189.新たな同居人 1
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
鉑橋街二十二番地に帰り着いたとき、私が予定していたことは三つだけだったわ。
一、靴を脱ぐこと。
二、座ること。
三、誰にも邪魔されないという前提で、魂に二十分だけ家出させること。
昨夜の夜勤事故と、今朝の当直室での小型人民裁判めいた一幕を経て、私の人生に対する要求水準は、もう慈悲と呼んでいいくらいまで下がっていたわ。今日の残り時間が私に優しくしてくれるとは端から期待していないけれど、ただ、これ以上わざわざトドメを刺しに来ないでほしい――それだけだったのよ。
結果、ドアを押し開けた瞬間、自分の考えが甘すぎたことを悟ったわ。
客間に、人がいたの。
ヘートヴィヒが、鉑橋街二十二番地の、普段はまともな人間にまともに使われることのない長椅子に腰を下ろしていたわ。他人の家に居候している人間の姿勢ではなく、どこかの外交公館の臨時会談席で、私という下級官吏の帰還報告を待っているかのような、ひどく端正な座り方だった。
膝の上には湯気の立つカップ。背後のカーテンは半分だけ引かれ、冷たい白の冬の光がその隙間から漏れ込み、客間全体をいつもより空虚に照らしていたわ。
空虚なのは、光だけではなかった。
人が、いない。
私は玄関先で二秒ほど固まってから、ようやく何がおかしいのかに気づいたわ。
静かすぎるのよ。
普段のこの時間なら、皆が出払っていても、生活の名残というものが少しは家に残っているものね。台所の方から食器の触れ合う音がしたり、廊下の奥でメイドさんたちの足音が低く響いたり、玄関や裏庭、階段のあたりで護衛や警備員が持ち場を切り替える、あの職業的な気配が漂っていたりするものだわ。
今日は、それが一切ない。
今日の鉑橋街二十二番地は、この家に関わるスタッフ全員が一斉に労働契約を解除したかのような静けさだったの。
「……ただいま」
ドアを閉めながら、ゆっくりとそう言ったわ。
ヘートヴィヒが顔を上げた。
「おかえりなさい」
自然な声だった。むしろ平坦すぎるくらい平坦で、「ちなみに、家で何かあったわよ」とこちらから付け足してやりたくなるほどだったわ。
結局、彼女自身がその補足をしてきた。
「ごめんなさいね」
ヘートヴィヒは言ったわ。
「年末だから、護衛たちはみんな本国に引き揚げてしまったの」
マフラーを半分ほど引き抜いたところで、手が止まった。
「……は?」
反応が大げさなわけではないわ。
この一言自体が、完璧な「は?」に値するものだった。
護衛が全員、本国に引き揚げた。
年末だから――。
聞いてほしいわ。これは、客間が少し閑散を持っている理由として、一般人が口にする説明かしら。
その言い方の平静さは、ほとんどこう言っているに等しかった。――もうすぐ年が明けるから、家の警備システム(セキュリティ)と外国護衛部隊には先に休みを取ってもらったの。一般家庭がクリスマスの飾りを片づけるのと、大体同じようなものよ、と。
玄関で靴先を揃え直しながら、たまらずもう一度客間を見回したわ。
本当に、誰もいない。
「ちょっと待って」
私は眉をひそめた。
「じゃあ、メイドさんたちも……」
「一時的に引き揚げてもらったの」
ヘートヴィヒがカップを置いたわ。声はやはり落ち着いている。
「一年間頑張ってもらったんだから、ちゃんと休ませてあげないと」
どこからツッコミを入れればいいのか、一瞬わからなくなったわ。
「メイドさんも実はローテーション制の外派警備資産だった」という点にか。
「あなたの家の年末福利厚生は部隊丸ごとの本国送還」だという点にか。
それとも、「この家の防御力を一気に半減させる人事配置」を、なぜ社員旅行のお知らせと同じ調子で語れるのか、という点にかね。
「でも、あなたの安全は……」
「あ、それなんだけど」
ヘートヴィヒが何かを思い出したように手を上げ、客間の片側を指し示したわ。
ハーヴィーの地下室の入り口に近い暗がりに、大きなコンテナが二つ、並んで置かれていたのよ。
普通の段ボール箱ではないわ。
そのサイズ、金属で補強された角、表面に浮いた擦り傷、そしてダイヤル錠まで備えたその重厚な存在感。冬物をしまうための収納箱でもなければ、誰かが百貨店の周年セールで買ってきた家庭用収納グッズでもあり得ないわね。
それは、善良な市民の心拍数を自動的に上げる類の形をしていたわ。
「これはメイドの……」
ヘートヴィヒは一度言葉を切り、ひどく真面目な顔で言い直したわ。
「侍衛長が、あなたに残していったものよ」
私はゆっくりと彼女のほうを向いたわ。
「私に?」
「ええ」
「……なんで私によ?」
「今、この家に一番よくいるのがあなただから」
理屈は通っている。
通りすぎていて、その場でテーブルをひっくり返したくなったわ。
歩み寄って、二つのコンテナの前にしゃがみ込む。窓からの光が金属の表面に落ちると、その摩耗がより生々しく見えたわ。何度も積み下ろしされ、装甲戦闘服の輸送車に運び込まれ、あるいは年次報告書には書けない類の仕事に使われてきた――そんな手触りがあったわ。
まず、片方に手を置いた。
冷たい、重い。
しかもその重さは、「本が詰まっている」重さではない。――「中身はおそらく、一般家庭向けの火災保険では補償されない」類の重さだったわね。
「誰か、開けた?」
まず尋ねた。
「いいえ」
ヘートヴィヒが答える。
「よかったわ……」
この「よかった」は、ほとんど条件反射だったわ。
中身を確かめる前は、人間というのはどうしても未知に対して分不相応な希望を抱いてしまうもの。たとえば、警備部門が残していった記録機材かもしれない。警報装置かもしれない。あるいは、帝国のシステムが見た目だけ過剰に大げさで、実際はただの救急箱がクーデター仕様の外見をまとっているだけかもしれない。
そして、コンテナを開けた。
希望は、その場で即死したわ。
コンテナの中では、高エネルギーサブマシンガンが数丁と、ずらりと並んだエネルギーマガジンが、発泡材の中で静かに――優雅とさえ言えるほど整然と――横たわっていたのよ。
最初の反応は、驚愕でさえなかったわ。
蓋を閉じる、それだけ。
自分でも感心するくらい速い動作だったわ。まるで十分に速く閉めれば、今見た数秒間の光景を、視覚疲労による幻覚として処理できる余地がまだ残っているかのようにね。
ゆっくり顔を上げ、ヘートヴィヒを見たわ。
「……あなたたち帝国の年末の手土産って、ちょっと規格が重すぎないかしら?」
ヘートヴィヒが瞬きをしたわ。
「それは緊急自衛用よ」
二秒、黙ったわ。
それから、もう一方のコンテナに目を向けたの。
そちらの方が、さらに重かった。
最初のコンテナを持ったときは「武器が密集しているせいだ」とまだ自分に言い聞かせる余地があったけれど、二つ目にはそんな自己欺瞞の入り込む隙間すら残っていなかったわ。「中身は途轍もなく高価か、途轍もなく違法か、あるいはその両方」だと本能が直感する重さ。
角を少しだけ引き開けたわ。
ぱさ、ぱさ。
先に落ちてきたのは、札束だったの。
数枚ではない、数束よ。
しかも、コンビニのお釣りで見かけるような通貨ではない。銀河帝国の帝国マルクが、几帳面に帯封されて、文明的な金融秩序への直接的な挑発であるかのように、一束、また一束と滑り落ちてくる。木の床に当たる音は、今の私の血圧よりよほど存在感があったわ。
その札束を見下ろしながら、ふと、ひどく不吉な予感がしたのよ。
だから、コンテナをまるごと開け放ったわ。
次の瞬間、その予感が一ミリも無駄になっていなかったことを知った。
中には、無反動砲が一門、横たわっていたのよ。
……無反動砲。
模型ではない。記念品でもないわ。
帝国貴族が軍事趣味を誇示するための縮尺ディスプレイでもない。
一目で問題を解決できそうで、同時にそれ以上の問題を量産しそうな、正真正銘の本物だったわ。
コンテナの前にしゃがみ込んだまま、丸三秒、何も言えなかったわ。
脳が日常の災害許容量を大幅に超えた情報を受け取ったとき、最初の反応はたいてい絶叫ではなく、一時的な処理拒否よ。「夜勤」「予備の制服の貸し出し」「朝の社会的処刑」――それだけでも消化に半日かかる案件を、誰かがまとめて脇へ押しやり、代わりに私の客間の床に可搬式政局修正器を一丁、無造作に置いていったような感覚だったわ。
ゆっくり顔を上げ、ヘートヴィヒを見たわ。
「これ、何に使うの?」
彼女はとても静かに私を見返した。
「万が一のためよ」
「どんな万が一に、無反動砲が必要なわけ?」
「大型目標」
思わず息を呑んだわ。
「今の言い方、完全に“雨の日だから長い傘を持っていきましょう”のトーンなんだけど!」
ヘートヴィヒはわずかに首を傾げたわ。私の比喩のどこがおかしいのか、本気で考えている顔だったわね。
「相手に装甲があったら、通常火力じゃ足りないこともあるでしょう」
「わかってるわよ!」
私は声を落としたわ。上の階のどこかの壁から、急に耳が生えてこないかと本気で怯えながら。
「私の疑問は性能分析じゃなくて、なんでこんなものが鉑橋街二十二番地の客間の隣、地下室の入り口前に鎮座してるのかってことなんだけど!」
言い切ってから、自分でも思わず息を吸い込んだ。
こうして完全に口に出してしまうと、状況の馬鹿馬鹿しさが数段増したわね。
今の鉑橋街二十二番地は、いったい何なわけ?
学生寮の非公式拡張棟かしら。
秘密のセーフハウス?
帝国公館の違法増築分室?
それとも、地元の治安ニュースを一夜にして銀河版トップ記事へ押し上げられる、臨時武装集団のアジト(アジト)かしら。
コンテナの中の無反動砲を見下ろしながら、ひどく不健全な光景が頭の中に浮かんだわ。もしある日、九島真紀がここへ訪ねてきて、地下室のドアを開け、階段の下にこの砲が鎮座しているのを目にしたら――。彼女はきっと三秒ほど沈黙したあと、静かにこう尋ねるでしょうね。
『シモ、あなた最近、何か国家転覆でも企んでるの?』
だめ。想像しただけで死ねるわ。
すぐに蓋を閉め直し、こぼれ落ちた帝国マルクも慌ててかき集めて押し込んだ。紙幣が多すぎて、何枚かは素直に収まらず端を跳ね上げているわ。それを見るだけで頭の芯が痺れた。こんな場面をジェス・マッカロウに見られたら、彼女はその場で外傳――じゃなくて、外伝三シーズン分の二次創作(妄想)を完走するに違いないわね。
「ヘートヴィヒ」
「なに?」
「このコンテナ、本当に誰も開けてないわよね?」
「ええ」
「よかったわ……」
今度の「よかった」は、いくらか本物だったわ。
少なくとも、家全体がまだ共犯関係にはなっていない。
二つのコンテナを、階段下の収納スペースのほうへ押していった。あそこは普段、あまり見せたくない生活雑貨の避難所になっている――予備の洗剤、季節外れの収納ケース、誰も今すぐ向き合いたくない袋いくつか。そこに軍需品を押し込むのは、確かに品がないわね。だけど今の状況を思えば、鉑橋街二十二番地に残された数少ない道義的余裕の一つと言えたわ。
問題は、コンテナがとにかく重いことだった。
物を運んでいるというより、自分の人生にかかる罪状を一件ずつ暗がりへ押し込んでいるような重さだったわね。
一人でみっともなく押している私を見て、ヘートヴィヒがごく自然に立ち上がり、歩み寄って反対側を持ち上げてくれた。
「気をつけて」
彼女は言った。
思わず吹き出しそうになったわ。
「今もっとも気をつけるべきなのは、この家の刑事責任の範囲だと思うけれど」
「シモ、緊張しすぎよ」
「ヘートヴィヒ」
立ち止まって彼女を振り返る。
「普通の女子高生が、自分の住まいの階段下で無反動砲を押してるのよ。これでどうやって緊張しない余裕を持てって言うわけ?」
ヘートヴィヒが私を見た。
その表情はひどく真面目で、一瞬、本気で「それくらい別に珍しくないでしょう」と言い返してくるんじゃないかと身構えたわ。
だけど、彼女はただ静かにこう言った。
「あなたは、普通の女子高生じゃないもの」
……この一言は、たちが悪いわ。
その一部が、まぎれもない事実だから。
言葉に詰まり、この危険な話題でこれ以上渡り合うのはやめて、二つのコンテナを収納スペースへ押し込む作業に専念することにした。扉がようやく閉まり、近隣関係を即座に交戦状態へ持ち込めるだけの代物をひとまず飲み込ませたところで、ようやく身を起こし、手についた埃を払った。
それから振り返り、ヘートヴィヒを見た。
「誰にも言わないでね」
彼女は頷いた。
「わかった」
「『あ、そう』みたいな適当な『わかった』じゃなくて、ちゃんとした方の『わかった』だからね」
「わかってる」
「誰にも言わないで」
「ええ」
「ジェスにも」
ヘートヴィヒが、そこで一拍置いたわ。
私はすかさず付け足した。
「特に、ジェスに」
「……了解したわ」
よかった。少なくとも、「特に」の意味はわかっているらしいわね。
客間が、また静かになった。
窓の外の冬の光は相変わらず冷たく、カップの湯気はさっきより少し薄くなっていたわ。あの搬入作業のせいで、この部屋の空気にはまた別の層が加わった気がした――単純な生活感でも、単純な危機感でもなく、「今日からここは、もう普通の住まいとは言えないんだろうな」という、はっきりした予感のような何か。
私は階段脇の壁にもたれ、長く息を吐いたわ。
「それで」
ヘートヴィヒを見る。
「しばらく、ここに住むの?」
「ご迷惑でなければ」
この台詞を彼女が言うと、妙な感じがしたわ。一方ではとても礼儀正しく、もう一方では、私の生活動線のすぐそばに地域紛争を起こせるだけの荷物を二箱、至極当然のように押し込んでいる。攻城兵器で玄関を塞いでから、ソファに戻って「数日お借りしてもよいかしら」と丁寧に尋ねるようなものね。
それでも、断れない。
私は彼女を見たわ。ヘートヴィヒはソファの端に座り直し、もうそれほど熱くはないカップを両手で包んでいた。銀白色の髪が窓の光に照らされて、静かに見えたわ。護衛も、侍女も、侍衛長も、みんな引き揚げてしまった。いつも彼女の周りを取り囲んでいた秩序と保護が一気に消えた今、この家に残っているのは、背筋をまっすぐ伸ばして、声を乱さず、しかし自分がどれほどの規模のものを私に預けてしまったか、まだ完全にはわかっていないらしいヘートヴィヒだったの。
ふと思った。
本当の意味での新しい危機は、階段下のあの二箱ではないかもしれない、と。
この人が今日から本当にここに住み込むことの方が、ずっとそれらしいわ。
武器には鍵がかけられる。お金は隠せる。でも、人は違うわ。
人は客間に座る。話しかけてくる。
夜勤の恥辱事故と朝の公開処刑と午後の軍需品搬入を全部経験し終えた後でも、あの澄んだ目で私を見て、こう言ってくるのよ。
「シモ、顔色が悪いわ。何か食べる?」
目を閉じたわ。
よかった。
午前中は学校で風紀委員長の尊厳問題を処理した。
午後は帰宅して銀河帝国の火力配備問題を処理した。
そして今、その二つの間に挟まったヘートヴィヒが、夕食を食べるかと聞いている――。
この世で一番侮れないのは、武器(兵器)じゃないと思ったわ。
武器を脇に置いて、それでも無邪気な顔で「スープ、もう一杯どう?」と聞いてくる人間の方よ。
額に手を当てた。
「……わかったわ」
ヘートヴィヒが瞬きをした。
「食べる?」
「違うわ」
私は彼女を見て、力なく言った。
「あなたがしばらくここに住む件。それと今日から、鉑橋街二十二番地に新しい家規を三つ追加するわよ」
「聞いてる」
「一つ目。机一枚より大きくて、片手で持てる重さを超えて、あるいは警察が見た瞬間に目を輝かせるようなものは、家に入れる前に私に一言言うこと」
ヘートヴィヒは真剣に頷いた。
「わかった」
「二つ目。侍衛長が次に何かを残していく前に、インベントリ(リスト)を書いてもらうこと」
「できる」
「三つ目」
私は息を吸った。
「次に『万が一のため』と言いながら隣家の壁ごと吹き飛ばせる装備が出てきたら、私は本国に送り返すわ。送り状の備考欄には『シモの精神状態では受け取れません』と書くから」
二階堂――じゃなくて、ヘートヴィヒは二秒ほど黙ったわ。
それから、ほんの少し笑ったの。
淡い笑みだったわ。一瞬で消えそうなほど淡いのに、確かに見えた。
「わかった」
と、彼女は言った。
……まずいわね。
この家の面倒の度合いが、さっきよりもう一段階上がった気がしたわ。
ヘートヴィヒがこういう場面を面白いと感じ始めたなら、これから先の日々は、今夜よりもおとなしくはならないでしょうね。
私は階段下の収納扉をちらりと見て、最初に浮かんだ考えが、安全でも安心でも、これを他の人にどう説明するかでもなかったことに気づいたわ。
――お願いだから。せめてジェスにだけは気づかれませんように、ね。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




