14. 遅延性薬品相互作用 5
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
博士はまず呼吸リズムのテストを始めた。
四拍吸って、一拍止めて、六拍吐く。
もう一度。
負荷を上げる。
耳元で戦場ノイズを流す。
視界にフリッカーライトを差し込む。
低周波の振動で平衡感覚を乱す。
次に疼痛閾値の管理。
ただ耐えるだけじゃない。
識別して、切り分けて、優先順位を付ける。
博士は前腕、肩、肋間に異なる強度の電気刺激と圧痛テストを与え、どの痛みが判断にどれだけ影響するか、どれがノイズか、どれをバックグラウンドとして処理できるか報告させた。
「痛みそのものは問題ではない」彼はモニターを見ながら言う。「混乱が問題だ」
こめかみに汗がにじみ、歯を食いしばりすぎて顎がだるくなっても、口だけは動く。
「そういうこと言う人って、だいたい今は電気流されてない側ですよね」
「だから私が立っていて、君が座っている」博士は平然と返す。「合理的な分業だ」
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その後は薬物。
透明な小型注射器がトレイに並ぶ。文明的すぎて、逆に吐き気がする。
博士は淡々と名称と用途を読み上げる。
「低用量の神経安定剤。無効なパニックピークの抑制用」
「前庭抑制補正。高Gやバランス喪失環境下での使用」
「短時間作用型疼痛フィルター補助。鎮痛ではなく、痛覚信号が判断層に到達するのを遅らせる」
「微量代謝ブースト。短時間の高強度出力維持用」
彼はまるでティーセットの説明でもするかのような口調だ。
俺は、自分が実験用消耗品に分類されていく感覚で聞いていた。
一本目が入る。冷たさで神経が痺れる。
二本目は熱。熱が血管を登って、細い金属線が腕から肩、首筋に絡みついていくような感覚。
三本目のあとで、視界の縁がわずかに明るくなる。
ひどくはない。ただ、世界がいきなり鮮明になりすぎた。
照明が白く、金属がきらつき、博士の声の一音一音が妙にくっきりと耳に刺さる。
「めまいは?」
「少し」
「吐き気は?」
「ある」
「吐きそうか?」
「あなたの顔見てると、ちょっと」
博士は端末に記録する。
「ユーモアは維持されている。結構だ」
……それも評価項目かよ。
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その後の三十分、俺は拘束されたまま、フルコースの動的反応と痛覚フィルタテストをやらされた。
照明が点滅し、
警告音が飛び出し、
ターゲットのパネルが視界の中をめちゃくちゃに走り回る。
手を伸ばしてボタンを叩くたび、数字を読み上げ、方向を識別するたび、体は常に半拍遅れているようで、同時に半拍早くもある。矛盾した気持ち悪さ。
誰かが俺の神経系を二本に分岐させて、一方に「速くなれ」、もう一方に「ブレるな」と命じて、どっちが勝つか見物しているみたいだった。
固定具が外れたとき、初めて全身に力が入っていたことに気づいた。
手首が自由になった途端、椅子から滑り落ちかけた。
博士が肩を支える。
優しさではない。
今日のサンプルを壊すつもりがないだけだ。
「初期反応は悪くない」彼は端末の数値を見ながら言う。「いくつかの指標は予測より良好だ」
うつむいたまま息を整える。冷や汗が首筋を伝う。
「感動しろってことですか」
「試してみるのもいい」
顔を上げて、博士の無表情な顔を見る。
「もし俺がいつか死んだら、博士」
「うん?」
「墓碑に『指標、予測値を上回る』と刻んでほしい」
博士は一秒だけ黙って、かすかに笑った。
「まずは、そこまで生きられるかどうかだな」
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課程が終わると、午前の残りは「回復観察」として記録された。
聞こえはいい。
人間の言葉に訳せば、「今日お前の中に何本か薬を入れたから、今からそれらが喧嘩を始めるか見ている」だ。
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宿舎に戻る道すがら、足取りが少し浮いていた。
酔っているわけじゃない。
単純な疲れでもない。
体の神経一本一本が感度を一段階上げられたみたいで、衣服の摩擦、廊下の照明の白、空調の風の冷たさ、全部が「ほんの少し」ずつ増幅されている。その「ほんの少し」が一番たちが悪い。倒れるほどでも、無視できるほどでもない。
部屋に戻ってドアを閉め、しばらく背中をドアに預けて立っていた。
静かだ。
やっと静かだ。
でも、静けさは楽にはしてくれなかった。
胸の奥にはまだ熱が残っていて、
指先はわずかに痺れている。
呼吸はどこか中途半端な位置で引っかかる。深く吸っても違和感、浅く吸っても違和感。
机まで歩いて、水を半分一気に飲み干した。
効かない。
熱は引かず、むしろゆっくり沈んでいく。腹部に、背骨の奥深くに沈み、そこからじわじわ四肢に広がる。普通の熱でも、痛みでもない。もっと内側で、もっと始末の悪い種類の「制御不能」だ。体のほうが、俺を同じ陣営だと認識するのをやめかけているような。
コップを握りしめ、指の関節が白くなる。
「……嘘だろ」
口にした瞬間、自分の声がかすれているのが分かった。
薬の遅延反応だと思っていた。
吐き気、めまい、動悸——それくらいなら毒づきながらでも耐えられる。
でもこれは違う。
体温が上がっていく。
呼吸は乱れていく。
皮膚の下を細かい電流が走るような感覚。しかも、それは単なる痛みじゃない。それが一番たちが悪い。輪郭が曖昧で、粘ついていて、「ただの訓練生」でいるふりをさせてくれない。
ふらつきながら二歩進み、机に手をついた。
「……くそ」
この一言は、薬への悪態であり、
博士への悪態であり、
人体を組立キット扱いするこのご立派なシステムへの悪態でもある。
午前中に習った呼吸リズムで整えようとする。
四拍で吸う。
一拍止める。
六拍で吐く。
完全に無駄、というほどでもないが、効いている感じはない。
少なくとも、コップを壁に投げつけずに済んでいる。
でも、あのぐちゃぐちゃした熱は消えない。
最悪なのは、そこに薄い羞恥の色が混じり始めたことだ。外から与えられたものではない。中から上がってくる。ストレス、疲労、薬の効果、本来なら呼び起こされるべきではない何かの反応が、全部一緒に絡まり合っている。
歯を食いしばり、冷たい壁に額を押し当てる。
「落ち着け……」
自分に言い聞かせる。
「ただの副作用。狂ったわけでも、死ぬわけでもない。これは——」
その先の言葉は喉で止まる。
体が正直すぎる。
殺意が湧くくらい、正直だ。
ほとんど倒れ込むようにベッドへ戻り、アイスパックを後頭部に押し付け、薄い掛け布団を乱暴に引き寄せて自分を覆う。もう少し重みがあれば、この乱れた反応ごと押し戻せる気がした。
時間の進み方が分からなくなった。
寒くなったり熱くなったりを繰り返し、指でシーツを握りしめ、呼吸は暴風シミュレーションカプセルを一周全力疾走した後のように乱れていた。収まったかと思えば、あの電流のような熱がもっと深いところから這い上がってきて、全身の筋肉をきしませる。そのたびに体を丸めるしかなかった。
もし今誰かが入ってきたら、その場で消えたいくらいだ。
いつ眠ったのか、正確には記憶がない。
最後に視界が白くなり、部屋の光が歪み、エアコンの音が遠い潮騒みたいに聞こえて——
そこで途切れる。
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次に意識が浮かんだのは、ドアチャイムの音だった。
短く、二回。
最初は何だか分からなかった。
頭が湿った綿でいっぱいみたいに重くて、鈍くて、粘っている。体を動かして初めて、自分の体勢の惨状に気づいた。ベッドの端に中途半端に丸まり、掛け布団は滅茶苦茶、アイスパックは床に落ちていて、制服の上着も半分脱げかけている。
見事だ。
戦場で敗れた後、無造作にベッドに投げ戻された廃棄物そのもの。
チャイムがもう一度鳴る。
口を開こうとしたが、喉が乾きすぎて痛い。
「……ちょっと待って」
自分の声が自分のものじゃないくらい掠れていた。
起き上がろうとしたが、腰の横と太腿の付け根の筋肉が同時に痙攣し、呻き声が漏れた。そのままベッドから転げ落ちそうになった。
ドアの外が一瞬静かになる。
続けて、解錠音。
「終わった」と心の中で思う間もなく、ドアが開いた。
レオが立っていた。
背後から朝の光が差し込み、その軍装の輪郭を嫌になるほどくっきりと描き出している。彼の視線は一秒もかからず、部屋と俺の惨状をすべてスキャンした。
床に落ちたアイスパック。
机の上の飲みかけの水。
開けっ放しの医療パック。
ベッドの上の俺。
そして、俺のひどい顔色。
その瞬間、ほんとうにその場で蒸発したくなった。
怖いからじゃない。
恥ずかしすぎるからだ。
歯を食いしばって、どうにか体を起こそうとする。
「報告、大佐、これは——」
「動くな」
声は大きくなかったが、切れ味は鋭かった。
俺は本当に、その一言で動きを止めた。
レオは中に入り、後ろ手でドアを閉めると、数歩でベッド脇に来た。触れずに、まず俺の手の甲と首筋を一瞥し、次に不規則な呼吸パターンを確認して、目の奥が一段階冷たくなった。
向けられているのは、俺ではなく状況そのもの。
「遅発性薬物相互反応だな」自分に言い聞かせるように、低く呟く。
顔を背ける。耳の裏が焼けるように熱い。睨む気力もなく、ただ横を向くだけ。
「ご明察」
「どれくらい続いている」
「分からない」
「意識を飛ばしたか」
「多分」
レオは眉をひそめ、ようやく手を伸ばし、床に落ちていたアイスパックを拾い上げ、俺の後頭部に再び押し当てる。その動きは、前線で何度も応急処置をしてきたような、無駄のない自然さだった。
冷たさが触れた瞬間、反射的に体が縮む。
「呼吸は教わったリズムで」彼は言う。「四拍で吸って、六拍で吐く。反応と喧嘩するな。心拍を下げろ」
簡単に言うなよ、と皮肉の一つも言いたいが、今は白目を剥く体力もなく、ただ言われた通りにするしかない。
もう片方の手で、レオは端末を操作した。
「医療チャンネル、優先度二。博士を」
三秒もかからず通信が繋がる。
博士の声が端末越しに流れる。相変わらず落ち着きすぎていて、腹が立つほどだ。
「大佐?」
レオの声は氷の刃のように冷たい。
「昨日彼女に投与したうち、遅発性の自律神経過剰反応を起こす可能性がある組み合わせは?」
端末の向こうで、一拍分の沈黙。
短い。
だからこそ分かる。
ああ、博士でも計算外だったのか。
「症状を」博士が言う。
レオが俺を一瞥し、ほとんど残酷なまでに正確に言語化する。
「体温上昇、末梢振戦、呼吸リズムの乱れ、筋緊張、意識の間欠的な鈍麻、混合型相互刺激の疑い。発症は遅延し、持続して夜を越えた」
端末の向こうでまた半拍の沈黙。
それから博士が口を開いた。声は相変わらず平坦だが、俺にはその奥にごく薄い、いつもと違うものが感じられた。
「……十分で行く」
レオは通信を切った。
部屋にまた静寂が戻る。俺のまだ乱れた呼吸と、アイスパックの冷たさだけが残る。
目を閉じる。今日の朝だけで、一生分の恥をかいた気がした。
「今、俺のこと事故報告書に書きたいと思ってるでしょ」
レオは俺を見下ろす。表情はいつも通り希薄だ。
「お前の責任じゃない」
「へえ」掠れ声で笑う。「その台詞、大佐の口から出ると金メッキくらい盛ってる気がしますけど」
レオはその挑発には乗らず、アイスパックの位置を少し直した。
「起き上がれそうか」
「できると思いますが、死に方がさらに見苦しくなります」
「なら、しばらくそのままでいろ」
……この男、今日はやけに人間の言葉が多い。
本当に、博士のほうが危ないな。
ベッドヘッドに体を預け、どうにか呼吸を整える。額にはまだ汗がにじんでいる。
「大佐」
「何だ」
「今笑いたいなら、俺があなたを絞め殺す元気がないうちにどうぞ」
レオは俺を見る。
「そんな気はない」
「残念ですね」
「むしろ、お前だ、星野」
「はい?」
彼の声は相変わらず淡々としていた。
「次に異常が出た時、ここまで自分を追い込む前に申告しろ」
二秒黙ってから、小さく返した。
「……行けると思ったんで」
レオはすぐには返さなかった。
ただ俺を見て、それから短く言った。
「その台詞は、死んだ奴がよく使う」
……慰めのセンス、さすが大佐。
だがその一言で、なぜか少しだけ笑いそうになった。
面白いからじゃない。
いかにもこの場所らしい答え方だったからだ。
優しくもない。
きれいでもない。
でも、効く。
廊下の外から足音が近づいてくる。
規則正しく、乾いていて、急がず遅れず。
自分がこれから問い詰められると分かっていても、品位を崩さずに白衣を翻して近づいてくる高級な狂人の靴音だ。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




