出さない」と彼はサイドパネルを押しながら、野菜の相場でも読み上げるみたいな声を出す。「今日は、お前が自分で何を差し出したがるかだけを見る」
キャビンの灯りが一瞬、ゆるんだ。
眩しい白光も、失重も、息苦しさもない。心音を戦鼓みたいに増幅する安っぽい脅かしもない。まわりが静かに引き下がっていく。劇場の背景が一層ずつ降ろされていくみたいに。最後に私の前に残ったのは、一枚のガラス——
いや、正確には一人の人間だった。
彼女は、私の正面に座っている。
私と同じ背丈で、同じくらい細くて、髪は昨日、遠心機と嘔吐袋にセットでしごかれたばかりみたいに乱れていて、左目の下の、ほとんど見えないくらい薄い小さなほくろもある。
彼女が顔を上げて、私を見る。
私も、彼女を見る。
……ああ。
はいはい。
今の連邦は、「自分で自分の首を絞めさせる」プログラムまで、ここまで精巧に作るようになったらしい。
「これ、何ですか」と私は訊く。
譚師傅は横へ退いて、主演に舞台を譲る三流一座の座長みたいな顔をする。
「お前の四十三日ぶんの音声、微表情、心拍パターン、ストレス反応、語彙の癖、間の取り方を全部まとめて作った会話モデルだ」と言う。「ざっくり言えば、お前よりちょっとだけ正直なお前だな」
向かい側の「私」が笑った。
その笑いが、最悪だ。
自分がふだん、こう笑っていると知っているから。
口角だけ動かして、目は動かさない笑い。
「近づかないほうが身のためだよ。近づくなら、こっちもやり返すから」と世界全体に告げている笑いだ。
「気持ち悪い顔」と向かいの私は言う。
私は彼女を睨む。
「光栄にどうも。同じ顔だけどな」
「違うよ」と彼女は首をかしげる。「私は、お前が認めたくないほうの部分だから。教育的価値は、私のほうがちょっと高い」
譚師傅が横で咳払いを一つ。路地裏で喧嘩しているガキ同士に「場所を考えろ」とでも言いたげだ。
「ルールは簡単だ」と言う。「今日は正解はない。ただ、向かいと話をしろ。どこまで話せるかは、お前の腕だ。沈黙してもいい、嘘をついてもいい、話題を逸らしてもいい、勝ってもいい」
「負けたら?」
「負けても死にはしない」と譚師傅は煙草を噛んだまま、細い目をして言う。「どこを一番高く買えばいいか、俺が分かるだけだ」
危うく笑いそうになった。
そういうことだ。
最初の五人は、「この素材を武器にできるか」を見ている。
この古狸は、「どこから切るのが一番儲かるか」を見ている。
向かいの私は、両肘を膝に乗せて、とても気長そうに私を見つめる。
「簡単なのから行こう」と彼女は言う。「一番嫌いな教官は誰」
「安い質問だな」
「安いのがいちばん効く。人はね、一番安いところから漏れる」
答えない。
彼女も急がず、頷く。
「じゃあ、私が代わりに答える。カールじゃない。カールはあまりにも真っ直ぐで、殴るときは殴るだけで、感情を無駄遣いしないから。ミラでもない。あの女の口は、実際少し好きだし。レナードも違う。怖いけど、ルールを尊重してる。博士でもない。あれは、どっちかと言うと埋めてやりたい対象。レオでもない。あいつの中で自分が『人』扱いなのか『案件』扱いなのか、まだ賭けを続けてるから」
そこで一拍置き、口角を上げる。
「J.Jだよ」
口の端が、ぴくりと動いた。
……腹立つ。
「だって、一番早くお前を見抜くから」と向かいの私は静かに言う。「で、お前が一番嫌うのは、痛みでも、疲労でも、嘔吐でもない。お前が一番嫌うのは、自分がどこから壊れていくかを、自分より先に知ってる奴がいることだ」
譚師傅は口を挟まない。
キャビンの中は静かだ。
自分の心拍の中に、ごく小さな「空振り」の音が混じるのが分かる。鍵穴の中で、誰かがそっと鍵を回したけれど、まだ扉は開いていない、そんな音。
「それで?」私は冷笑する。「この程度で尋問のつもり? 連邦の予算、そんなに削られたんですか。心理カウンセラーをバイトで雇うしかないなんて」
向かいの私は、少しだけ憐れむような目をした。
さらに、気分が悪くなる。
「それだよ。今の」と彼女は言う。「何でも安っぽく言い直すやつ」
「大したことないって言い換える。運だって言い張る。大事なことを冗談扱いする。怖いことを『うざい』にしてしまう。価値を先に自分の手で安くしておけば、他人には持って行かれない」
私は何も言わない。
あまりにど真ん中すぎて、さすがに声が出なかった。
譚師傅が、豆乳の出前でも取るかのような平坦な声で口を開く。
「今、あいつが狙ってるのは情報じゃない、丫頭。金庫だ」
「金庫なんてないです」
「あるよ」と向かいの私は言う。「この四十三日、お前、必死で錠前を増やしてたじゃない」
身を少し乗り出す。
「お前が一番怖いのは、死ぬことじゃない」
「当たり前」
「痛みでもない」
「……」
「一番怖いのは、自分がここに向いてるって事実だよ」
呼吸が一拍、止まった。
ほんの一拍。
本当に短い。
他人に見られていたら、「むかついた」くらいにしか思われないだろう。残念ながら、譚師傅は「他人」じゃない。向かいのこれは、私のデータで作られている。連邦は、そういうところだけは本当にリソースの使い方を間違えない。
彼女は、ようやく自分で扉を少し開けた相手を見るみたいに、私を見ていた。
「昨日あれだけ吐かされたのも嫌だし、薬で頭がバカになるのも嫌だし、J.Jに魂ごと遠心機にかけられるのも嫌だし、レナードに『破壊とは、爆発じゃなくて、相手のシステムが自分で裏切るまで待つこと』だと理解させられるのも嫌だ。それは全部、本当だ」と彼女は、一語一語を噛みながら言う。「でも一番怖いのは、別のことだ」
指が、ほんの少し丸まる。
ベルトが手首に食い込む。
「お前は、覚えるのが速すぎる」
私は彼女を見つめる。
彼女も、私を見つめる。
その目は、本当に最悪だ。
鏡の中の目じゃない。
夜中に目が覚めて、吐き終わって、顔を洗って、排水溝を見つめながら「やばいな」と思っているときの目だ。状況がおかしいと分かっていて、それ以上に自分がおかしいと分かっている目。
「お前が怖いのは、『耐えられないかもしれない』ことじゃない」と彼女は静かに言う。「『案外ちゃんと耐えちゃうかもしれない』ことのほうだ」
その言葉が落ちた瞬間、譚師傅がようやく何かを押した。
電流でもなければ、痛みでもない。
ただ、キャビン全体が、ゆっくり沈んでいく。
背もたれが重くなり、空気が濃くなり、照明が低くなる。部屋じゅうが一斉に、こちらのほうへ少し身を寄せて、「さあ、この先を言うか言わないか見せてみろ」と待っている。
奥歯を噛みしめる。
駄目だ。
こんなことは、口にできない。
機密だからじゃない。
誰かを殺せる情報だからでもない。
一度言葉にした瞬間、それは「心の隅のカビた一角」から、「公式に利用可能な特性」に変わる。
記録されることには、もう慣れている。
それでも、一分でも長く隠しておきたいものはある。
「言っても、別に何も変わらない」と向かいの私は言う。「どうせ、とっくに見られてる」
笑った。
今度の笑いは、本物だ。
喉の奥が少し痛くなる。
「違う」と私は彼女を見て、一語ずつ噛み砕く。「見られてるのと、自分で認めるのは、別の話だ」
向かいの私は、黙り込んだ。
譚師傅が横で軽く「ほう」と声を上げた。市場で今日初めてまともな値付けを聞いた商人みたいに。
「悪くない」と言う。
私は彼を無視した。
向かいの私を見つめ続ける。ゴミ箱の上にしゃがみ込んで、私と同じ顔をして、私の人生設計まで口出ししてくる野良猫でも見るみたいに。
「そう、怖い」と私は言う。声は大きくないが、揺れてはいない。「自分がここに向きすぎてるのが怖い。こういうことを覚えるのが速すぎて、いつか振り返ったとき、無理やり武器にされたんじゃなくて——」
一拍置く。
胸のあたりが、少し詰まる。
「——もともと武器になれる素材だったって、気づくのが怖い」
キャビンが二秒ほど静まった。
それから向かいの私が、ゆっくりと笑った。
嘲笑じゃない。
確認だ。
試験官が答案用紙にチェックマークを入れるような笑い。
次の瞬間、シミュレーションキャビン全体が暗転した。
重量感も、照明も、ガラスも、あの気持ち悪い私も、全部まとめて引き抜かれる。残ったのは少し速くなった呼吸と、手首にまだ食い込んでいるベルトの感触だけ。さっきまでが幻覚じゃなく、公費による解体作業だったと教えてくれる。
白い照明が戻ってくる。
譚師傅は元の場所に立っていて、口の煙草は半分ほど燃え尽きていた。
「今日はここまでだ」と言う。
喉が少し乾いて、声がかすれる。
「これを聞くためだけに?」
「違う」と彼は近づいてきて、ベルトを外し始める。声には、気だるげな満足感が混じっている。「お前がそれを、どうやって守ろうとするかを見てた」
バックルが一つ一つ外れていく。
手首に傷はない。体にもない。きれいなものだ。文明的だ。連邦はこういう、痕跡を残さない教育方式が好きだ。高級レストランで客を解体しながら、最後にナプキンを花の形に折って出すみたいに。
「結果は?」と私は訊く。
譚師傅は私を一瞥する。
その目つきが初めて、サンプルを見る目でも、刃の素材を見る目でもなかった。
面倒だが、手元に置いて磨き続ける価値のある問題を見る目だった。
「結果は、お前の口の強さは半分剥がれた」と彼は最後のベルトを放り投げ、古狸みたいに歯を見せる。「残りの半分のほうが、値打ちがある」
私はシートに座ったまま、ゆっくり手首を回す。
「ここの人間って、全員、他人を商品みたいに語るのが好きなんですか」
「ほかにどう語れってんだ」と譚師傅は煙草を咥え直し、ドアのほうへ向かう。「夢でも語るみたいに言えってのか」
……この老狐狸。
……クソ、筋が通ってる。
ドアが開くとき、彼は振り返りもせず、痩せた手をひょいと上げた。
「十分後、第二ラウンドだ」と言う。「今度は、お前が何を怖がってるかは聞かない」
私は彼の背中を見る。
「じゃあ何を?」
譚師傅は少し足を止め、顔を半分だけこちらに向ける。
「捕まったとき、最初に誰を使って俺を騙すか、だ」
それだけ言って、本当に行ってしまった。
まだ余熱の残るシートに一人取り残されて、今日という日の素晴らしさを噛み締める。太陽はいつも通り昇り、連邦はいつも通り稼働し、私は朝から一時間もたたないうちに「自分はたぶん生まれつき災厄向きかもしれない」と認めさせられた。
十四歳少女の健全な成長計画、前途洋々だ。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




