190.大晦日 1
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
「私から言う」
真紀が手を挙げた。会議の冒頭で全員の退路をあらかじめ断つような、迷いのない口調だった。
「一つ目。殿下は窓側の部屋には寝かせない。つまり、鉑橋街に面した部屋も、裏側の列も、すべて駄目」
そう告げる彼女の表情は終始変わらなかった。帝国の皇女の寝室を手配しているというよりは、この建物に対して、縁起の良くない損害管理を施しているかのような顔だった。だからこそ、誰もそれを「寝心地の良い部屋はどこか」という牧歌的な話としては受け取れなかった。
客間が一瞬、静まり返る。
ジェスは頬杖をついたまま、この臨時住居会議に八十ページ分に及ぶ同人解釈を付け加える準備をしていたはずだが、真紀のその一言を聞いた後は足を引っ込め、ソファの肘掛けに座り直した。すぐには口を開かなかった。
ハーヴィーは廊下の方へ一度視線を向けた。頭の中で家取り図を広げているような目つきだった。
Dは何も言わず、視線だけを窓辺から私の顔へと移した。その目が語っている内容は、大方察しがついた。――ほらみろ、面倒が増えた。
アカリはまだ食卓の端に立ったままだ。洗い終えた皿を抱え、心配が半分、「布団をもう一枚持ってくるべきか」という困惑が半分の顔をしていた。
真紀が私を一度見た。
短い。
しかし、含まれる意図は多い。
「シモ」真紀が言った。「もし、あなたに窓側の部屋へ移ってもらうとしたら……」
指しているのは、私の部屋の斜め向かい。もともとアイダ先輩が使っていた部屋だ。
真紀の指した方向を見て、少し遅れて意味を理解した。ヘートヴィヒが今の私の部屋、つまり内側の部屋に入る。私が斜め向かいの窓側の部屋へ移る。リスクの高い位置を、私が引き受ける。
……いかにも、彼女らしい。
残酷ではない。
実用的だ。
実用的すぎるがゆえに、「なぜ私が」とも言いにくい。
「構わないけど……」時計をちらりと見て、今の自分の部屋がどの程度の惨状かを頭の中で計算した。「片付けに少し時間がかかる」
「いい」真紀は言った。「明日、時間を見つけてやればいい」
その一言で、今夜この件に議論の余地はないと分かった。
真紀は意見を求めているのではない。全員にとって最も手間の進まない配置を、そのまま実行に移しているだけだ。ヘートヴィヒをより安全な部屋へ。そして私は――生徒会のシモの兼任欄に、「必要に応じて高リスク人物の窓側射線を引き受けること」という一行が、今日付で追加されたらしい。
ジェスがとうとう堪えきれず、眉を上げて私を見た。
「わあ」
彼女は言った。
「星野、真紀のこの配置、かなり甘くない?」
振り向いた。
「あなたの『甘い』の判定基準、もう医療の領域じゃない?」
「どこがおかしいの?」
ジェスは苦笑しながら両手を広げた。
「殿下が星野の部屋に寝て、星野が出ていく。しかも会長直々の配置。これってあの――」
「ジェス」
真紀が名前を呼んだ。
重くはない。
しかし、それで十分だった。
ジェスは後半の言葉をきれいに飲み込んだ。「はいはい、あなたが朝の件をまだ覚えているのは分かっているよ」という無言の表情を添えながら。その顔を見ただけで、今夜無事に眠れたら何らかの精神的奇跡だと思った。
ヘートヴィヒは隣に立ったまま、この家の空気はまだ普通に流れているものの、深呼吸には向かないものが随分と混じっていることを察したようだった。真紀の方を向き、わずかに頭を下げた。
「お手数をおかけします」
「まずは落ち着いて」真紀は言った。「他のことは、明日から調整する」
「明日」という言い方は平坦だった。
でも、なぜか、真紀が本当に言いたかったのはこういうことだろうという気がした。
――シモが今日ここまで生きていただけで十分だ。残りは、明日でいい。
私は聞こえなかったことにした。
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その夜、会議はそれほど長くは続かなかった。
議題が少ないからではない。私の精神状態が、あと一つ何かあれば床に座り込んでそのまま笑い出しかねない危険水域に達していることを、全員が肌で察していたからだ。
ハーヴィーが注意すべき動線をいくつか端的に挙げ、Dが窓面と階段の死角を二点補足し、アカリが清潔なシーツと枕カバーを抱えてくる。ジェスは真紀に一度睨まれた後、表情だけがまだ規則違反を続けるところまで自制した。
私は立ち上がった。今日一日、学校と夜勤と当直室と下着事故と軍需品箱と臨時皇女滞在が連続で処理していった身体を引きずり、まずは自分の部屋から皇族に見せるべきではないものを片付けることにした。
「見せるべきではない」というのは、要するに、私が普段いかに被災地の生存者に近い暮らし方をしているかを証明する痕跡のことだ。
脱ぎ捨てた制服の上着。
椅子の背もたれに引っかかったままのマフラー。
半分しか閉まっていない引き出しから飛び出したメモ紙と記録板。
それから、数日前に枕元に放り投げて、自分でもまだ読み終えていない巡回規則の印刷物。これに関しては今夜、特にヘートヴィヒの目に触れてほしくなかった。表紙を見るだけで、二階堂・フレイヤ(にかいどう・フレイヤ)の、理性を骨に溶接するような顔を思い出してしまう。その連想の先にある諸々は、今この瞬間に考えるべきものではない。
手早く箱と紙袋に詰め込んだ。
真紀がドア枠にもたれて二分ほど見ていたが、最終的に口を開いた。
「シモ、それは片付けじゃなくて、押し込みよ」
「目に見えるところから消えれば、整理の一種」
「それを世間では証拠隠滅という」
手が止まった。真紀を振り返る。
真紀の顔は平坦だった。
平坦すぎた。
思わず乾いた笑いが漏れる。
「今日はずいぶんと難癖をつけてくるね」
「あなたが今日、ネタを提供しすぎた」
真紀は言った。
……良かった。
朝の件は、まだ残っていた。
しかも、非常に真紀らしいやり方で、静かに利子を積み上げながら。
最後の上着を丸めて箱の底に押し込んで立ち上がったとき、真紀はもう部屋の中に入っていて、カーテンを引き、窓の締まり具合を確認していた。
その一連の動作が酷く自然だった。部屋を接収しに来たのではなく、ただここが今夜ちゃんと人が寝られる状態かを確かめているだけのような、そういう自然さだった。
「ヘートヴィヒは今夜ここに」
真紀は言った。
「あなたは明日、斜め向かいを整理して」
「分かった」
「それと、シモ」
「なに?」
真紀が振り返った。
「今朝の件は、後でちゃんと話す」
二秒、沈黙した。
それから、素直に頷いた。
「……うん」
真紀はそれを聞いて、少しだけ間を置いた。それから視線を逸らした。
「分かっているならいい」
そう言って、真紀は部屋を出た。
私は片付けかけの部屋の真ん中に立ち、半分空になった自分の部屋を眺め、身体が地面から浮き上がるような奇妙な感覚を覚えた。
惜しいわけではない。
ただ……荒唐無稽だ。
ほんの二日も経っていない。あのとき私はまだ、冬休みに当直を割り当てられ、校門でたまたま誰かの後始末を引き受けただけのシモだった。それが今、自分の部屋で、年末に護衛が引き揚げたせいで一時滞在することになった帝国の皇女のためにベッドを空けながら、生徒会長が後で朝の下着事故の清算に来るのを待っている。
人間社会がこれで成り立っているのは、本当に大したことだと思う。
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ヘートヴィヒが私の部屋に入ってから、鉑橋街二十二番地はその夜、奇妙なほど何事もなく過ぎていった。
「何事もない」というのは、新しい軍需品箱が運び込まれることも、追加の身分を隠蔽しなければならないことも、誰かが深夜に階段下の収納扉の中身に気づくこともなかった、という意味だ。
だが、小さな出来事なら、いくらでもあった。
アカリがヘートヴィヒに温かいミルクを持っていったとき、具合の悪い友人を気遣うのと変わらない、ごく自然な表情をしていた。
ハーヴィーは階段の踊り場に立って天井を見上げ、何も言わずに一階廊下の照明を二つだけ残して消した。夜間の視線を、その場で組み直したのだろう。
ジェスは散々警告を受けたにもかかわらず、私のそばを通りかかるたびに声を潜め、あの勝ち誇ったような笑みを浮かべて一言だけ囁いた。
「星野、今日から部屋の配置経験がある女になったね」
その場で収納扉を開け、無反動砲と一緒にぶち込んで頭を冷やしてやろうかと思ったが、辛うじて思いとどまった。
それでも、あの夜は最終的に静かに沈んでいった。
家の中の人間が、それぞれ部屋へ戻っていく。
ドアが、一枚ずつ閉まった。
廊下の明かりが二つ消され、必要な分だけが残った。
冬の夜の底冷えが外壁にゆっくりと張りついていく様は、まるで薄く積もる雪のようだった。
私はアイダ先輩がもともと使っていた斜め向かいの部屋に座り、急ごしらえで整えたベッドと、あまり馴染みのない明るさの小さなランプを前に、誰かにこっそり引っ越しをさせられたかのような感覚を覚えていた。
場所の引っ越しではない。リズムの引っ越しだ。
今日から鉑橋街二十二番地は、みんなが眠って、喧嘩して、飯を食って、たまに会議をするだけの場所ではなくなる。もっと危険で、もっと親密で、何かを説明しようとするたびに言葉が足りなくなるような容器に、少しずつ変質していく。出入りする人間は変わらない。だが、その配置が、もう前とは違う。
そして私は運悪く、その配置が変わり始めた節目の真上に立っている。
……面倒だ。
布団を引き上げて寝返りを打ち、真紀の「後でちゃんと話す」を考えないようにして、ヘートヴィヒが今ごろ私の元のベッドで寝ていることも考えないようにして、階段下のあの二箱が発見されたら明日の朝刊に載るかもしれないことも考えないようにした。
当然、すべて失敗した。
だからあの夜、私は酷く疲れているというのに、あまりにも多くの現実に同時に脅かされている人間特有の眠り方をした。途切れ途切れで、なんとか朝までもたせて、目が覚めた瞬間から面倒がまだそこに居座っていると分かっている、そういう眠り方だ。
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翌日、まず取りかかったのは部屋の移動だった。
正確には、こんなに早く向き合うつもりのなかった、人生の後始末だ。
斜め向かいの部屋はもともと空いていたが、「空いている」ことと「使える」ことは完全に別問題だ。窓辺には埃が積もり、机の引き出しにはアイダ先輩が置いていったマスキングテープと、表紙を見るだけで勉強ができそうな錯覚を覚えるノートが何冊か残っている。クローゼットには、私の趣味より明らかに格の高い古い上着が不釣り合いに一枚かかっていた。総じて言えば、ここは私の部屋ではなく、私の肉体と疲労を一時的に受け入れるだけの冷たい容器だった。
私はその容器の中で荷物を動かしながら、ヘートヴィヒが私のもとの部屋を出入りする気配を、敢えて見て見ぬふりをした。
率直に言って、想像以上に奇妙な感覚だった。
嫌悪ではない。
不快で共存できないわけでもない。
どちらかといえば、家の中の私的な領域が、清潔で礼儀正しくて断りにくい何かに占有されている、そんな感覚だ。合理的な配置だと分かっている。向こうに悪意がないことも分かっている。それでも視線が向くたびに、思考が余計な一回転をしてしまう。
真紀はその日、多忙を極めていた。忙しすぎて、すぐに清算に来る余裕がなかったのだ。
それがかえって、こちらの神経を逆撫でした。
その場ですぐに詰め寄ってくれれば、まだ対処のしようもある。真紀が感情を予定表の枠内に押し込み始めると、たいていの場合、事態はより恐ろしい方向へ転がっていく。
ジェスは一日中、何か大技を溜め込んでいるような顔をしていた。私とヘートヴィヒが少し近い距離に立つとか、私が彼女の手の届かないものを代わりに取ってあげるだとか、そういう瞬間のたびに「あ――」というわざとらしい顔をする。直接言葉にされるより始末が悪い。表情芸だけで空間を汚染し続けるため、こちらの封じる手立てがない。
それでもありがたいことに、その後の数日間は、全員に別の用事があった。
当直表は回り続けた。
人が出ていき、人が戻る。
昼は誰かが当直につき、夜は誰かが交代した。
鉑橋街二十二番地は、一人分増えた生活のリズムに、少しずつ馴染んでいった。私もまた、自分のいくつかの動作が妙に自然になっていることに、できるだけ気づかないふりをしながら順応していった。
夜に客間を通るとき、無意識にヘートヴィヒがまだいるか確認していること。
窓、夜勤、風の音、警備という単語が出るたびに、一番奥の部屋を真っ先に思い浮かべること。
真紀がふと私を見るたびに、今日また何か後で追及されそうな不祥事をしでかさなかったかを反射的に点検すること。
そうして、時間は冬のリズムに乗って流れていった。
当直表が一枚ずつ捲れていく。
帰るべき人間が帰り、出るべき人間が出た。
言葉になった会話もあれば、まだ清算されていない勘定もあり、暗黙のうちに棚上げにされている事柄もあった。
「前には進んでいるのに、何かがまだ終わっていない」という感覚の中で、私は少しずつ気づいていった。年末というのは、質の低い戦区交代に酷く似ている。
表向きは年越しの準備をしている。
だが実際には、まだ爆発していない不発弾を、年内に力ずくで押さえ込もうとしているだけだ。
そして気づけば、あの朝を迎えていた。
特別に劇的な夜明けではなかった。いつもより雪が多いわけでも、誰かが特別に早くドアを叩いてきたわけでもない。ただ目が覚めたとき、窓の外の光は白く、年末特有の空白が広がっていた。家の中はまだ静かで、廊下の向こうから誰かが足音を殺して歩く気配がし、階下からは湯沸かし器が温まり始めるときの微かな振動が響いた。
起き上がり、天井を二秒ほど呆然と見つめてから、今日が何日かを思い出す。
――十二月三十一日。
年越し前日の朝。
その日付を頭に浮かべただけで、心の中で深くため息を吐き出した。
年末には、本来なら収束感があるはずだ。人間も出来事も、どこかの結末に向かって収斂していくような。だが私に関しては、この手の日はたいてい二択しかない。まだ清算が終わっていないか、あるいは新しい清算が始まるか。
今日は、おそらく両方だ。
スリッパを履いて立ち上がり、ドアを開けた。
廊下の空気は冷たく、静まり返っていた。ヘートヴィヒの部屋のドアはまだ閉まったままで、客間の方からは薄い光が漏れている。鉑橋街二十二番地全体が、まだ完全には覚醒していない。だがそれゆえに、すべての事象が今の場所で凍りついているように見え、今日誰かが最初に触れるのを待っているように感じられた。
廊下の真ん中に佇みながら、私は酷くはっきりとした予感を抱いていた。
今日は荒れる。
迷信ではないし、年末特有の情緒不安定でもない。
純粋な、経験則だ。
夜勤、脱皮、衣類の貸し借り、下着事件、皇女の一時滞在、部屋の再配置、屋内の軍需品、そして真紀のあの朝の件がまだ正式に清算されていない――これだけの条件が揃っていて、十二月三十一日が普通に終わるとしたら、その方が常識に反している。
廊下の手すりに手をかけ、階下を見下ろした。
思わず、ほんの少しだけ口元が歪んだ。
嬉しいのではない。
どちらかといえば、もう観念した人間の笑いだ。――分かった、来るなら来い。
年越し前日の朝、鉑橋街二十二番地は静かだった。
そして私は、こういう静けさほど、後が恐ろしいことを、身に染みてよく知っていた。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




