182.聖夜の前夜 1
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
十八時を過ぎた頃、生徒会室にはある種の、非常に危険な空気が漂い始めていた。
仕事はまだ終わっていない。にもかかわらず、全員がすでに『夕食』という名の精神的支柱だけで生き永らえようとしていた。
――誇張ではない。
極めて具体的で、極めて文明的で、そして極めて哀れな限界状態がそこにあった。
書類は未だに増殖を続け、予算は乱高下し、動線は修正に修正を重ねられている。全員の口は辛うじて動いているものの、その魂はすでに『弁当』という二文字を宗教的トーテムとして崇拝し始めていた。
窓の外の空模様は、いつの間にかさらに一段、暗さを増していた。
生徒会室の蛍光灯がすべて点灯すると、窓ガラスに冷たい白色の反射がじわじわと浮かび上がる。最初はただの結露かと思ったが、蘭が顔を上げて外を一瞥し、淡々と言った。
「雪ですね」
私はペン先を止め、窓の外に目をやる。
本当に、雪が降っていた。
単館系の芸術映画にフィルターをかけたような、情緒たっぷりに舞う雪ではない。
極めて現実的で、理不尽で、帰宅の遅れたすべての人間に対して「人生の難易度を上げてやろう」と確固たる意志を持った雪だ。
細かく白い粒が夜の闇に張り付くように斜めに打ち付け、街灯の光に照らされてやけにはっきりと浮き上がっている。まるで天上の何者かが、シュレッダーの紙屑を袋ごとこの街にぶちまけ、ついでに『冷風・強』のスイッチを入れたかのようだった。
「嘘でしょ……」
真っ先に悲鳴を上げたのはジェスだった。彼女は机に突っ伏したまま、力なく身悶えする。
「こんな天気で残業とか、私たち前世で神様に集団で借金でもしたわけ?」
「神様とは限らないさ」
私は手元に目を戻しながら応じる。
「各委員会に借金を入れられた可能性もある」
「そっちの方が断然悲惨じゃん!」
ジェスが恨めしげに顔を上げた。
「神様ならまだ信仰する価値もあるけど、各委員会から来るのなんて予算の追加申請だけだよぉ……」
「まだ無駄口を叩く体力があるなら、もう一ページ作れるな」
顔も上げず、スプレッドシートの上でペンを走らせるロイが冷淡に言い放つ。
「財務って本当に、空腹時に接触しちゃいけない人種ナンバーワンだよね」
「聞こえているぞ、ジェス」
「聞こえるように言ったんだよ」
すると、向こう側で会場の配置図を押さえていたハーヴィーが、平坦なトーンで会話に割って入った。
「これ以上彼女を飢えさせると、予算表を盗み食いし始めるかもしれないぞ」
「それはお勧めしないな。紙は栄養価が低いし、何よりロイが先に噛みついてくる」
「私は噛みつかない」
ロイがぴたりと手を止め、私を冷たく睨む。私はその視線を真っ向から受け流した。
「そうだな。お前は噛みつかない。ただ数字の暴力で人を生き埋めにするだけだ」
「……それを世間では正当防衛と呼ぶ」
私の隣に座るヘートヴィヒは、今日最後の会談記録と付属表を整理しているところだった。
私たちの不毛なやり取りが耳に入った瞬間、彼女のペン先がごくわずかに止まる。
下を向いた彼女の肩が、微かに震えていた。必死に笑いを堪えているらしい。どうやら彼女のツボも、すっかりこの生徒会室の悪ノリに侵食されつつあるようだった。
その時、真紀が手を伸ばして書類の束を机に叩きつけた。ぱん、と小気味いい音が室内に響く。
彼女はオフィス全体をぐるりと見渡したあと、極めて冷静に、絶対的な『判決』を下した。
「先に食事にするわよ」
その瞬間、私は彼女に向かって起立し、全力で惜しみない拍手を送りそうになった。
――勘違いしないでほしいが、彼女の言葉に人情味が溢れていたからではない。
この部屋において、九島真紀が「先に食事にする」と口にする時。それは民情を思い遣った慈悲などではなく、**『これ以上餌を与えなければ、こいつらの作業クオリティは新たな行政事故(大ポカ)を構成するレベルまで低下する』**という、冷徹な経営判断を下したことを意味するからだ。
Dはまるでその言葉をずっと待っていたかのように、即座に壁際から身を起こした。
「じゃあ、まず俺が弁当を買ってくる」と、彼は言った。
その提案が出た瞬間、オフィス全体がほぼ同時に半口分の息を吹き返した。
ジェスが真っ先に手を挙げた。
「私、食べる!」
「あんたはまず黙れ」と、私は言った。「まだ注文も始まってないのに、山奥で三日間遭難した生存者みたいな顔をするな」
「精神的には本当にそんな感じだよ」
Dはぐるりと周囲を見た。
「俺一人じゃ、全部は持ち帰れないな」彼はそう言うと、直接ハーヴィーを振り返った。「お前も一緒に来てくれ」
ハーヴィーは目を上げ、相変わらず平坦な表情で答えた。
「ああ」
この二文字がハーヴィーの口から出ると、そこには常に「弁当運びだろうが、銃の修理だろうが、ゴミ箱の位置調整だろうが、彼はまず引き受け、最も省力化された方法で完遂する」という圧倒的な安定感があった。
ジェスはDとハーヴィーを見て、感動のあまり泣き出しそうになっていた。
「頼もしすぎる」と、彼女。「これぞ文明社会を支える最後の二本の柱だよ」
「これ以上喋ったら、あんたの弁当にピーマンを追加することを検討するぞ」と、私は言った。
「副会長、残酷ぅ」
「飢えた民を食物で脅すのは、確かにあまり人道的ではありませんね」ヘートヴィヒが静かな声で言った。
私は彼女を振り返った。
「あんたはどっちの味方だ」
ヘートヴィヒは私を見上げ、極めて平坦な口調で答えた。
「今夜、無事に食事ができることを願う側の味方です」
……よし。
あまりにも正論すぎて、反論すらできなかった。
こうしてその後の丸三分間、生徒会室は今夜最初の、真の意味でのハイリスクな議論に突入した。
予算ではない。
動線ではない。
放送委員の儀式感の残骸でもない。
弁当についてだ。
ジェスはフライドチキン弁当が食べたいと言った。私は、彼女が純粋に揚げ物で人生に対抗しようとしているのではないかと疑っている。ロイはなんでもいいと言ったが、できれば片手で食べきれて、表を汚さないものがいいと付け足した。極めて財務的な発言だ。蘭は少しあっさりしたものを求めた。この後も動線図を見続けなければならないため、胃と脳を同時にストライキさせたくないからだ。真紀は相変わらず、シンプルで、温かくて、食べられればなんでもいいという態度だった。彼女の食事に対する要求の低さは、もし学校が「行政効率化栄養バー」なるものを発売したら、彼女は本気でそれを夕食にすることを検討するのではないかと疑うレベルだ。ヘートヴィヒは少し考えてから、「あまり味の濃くないものを」とだけ言った。そして私――私は今、自分がまだ生きた人間の分類に属していることを確認できるようなものを食べたかった。
最後にDが全員の要望を書き留め、眉をひそめてそのメモを一瞥した。
「お前ら生徒会は、飯を食う時まで申請書を書いてるみたいだな」
「今日はもう、アドリブに浪費できる余分な魂が残ってないからだ」と、私は言った。
ハーヴィーが横から極めて平坦に補足する。
「それに、お前らは一人一人の要求が多すぎる」
「あんたにそんなこと言う資格ある?」ジェスが彼を睨んだ。「さっき『あの店の煮卵は入れないでくれ』って指定してたじゃん」
「あの煮卵は駄目だ」と、ハーヴィー。「武器のパーツを間違った薬品に長時間漬け込んだ後の副産物みたいだ」
「……その比喩のせいで、今夜煮卵を見るのが怖くなるんだけど」
「なら頼むな」
「くそっ、妙に説得力がある」
Dとハーヴィーはこうして私たちによってオフィスから送り出され、生徒会最後の希望と六人分の夕食の重みをその肩に背負っていった。ドアが閉まると、外の雪はさらに少し密度を増したように見えた。ガラス越しに見るキャンパス全体が、ゆっくりと静寂の中に埋もれていくようだ。時折いくつかの明かりだけが点灯しており、この世界にはまだ制度の下で足掻き、生き延びようとしている人類が存在することを証明していた。
そして私たちこそが、その中で最も代表的な一団だった。
ディランとハーヴィーが戻ってきた時には、すでに十九時をまわっていた。
ドアが開いた瞬間、熱気と白米、そして揚げ物とスープの匂いが混ざり合った『悪魔の薫香』が、生徒会室へとダイレクトに流れ込んでくる。決して高級とは言えず、ロマンチックの欠片もない代物だったが、あの時の私たちにとっては、それだけで極上の救済だった。
真っ先に飛びついたのは、やはりジェスだった。
「英雄の帰還に敬礼!」
「まずは退け」
ディランは片手で弁当の袋を提げたまま、飢えた獣を見るような目でジェスを見下ろす。
「今のままだと、袋ごと食いかねない勢いだぞ、お前」
「もしその中にフライドチキンが入っているなら、否定はしない!」
ハーヴィーがもう一つの袋を机に置き、さきほどのメモに従って手際よく分配を始めた。
「フライドチキンはジェス」
「あっさり系は蘭」
「温かいスープは別容器だ。先に受け取ってくれ」
「黒胡椒牛肉は星野」
私は手渡された弁当箱のずっしりとした重みを感じ、不覚にも少し感動してしまった。
「ハーヴィー」
「なんだ?」
「お前みたいな奴がいつか民間企業に転職して、後方支援の指揮官になったら、たぶん競合他社は全員ハゲることになるぞ」
「私は今でも、似たような後方支援をしているつもりだが」
「いや、今のお前はただの支援職じゃない。この雪の夜に、私たちの胃袋を満たすためだけに降臨した『補給の神』だ」
ジェスはすでに自分の弁当を開け、最初の一口を口に放り込みながらも、もぐもぐと力強く同調した。
「さんせい! きょう、はーゔぃーとディランは生徒会の功労者名簿に載せるべきだよぉ」
「生徒会にそんな名簿は存在しないわ」
冷淡な声が、上座から飛んでくる。九島真紀だ。
「じゃあ、今から作ればいいじゃん」
「必要ないわ」
「……あんたって奴は、本当にロマンを餓死させるのが得意な女だな」
「ロマンは経費で落とせないもの」
真紀は一切の感情を排して言い切った。
私は彼女の正論に〇・五秒ほど完全に言葉を詰まらせ、最終的にはそっと俯いて、自分の弁当の蓋を開けるしかなかった。
……よし。
あまりにも理にかなっている。
くそっ、返す言葉もない。
だが、立ち上る弁当の熱気を受け止めていると、本当に「ああ、今夜はまだ戦える」という泥臭い実感が湧き上がってくる。白飯は熱く、黒胡椒の刺激的な匂いは脳髄を揺さぶり、肉はまだ獰猛な脂の輝きを放っている。最初の一口を噛み締めた瞬間、私は短い間だったが、理不尽な人生に対する『大いなる許し』さえ感じていた。
ふと隣を見ると、ヘートヴィヒが静かに佇んでいた。
彼女が受け取ったのは比較的あっさりとした弁当で、おかずの彩りも美しく整っている。盛り付け方からして、私のものよりはるかに『正常な世界にあるべき食べ物』に見えた。
私は自分のジャンクな茶色い弁当と、彼女のそれを交互に見比べた。
「なあ、この絵面、ちょっと不公平だと思わないか?」
「どこが不公平なんですか?」
ヘートヴィヒが不思議そうに小首を傾げ、私を見つめる。
「あんたの夕食は、まともな家庭教育を受けて育った品のあるお嬢様に見える」
私は自分の弁当を指差した。
「それに引き換え、私のはどうだ。まるで『塹壕から復員してきたばかりの退役軍人』だぞ」
ヘートヴィヒはうつむいて自分の弁当を見つめ、それから、本当に、消え入りそうなほど静かな声で言った。
「……でも、あなたの方から、とても美味しそうな匂いがします」
「――え?」
不意を突かれ、私は一瞬、阿呆のように呆気にとられてしまった。
「……交換、するか?」
「っ……」
彼女は一秒ほど、ぴたりと動きを止めた。耳の裏がほんのりと赤くなっている。どうやら本気でその提案を考慮しているようだった。
「……いいえ」
ヘートヴィヒは小さく首を横に振った。
「私には、少し……食べきれないかもしれませんから」
「それ、私がとんでもない大食漢だって暗に言ってるみたいに聞こえるんだけど」
「そんなこと、言っていません」
「言ってないならいいんだけどさ」
すると正面から、尋常ではない熱線を感じた。
見ると、ジェスがチキンを齧りながら、その両目をこれでもかと爛々と輝かせてこちらを凝視している。
あまりにも見慣れた、極めて不吉な視線だった。
顔を上げなくてもわかる。彼女の脳内では今頃、十中八九『結婚行進曲』を大音量でバックに流した、IQの低いラブコメ妄想劇が自動再生されているに違いない。
私は直接、先手を打った。
「ジェス」
「な、なに?」
「今その口を開いたら、至近距離からこの弁当箱を『弾道ミサイル』として叩き込むからな」
ジェスはひどく不満そうに、リスのように両頬を膨らませた。
「私、まだ一言も喋ってないのに!」
「喋らなくても、お前のことはよく理解しているつもりだ」
「それは理解じゃなくて、ただのプロファイリングっていう名の差別だよ!」
「いいや、経験に基づく正当な警戒だ」
すると、蘭が静かに自分の弁当を食べながら、淡々と追撃の弾幕を張った。
「命中率が極めて高い、的確な警戒ですね」
それにはディランさえも、低く愉快そうな笑い声を漏らした。
ふと視線を戻すと、真紀は片手で弁当を持ち、もう片方の手で未だに書類の束をめくっていた。その様子はもはや夕食をとっている人間のそれではなく、白米と黒胡椒牛肉を『残業タスク』の一部として機械的に処理しているかのように見えた。
私は見かねて、直接声をかける。
「真紀」
彼女の冷徹な瞳が、ゆっくりとこちらを向く。
「飯を食う時くらい、その悪魔の表を机に置け」
「食べてるわよ。咀嚼は同時並行で進行しているわ」
「効率の問題じゃないんだよ」
私はため息混じりに言った。
「今のあんた、大火災の現場の真横で、おにぎりを齧りながら『次の通報はどこかしら』って考えてる特年(特殊災害対策)のキャリア官僚にしか見えないぞ」
「それは……非常にタイムパフォーマンスが良さそうな例えね」
「……私の負けだ。あんたは本当に、手遅れのワークホリックだよ」
私の隣で、ヘートヴィヒが静かにスープを口に運びながら、その美しい唇の端をごくわずかに綻ばせていた。
彼女は、笑っていたのだと思う。
ただ、その笑い方があまりにも克制的で、まるで自分の感情さえも公文書のように厳格に管理しているかのようだった。
――恐ろしい。
そして、胸が苦しくなるほど、綺麗だ。
この二つの相反する事実が同時に成立するなんて、本当に世界の理がバグを起こしているとしか思えなかった。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




