140.捉えた!! 2
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
艦長代理の声が落ちた。
「零式一号機、最終手順への移行を許可する」
余計な激励もなく、映画が好んで使う「英雄を戦場へ送り出せ」式の台詞もなかった。艦長代理は艦長代理で、十四歳の女の子を単座戦闘艇に詰め込んで発射するという場面でも、補給申請書を承認するような口調を保てる人間だった。
……ある意味、それの方が怖かった。
なぜなら、これからのことが本当に起こる、と全員が当然のように受け入れているということだからだ。
「射出レール加圧開始」
ロイの声が続いた。
「零式一号機、姿勢ロックを発射前〇・五秒まで本艦が引き受ける。桿を奪うな」
「了解」
「もう一度言う。桿を奪うな」
「……ロイ、あんた私の腕をそんなに信用してないの?」
「あんたの腕じゃない」
ロイは少し間を置き、口調はむしろ丁寧だった。
「初めて本物に乗った人間の本能を、信用していないんだ」
公平な言葉だった。公平すぎて反論できなかった。
今の私は確かに、目の前にある何かを掴みたくて仕方がない。座艙ごと抱えて逃げ出せるなら逃げ出したいくらいだ。だが零式はランドセルではないし、逃避は標準装備ではない。私は指をもう一度操縦桿に押しつけ、自分に言い聞かせた。少し緩めろ。歩き始めたばかりで野馬に乗らされたみたいな顔をするな。
艙内の照明が発進モードに切り替わった。
メインディスプレイ両側の補助情報が内側へ収束し、必要な姿勢、速度、軌道、武装の表示だけが残った。画面が一気に残酷なほどすっきりした。余分なものが取り除かれると、本当に重要なものだけが際立つ。試験用紙と同じで腹立たしい――選択肢が一つだけになった時、人間は分からないふりができなくなる。
「位相震動弾、安全装置解除。電子閉鎖を維持」
アイダが報告した。
「星野、投下は一回きり。シミュレーションの授業でやり直しのきく失敗だと思わないで」
「分かってる」
「分かっていることと、できることは別よ」
「……今日本当に士気を上げるのが得意ね、あんた」
「正しい失敗恐怖を植えつけているの」
「成功したわ、おめでとう」
通信にジェスの短い笑いが混じった。
真紀がすぐに被せた。私が緊張をすべてアイダとの口喧嘩に変換してしまわないよう、引き戻すように。
「高次元切片、左旋偏移。重力微塵網、第三象限に希薄化発生。アカリ、投影を更新して」
「更新中。海狼は後退しているんじゃない、折りたたんでいる」
アカリの声はいつもより速かった。脳が口より先に走っているような速さだった。
「いえ、『折りたたむ』も正確じゃない。どちらかというと――」
「テーブルクロスの下から蛇を引き抜いていく感じで、クロスの上の盛り上がりだけが変形して見えてる、ってこと?」
ジェスが唐突に割り込んだ。
アカリが〇・何秒か黙った。
「……低俗な比喩だけど、正確ね」
「褒めてくれてありがとう」
私は更新された投影を見て、胃の中の不安定なものがまた少し沈んだ。
メインスクリーンから私の座艙画面に分流された海狼の「切片」は、相変わらず船らしく見えなかった。そいつは三次元世界の物体として振る舞う気が、まったくなかった。
時には引き伸ばされた黒い楔のように見え、時には自分自身を呑み込んでいる鏡面のように見え、時にはただ理不尽なほど薄い暗い縁として、宇宙の一片を誰かが爪で軽く引っ掻いたような痕にしか見えなかった。
人間の脳は本能的にこういうものを嫌う。
理解できない脅威だけでも十分厄介なのに、そいつがさらに「お前たち平面猿には理解できないものだ」という態度を取っているからだ。
……正直、古代人があらゆる説明のつかない現象を神や怪異に押しつけた理由が、今なら少し分かる気がした。今の私に宗教的な言語でこれを説明しろと言われたら、こう言うしかない。邪悪な何かが、宇宙の皮膚の裏側を這い回っている、と。
「星野、呼吸して」
真紀がもう一度言った。
「してるわよ」
「今のあんた、酸素と冷戦でもしてるみたいよ」
「……」
素直に息を吸い、吐いた。胸のストラップに呼吸を細切れにさせないよう。艙内の循環システムが乾いた冷たい空気を送ってくる。機械の匂いがした。冬と金属の削り屑を一緒に粉にして、通気口から振りかけたような匂い。鼻腔がその冷たくきれいな匂いで満たされる。きれいすぎて気づかされる。ここには余分な命がない。生命維持システムが許可した分だけ、生きていられる。
発進架の下から、低い振動が伝わってきた。
爆発ではなく、巨獣が胸腔の奥で歯を研いでいるような音だった。
「射出レール充能、四〇パーセント」
ロイが数値を読み上げる。
「外部甲板、第一層ハッチ開放」
蘭が言う。
「通信クリア維持、優先回線正常」
蘭がもう一言付け加え、それから妙に気遣わしそうに聞いた。
「星野、今から遺言を残したいなら、プライベートチャンネルに切り替えてあげるけど」
「遺言はない」
「ラブレターは?」
私の頭が一拍空白になった。
「……蘭、ジェスに汚染されてない?」
「艦内の人間関係について、最後の情報整理をしているだけよ」
ジェスが即座に向こうで声を伸ばした。
「あらあら――じゃあ私は席を外した方がいいかしら、誰かの心の内が公開朗読されると困るから」
「やったら生きて帰って真っ先にあんたを殺すから」
私は迷わず言い返した。
真紀が淡々と言った。
「よし。同僚を脅すだけの気力がある。精神状態は良好ね」
「あんたたちのこの艦、新人に対して本当に優しくないわよね」
「今日初めて気づいたの?」
ジェスが即座に被せた。
私は返さなかった。これ以上続けたら、緊張をすべて口喧嘩に変換してしまい、スロットルの握り方まで忘れそうだった。
艦長代理がようやく口を開いた。
「ある」
「……本当に?」
「だから今、全員があんたと無駄話をしている。あんたの脳があんた自身に食われないよう、な」
通信が一瞬、静まった。
私は半秒呆然とし、それからようやく気づいた。
今の言葉は、艦長代理が言ったのだ。
冗談ではない。慰めとも呼べない。だが、「あんたが怖がっているのも、強がっているのも、全部分かっている」という、その淡々とした事実の提示が、どんな激励よりも胸の奥を熱くした。
反則だ、艦長代理。普段はあの、定規で人の心拍数を測るような顔をしているくせに、こういう場面でだけ急に人間みたいなことを言う。これは精神的均衡を崩しに来ているのではないか。
「……了解」
私は小さく言った。
この一言が、前の言葉より少し軽かったことに、誰かが気づいたかもしれない。
気づいていなければいい。
気づいていたとしても、聞こえなかったことにしてほしい。
発進手順は続いた。
「射出レール充能、六〇パーセント」
「機首固定アーム、解除」
「零式一号機、外部姿勢クランプ残り二基」
「高次元切片、さらに一一パーセント収縮!」
アカリの声が張り詰めた。
「奴は新しい折り返し角を探している。重力紋が細くなり始めた!」
「逃がすな」
戦術席を引き継いだジェスは、いつもより切れ味が増していた。
「シモ、出たらすぐ追いかけるな。ロイが引いてくれた外切線に乗って、切片が一番薄いところから回り込め。今の奴は貝殻に縮んでる宿借りみたいなもんで、力ずく叩いたら自分の手が折れるだけよ」
「ありがとう。アカリと同じくらいセンスのある比喩ね」
「どういたしまして。うちの艦橋の文化水準は、いつも均等に低いから」
私は思わず笑った。
短い笑いだったが、本物だった。喉に詰まっていたものが少し緩んだ。ようやく、まともに前を向ける気がした。
私は自分の手を確認した。
左手、スロットル。右手、操縦桿。
グローブが掌に貼りついていた。中は汗で湿っていた。大げさなほどではない。体育の授業後の雑巾になるほどでもない。だが、体が私の言うことをまったく聞いていないことは、十分すぎるほど伝わってきた。口は強がれる。神経は強がれない。
私はキャノピーに映った自分の顔を見て、少し見知らぬ気がした。
確かに私なのに、艦橋で一本筋を通して戦術ウィンドウを分析し、生徒会や世界の制度に文句をつけていたあの星野 シモには見えなかった。零式に乗り込んだ後の私は、どちらかというと「装填された」という感じがした。まだ発射されていない弾薬のように。ただし、この弾薬はたまたま呼吸ができて、緊張できて、頭の中で人生の不公平についてぶつぶつ言える。
そう考えたら、余計に惨めになった。
自分を消耗品に例えてしまった。
未成年少女の自己認識がここまで滑り落ちているとしたら、国家教育に責任がある。
「星野」
真紀の声が突然、個人回線に切り込んできた。
「……いる」
「出た後、自分を証明しようとしなくていい」
私は少し止まった。
「私がそういう人間に見える?」
「普段は違う」
真紀は言った。
「でも、初めて本当に一人でここに座った時、人は何かをしたくなるの。『私は足手まといじゃない』って、自分に証明したくなる」
私は口を開いたが、すぐには言葉が出なかった。
図星だったからだ。
ひどく嫌な当たり方で、図星だった。
シミュレーターの失敗なら反省文で済む。艦橋での判断は全員で分担できる。だが零式に乗り込んでキャノピーが閉まった瞬間、すべての「もしも」は自動的に、ひどく個人的なものになる。
自分は守られる側ではない、世話をされる側ではない、全艦がわざわざチャンネルを空けて、呼吸を安定させて、くだらない冗談で神経を繋ぎ止めてやらなければならない子供ではない――そう証明したくなる。
私は本当に、証明したかった。
その気持ちは傷口の底から新しく生えてきた肉のように汚くて、触れると痛かった。
「……分かった」
私は結局、それだけを言った。
真紀はそれ以上聞かなかった。ただ、ごく軽く返した。
「いい」
一文字も余分がなかった。
だがその「いい」が耳に落ちた瞬間、誰かに後頸を押さえられて、無闇に前へ突っ込むのを止められたような感覚があった。辛くはなかった。むしろ逆だ。艦橋の向こうから見えない細い糸が伸びてきて、緊張と強がりで暴走しかけていた神経のどこかに、静かに結びついたような感覚だった。
……こんな時に、少し落ち着かされていることを認めたくはない。
「射出レール充能、八〇パーセント」
ロイが言った。
「外部甲板第二層開放。前方真空区域確認」
蘭が報告した。
次の瞬間、艙前のシールドパネルがゆっくりと滑り開いた。
外の宇宙が露わになった。
風景ではない。
少なくとも今は、そう見えなかった。
普段、観測窓から外を見ると、宇宙は大きく、遠く、日常とは切り離された壮大な背景のように見える。だが単座戦闘艇の中に座り、透明なキャノピー一枚を隔てて真正面から見ると、それはもはや背景ではなく、即座に現実になった。
黒。地平線がない。上下がない。遠方に重力微塵網が標識した、見え隠れする歪みの区域があるだけだ。深海の底で形を変え続ける傷口のように。
そこへ、私はこれから飛んでいく。
近くて、遠い。
一発の発射で届く近さ。
でも今から「やっぱり行きたくない」と言っても、九〇秒前の状態には誰も戻せない遠さ。
「……零式一号機、前方視認完了」
自分が報告するのを聞いた。
声は安定していた。
人間の演技力に、そろそろ賞でも贈るべきだ。
アカリが突然言った。
「露出しました」
艙内のすべての音が、その瞬間、一本の線のように引き絞られた。
メインディスプレイ上の海狼の切片が急変した。暗い縁と裂け目だったその輪郭が、重力微塵網の中に、より明確な形を押し出した。
艦全体ではない。三次元には属さない何かの角が、私たちに見える世界へ無理やり押し込まれたものだった。黒い金属の骨格が水面下から翻ってきたような、刃の側面を眼球に押しつけられたような。厚みがあるとは分かるのに、どう形成されているのかまったく理解できない。
それは一秒に満たない間だけ現れた。
それでも、背筋が瞬時に痺れた。
かっこいいからではない。まったく違う。
気持ち悪かった。
非常に物理的で、非常に正直な気持ち悪さだった。耳石を誰かに軽く掻き回されたような、視神経と胃が同時に認めさせられたような。これは本当に存在していて、しかもついさっき、こちらを見ていた、という事実を。
「重力紋、ロック!」
アカリはほとんど叫んだ。
「左偏三度、外切線ウィンドウ展開!」
「今よ」
ジェスが言った。
ロイの声がすぐに落ちた。釘を打つように安定した声だった。
「零式一号機、姿勢ロック解除まで五秒。倒数開始」
私の指が無意識に固まった。
艙内が急に静まり返り、残るのは呼吸音と、システムの駆動音と、肋骨を打ち続ける自分の心臓の音だけになった。その心臓は重く打ち続けていた。先に飛び出して私の代わりに偵察してこようとでもいうように。
四秒。
私は前方に短く露出した切片の痕跡を見据えた。
三秒。
位相震動弾の安全装置表示灯が視野の端に光っていた。冷たい白色。手術刀のような白さだった。
二秒。
ふと、さっき紗夜が格納庫の外で叫んでいた一言が頭に浮かんだ。
初めての実機でコクピットに吐かないでくださいね、という言葉が。
……よろしい。おかげで今、生きて帰って紗夜を甲板磨きに引きずっていく方が、ずっとやりたいことになった。ありがとう。
一秒。
真紀が最後にもう一度、個人回線に入ってきた。
戦術用語もなく、手順の確認もなかった。
ただ、短い一言だけ。
「星野、生きて帰れ」
その言葉が落ちた瞬間、私の手がむしろ安定した。
この一秒でようやく、私は自分と零式を一緒にこの戦いへ押し込んだ気がした。荒唐無稽で、危険で、本来十四歳の少女が引き受けるべきではないこの戦いへ。
だから私は冷たい空気を一口吸い込み、傷口のように開いた前方の暗闇を見据え、口を開いた。
「零式一号機――」
手を押さえつけた。
「出撃」
*
次の瞬間、世界が後ろへ引き抜かれた。
飛び出したのではない。
打ち出されたのだ。
背部の減震パッドが一瞬で拳を生やしたように、私の体を、呼吸ごと、胃ごと、かろうじて保っていた尊厳ごと、座席へ叩きつけた。視野の端が即座に暗くなり、前方の誘導線だけが焼けた針で眼球に縫いつけられたように輝いた。
息を吸おうとすると、胸が先にベルトに締め上げられた。
口を開こうとすると、顎が先に震えで固まった。
シミュレーターは全部嘘だ。
いや、正確には、シミュレーターは現実を青少年にも受け入れられる版に礼儀正しく削り取っていた。
本物の発射は「推力による加速感」でも「高G操作」でも、教範に書いてある、一本筋が通っているように見えて実際には体が先に悪態をつくことを教えてくれない、あの名詞たちでもない。
本物の発射は、もっとこういうものだ。
誰かが魂を掴み、挨拶もなく、肉体から半寸だけ外へ引き抜いた。
「姿勢ロック解除。零式一号機、あんたのものだ」
ロイの声が通信から届いた。今し方私を宇宙へ射出したのが自分だとは思っていないような、落ち着いた声だった。教室のドアを開けてくれたような口調だった。
……こういう時、冷静を通り越した航海長が一人いるのは本当に重要だ。
彼まで慌てていたら、私は今頃艙内で少女の悲鳴を披露していただろう。
私は奥歯を噛み、右手を操縦桿に押しつけた。
零式が発進レールを離れた瞬間、機体全体が「前進する」という概念の定義を突然失ったようだった。風がない。地面がない。人間の内耳を安心させるものが何一つない。
あるのは、計器の上で飛び跳ねる姿勢データと、方向感覚ごと呑み込んでいるような深い宇宙の黒だけだった。
何をすべきかは分かっていた。
姿勢確認。
機首を押さえる。
外切線に沿って滑り出す。
焦らず、奪わず、機体にまず初速を食わせる。
全部分かっていた。
問題は、体が頭の言うことを聞かないことだ。
左手でスロットルを半格上げた瞬間、右手が本能的に半拍多く押し込んだ。零式の機首がわずかに傾き、姿勢環が視野の右下で黄色く点滅し、私の心臓も一緒に喉から飛び出しそうになった。
「機体と喧嘩するな」
ロイがすぐに声を出した。
「修正量が大きすぎる。今はシミュレーションの試験場じゃない。動作がきれいでも誰も点数をくれない」
「……分かってる!」
分かっている、本当に分かっている!
だが体は分かっていなかった。
初めて一人で真空に放り出された体は、「冷静に操作する」という提案に対して、独自の見解を持っていた。今の体の主張はおそらくこうだ。まず生き延びる。残りは後で考える。
私は溢れそうになった息を無理やり押し込み、計器に従ってゆっくり機首を立て直した。零式は、気性が悪いわけではないが、新人に合わせてくれる気もない痩せ馬のように、私の手の下でしぶしぶ指定の姿勢へ戻っていった。
「よし、今度は人間の言葉ね」
ジェスが戦術回線で言った。
「励ましてくれてありがとう、こんな時に」
「どういたしまして。緊張しすぎてると思って、先に私を殺したくさせてみた。その方が吐かずに済むから」
「私って、あんたの目には怨念で平衡を保つタイプに見えてるの?」
「今のところ、効果は出てるわよ」
……くそ、少し効いた。
さっきの小さなミスに叩き起こされた。あれは「奮い立った」という熱血な覚醒ではなく、「もう少し雑にやったら本当に死ぬ」という物理的な覚醒だった。現実的で、役に立った。人間が成熟するのは多くの場合、勇気によってではなく、もう少しで失敗するところだったという経験によってだ。
ようやく余裕が生まれ、外を見た。
また、胃が少し沈んだ。
雪風が後ろにいた。
遠くはない。
だが、想像していたより遠かった。
艦内から外を見る時、艦橋も格納庫も通路も食堂も、すべて「内側」のものだった。人を包み込む構造だった。だが艦を離れて振り返ると、長すぎる、冷たすぎる、硬すぎると文句を言っていたあの隔壁と甲板が、突然ある種の温かさを帯びたものに見えた。
雪風は大きくはない。少なくとも教科書に移動する山脈のように描かれる大型主力艦と比べれば。だが今、後方の深宇宙に浮かんでいるその姿は、艦体の灯りが暗闇の中で光り、黒の中に頑固に残り続ける文明の欠片のようだった。
そして私とその欠片の間には、薄いキャノピー一枚と、一式の生命維持システムしかなかった。
その認識が来るのは早すぎたし、正直すぎた。
キャノピーが閉まった時、私はもう「一人だけ」という事実を受け入れたと思っていた。
受け入れていなかった。
本当の「一人だけ」とは、雪風が初めて手を伸ばしても届かない距離まで退いた時に、宇宙全体が静まり返って自分のミスを待っている、そういう感覚だった。
……いい。よろしい。非常によろしい。
過去に何か悪いことをしていたなら、天はずっと今日まで待って、まとめて精算しに来たのだろう。
「零式一号機、相対航道正常」
ロイが数値を読み続けた。その口調は過剰なほど落ち着いていた。
「もう半度、左へ。多くない。そう、そこ。保持して」
「保持中」
私の声は少し固かったが、震えていなかった。公開処刑はもう少し先に延ばせた。
「海狼、切片が再び露出!」
アカリが突然、声量を上げた。
「重力微塵網第二層に圧痕発生――いえ、圧痕じゃない。一区画が『借り取られた』!」
「人間の言葉で」
ジェスが即座に返す。
「奴の一部が、私たちのいる方向にはいない!」
「……それは一見無意味に聞こえるけど、理解できた」
私も理解できた。
残念なことに、理解が早すぎた。
前方にあった薄い歪みの深宇宙区域が、突然見えない指で裏側から押されたように変わった。まず星点がずれた。瞬きでも消滅でもなく、ごく軽く、ごく短く、位置を変えた。誰かが夜空という紙を持ち上げ、裏から少し揉んだような動きだった。
それから、暗闇の中に一本の縁が現れた。
光ではない。
影でさえない。
「本来見えるはずのないものが」、私たちの三次元世界に擦れた瞬間に残した、苛立ちの一線のようなものだった。
細く、薄く、斜めに。角度が人間工学の許容範囲に収まっていなかった。金属のように見えるのに、金属が持つべき厚みも反射もない。刃のようにも見えるが、次の瞬間には別の方向へ折れ、折り畳まれることを拒む幾何学の答えに押し込まれた紙のようだった。
視線を追いかけた瞬間、耳の後ろを冷たいものが走った。
気持ち悪かった。
驚きでも、衝撃でもない。
純粋に、内臓が先に拒絶するような気持ち悪さだった。
あれは船ではないからだ。
少なくとも、私たちが安心して「船」と呼べるものではない。
教科書の艦艇には艦首があり、艦腹があり、装甲があり、推進の方向がある。だが目の前のそれは、高次元の捕食者がたまたまこちらに見える世界へ骨の一片を突き刺し、その姿勢のまま告げているようだった。お前たちが依存している空間感覚など、私の前では何の価値もない、と。
「……見えた」
私は自分が言うのを聞いた。
喉が砂紙で擦られたように乾いていた。
「シモ、見すぎないで」
真紀が即座に個人回線へ切り込んだ。
「計器を見て。数字で感覚を押さえつけなさい」
私は強引にHUDへ視線を戻した。
そうだ。見すぎてはいけない。
ああいうものを長く見ていると、脳は自分が最もよく知っている論理でそれを補完しようとする。そしてそれが補完できないことに気づく。
人間がなんとか正気を保って生きていられるのは、たぶん半分は世界が普段ちゃんとルールに従ってくれているからだ。「縁」すら規則違反をしているものを一秒余分に見るたびに、自分の常識がどれほど安上がりなものかを、より鮮明に突きつけられる。
「零式一号機、相対距離を維持しろ」
ロイが言った。
「視覚に引きずられるな。航線を守れ」
「了解」
「よし。まだ返事ができる。魂は飛び出していないようだ」
「……ロイ、あんたの慰め方が真紀と似てきてる」
「慰めてない」
「じゃあ二人は天然で残酷なのね」
共用回線が半拍、静まった。
それからジェスが爆笑した。
アカリが噎せたように咳をした。蘭は上品に沈黙したが、その上品さがあまりにも完璧だったせいで、「今は笑えない」と額に書いているようだった。アイダでさえ短い間を置いてから、冷たく一言付け加えた。
「星野、本格的な戦闘中に同僚のカップリングを考える余裕があるとは。精神状態、優良」
「撤回します。今すぐ発射の衝撃で気絶していた方がよかった」
真紀は笑わず、反論もせず、ただ淡々と言った。
「集中して」
……これが一番まずい。
彼女が乗ってこないほど、さっきの軽口が宇宙に向かって光弾を撒き散らしたみたいで、しかも一番まずい方向に当たった気がしてくる。
私は奥歯を噛み、注意を目標へ引き戻した。
前方で、海狼の切片がまた変形した。
今度は目でじかに受け止めるのをやめ、重力微塵網から逆算されたHUD上の輪郭だけを見た。それだけで大分楽になった。少なくとも数字は、三次元の脳回路を壊しに来るような形をしていない。
だが、それでもあの輪郭は不快だった。動いているというより、存在の様式を変えているように見えた。四次元の水面下に潜む狼が、耳や牙や、耳や牙とは呼べない何かを時折水面に出して、私たちがまだ十分に馬鹿で、十分に怯えていて、もう一口噛む価値があるかどうか確かめているような。
「縮退を続けている」
アカリが言った。
「でも重力紋は噛んでいる。ウィンドウはまだある。ただ、どんどん狭くなっている!」
ジェスが戦術のリズムを引き取った。切れ味がいつもより鋭かった。
「シモ、影を追いかけるな。奴が次に露出する位置を先に切れ」
「どこから来るか、どうやって分かるの?」
「あんたの頭の方が私より高いから」
ジェスは一拍置き、声を落とした。
「それと今、その角度にいるのはあんただけだから」
私は息を吸った。
いい。分かった。
こういう時に信頼されるのは、腹立たしくて、しかも有効だ。
私は目の前で跳ねる重力紋を見て、さっきの黒い切片が現れた時の星点のずれ、微塵網の変形、ロイが引いてくれた外切線を重ね合わせた。気持ち悪さで掻き回されかけていた頭の中の戦術図が、ようやくかろうじて使えるかたちに戻ってきた。
後退しているのではない。
逃げているのでもない。
爪を引っ込めているのだ。
そして爪を引っ込める動作は、ある瞬間に最も脆弱な関節を露出させる。
「……見えた」
私は低く言った。
「繰り返せ」
艦長代理がすぐに言った。
私は前方の、傷口のように明滅する歪みの区域を見据え、声をできるだけ「初めての実機発射に危うく魂を飛ばされかけた十四歳の少女」らしく聞こえないように整えた。
「海狼は一点へ向かって縮んでいるのではない。面を換えながら収束している。だから切片が一番薄い位置は、今見えている黒い縁の上じゃない」
私は照準を左下へ少し動かした。
「ここよ。あと二秒で、より細い角を翻らせる。そこが位相震動弾を押し込む場所」
通信がほんの短い間、静まった。
次の瞬間、アイダが口を開いた。
「……合理的ね」
ジェスが続いた。
「だから頭が高いって言ったのよ」
ロイが冷静に補足した。
「前提として、最後の一秒に手が頭より先に動かなければ、だが」
「本当に根に持つのね」
「全艦の資産を守っているだけだ」
「私、もう固定資産扱いになったの?」
真紀が淡々と言った。
「固定資産じゃない。高リスク、損耗しやすい、でも今は代替不可能な消耗単位よ」
私は半秒黙った。
「……真紀、それ事実だけど、傷つくわよ」
「まだ抗議できる。状況は安定している」
真紀は一拍置き、本当に重要な言葉を付け加えた。
「星野、今の冷静さを保ちなさい。自分を証明しようとしなくていい。奴を自分から露出させるだけでいい」
その言葉が、前へ突っ込もうとしていた神経をちょうど押さえつけた。
そうだ。
自分を証明するためではない。
きれいに命中させるためでもない。
初めての実機で神業を見せるためでもない。
今やるべきことは小さい。
一つの動作だけ。
一発の弾薬、一つの角度、呼吸より短いウィンドウ。
小さいからこそ、外せない。
私は零式の機首をさらに半度押し下げ、外切線に沿ってその歪んだ暗闇へ滑り込んでいった。雪風は後方に、艦橋は耳の中に、海狼は前方で次元の隙間へ縮んでいく悪意のように。私はその間に挟まれ、勇ましくもなく、余裕もなく、正直に言えば狼狽えたまま、それでも前へ進んでいた。
だが少なくとも、今の私は放り出されたものではない気がした。
どちらかといえば――
この戦いの中に、自分の意思で入ってきた気がした。
そしてその瞬間、前方の暗闇が再び反転した。
刃より薄く、影より冷たいあの切片が、私の予測通り、重力紋が最も圧縮された交点から刺し出てきた。
私の瞳孔が収縮し、照準が食いついた。
「奴の骨が見えた――!」
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




