158.変化 1
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
「次、パンツ試して」
真紀はまるで天気を告げるような平坦な声で、次の服を差し出してきた。
私はそれを見下ろした。 ダークグレー。すっきりとしたシルエット。
余計な装飾は一切ない。これを着て外を歩いても、これからステージに上がるのかと疑われることもなければ、工事現場から逃げてきたばかりだと思われることもない、ごくまともなデザインだった。
理屈の上では、これがかなり友好的な配慮だとは分かっている。
問題は――どんなものであろうと、試着室に持ち込まれた瞬間にその性質が変わるということだ。服はもはや服ではなく、人間が現実と平和に共存できるかどうかを検証するための嘘発見器になる。
私は無表情のままそれを受け取った。
「これにも文句をつけられたら、今日この店ごと爆破するから」
外からジェスが即座に突っ込んできた。
「星野、恥ずかしくなるたびにインフラ爆破しようとするのやめてよ。社会的コストが高すぎるって」
「黙れ。さっきの怪しい店に連れ込んだ刑事責任をとってから、社会的コストを語れ」
「あれは文化体験」
「あれは犯罪ツアーだ」
カーテンの外から、真紀の小さく笑う声が聞こえた。 ……くそっ。この人、今日は本当に面白がってる。
私はカーテンを閉め、手元のパンツを見下ろして深呼吸した。 パンツというやつは恐ろしい。トップスならまだ「シルエットが違う」「生地が硬い」「このボタンの配置が非人道的だ」などと言い訳のしようがある。
だが、パンツにはそれがない。 パンツは残酷なまでに直接的だ。入るものは入る。引っかかるものは引っかかる。
上がらないものは上がらない。立ち上がって文句を言おうとしたところで、ついでにこう忠告してくるのだ――そう、今のあんたの重心は、昔とは違うんだよ、と。
この正直さは、非常に礼儀を欠いている。
まずは片足を突っ込んでみる。まあ、スムーズだ。 もう片方も入った。 よし、どうやら文明はまだ私を完全に見放してはいないらしい。
上に引き上げる。 ……途中で止まった。
太ももの付け根あたりで引っかかった布地を睨みつけ、私は二秒沈黙した。 上等だ。第二波の厄災が正式に到着したらしい。
しかも第一波よりタチが悪い。トップスはせいぜい肩のラインと胸のふくらみをごまかせなくなったと認めさせる程度だが、パンツは最も容赦のない方法で教えてくる。あんたの下半身のラインは、もう旧バージョンじゃないんだ、と。
私は歯を食いしばり、さらに少し引き上げた。 布地が動いた。 だがその動き方は、まるで「入らないこともないけど、まずは私に謝れ」と言っているようだった。
「シモ?」 カーテン越しに、真紀の声が聞こえた。
「ん」
「その返事、上手くいってるようには聞こえない」
「実際、上手くいってないからね」
ジェスがすぐに寄ってきて、足音からしてすでに面白がっているのが分かった。
「どこでつっかえてるの? 腰? 脚? それともついに現実の制裁を受けた?」
「中に入って、あんた自身が私に制裁されるところをその目で見たい?」
「遠慮しとく。被災者のプライバシーは尊重するタイプだから」
私はパンツを睨みつけた。 よし、状況は明白だ。完全に穿けないわけじゃない。この半死半生の状態が一番腹立たしい。
ドアに挟まれかけているようなものだ。無傷ではないし、かといって切断されたわけでもない。ただそこに立っているだけで、自尊心が血を流し始める。
私は角度を変え、体を斜めにし、息を吸い込んで、もう一度引き上げた。 今度はなんとか通った。
ほっと息をつきかけた次の瞬間、別の問題に気づいた。腰は入った。脚もまあ、悪くない。だが、全体的にラインを拾いすぎている。「これは昔みたいに、目を閉じて適当に被ればごまかせる輪郭じゃない」と、世界に向けて公表しているようなものだ。
鏡の前に立つ私の顔は、アパレル産業と刃傷沙汰の交渉に臨むような険しいものになっていった。
「……これ、誰が持ってきたの」 外から、ほぼ食い気味に真紀が答えた。
「私」 「そ」 私は歯を噛み締め、明らかに言い訳を探している鏡の中の自分を睨んだ。
「今日、やけに私をいじめたがるね」
「いじめてない」真紀の口調は、ちゃぶ台をひっくり返したくなるほど平坦だった。「向き合ってもらってるだけ」
その一言で、私は言葉に詰まった。 ……くそ。 この人は本当に、たった一言で人をその場に縫い付けるのが上手い。 なぜなら、彼女の言う通りだからだ。
本当に鬱陶しい。一番鬱陶しいのは、誰かに誤解されることじゃない。誰一人誤解しておらず、しかも的確に見透かされていることだ。
ジェスは明らかに中の短い沈黙を察し、すぐに場を茶化す方向へ舵を切った。
「はいはい、当ててあげる。今はあれでしょ。穿けたけど、認めたくないってやつ」
「ジェス、あんた私の脳内に盗聴器でも仕掛けてるの?」
「仕掛ける必要ないっしょ。あんたのその往生際の悪さ、五キロ先からでも分かるし」
「どうも。全然慰めになってない」
「私、もともと慰めキャラじゃないし」
それに関しては、非常に自己評価が正確だ。
私はうつむいてウエストを引っ張り、少ししゃがんで動きやすさを確かめた。動ける。だが、旧バージョンのように、どう乱暴に扱っても気にならないわけではない。
以前の私は、移動に便利な包装袋に自分を押し込んでいるような服の着方をしていた。だが今は――この身体が、最低限の敬意を要求し始めているような気がする。
ウエストのライン、脚の長さ、重心、立ち姿。そのすべてが、これ以上「着られればいい」という野外サバイバル精神で日常生活を乗り切ろうとするな、と警告してくる。
問題は、私がこの「教育されている」感覚をひどく憎んでいることだ。 しかも、私を教育している人間がカーテンの外にいて、それが九島真紀だとなればなおさらだ。
「星野様、サイズはいかがでしょうか?」 今度は男性店員の声だった。
とても丁寧で、まるで爆弾でも処理するかのように慎重だ。 私が口を開く前に、ジェスが答えた。
「この子? ワンサイズ下でもいけると思うんですけど、本人が頑なに認めないんですよ。本当はこういう少しフィットするやつが似合うのに――」
「ジェス」 真紀がただ、名前を呼んだ。
声を張り上げたわけでも、威圧的な口調でもない。雪風の艦橋で見せるような低気圧すらまとっていない。ただ、ごく単純に一声呼んだだけだ。 ジェスはすぐに咳払いをした。
「……はいはい、黙りますよ」
カーテンの中で、私は危うく吹き出しそうになった。 不謹慎極まりないが、正直少しすっとした。 騒ぎすぎた鳥が、軽く止まり木に押し戻されたような光景だ。
鳥が静かになったからではない。この世界にはまだ秩序というものが存在していると、誰かが思い出させてくれたからだ。
それから、真紀は店員に向かって言った。
「ハーフサイズ上と、ワンサイズ上のものを一つずつ。このデザインは少しタイトなので。彼女は動く時に窮屈なのを嫌がります」
あまりにも自然だった。
自然すぎて、一瞬カーテンを開けて「いつの間に私のことをそこまで研究したの?」と訊きたくなったほどだ。
いや、その問い自体が馬鹿げている。 真紀は私を「研究」しているわけじゃない。ただ、ずっと見ていたのだ。普段は口に出さないだけで、必要な時になれば、あの腹立たしいほどの正確さで結論を叩きつけてくる。
店員が承知して離れると、ジェスがまた息を吹き返した。
「うわ、九島。今のあんた、完全に作戦服のフィッティング担当じゃん」
「似たようなもの」
「どこがだよ」
「着心地が悪ければ、彼女は着ないから」真紀が言った。
私はカーテンの中で、ふと動きを止めた。 その言葉自体に特別な意味はない。ごく普通だ。慰めにすら聞こえない。 だが、その普通さが一番厄介なのだ。
私を褒めているわけでも、なだめているわけでも、「似合ってるよ」などと私をその場で爆発させるような台詞を吐いたわけでもない。
ただごく当たり前に、私を計算の中に入れている。それが当然であるかのように。
……この人は本当に、たちが悪い。 文句を言いたくても、うまく言葉にならないくらいに。
私はうつむき、鏡の中の自分を見た。さっきまでの苛立ちが、微妙に和らいでいるのを感じた。 ほんの少しだけだ。 それ以上はない。勘違いするな。
新しいサイズが届くと、世界は無事に最低限の礼儀を取り戻した。 二着目を引き上げた瞬間、何が違うのかが分かった。 単に緩いわけではない。 ようやく、余裕が生まれたのだ。
脚は自然に動かせるし、腰は不平等条約にサインさせられているような気分にならない。まっすぐ立ち、振り返り、しゃがんでも、人間としての尊厳は保たれている。
さらに腹立たしいことに、全体のシルエットはさっきのサイズよりも綺麗だった。わざとらしく修飾された「綺麗さ」ではなく、ごく現実的な「これがあなたに合った形です」という説得力があった。
私は鏡に向かって眉をひそめた。 鏡の中の人間も眉をひそめている。
彼女は私が思っていたより少し大人びていて、私の記憶の中よりもずっと安定して立っていた。突然別人になったわけでも、過剰に女性らしさを主張しているわけでもない。
どちらかといえば――今まで端が欠けていて、傷だらけのまま無理やり形を保っていた金属が、ようやく正しい輪郭に削り出されたような感じだ。
冷たくて、薄っぺらくて、近寄るなという空気を漂わせているのは変わらない。それでも、輪郭は確かに成立している。
この「成立」は、できれば見なかったことにしたい代物だった。 残念ながら、鏡はクレームを受け付けてくれない。
「星野、まだなの?」ジェスが外からカーテンを叩いた。「出てこないなら、私が勝手にサイズ申告するよ」
「やってみな。その場で死んでやるから」
「いいよ。じゃあ当ててみる。ウエストはだいたい――」
「ジェス」真紀がもう一度呼んだ。
「……今日、めっちゃ過保護じゃない?」
「あんたがうるさいから」
「場を和ませてるの」
「被害を拡大させてるだけ」
私はたまらず、少しだけ口角を上げた。 くそ。外で二人が足の引っ張り合いをしている声が、少し安心できると感じ始めている
。試着室は処刑場ではなく、ただ外で待っている人がいるだけの場所。待ち方は非常に腹立たしいが、確かにそこにいる。
私はカーテンを開けた。 今回は、さっきほど躊躇しなかった。 外にいる二人のうち、一人はふざけ、もう一人はそれを処理する。
どのみち今日は、私を古い殻から引きずり出すまで終わらないのだと分かっていたからだ。
鬱陶しい。 本当に、クソ鬱陶しい。 でも、まあ……いいか。
私は外に出て、鏡の前に立った。 ジェスは私を上下に見てから、眉を上げ、わざとらしく大きな口笛を吹いた。
「おっ、今回は当たりだね」
「その言い方、競走馬の交配結果でも見てるみたいなんだけど」
「マジで言ってるの。こっちの方が合ってる。さっきのは、パンツと心中する気かと思ったもん」
「今も別に、長生きしたいとは思ってないけど」
「でも、少なくともパンツはあんたを生かそうとしてるよ」
真紀はジェスの無駄話を無視した。私の方へ少し近づき、腰、パンツのライン、裾へと視線を落とす。素早く、正確に。それから手を伸ばし、パンツの裾をほんの少しだけ外側に折り返した。
彼女の指先が布地に触れた瞬間、私は無意識に身をこわばらせた。
「少し長い」彼女は言った。
「直すか、サイズを変えるか」 私は彼女の手を見下ろしたまま、思考が半拍停止した。
変なことを考えていたわけじゃない。少なくとも、全部がそうじゃない。 ただ、この光景がひどく奇妙だったのだ。
真紀が私の前で半ばしゃがみこみ、裾を直している。ジェスは横に立って、この平和な光景をいつでもぶち壊す準備ができている目撃者のような顔をしている。
店内の照明はクリアで、冷房は快適に効いていて、外からは微かに音楽が流れてきている。そのすべてが、私の持ち物にはふさわしくないほど普通だった。
贅沢なほどに、普通だった。
「星野」 真紀が顔を上げて私を見た。 「何、ぼーっとしてるの」
私は我に返り、すぐに視線を逸らした。 「……別に」
ジェスが横ですぐに吹き出した。 「ぼーっとしてるんじゃないよ。サービスされすぎてフリーズしてるの」 「ジェス」 「はいはい、分かってるって。今日はおもちゃを壊しちゃダメな日でしょ」
横にある服の山を、こいつの口に突っ込んでやりたい。 だが私が行動に移す前に、店員が別のパンツ二本とジャケットを持って戻ってきた。私の着ているものを見て、いかにもプロらしい肯定の表情を浮かべる。 「そちらの方向性で間違いないかと存じます。普段使いでしたら、ショート丈のジャケットを合わせていただくと、さらにスマートにまとまりますよ」
ジェスが即座に口を挟んだ。 「この子にスマートな服は似合うけど、本人の性格は全然スマートじゃないんですよ。すぐ人に噛みつくんで」 「どうも。情報量ゼロの解説ありがとう」
店員は明らかに笑いそうになっていたが、なんとかこらえ、ジャケットを差し出してきた。 「お試しになりますか?」
私はもう十分だ、今日受けるべき人生の教育はすでに許容量を超えている、と言おうとした。だが真紀が先にそれを受け取り、一瞥してから、ごく自然に私の肩に掛けた。
薄手で張りのあるジャケットだった。白いシャツとパンツのラインが綺麗に収まり、全身がもう一度「再構築」されたような感覚があった。柔らかくなったわけでも、特定のスタイルに寄せたわけでもない。ただ純粋に――成立した。
顔を上げて鏡を見る。 そして非常に腹立たしいことに、この一式が本当に悪くないことに気づいてしまった。 悪くないどころか、様になっている。 鏡を叩き割りたくなるくらいに。
ジェスもそれに気づいたのか、珍しく一秒だけ黙り、次に新しいおもちゃを見つけたような顔をした。
「うわ、終わった」 私は警戒して彼女を睨んだ。
「今度は何」
「いや、あんたがその格好で外歩いてて、すれ違う人に振り返られた時、先に睨みつけるか、気づかないふりをするか、どっちかなと思って」
「真っ先にあんたを睨む」 「ほら九島、この子本当に褒められ慣れてない」
真紀は私の隣に立ち、私と同じように鏡の中へ視線を向けていた。 「受け入れられないんじゃない」彼女は淡々と言った。「慣れてないだけ」
まただ。 この人は今日、反論の余地がないほど的確な言葉を、あと何回突きつけてくるつもりだ。 私は鏡の中の自分を睨みつけ、最後まで強がって、ただ一言だけ絞り出した。
「じゃ、これで」
ジェスがすかさず拍手した。
「おめでとう! 人類文明は再び、野生の個体を正常なファッションシステムに組み込むことに成功しました」
「今すぐあんたを文明から蹴り出せるけど」
「やってみなよ。今のパンツ動きやすいから、いい蹴り入りそうじゃん」
本当に実験してやりたかった。 だが真紀はついに遊びに満足したのか、戦場の後始末に入った。店員に向き直るその声は、冷徹なまでに手際が良かった。
「このシャツとパンツ、ジャケットは買います。同じ系統の日常着をあと二セット。ダーク系とライト系で。インナーは着心地のいいものを、先ほど調整したサイズで。彼女は派手なものも、柔らかすぎるものも着ないので」
店員は何度も頷いた。ようやくまともに人間の言葉を話し、決断力のある客に出会えたと安堵しているようだった。 「かしこまりました。靴も合わせてご覧になりますか?」
私は断ろうとした。今日はもう、我慢の限界を超えて改造されすぎている。だが真紀が首を傾げ、私をちらりと見た。 「靴は?」
ごく普通の視線だった。 なのに、私はその意味を理解してしまった。 彼女は靴が必要かどうか訊いているのではない。まだ耐えられるか? と訊いているのだ。
最近、彼女のこういう直接言わない言葉が読めるようになってきている自分が、ひどく疎ましい。
「……見る」 私は言った。
ジェスが横で大げさに感動したような声を出した。
「わあ、星野が今日、素直に付き合ってる。これって成長?」
「成長じゃない。あんたたちと命懸けでやり合うのが面倒になっただけ」
「四捨五入すれば同じでしょ」
いや、全然違う。 だが結局、私はそれ以上反論しなかった。 なぜなら、鏡の前に立っている人間は、今朝起きた時に私が思い描いていた自分とは、もう違っていたからだ。頭から爪先までパッケージし直されるこの工程を急に好きになったわけでも、真紀とジェスの手によって大人しく処理されるのを受け入れたわけでもない。
ただ、もう誤魔化しきれなくなっただけだ。古いバージョンには、もう戻れないのだと。 そして新しいバージョンは、少なくとも見た目上は、まだ生きていけそうだった。
それで十分だ。 少なくとも、今日はそれでいい。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




