198.月面都市コペルニクス 1
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
眠った。
正確に言えば、横になり、途中で二回目を覚まし、そのたびに目を閉じて眠っているふりを続けた。
一度目に目が覚めたのは、船が跳躍中に微細な軌道修正を行い、隔壁が遠くで誰かが咳払いをしているような低い音を立てたからだ。二度目は、自分自身が考え事をしていたせいだ。
何を考えていたのか。覚えていない。たぶんシュタイナー博士のあの手書きのメモの字のことだ。ひどく端正で、あの人が書いたとは信じたくないほどの字だった――自分の名前すら書き間違えそうな顔をしているくせに、毒薬のレシピは習字の手本より整っている。人は見かけによらない。
もちろん、こんなことを口に出せば真紀に即座に遮られるだろう。あの、戸籍謄本を読み上げるような淡々とした声で、「あなた自身が、一番見かけによらない例じゃない」と言うはずだ。
そしてヘートヴィヒが一言、「事実」とだけ添える。
二人とも笑わない。でも空気の中には、低温で誰かが「いいね」を押したような、妙な感触が一つ増える。
……だめだ、まだ自意識過剰だ。今、彼女たちとの物理的な距離は――何光年だったか。まあいい、計算しても意味はない。
目を閉じたまま寝返りを打ち、顔を枕に埋めた。
枕の匂いは新しかった。新しすぎて、「この部屋には誰も泊まったことがありません」という、非常に標準化された、非常に魂のない清潔さがあった。
――そうだ、これが軍が「臨時派遣要員」のために用意する客室というものだ。枕までもが告げている。ここを家だと思うな、と。
なんと心遣いの行き届いたことか。
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「現在、船外時間、現地時間六時十七分」
「本船は一時間後、月面都市・コペルニクス港に入港いたします」
「旅客の皆様は下船の準備をお願いいたします」
目を開けた。
天井は相変わらず天井だった。
私は相変わらず私だった。
いや、ここから先は、その一文を修正しなければならない。
「……綾瀬 汐里」
天井に向かって、小さな声で一度練習した。「銀河連邦 月面駐在武官府 武官候補生」
口に出した瞬間、自分でもこの名前が非常に無害に聞こえた。
無害すぎるほどに。大学の志望校リストに書いたら、ためらいなく線を引かれるタイプの無害さだ。
それが狙い通りだ。
体を起こした。
まず髪を耳の後ろに払って、指で一度梳いた。手触りが少しパサついている。星艦の循環水は、もともと髪に優しいようには設計されていない。ホテルの部屋に着いてから、改めて扱おう。
ベッドから降りて、裸足で床に足をつけた。床は冷たかった。
この冷たさは、非常に清潔な冷たさだ。清潔すぎて、自分が最後に裸足で床を踏んだのがどこだったか、一瞬思い出せなくなった。
寮だったか。医務室だったか。それとも――
――だめだ。その手の記憶は、逃げ切った後にゆっくり考えればいい。
自分のバッグを開けた。
中に入っているのは、あの紺色のハイネックの武官候補生制服だ。
礼装でも、あの黒寄りの晩餐会用ドレスでもない。仕事用の一着だ。
清潔で、無駄がなく、ラインはちょうどよく収まっている。胸章、袖章、肩線はすべて連邦式で、余計な装飾は一切ない。制服そのものに性格はない。性格は、着る人間が後から補うもの――昔、ある教官がそう言っていた。あのときは格好つけているとしか思わなかったが、今は少しだけ、彼の言うことにも一理あると思う。少しだけ。ほんの少しだ。
制服を取り出し、ベッドの上に広げた。
それから、引き出しの中のあれを取り出す。
――ウィッグ。
箱の中でおとなしく横たわっていて、まだ目を開けていない小動物みたいだった。
手に取って、鏡の前に立つ。
ウィッグを被る。
もみあげの位置を整え、分け目を調整し、細いピンで縁を押し込んでいく。この動作は何度か繰り返していて、手がすっかり覚えてしまっている。覚えてしまっていること自体が、あまり愉快ではない。身体の方が先にこの種のことを許容してしまっていて、私に対して何の報告も上げてこなかったような気分だ。
「今さら抗議しても、遅いんじゃない?」
心の中で自分の指に言った。
指は何の意見も持たない。いつだって現実主義者だ。生き延びる方の肩を持つだけだ。
最後の一房を押さえ、顔を上げて鏡を見た。
鏡の中にいるのは、別人ではなかった。
やっぱり私だ。ただ、目つきを少しだけ乾かし、顎をほんの少し持ち上げて、「寝不足で世界と話したくない」という空気を、奥の方へ押し込んだだけだ。
それで、綾瀬汐里が前に出てこられる。
「……おはよう、綾瀬さん」
鏡の中の自分にそう言ってみた。
鏡は何も返さない。それでいい。もし本当に返事をされたら、その場でウィッグを引き剥がしていただろう。
もう一度じっくり見て、その目を確かめた。
よし。
これは私の目ではない。
いや、もっと正確に言えば、これは私の眼球だが、いつもの私が人を見るときの目ではない。
それでいい。
今日、人の目に触れさせていいのは、星野シモではない。
星野シモは中に引っ込んで、道順を覚え、リスクを計算し、必要なときにだけ悪態をつけばいい。
外に出るこの顔は、今日一日、綾瀬という名字を名乗る。
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着替えの順番を、頭の中でもう一度なぞる。
まず白いインナーシャツ。硬い襟。ボタンは第二ボタンまで。
次に濃紺のハイネック上衣。ファスナーを一番上まで引き上げ、銀色の襟留めを一つ。
灰青色のトラウザー。プレスの入ったセンターライン。黒のショートブーツ。靴紐はきちんと締め、バックルの位置を揃える。
ベルト。銀色のバックルに連邦の紋章。
袖口の銀の縁取りを二度確認し、肩章の向きを一度確かめる。
それから――胸章。
「連邦 在月面都市大使館・安全協力兼儀典調整室」
武官見習いの肩書きの下には、さらに小さく一行書かれている。
Attaché Trainee。
Trainee。研修生。実習生。試用品。まだ制度に完全には認められていない存在。
実にいい単語選びだ。この一語が同時に告げている。「彼女にはここに立つ資格がある」ということと、「彼女はまだ身辺を徹底的に洗われるほど重要ではない」ということを。
その単語を二秒ほど見つめた。
――それから、胸章を左胸に、ミリ単位の精度で留めた。
「……了解」
鏡に向かって、小さく呟いた。
「理解しました」
「後ほどご報告いたします」
「礼賓手順に関わるため、詳細は控えさせていただきます」
四つの文。四つの口調。四つの距離感。音程を合わせるように、「綾瀬汐里」という声色を一段一段チューニングしていく。
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スーツケース。
黒のハードケース。指紋錠。普通の人間には開けられず、無理にこじ開ければ中身ごと自壊する。
すべてが想定どおりの姿だ。
ベッドに平らに置き、指紋認証をかけると、蓋が軽く跳ね上がった。
中身を一つ一つ見直す必要はない。昨夜すでに全て確認した――ヒールのセラミックナイフ、クラッチバッグの電源カートリッジ、シュタイナーの清涼飲料水みたいな毒薬、青いB剤、1対3の配合メモ、そして手に馴染みすぎるレーザーピストル。全部そろっている。
今日は、どれを下船時に身につけるかを決めればいい。
レーザーピストルは分解して、武官候補生制服の内側にある隠しポケットへ――このポケットは、連邦大使館制服の公式デザインの時点で「書類用予備コンパートメント」として組み込まれている。実に便利で、実に親切だ。設計した人間は、本当に武官がどんな目に遭うか――あるいは、遭うべきか、よくわかっている。
電源カートリッジは二本。一つはクラッチバッグへ、一つはベルトの内側に縫い付ける。
毒薬のアンプルは専用の防震ライナーに包んで、小さな化粧品ケースに入れる。B剤は別。二つを同じポケットに入れることはしない。これはシュタイナーの紙片に三重下線付きで書かれていた規定だ――「身から離してもいいが、二剤を同じポケットに入れるな」。なぜ三重線で、二重線でも四重線でもないのか、今でもわからない。でも三本引いてあるなら、三本分は尊重しておく。
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コペルニクス港
艙門が開いた瞬間、私は別人にはならなかった。
ただ、非常に手馴れた手つきで、自分を一歩後ろに引っ込めただけだ。
先に出ていくのは、この綾瀬汐里という皮だ。
肩を少し内に入れ、顎を二度ほど上げ、視線は先に人混みを走らせ、それから通路の突き当たりの誘導灯へ落とす。歩幅は速すぎてもいけない。警戒しすぎてもいけない。かといって、緩みすぎてもいけない。「訓練は受けているが、まだ気を抜く資格のない」若い武官に見える程度がいい。
これらは自然に起きているわけではない。
一つ一つ、意識して被せている。
正直、ここまでスムーズに被さること自体が、少し胸焼けした。
「……本当に」
心の中で吐き捨てる。
「こういうことばかり、上達が早い」
コペルニクス港のウェルカムゾーンは、オフホワイトだった。
オフホワイト。銀河連邦のお気に入りの色だ。清潔に見え、中立に見え、決して誰も裏で殴られたりしなさそうに見える――そんなオフホワイト。天井は高く、中央にはゆっくり回転する月のホログラムが浮かび、その下に「WELCOME TO COPERNICUS」の立体文字が漂っている。その横には、小さな文字でこう書かれていた。「月面での一分一秒をお楽しみください」。
ありがとう。善処する。
身分証に記された誘導通り、「外交官専用レーン」へ進んだ。胸章を表向きにしてスキャナー台に乗せ、身分証を虹彩認証器の横にかざした。
認証器が低く唸った。
緑ランプ。
一秒。
「お帰りなさいませ、綾瀬様」
スキャナー係は顔を上げずに言った。
「帰り」。
実にいい単語選びだ。この一言で、「綾瀬汐里」という名前がシステム上に履歴を持っていることがわかる。入出記録があり、滞在記録があり、これまでに何度か大使館の入館簿にも名前が載り、多分何枚かの出張手当の精算書にもサインしたことになっている。シュタイナーの偽造IDの腕前は、とうとう本物の私――の偽の私――に「本当に一度来たことがあるような」気までさせてくるレベルに到達しているらしい。
軽く会釈して、「ありがとうございます」とだけ返した。
標準の四拍、低めの音程。
完璧な武官候補生の応答だ。
今の一言は、これまで真紀に向けて口にした「ありがとう」の何倍も礼儀正しかった気がする。
失礼きわまりない話だ。
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連邦大使館
コペルニクス港から大使館までは、それほど遠くない。モノレールで二駅。月面低重力下のゆるやかな加速。ガラスの車両の外には、一面のオフホワイトの行政区が流れていく。全行程、気味が悪いほど静かだった。
静かすぎて、思考が動かない理由がなくなった。
まず大使館へ。
特殊支援課へ。
「公式な組織図には載らないが、どの大使館にも必ず存在する」部門だ。名前は特殊支援課だが、その実態は、掃除係より存在感がないかもしれないし、この建物で一番関わってはいけないところかもしれない。今日の当番が誰かを、見に行く。
それから受け取る。
それから出る。
余計なことは聞かない。余計なものは見ない。廊下で必要以上の秒数を止まらない。
雪風の後、私が最初に覚えたことだ――どんな組織の内部でも、あなたが滞在する時間は、覚えられる確率と比例する。
だから最善策はこうだ。入る。用を済ませる。出る。一刻も早く、全員の記憶から自分の顔を薄める。
胸章の位置を少し整え、肩をさらに五ミリだけ内側に絞ってから、モノレールを降りた。
大使館の外観は、想像通りだった。白い石材。連邦の紋章。旗竿。回転ドア。警備員。そして警備員の横に置かれた、これ以上ないほど偽物臭い観葉植物の鉢。植物まで連邦的だ。中立的で、無害で、この建物の中で何があったかを誰にも伝えない種類の葉っぱ。
回転ドアに近づいた。
「おはようございます、綾瀬様」
入口の警備員が軽く頭を下げた。また「綾瀬様」。またシステム上、この名前を認識している人間だ。
心の中でシュタイナーを少しだけ見直した。毒薬以外の分野でも、この老人は侮れない。
「おはようございます」と返した。
「本日のご予定は?」
「特殊支援課へ。定期報告です」
警備員はそれ以上は聞かず、視線も向けず、ただ身を引いて通してくれた。
――「定期」。この単語を一秒の躊躇もなく受け入れた。
実に結構。こうでなければ、こういう場所は務まらない。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




