200.人類という親不孝者 1
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
帝国ホテルの正面玄関は、制度化された誇示のように輝いていた。
月面都市の夜はまだ完全には落ちていない。ドームの外側の暗闇は深海のようで、内側の人工の光は建物全体を清潔に、高価に、そして実に腹立たしく照らし出していた。「服が十分に高価でなければ、呼吸するだけで床を汚しているような気分になる」種類の高級感は、私とはいつも折り合いが悪い。
でも今日、それと折り合いが悪いのは、星野シモではない。
綾瀬汐里だ。
もっと正確に言えば、綾瀬汐里という皮を被りながら、ホテルのサービススタッフの制服を着た私だ。
黒いベスト、白いシャツ、細身の蝶ネクタイ、スリムなスラックス、ローヒールの靴。髪はあらかじめ試した通り、低い位置のサイドテールで、耳元に数本の後れ毛を残す。清潔で、静かで、好かれもせず、嫌われもしない。この服の目的は、決して「きれいに見えること」ではなく、「記憶に残らないこと」だ。
ホテルの外壁のガラスに映った自分のシルエットを、最後に一瞥した。
よし。
武官候補生には見えない。
路地裏に人を引き込んで情報を吐かせるタイプにも見えない。
残業続きで給料も安く、今夜はただトレイを運び終えたい若いスタッフに見える。
申し分ない。
今日の名目上の目的は、修学旅行の予定動線の下見だ。学生団は明日から正式に入館するが、このクラスの行事では前日から大勢の人間が、カーペット、ネームプレート、食器、花、安全問題を巡って一通り口喧嘩を済ませる。星野シモはこういう場所に堂々と乗り込める身分ではないが、綾瀬汐里ならできる。サービススタッフならさらに入りやすい。
理論上は、ひと回りして動線を頭に入れ、死角を確認し、どの階段がどの人間よりも罠に近いかを記録してから、誰にも顔を覚えられずに出るつもりだった。
理論上は、だ。
現実はたいてい、人に対してそれほど気前よくない。
側面の搬入口からすり込んだばかりで、まだバックヤードの通路と出口を全部確認する前に、濃いグレーの制服を着た、規律そのものが頭の形をしているような女性が、文件板を私の腕に叩きつけてきた。
「ようやく来た」彼女は言った。
文件板を見下ろし、顔を上げた。
「……あの」
その一音が、綾瀬汐里の皮の下で、私が出せる最大限の驚きだった。
相手は私の表情など見ていなかった。チーフと思しきその女性は、何者なのか、昨夜何時間眠ったのかも不明だが、惑星の自転すらシフト表に組み込もうとするタイプの人間に見えた。イヤホンに向かって話しながら、ペンで空中を突いて私を指した。
「臨時スタッフは遅刻禁止。食器区に二人足りない。二階西側の個室は今テーブルを並べ直してる。修学旅行の受け入れリハは明日。まず十六番倉庫でテーブルを運んで、それからギャラクシーホールにグラスを補充して。早く」
彼女を見た。
彼女はもう振り向いて、別のスタッフを叱りつけていた。
「それじゃないって。星紋のフルートグラスよ。それでお客様にスープを飲ませるつもり?」
……なるほど。
帝国ホテルは今日、営業しているのではない。
戦争をしている。
そして私は、ちょうど徴兵されそうな格好をした間の悪い人間として、そこに立っていた。
一秒だけ、銀河連邦 月面駐在武官府の武官候補生・綾瀬汐里の口調で、自分は臨時スタッフではなく、この人間地獄をたまたま通りかかっただけの善良な市民だと丁寧に説明することを考えた。でも口を開く前に、チーフはすでに私の手に部屋カードを押しつけていた。
「十六番倉庫。早く」
手の中のカードを見た。
チーフの背中を見た。
それから心の中で、ヴィスラン大佐の評価欄に一行書き加えた。
追記二:朝食を食べろと言ったのは、私の胃を気にかけていたからではない。今日私がホテルに無料労働力として徴収されることを、最初からわかっていたからだ。
「……了解です」
スタッフとして適切な音量で返事をして、そのまま歩き出した。
まあ、悪くはない。
証明書では入れない場所も、トレイを持てば入れることがある。帝国もホテルも、この点では驚くほど一致している。どちらも働く人間を見下しているから、働く人間を警戒しない。
十六番倉庫は想像より近かった。近すぎて、この飯店は最初から臨時人力を効率よく搾取するために設計されたのではないかと疑うほどだ。テーブルを見つけ、ついでに通路の角の監視カメラの位置、非常口、料理用エレベーターとスタッフ用エレベーターの距離を頭に入れてから、帝国の紋章と校章が印刷された重いテーブルを抱えて二階へ向かった。
二階は一階よりさらに混乱していた。
フローリストと宴会担当が花の色で揉めていた。
音響担当と礼賓担当がマイクで揉めていた。
若い侍者二人がデザートカートを押して、まるでデザートのために命を懸けるかのような表情で、ギャラクシーホールへ突進していった。
そして私は、その全てを静かに抜けていった。自覚的に高い水の一滴のように。
「新しい子、こっち」
また声が飛んできた。
振り向くと、私と同じくらいの年齢の男性スタッフが手招きしていた。「もう生きていたくないが、まだ出勤しなければならない」という疲労感が顔に滲んでいて、妙に親しみを感じた。
「その束、先に個室区に運んで。西側三番、早く」彼は声を落として言った。「皇太子側の人間が急に席を変えるって言い出して、中で三十分揉めてる。持って行ったら目線を下げておいて。侍者を壁だと思ってるから。でも壁が人間っぽすぎると、今度は機嫌が悪くなる」
彼を一瞥した。
「……教えてくれてありがとう」
「いや」彼は苦笑した。「昨日、人間っぽすぎるって理由で十分間怒られたから」
このホテルは実に正直だ。労働倫理すら取り繕う気がない。
テーブルを抱えて、西側三番の個室へ向かった。
ドアは完全には閉まっていなかった。
中の声は、閉めても閉め切れるものではなかった。
「西廊に最低あと四人必要だと言った」男の声。急いていて、怒りを押し殺しているが、自分が命令を下していると思っている種類の粘りがある。
「四人では多すぎる」別の声は年配で、遅く、貴族特有の傲慢さを帯びていた。「多ければ目立つ。廊下に二人、サービスエレベーター口に三人、残りは花車の後ろに待機させ、煙幕が晴れてから動く」
足を止めずに、呼吸を少し浅くした。
個室のドアの内側に、いくつかの影が映っている。グラスが触れ合い、椅子の脚が軽く床を擦り、紙が広げられる音がした。
「問題は表の人数ではない」三つ目の声が上がった。女性で、だるそうで、翌日に頭痛を残す種類のお酒のように甘い。「問題は指揮権よ。私の手駒は私の印章にしか従わない。あなたたちの役立たずの侍従が今更それを知らないわけじゃないでしょ。私なしでは、南側の半分は動かない」
テーブルを抱えたまま、ドアの前を一定の速度で通り過ぎた。
心の中の筆が、その一言に太い線を引いた。
南側の半分。彼女の手駒。彼女の印章。
よし、一人見つけた。
「女爵閣下、声を落としてください」最初の苛立った男が押し殺した声で言った。「ここは一応ホテルです」
「だから何」女性が笑った。「あの侍者たちに聞き取れると思う? ワインリストだって満足に覚えられないのに」
その一言は少々失礼だった。
でも同時に、私には大いに役立つ言葉でもあった。
ドアを押し開け、目線を下げて入った。
「失礼いたします。テーブルをお持ちしました」
個室の中が一瞬静まった。
視野の端で、テーブルに四人が座っているのが見えた。男性二人、女性二人。テーブルの上には宴席の平面図、通行証のサンプル、来賓名簿が広げられていた。隅には皇太子の内廷紋章箱が置かれていた。「大声で密謀している」のではなく、私が服務スタッフの制服を着ていなければ聞く資格すらなかったような傲慢さで、陰謀をテーブルの上に堂々と並べている。
女爵は窓際に座っていた。
深い赤ワイン色のオフショルダーのドレス。手袋は手首までで、細長い指先は、署名より人を絞める方が似合いそうだった。一目で人を圧倒する美人ではないが、どこに視線を置けば相手が自分を選ばれた存在だと錯覚するかを、非常によく知っている。
女爵は印章指輪を弄んでいたが、私を見た瞬間、手が止まった。
その停止は短かった。
他の人間には、少し考え込んでいるように見えたかもしれない。
でも私には、彼女が私を見ていることがわかった。
「そこに置いて」苛立った男が不機嫌に言った。
「少し待って」女爵が口を開いた。
サイドテーブルにテーブルを置いた。動作は止めず、目線も上げない。
よし。壁は壁らしくしなければならない。
壁は盗み聞きしない。
壁は目立つ顔もしない。
残念ながら今日の壁は、十分に没個性ではなかったようだ。
「新しい子」女爵が言った。
「はい」
「顔を上げて」
……面倒になってきた。
心の中でため息をついて、素直に視線を上げた。角度は最小限に抑えた。相手に顔が見える程度で、失礼にならない程度。サービス業というのは人間社会で最も陰険な訓練の一つだ。「どうすれば相手が気持ちよく自分を見られるか」を礼儀として包装し、習熟を求めてくる。
女爵は私を見て、二秒後、口の端がゆっくりと上がった。
「あなた、見たことがない顔ね」
「本日の臨時スタッフです」
「なるほど」
その「なるほど」は、ホテルの人員配置など全く気にしていなくて、ただ今夜たまたま自分の視界に入り込んだ存在を品定めしているだけのような言い方だった。
彼女の左に座った中年の男が眉をひそめた。
「今は遊んでいる時ではない、レティシア」
なるほど、彼女の名前はレティシアというらしい。
レティシア女爵はグラスを気だるそうに傾けた。
「続けて。南側の半分は私が処理する。この子は」彼女は私を見て、笑みをさらに直接的なものにした。「十分間借りるわ」
「女爵閣下……」苛立った男が何か言おうとした。
「意見があるの?」
その一言で、個室の中は静まった。
ない。当然ない。
この場の人間の少なくとも半分は、彼女の手にある印章指輪と「私の手駒」という言葉で生きているのだから。
その場に立ったまま、姿勢は静かに保ちながら、頭の中で聞き取った情報を素早く並べ直した。
南側の半分。
印章による指揮。
襲撃の手配。
彼女が消えれば、その半分は即座に統一命令を失う。
よし。
この十分間は、非常に投資する価値がある。
「失礼いたします」私は静かに言った。
その言葉は、個室の他の人間に向けて言ったものだ。
レティシア女爵にも向けて言ったものだ。
そして、彼女がこれから失うことになる呼吸に向けて言ったものでもあった。
女爵が立ち上がり、私の横を通り過ぎるとき、香りはかすかで、訓練によって高価にされた夜のようだった。触れることなく、ただ自然にドアの外へ歩き出した。新しく気に入った玩具についてくるよう命じているように。
私はついていった。
廊下は長く、照明は暖かく、カーペットは厚くて足音がほとんどしなかった。
レティシア女爵はゲスト用のエレベーターへは向かわず、慣れた様子でさらに奥の貴賓スイート区画へ曲がった。この選択で、彼女への評価が少し上がった。公共区域で品のないことをする低級な貴族ではない。恥ずかしいことはドアを閉めてやる方法を知っている。残念ながら、今日はドアを閉めた後に失うのが、顔だけでは済まないかもしれないが。
「名前は?」歩きながら聞いた。
この質問には、とっくに準備してあった。
「汐里です」私は答えた。
綾瀬汐里。
でもこういう場面では、名前の半分だけで十分だ。余分な真実は、いつだって高くつく。
「汐里ね」レティシア女爵はゆっくり繰り返した。口の中でワインを転がすように。「柔らかい響きね」
「そうですか」
「顔はそうでもないけど」彼女は振り返り、少し興味ありげに見た。「普通のスタッフとは違う。清潔すぎるし、静かすぎる。本来は別の場所に立っているべき人間が、たまたまドアを間違えたみたいに見える」
……なかなか正確な見立てだ。
目を伏せて、この種の上位階級の戯れを理解できない人間のように見せた。
「女爵閣下、過分なお言葉です」
「あなたたちみたいな子は、どの言葉も謝罪のように言う癖があるのね」
「仕事上の習慣です」
「もし仕事用の答えを聞きたくないとしたら?」
スイートのドアが開いた。
レティシア女爵が先に入り、ドアの脇に立って振り返った。そのアングルは、照明がちょうど鎖骨と唇の線に落ちるように計算されていた。彼女は確かに、自分を魅力的に見せる方法を知っていて、それを利用する方法も知っていた。ただ今日は運が悪かった。彼女が選んだのは、情緒を求めに来た人間ではなかった。
「入って」彼女は言った。
入った。
ドアが背後で静かに「カチッ」と閉まった。
スイートは広かった。
一人が悪いことをするのに十分な広さで、もう一人がその後始末をするのにも十分な広さだった。
レティシア女爵は手袋を脱いで、ソファの上に無造作に投げた。すぐには近づかず、振り返って自分のためにお酒を注ぎ始めた。獲物が自分から檻に入ってくる過程を楽しんでいるように。
「安心して」背中を向けたまま言った。「食べたりしないわ」
それはどうかしら。
それに、たとえ食べないとしても、今日は食べられる側になるかもしれない。
私は玄関と客間の間に静かに立ち、前にも後ろにも動かなかった。この距離は微妙で、恥ずかしがっているようにも、用心しているようにも見える。彼女にとっては面白いだろう。私にとっては、歩幅を測るのにちょうどいい。
「汐里」レティシア女爵はグラスを持って戻ってきた。「頭を上げて、もう一度見せて」
顔を上げた。
彼女は私の目の前に止まった。近かった。耳たぶのダイヤモンドが見えて、ワインと肌の温度が混じった香りが感じられるほどだった。彼女は手を伸ばし、指先が私の蝶ネクタイのあたりに軽く触れた。
「この制服、もったいないわね」彼女は低く言った。
「どのあたりが?」
「包みすぎてる」彼女は少し笑った。「想像で補わなければならないじゃない」
この言葉は、別の人間の口から出れば軽薄に聞こえたかもしれない。
でも彼女が言うと、それなりに様になった。あの部屋の人間たちを押さえつけて交渉できるのも、わかる気がした。この手の女性は、普段は階級と、誤算を誘う魅力の組み合わせで生きているのだろう。
残念ながら、魅力は私に対してあまり有効ではない。
特に、彼女の手が半分の攻撃者の指揮権を握っているときは。
「女爵閣下」私は静かに口を開いた。「先ほど、南側の半分の人間は、あなたの印章にしか従わないとおっしゃっていましたね」
レティシア女爵の目が、初めて本当に変わった。
驚きではない。
理解だ。
彼女は賢かった。私がその言葉を言い終えた瞬間、自分が新しいスタッフを部屋に連れ込んだのではなく、本来は誰かの名簿にだけ存在するはずの何かを、自分で目の前に招き入れたのだとわかった。
「あなた、何者」
「今頃聞いても、少し遅いかもしれませんね」
私は少し笑った。
綾瀬汐里の笑いではない。
星野シモが、もうこれ以上芝居を続けなくていいとわかったときの、薄く、気だるく、少し申し訳なさそうな笑いだった。
レティシア女爵の反応は速かった。グラスをそのまま私に向かって投げつけた。
頭を傾けてよけた。グラスは後ろの壁に当たって砕け、酒が広がった。遅すぎた警報のように。
同時に、彼女の右手が腰の横へ伸びた。そこには確かに何かが隠されていた。銃か、警報器か。
でも、彼女の速さでは足りなかった。
半歩前に出て、手首を掴んだ。もう一方の手が袖口から薄い刃を滑り出させた。派手な武器でも、劇的な姿勢でもない。ただ、非常に近く、非常に短く、英雄のポスターには到底使えないような動作だった。
刃が入ったとき、レティシア女爵は目を見開いた。
私は彼女を支えて、すぐには倒れないようにし、横の木彫りが無駄に凝ったサイドテーブルを倒さないようにした。
「しっ」彼女の耳元で静かに言った。「さっき、仕事用の答えは聞きたくないとおっしゃっていましたよね」
彼女は私を睨んだ。呼吸が一気に乱れた。華やかな布地が、見えない手で引き裂かれたように。その美しい目の中には、怒りと、悔しさと、ごく短い不信感があった。自分がずっと相手を選ぶ側だったのに、今日は選ばれた側になっていることへの不信感だろう。
「……あなた……」
「はい」私は丁寧に返した。「本日の臨時スタッフです」
笑おうとしているのか、罵倒しようとしているのか、どちらも最後まで形にならなかった。力が彼女の身体から滑り落ちる速度は、貴族が持つべき体裁より速かった。彼女をゆっくりとソファの端に下ろし、スカートの裾を整えてから、指から印章指輪を外した。
思っていたより重かった。
権力というものはときどきそういうものだ。他人の手にある間は装飾品のように見えて、自分の掌に乗せると初めて、こんなに硬いものだったとわかる。
レティシア女爵はもう言葉を発せなかった。それでも私を見ていた。この顔を記憶しようとしているように。
その必要はない。
誰かが部屋に入ったとき、見えるのは、本来なら明日まで体裁よく生きていられるはずだった女爵が、今夜自室で意外な事故に遭ったという光景だけだ。あの新しいスタッフは、ただいなくなっているだけだ。
腰の横から手が触れていたものを抜き取った。
通信端末だった。それから内部調度カードも。
よし。
思っていたより親切な準備だ。
通信端末のロックを解除した。暗証番号は誕生日でも家紋でも帝国暦でもなく、非常に退屈な四桁の繰り返しだった。今どきの貴族は、陰謀を動かせるだけの権力を持ちながら、まともなパスワードを覚える気力がない。文明の退行とは嘆かわしいことだ。
連絡先リストの一番上に、一つのグループがあった。
南側待機
中の人数を確認し、今静かになったレティシア女爵の横顔を見た。
「……なるほど」
本当に半分だった。
印章指輪と調度カードを並べてテーブルに置き、最新のメッセージをいくつか素早く確認した。位置、時刻、通路、交代時間、確認の合言葉。この女爵は人員を手配するだけでなく、その人間たちが先走らないよう抑える役割も担っていたようだ。つまり彼女が消えれば、この半分はすぐには消えないとしても、少なくとも一時的に混乱する。
混乱した人間は、減った人間より扱いやすい。
彼女の端末から、最短の延期指令を一つ送った。貴族が気まぐれに予定を変えたかのような、曖昧な書き方にした。
南側待機、延期。私の印章なしに、独断で動くことを禁ずる。
送信してから入力履歴を消去し、端末を彼女の手元に戻した。
完璧な後始末のためではない。
向こうの人間たちが自分で混乱する時間を、少し長く残しておくためだ。
立ち上がり、レティシア女爵を見下ろした。
「正直に言うと、センスは悪くない」私は静かに言った。「今日がこういう場面でなければ、こんなに早く動くことはなかったと思う」
この一言の半分は社交辞令だ。
もう半分は、驚いたことに、本当のことでもあった。
彼女は答えなかった。
散った髪を払いのけてやった。動作は軽く。憐れみではない。ただの職業的な習慣だ。場面を整え、音を抑え、この世界が最初からこういう形で彼女を扱うつもりだったかのように見せること。
それから振り返り、ドアへ向かった。
ドアノブに手をかける前に、一度止まり、部屋を振り返った。
ワインの香りはまだあった。
暖かい光もまだあった。
貴族の傲慢さもまだあった。ただ、主人が一人いなくなっていた。
そして私は、帝国ホテルで今夜記憶される価値のない、新しいスタッフのままだった。
よし。
これが一番使い勝手のいい身分だ。
ドアを開け、廊下に戻った。
廊下は相変わらず静かだった。カーペットは相変わらず厚かった。遠くから食器が触れ合う細かな音さえ聞こえてきた。まるでこのホテル全体が、たった今、皇太子派が準備した牙の半分が私によって抜かれたことを、まったく知らないかのように。
部屋のドアを閉め、蝶ネクタイを整え、呼吸をスタッフのリズムに戻した。
それから、個室とは反対の方向へ歩き出した。
今日の仕事は、まだ終わっていない。
でも少なくとも今からは、少し楽になる。
何しろ、一チームの攻撃者と比べれば、トレイを運ぶ方がずっと簡単だ。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




