191.カウントダウン 1
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
学校に着いたとき、最初に視界へ飛び込んできたのは二階堂だった。
本当に最初の一瞥で、だ。こればかりは仕方がない。あの人が冬の夜の闇に佇んでいるときの存在感は、常人のそれとは根本的に質が異なっている。他者が「そこに立っている」のだとすれば、二階堂はむしろ「最初からそこへ据え付けられていた」という風情なのだ。
校門のように。街灯のように。校則第三章第四条のように。とにかく、開校時に一括で設置されたモニュメントか何かで、百年が経過しようとも風に揺らがず、雪に傾くこともなく、その立ち姿すら校務会議の正式決議を経たかのような絶対的な佇まいを崩さない。
そしてその隣には、見知らぬ気の毒な人間がおまけのように付着していた。
制服の仕様を見るに、どこかのクラスの風紀委員だろう。その表情は、急遽呼び出されて付き合わされているという不条理に満ちていた。「なぜ私は委員長と共に零度の夜風に晒されているのか」という根源的な問いを全力で噛み殺している、年末の労働現場として酷くリアルな顔だった。
もう少し観察を続けようとしたが、真紀が先に前へ出た。
九島真紀は公務の領域へ足を踏み入れた瞬間、別のシステムへと強制的に切り替わる。歩調の速さ、肩の角度、マフラーの垂れ方に至るまで計算し尽くされたように安定的で、それがこちらの居心地を悪くさせ、同時に妙な安心感をもたらす。この矛盾に説明はつかないが、真紀には説明のつかない不条理を道理そのものであるかのように錯覚させる才能があった。
二階堂は私たちの姿を認めると、わずかに顎を引いた。
「今日は出入りなし」
二階堂は言った。積雪の深さを淡々と読み上げるかのような、無機質な声だった。
「あとは閉門するだけだ」
「それだけか?」
少し意外だった。
これが二階堂だ。巡回ルートを戦術展開のように語り、懐中電灯の照射角度を軍規の細則のように説明し、「今日は平穏だった」という一言にすら何かしらの反論を許さない冷徹な意思を込めて放つ二階堂なのだ。それが今日の引き継ぎは、これほどまでに短いというのか。
「それだけだ」
二階堂の返しには、いささかの無駄もなかった。語尾の一文字すら惜しむかのような、冷酷なまでの洗練だった。
口の端が歪む。「今日はようやく人間の言語というものを学習したのですか」と言いかけてやった瞬間、隣の真紀が私の自滅権を最優先で遮断した。
「今年一年、大変お世話になりました、二階堂委員長」
真紀はそう告げると、二階堂に向かって端正な一礼を捧げた。そして極めて自然に、まるでそれが当然の義務であるかのように、片手で私の肩を上から押さえつけ、一緒に頭を下げさせた。
強制的に頭を垂れさせられたその刹那、脳裏に浮かんだのは一言だけだった。
――九島真紀、あなたは人型礼儀強制執行装置か。
「来年もどうぞよろしくお願いします」
真紀が続ける。
「こちらこそ」
二階堂も一礼を返した。
「来年もよろしく頼む」
その返礼は定規で測ったように正確で、額の前に垂れた銀髪の角度に至るまで、過剰に整いすぎていて嫌味なほどだった。
冬の夜の光が二階堂の横顔を穿ち、冷たいガラス細工を思わせた。隣の気の毒な風紀委員も慌てて頭を下げ、その瞬間だけ場が妙に厳かになる。名家合同の年末安全祈願とでも形容すべき重々しさがあった。
私はその中央に挟まれ、格式高い社交の場に迷い込んでしまった野生動物の気分だった。
二階堂と風紀委員の背中が遠ざかってから、ようやく溜め込んでいた息を吐き出す。
「あなたが二階堂を苦手としているのは分かっているわ」
真紀は校門へと歩を進めながら、淡々と言った。
「けれど二階堂は十家族の一員よ。最低限の礼節は必要不可欠だわ」
「そうだな」
私は両手をポケットに突っ込み、ゆっくりとその後を追った。
「嘴で言うのはありがとう、心の中では馬鹿野郎、ってやつだ」
真紀の歩調が半拍、停止した。この一言を「詭弁」の棚に分類すべきか、それとも「救いようのない愚行」の棚に分類すべきか、脳内で天秤にかけているようだった。
最終的に彼女が選択したのは、最も九島真紀らしい返し方だった。
「あなたの思想は極端すぎるわ」
そう言い捨てながら、校門に手をかけた。
重厚な鉄扉が冬の夜の底で、くぐもった摩擦音を立てる。古い怪物が喉の奥で低く唸るような音だ。真紀の手袋が金属の錠前に押し当てられ、その動作には一切の迷いがなく、門灯の下に晒された横顔は冷たく清潔で、当直特有の張り詰めた集中を帯びていた。
そして、そこへもう一刀を突き刺してきた。
「それに、私もあなたに対して厳しく接しているけれど、あなたはそこまで反発しないでしょう?」
その場で、少しだけ足が止まった。
……この人は本当に、何気ない一言を自白強要の尋問に変える才能に満ち溢れている。
門が完全に閉ざされ、金属のくぐもった重奏が一つ、夜に落ちた。
カン――。
その残響が霧散した瞬間、校門の前には私たちしか存在しないような錯覚にとらわれた。
風は冷たく、灯りは白く、二階堂は既に去り、あの気の毒な付き添いも校舎の向こうへと消えた。真紀は私に背を向けたまま、未だに鍵をいじっている。首の後ろ、マフラーの隙間から覗く肌が少しだけ視界に入った。白かった。少し不条理なほどに白かった。
その背中を見つめながら、まともな思考回路はほとんど経由しなかった。
というか、最初から思考などというプロセスを介在させる類の性質ではないのだ。
真紀が背を向け、鍵をかけているその隙に、私は一歩前に踏み出した。そして、後ろからそっとその身体を抱きしめた。
彼女の身体が、はっきりと硬直した。
抵抗でも、拒絶でもない。
どれほど冷静沈着な人間であろうとも、肉体の方が先に奇襲を許してしまった時の、あの特有の固まり方だ。
顎を彼女の肩の横へと預け、声を極限まで落として、その耳元で囁いた。
「好きだからだ」
それだけを告げて、頬に軽く口づけを落とした。
軽かった。悪戯のように淡い感觸だった。
けれど、自分自身でよく理解していた。これは悪戯などではない。
真紀は半秒もの間、微動だにしなかった。
その半秒間が、あまりにも静寂に満ちていたため、私は内心で少しばかり反省し始めていた。九島真紀という人間は、口ではどれほど理屈を並べようとも、真の意味で「清算」を執行する時は助走なしで踏み込んでくる。
脳裏を不吉な予測が一瞬で駆け抜けた。まずい、まさか今夜の夜勤は、校門の前における惨劇から幕を開けることになるのではないか。
次の瞬間、真紀が低く息を吸い込んだ。
「星野シモ……あなたって、本当に最低男のような真似をするのね」
それを聴いて、心臓が一瞬跳ね上がった。
え?
まずいか?
本当に境界線を踏み越えすぎたかと思った。しかし、真紀が振り返ったその瞬間、私はその場で吹き出しそうになった。
彼女の顔が、真っ赤に染まっていたからだ。
漫画のような誇張された赤ではなく、演技で取り繕った羞恥でもない。耳の付け根から頬の輪郭に至るまで、本当に内側から燃え上がっているような赤だ。冬の雪の中から抱き上げてきたばかりだというのに、温かすぎて熱を孕んでしまった果実を思わせる、鮮烈な赤だった。一言で表現するならば――熟れすぎていて、全く説得力がない。
眉は未だに顰められており、生徒会長としての威厳を死守しようとしているのは痛いほど伝わってくる。しかしその表情の殺傷力は、この顔色の前では三割がた減殺されていた。
堪えようとして、堪えきれなかった。口の端が自然とせり上がる。
「口だけは強いな」
その乱れているというのに、寸分も乱れていないフリを維持しようとしている顔を見つめ、後半の言葉を繋いだ。
「だが真紀、今のあなたには、全然説得力がない」
「あなた――!」
真紀が手を跳ね上げた。押しのけるべきか、それとも絞め殺すべきか、未だに着地点を決定していないような中宙の挙動だった。その時、冷たい結晶が顔に落ちてきた。
一瞬の静止の後、視線を上へと向ける。
いつの間にか、雪が舞い始めていた。
暴風雪ではなく、男女の主人公が三ページ半を費やして告白し合うような劇的な雪でもない。ただ軽く、ゆっくりと、少しずつ落ちてくるだけの、ありふれた雪だった。私たちが校門の前でぐずぐずと時間を浪費しているのに天が呆れ果て、自然現象の力で強制排除しようと試みているかのようだった。
顔に付着した雪を拭い、再び真紀へと視線を戻す。
まだ、赤かった。鼻先まで冷風と今の出来事によって色づいており、全体的に半分ほど瓦解しているというのに「九島真紀」という本来の座標に戻ろうと必死に抗っている。その様子を見ていてまた笑いたくなったし、もう一度、唇を寄せたくもなった。
当然、未だ死にたくはないので、そこまでは踏みとどまったが。
「そろそろ、中に入ろう」
肩を軽く叩き、真顔を装って告げた。その内容は全然真顔で言っていい性質のものではなかったが。
「今夜どちらが主導権を握るにしても、ここで立ち往生していたら、二人まとめて氷像の仲間入りだ」
真紀はその一言で、さらに内面を掻き乱されたようだった。
「星野シモ!」
珍しく、本当に真剣な、少しばかり狼狽したような声で、下の名前を直接呼ばれた。
正直に言って、新鮮だった。真紀が私の名前を呼ぶ時というのは、大抵が私の過失を矯正するか、次の不祥事を未然に防ぐための合図だ。こうして、場を統制しようと試みているにもかかわらず、その声線がわずかに微振動を来しているのを見るのは、滅多にない機会だった。
「今夜は神聖な大晦日よ、あなたは――」
「先に入ってくれ」
言葉を直接遮り、当直室の方へとその身体を軽く押し出す。
このまま外に佇んでいれば、真紀が年末夜勤の前に低体温症で凍死を遂げてしまう。そうなった時、「副会長が校門前で会長を過度に口説き倒した結果、凍死」と生徒会に報告書を提出するなど、私には到底不可能だ。
真紀は半分押されるような形で一歩前に踏み出し、なおも何かを言い募ろうとしたが、最終的に口を噤んだ。
その表情を観察して、はっきりと理解した。
今夜は、荒れる。
当直の任務が面倒なのではない。
校門の施錠が面倒なのでもない。
二階堂のあの年末公務仕様の堅物な顔が面倒なのでもない。
本当に面倒極まりないのは――
既に、真紀の頬にキスを済ませてしまったという事実だ。
そして現在の真紀は、明らかにまだ熱が冷めていない。
つまり、これから夜勤の長い時間を丸ごと、表面上は生徒会長の型を保ちながら、内部では超高温の熱量で稼働している林檎と同じ部屋で過ごさなければならないということだ。
……年末限定の、大型災害というやつだ。
当直室のドアを開けてやると、閉じ込められていた暖気と室内の明かりが同時に外へと溢れ出してきた。真紀が内部へと踏み込む寸前、横を向いたまま、ようやく少しだけ平衡感覚を取り戻したかのような声で、低く言い捨てた。
「今夜が長くないことを祈りなさい」
瞬きを一つ。
それから、笑みが漏れた。
この言葉は、他者にとっては致命的な警告かもしれない。しかし私にとっては、別の意味として鼓膜に届いていた。
――今夜はまだ、これっぽっちも終わってなどいない、という意味に。
当直室へと足を踏み入れ、後ろ手でドアを閉ざす。外では雪が静かに降り続き、室内では暖房機器が低くハミングを奏でている。九島真紀は私から数歩離れた位置に佇み、耳の付け根を未だに真っ赤に染めたまま、表情のパラメーターだけを必死に当直モードへと戻そうと試みていた。
その光景は、非常に尊敬に値した。
そして、それ以上に――私自身がこれからゆっくりと、甘美な死へと赴く価値のある光景だった。
だからこそ、懐中電灯を机へと配置しながら、私は心の中で極めて率直な結論を導き出していた。
今夜の当直は、単なる巡回だけでは、決して終わらない。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




