190.大晦日 3
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
十二月最後の日の夕方、私は食卓に座って今夜の当直に持参する備品を確認していた。
懐中電灯、当直簿、ペン、予備の電池、鍵束。
どれもこれも地味だった。地味すぎて苛立ちが募る。地味であればあるほど、今夜、真紀と交代時間まで一緒にいなければならないという冷酷な現実から逃げ場がなくなるからだ。
ペンを外ポケットに差し込み、また取り出しては入れ直した。
向かいに座ったジェスが頬杖をついてしばらくその様子を眺めた後、生存本能を発揮して一言だけ尋ねてきた。
「装備の確認をしてるの? それとも遺言の整理?」
「仮病を使ったら、もう少し綺麗に死ねるか考えている」
「無理」
ジェスは即答した。
「真紀が額に手を当てて、そのまま引きずって当直室に連れていくよ。病人キャラは通らないって」
冷笑して言い返そうとしたところで、階段から足音が響いた。
顔を上げると、真紀が二階から下りてくるところだった。
既に外出着に着替えている。
深色のコートに、マフラーを簡素に巻き、手には自身の当直帳。すべての段取りを頭の中で一度シミュレーションしてから来たような、完璧に整った身なりだった。見ただけで理解できた――この人は夜勤に行くのではない。夜勤という概念そのものを、自分の管轄下の秩序に組み込みに行くのだ。
しかも今朝の不祥事が、まだ彼女の保留欄に残っている。
だから真紀が一段下りてくるたびに、私には死刑執行のカウントダウンが聞こえるような錯覚を覚えた。
真紀は食卓の端まで歩み寄り、私の前に並んだ物品を一度見下ろした。朝の件には触れず、ヘートヴィヒのことにも言及せず、ただ私の当直簿が少し斜めに歪んでいるのを指先で押して直した。
「鍵は?」
彼女は聞いた。
上着のポケットを叩いてみせる。
「ここだ」
「この前の時のように、校門に到着してから探し始めないでね」
「あれは不測の事態だった」
「あなたの人生、不測の割合が少し多すぎるわ」
平坦な口調で、ただ冷徹な事実を述べているだけの言い方だった。それなのに、手の中の乾電池を握り潰しそうになった。
ジェスが必死に笑いを堪え、口の端を痙攣させていた。
一度睨みつけると、ジェスは即座に俯いて茶を啜った。「何も聞いていません」という顔を取り繕って。しかし肩が小刻みに揺れているのは、通りかかった野良猫にでも一目瞭然だった。
そのとき、ヘートヴィヒが台所から姿を現した。手に電気ポットを持ち、出かける人間のために保温ボトルを先に満たしておこうとしていた。
この家に来てからまだ幾日も経っていないというのに、もうすっかり自然な動線を描いていた。夕方を迎えると、それが特に目に付く。昼間はまだ「一時滞在している客人」だったのに、出かける人間のために湯を沸かし始めた瞬間から、「誰が何時に出て、何時に戻るか」を自分の行動周期に組み込んでいる人間へと変質する。
「あなたの分です」
ヘートヴィヒは保温ボトルを私の手元に置いた。
「夜は冷え込みますから」
そのボトルを見つめたまま、すぐには言葉を返せなかった。
物言いが、あまりにも自然だったからだ。突発的に思いついた親切ではなく、私が夜勤に出る日には元からそうする手はずだったかのような、そういう当たり前さだった。
……本当に、面倒極まりない。
「わあ」
ジェスがとうとう堪えきれず、小さく声を漏らした。
「この家、夜勤の見送りサービスまで完備されてるんだ」
真紀がちらりと視線を向けた。
ジェスは瞬時に沈黙した。喉元を遠隔で締め上げられたかのような神速さで。
私はボトルを受け取り、わざと硬い声を絞り出した。
「……感謝する」
「ええ」
ヘートヴィヒはそれだけ言い、私の方を特に見分けることもなく、真紀の方を向いた。
「あなたの分は流し台の横に置いてあります」
少しの間、思考が停止した。
真紀の分まで用意してある。
なぜかその事実によって、少しだけ呼吸が楽になった。しかし、その安堵が半分も満たないうちに、今度は苛立ちが込み上げてきた。私はいったい何が気にかかっていたというのか。自分だけが特別扱いされることを危惧していたのか。
こういう、自分と自分が頭の中で言い合いをする感覚は、本当に酷くみっともない。
真紀は表情を一切変えずに頷いた。
「後で受け取るわ」
その瞬間の客間の空気は、完全な意味において、奇妙に歪んでいた。
ジェスは今にも限界のようだったが、これ以上は口を開けなかった。ヘートヴィヒは台所の端に佇んだまま、自分がその場にどれほど筆舌に尽くしがたい空気を付け加えたか、全く気にしていない様子だった。真紀は今夜の任務がただの平凡な当直であるかのように落ち着き払っており、「今朝、下着を公開処刑の道具に使った」という事実など、歴史上一切存在しなかったかのような顔をしていた。
だが、なかったはずがない。
ただ、今は言わないだけだ。
この「今は言わない」という棚上げが、直接言及されるよりも遥かに恐ろしい。
懐中電灯をバッグに押し込んで立ち上がると、真紀もちょうど自身の備品を揃え終えたところだった。真紀は私の隣に並んで時間を確認した。その一連の手際の良さが、酷く不吉な予感を呼び起こす。
この女は今夜、私が何時にあくびをするかまで、克明に脳内ログへ記録していきそうだ。
「行こう」
真紀が言った。
たった二文字。
相談なし、体温なし、余計な前置きもなし。
それなのに私はその二言の残響の中に、今朝から未だに引きずっている何かの尾音を聴き取っていた。
上着を取り、マフラーを首に巻き直して、真紀の後を追うように玄関へ向かった。客間を通り抜ける際、ジェスが私に向けて視線を送ってきた。同情がほんの少し、残りの大部分は純粋な見物人のそれだった。
「頑張って」
ジェスは言った。
「お前のその顔は、応援している人間の顔じゃない」
「じゃあ何に見える?」
「明日、私が生きて帰ってきたら、また極上の笑い話にできると確信して待機している顔だ」
「バレたか」
「今夜、自分の笑い声でうなされて目が覚めればいい」
アカリがソファの向こう側からひょっこりと顔を覗かせ、真剣な声で告げた。
「気をつけてね」
「アカリの言葉が、この家で一番まともだ」
私は言った。
ハーヴィーは新聞紙の裏側に隠れたまま、顔を上げずに手だけを軽く挙げた。一応は見送りのつもりらしい。Dは最初から最後まで余計な口を一切挟まなかったが、私と真紀が玄関に向かう瞬間、真紀のことを一度だけ凝視した。その目が確かめようとしていた意図は、大方察しがついた。――今夜のこれは、単なる当直なのか、それとも容疑者の護送なのか。
正直、それは私の方こそ知りたかった。
玄関のドアを開けると、容赦のない木枯らしが吹き込んできて、夕食後の暖かさが一瞬で消し飛んだ。ドアを引き込んだところで、隣にいた真紀が静かに声を落とした。
「シモ」
「……何だ?」
「今夜は、余計な真似はしないでね」
振り向いた。
真紀は玄関の灯りの下に佇んでいた。表情も、双眸も、声のトーンも、そのすべてが静謐だった。静かすぎるがゆえに、この言葉が通常の注意喚起ではなく、低温の宣告のように鼓膜に響いた。
余計なことはするな。
翻訳すると、概ねこうなる。――今日はまだ満足に清算する時間がなかったけれど、これ以上自分で罪状を増やすような愚行はやめなさい。
口の端を自嘲気味に歪める。
「『余計な真似』の定義次第だが」
「あなたの前科を見れば、その守備範囲は十分に広いはずよ」
「それは偏見だ」
「統計よ」
言い捨てて、真紀はドアをもう少し広く押し開き、先に出るよう顎で促した。
この些細な動作が、いつも判断に迷う。
道を譲っているようでもあり、外へと放り出しているようでもある。気遣いのようでもあれば、玄関先で私と無駄な時間を消費したくないだけの手間の省略のようでもある。
そして最も困るのが、自分がそのどちらを気に病んでいるのか、自分自身でもよく分かっていないことだった。
段差を踏み下りると、冷たい夜風が正面から叩きつけてきて、一瞬で脳髄が冷えた。背後の家から漏れる明かりがドアの縁に細い線を落とし、内と外を二つの世界に明確に切り分けていた。片方には、ヘートヴィヒが湯を沸かし、ジェスが爆笑の機会を窺い、真紀が未払い勘定を記憶している鉑橋街二十二番地がある。もう片方には、今夜これから向き合うべき、長い校舎と薄暗い当直室がある。
真紀が背後でドアを閉めた。
カチリ、と硬質な音が響く。
その音を聴いた瞬間、交代の時間を迎えるまで、私の神経が休まる瞬間は一秒たりとも訪れないだろうという確信が湧いた。
並んで通りの角へと向かう。
街灯が一つ、また一つと点灯し、冬の夜を清潔に、そして冷酷に照らし出していた。真紀は私の左側を歩いた。歩調は決して速くはないが、確実で、その存在感を黙殺するのは不可能だった。真紀の気配、マフラーの端が風に揺れる角度、ブーツがアスファルトを踏み締める足音に至るまで、過剰なほどに静まり返った夜の中で、耳障りなほど明瞭に聞こえてきた。
夜勤そのものよりも面倒なのは、今夜という長い一晩を、私の不祥事を完全に記憶していながら何も言わない人間と、同じ空間で共有しなければならないことだと、その時になってようやく思い知らされた。
これはただの当直ではない。
じわじわと真綿で首を絞めるような尋問だ。
学校の外壁が視界に入ってきたあたりで、白い息を吐き出しながら、私は先に沈黙を破った。
「真紀」
「なに?」
「今夜は、ずっとそうやって静かにしているつもりか?」
すぐには返答がなかった。
街灯の下でわずかに首をこちらへと巡らせ、本当に、ほんの少しだけ口元を綻ばせた。
「あなた次第よ」
……終わった。
今夜の任務が、決して生易しいものにならないことなど、最初から分かっていたのだ。
前方に位置する当直室の窓に、明かりが灯っていた。薄い一筋の光が、誰かがとっくに夜を平らに引き伸ばして待ち構えており、私たちが足を踏み入れた瞬間に未払いの帳簿を一つずつ開いていくのを待っているかのようだった。
上着のポケットに入った懐中電灯の感触を確かめ、今すぐ敵前逃亡したくなった。
だが、もう遅すぎた。
今夜、私と共に当直室の防壁をくぐる人間は、九島真紀だ。
それだけで、もう十分に「災害」の必要条件を満たしていた。
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