137.墓標船 2
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
超光速安定期七分目の雪風は、ようやく呼吸の仕方を覚えた野獣のように静かだった。
この静けさは貴重だ。
「何も起きていない」静けさではないからだ。艦全体がついさっき、胃袋と鼓膜と魂ごと一緒くたに掴んで振り回すような超光速起動から生き延び、その直後に「自分たちは有能で、冷静で、引き続き業務に適している」という顔を、なんとか装っている――そういう静けさだ。
つまるところ、全員が「宇宙に一度水に沈められたこと」をなかったことにしようとしているのだ。
私は戦術席に座り、目の前に再展開された空域図を見つめていた。隣のジェスも同じ画面を見ているはずだが、あの女はまともなものを見ている時でさえ、レストランのメニューにケチをつけているような顔をしている。ある意味、彼女がここまで生き延びてこられたのは、死亡通知書を渡されても、まずレイアウトの悪さに文句を言うタイプだからかもしれない。
艦橋前方の観測窓の外では、双子の青い巨星がなおも深宇宙でゆっくりと回転していた。二つの恒星は突き刺すような極光ブルーを放ち、外層コロナが静かにうねっている。神の手で闇の中へ放り込まれても、決して消えることを拒んだ二つの心臓のようだった。その周囲では、恒星風に引き伸ばされた銀青色の星雲が真空の中で細く織りなされ、冷たく、理不尽なほど美しい光の帯を作っていた。さらに外側には、岩塊と氷塊と失敗した野心を圧縮したような黒いレコード盤――巨大な原始惑星系円盤が、双星の重力井戸に沿って緩やかに回転していた。
雪風は、その円盤の外縁を安定して推進していた。
艦長代理は前方に立ち、視線をメインスクリーンと観測窓の間で行き来させていた。九島真紀は副長席に座り、背筋を、まるで誰かが定規を当てて引いたように真っ直ぐ伸ばしていた。アイダの技術監視曲線は安心できるほど平坦で、蘭は必要最小限の通信回路を保ち続け、アカリは盤面外縁のデブリ流を追跡し続け、ロイは両手を操舵台にしっかりと置いていた。誰かがこの艦をあと〇・一度でも余計に揺らそうものなら、ロイはまず視線だけでその相手を壁に釘付けにしただろう。
とにかく、すべて正常だった。
宇宙が最も好むのは、誰かが「すべて正常だ」と思った、その次の一瞬だ。
「レーダーが非自然金属の反射物を捕捉」
アカリの声が割り込んできた時も、その調子はまったく変わらなかった。私はそこが好きだ。彼女は世界の終わりを報告する時でさえ、今日の昼のスープが塩辛いと言うのと同じ声で話す。冷血なのではない。プロフェッショナルなのだ。本当に恐ろしい人間は、警報の際にまず悲鳴を上げたりしない。まず数字を読み上げる。
「距離四千二百単位。原始惑星系円盤の氷デブリ帯の陰。反射断面積が異常。形状は……」
彼女の手が一瞬止まった。
ほんの短い間だった。
これがアカリにとってどれほどの事態かというと、宇宙自身が本人の口で咳払いをしたようなものだ。
「……大型人工艦体の構造と一致」
私は顔を上げた。
ジェスも顔を上げた。
アイダでさえ、あの、人より情熱を注いでいるような出力曲線から目を離した。
「拡大しろ」
艦長代理が言った。
メインスクリーンが二分割された。左側は航道と円盤の流速図を維持し、右側はアカリの示した座標に向かって高速で拡大していく。画面はゆっくり漂う黒い氷塊と岩片の間を掠め、円盤の影の中へ切り込んでいった。そこは元々、周囲よりも一段深く冷たい黒の塊にしか見えなかった。だが、センサーの感度が上がり、輪郭線が一寸ずつ浮かび上がってくるにつれて、超光速でようやく元の位置へ収まったばかりの私の胃が、もう一度大きく沈んだ。
あれは岩ではない。
船だ。
引きちぎられた時代の骨が、宇宙にそのまま置き去りにされたような、巨大な船だった。
それは影の中をゆっくりと漂っていた。船体は双子の青い巨星に斜めに半分だけ照らされ、残りの半分はデブリ帯が落とす暗がりに沈んでいた。雪風のような、現代艦特有の切り詰められた線とは違い、その古い船には流線型と呼べるものがほとんど見当たらなかった。
むしろ、鈍重な鋼鉄の塊を無理やり切って、削って、溶接して積み上げ、「飛べればそれでいい」という結果だけを目指した代物だった。装甲は頑固なまでに厚く、露出した放熱フィンは、真空に剥き出しになった肋骨のように並んでいた。船殻は隕石衝突の跡で埋め尽くされ、双子巨星の高エネルギー放射に長年焼かれ続けたらしい、広範囲の焦げ跡が残っていた。
最も凄まじいのは、船尾の第一世代超空間噴射機関だった。
そこが、丸ごと吹き飛んでいた。
故障ではない。
火災でもない。
「大掛かりな修理が必要」といった、まだ希望の残る破損でもなかった。
構造の一塊が、まるで内側から見えない何かに引き裂かれたようだった。百メートル級の小艇を丸ごと呑み込めるほど巨大な裂け目が開き、ねじ曲がった鋼骨が外側へめくれ上がっている。死の間際に大きく口を開けたまま、最後の一息を吐ききれなかった巨獣のようだった。
艦橋では、しばらく誰も口を開かなかった。
言葉に詰まったからではない。
こういうものを目にすると、人は本当に、まず言葉の出し方そのものを忘れてしまうのだ。
「……うわ」
先に口を開いたのはジェスだった。珍しく、すぐには軽口の方向へ突っ走らなかった。
「さすがに今は、減らず口を叩く気になれないわ」
「それは事態が深刻だという証拠ね」
私は言った。
「あるいは、私にも一応分別があるという証拠かもよ」
「あんたのその台詞のほうが、あの船より年季入ってるわよ」
ジェスは小さく鼻を鳴らしたが、それ以上は続けなかった。彼女でさえ、今は口先でエネルギーを稼ぐ場面ではないと分かっているということだ。
「識別照合、完了」
アカリが新しいデータウィンドウをメインスクリーンに重ねた。旧連邦制式コード、失効艦章、歴史データベースの参照タグが、画面の端に次々と灯っていく。
「目標艦体、旧連邦第一世代開拓試験艦のデータとの一致率、九十一・七パーセント。登録コード――KX-03。艦名――《テキサス》」
空気までもが、一緒に沈んだような気がした。
テキサス。
その名が落ちた瞬間、私の脳裏に真っ先に浮かんだのは艦の歴史ではなく、教科書の巻末に、まるで生徒に読まれるのを恐れているかのように冷たく書かれた、あの付録の一行だった。
宇宙暦一四二年、KX-03《テキサス》、辺境跳躍試験任務中に消息を絶つ。
それだけだった。
一行。
それ以上は、一筆も足されていない。何百という命を脚注に押し込んで、そのまま本を閉じてしまったかのようだった。
「教科書に載ってた、あれ?」
蘭がぽつりと呟いた。自分でも、その問いを信じきれていないような声だった。
「そのようですね」
アイダが静かに答えた。
「歴史というものは、普通は自分から観測窓の外まで漂ってきたりしませんが。今日は例外のようです」
艦長代理は何も言わず、メインスクリーンの艦影をじっと見つめていた。真紀はすでに副長席の緊急対応手順を呼び出し、操作パネルの上で指を安定させながら、内部確認をいくつか下していた。こういう時の彼女は、いつも刃物のように速い。一分も多くなく、一分も少なくない。
「ロイ、現在の距離を維持。これ以上近づくな」
彼女は言った。
「了解」
ロイはすぐさま針路を微調整した。雪風の姿勢がわずかに変わり、メインスクリーンの中のテキサスは、より完全な角度へとゆっくり回り込んでいった。ちょうどその時、まだ大部分の形を保っている船首上部の観測窓が、双子巨星の光に正面から掃かれた。
中に、何かがあった。
反射ではない。
ひび割れの投影でもない。
席に固定された、いくつかの人型の輪郭だった。
遠く、ぼやけていて、窓面の分厚い腐食痕と結晶にほとんど隠されている。だが、はっきり見えないからこそ、余計に背筋が冷えた。その影たちはあまりにも静かに、あまりにも整然と座っていた。二百年漂流した死の船に残っているはずの姿勢ではなく、まるで時間そのものに忘れ去られたまま、今もまだ勤務を終えていない人間たちのようだった。
私は無意識に指先を固く握り込んだ。
もし、あの日『神風』が持ちこたえていなかったら。
もし、私たちの跳躍場も崩れていたら。
もし、雪風があの真っ暗な闇の底から、自力で戻ってこられなかったら――
あの窓の向こうにいるのは、私たちだったかもしれない。
「信号あり」
今度は蘭だった。
彼女はすでに通信台に身を乗り出し、ヘッドセットをきつく押さえつけていた。まるで少しでも手を緩めれば、二百年の深い底からようやく浮かび上がってきたその声が、また沈んでしまうとでもいうように。
「現役の周波数じゃありません。古い……とても古い。データベースがどうしてこんなものをまだ博物館送りにしていないのか、先に文句を言いたいくらいに」
「文句は後にしろ」
艦長代理が言った。
「文句じゃありません。専門家としての不満の表明です」
蘭は即座に言い返しながら、手はさらに速く動かしていた。
「緊急量子航行記録ボックスの残存信号を捕捉。周波数帯、旧連邦の救難規格に一致。信号は極めて微弱で、ループは欠損。内容を解読中」
艦橋が、もう一段静まり返った。
誰も彼女を急かさなかった。
こういう時、急いだところで無駄だと、全員が知っていたからだ。二百年黙り続けてきた死の船は、こちらが焦ったからといって、話を最後まで聞かせてはくれない。
まず、雑音が出てきた。
映画にあるような、情緒的な砂嵐の音ではなかった。本当に耳障りで、歯の根が浮くような、割れた電流の音だった。古い回路が真空の中で自分の骨を擦り合わせているような音。そして、今にもばらばらに崩れそうなその音の塊の中心から、乾いた、途切れ途切れの、ほとんど人の声とは思えない録音が、少しずつ引きずり出されてきた。
「……こちら……KX-03……テキ……サス……」
「……跳躍場……失調……」
「……空間が……引き伸ばされ……ナビゲーション……喪失……」
「……外に……星がない……参照物が……ない……」
「……生命維持……残り……三時間……」
「……連邦……応答せよ……」
「……私たちは……帰る道が……見つけられない……」
最後の一言が出てきた時、艦橋全体が、内側から何かに軽く叩かれたような感覚があった。
軽い。
だが、確実に骨まで届いた。
私は一瞬、うまく息ができなかった。
なぜなら、その言葉は歴史ではないからだ。
データでもない。
小説の中で雰囲気を盛り上げるために用意された、都合のいい台詞でもない。
それは、救難信号だった。
二百年前の暗闇の中で、本当に応答を待ち、本当に連邦が来てくれると信じ、生命維持が残り三時間になっても、なお家に帰ることを諦めなかった乗組員たちが、後の世代に残した最後の声だった。
ジェスが低く悪態をついた。
短く、小さく。
珍しく、誰かに向けたのではなかった。
宇宙に向けた言葉だった。
最初に沈黙を破ったのはアイダだった。
「乗艦に反対します」
彼女は言葉が落ちるのを最初から待っていたかのように、速く言い切った。
「理由は単純です。二百年経過しているからといって安全とは言えません。何が残っているか分からないというだけです。古代の封存サンプル、放射性汚染、制御を失ったナノ修復群、密閉区画内の化学残留物。どれか一つでも、後悔するのに十分すぎる」
「同意ね」
私は視線をあの船から外さないまま続けた。
「戦術的にも割に合わない。ここは原始惑星系円盤の陰影区域で、デブリ流が複雑で観測死角も多い。古い艦に近づくために針路を変えるということは、雪風を不必要なリスクの中へ自分から連れ込むことよ」
「タイミングが良すぎる」
アカリが言った。
「死の船、旧式の周波数、円盤の陰、双子星の重力井戸。どれか一つなら理屈が通る。全部揃っていると、逆に怪しい。偽装残骸、囮信号、再利用の可能性を排除できない」
「通信面でも接近は勧めません」
蘭も続いた。
「この残存信号はブラックボックスのループかもしれないし、私たちが知らない古代の応答システムにまだ繋がっているかもしれない。今あまり近づきすぎると、何らかの休眠システムを起動させてしまう可能性がある」
真紀は一度目を上げ、それぞれの意見を刀を収めるように一つずつ自分の結論に収めていった。
「提案は以下の通り」
その声は安定していた。
「乗艦せず、接舷せず、近距離の無人機も出さない。現在の安全観測距離を維持し、パッシブスキャンを実施。座標、残存信号の周波数帯、艦体の状態を記録する。本艦がより安全な通信ウィンドウに入り次第、連邦の史料庫と軍務システムへ報告する」
彼女は一瞬だけ間を置き、最後の一言を付け加えた。
「それと、《テキサス》は本質的に墓船です」
アイダは反論しなかった。
私もしなかった。
その一言が出た瞬間、前に並べた技術的・戦術的な理由が全部、一歩後ろへ下がったからだ。否定されたのではなく、正しい位置に置き直された。そうだ、危険だ。そうだ、割に合わない。そうだ、菌がいるかもしれない、罠かもしれない、古代の狂気の残滓が漂っているかもしれない。
だが、それらの前に、まずあれは墓船なのだ。
ジェスは手を上げて顔を撫で、珍しく「何か刺さることを言ってやろう」という衝動が表情から抜けていた。彼女はただ小声で言った。
「こんな言い方は文学的じゃないと思うけど……人の墓の蓋をこじ開けて歴史を確認するのは、敬意とは言わない。ただの手癖の悪さよ」
私は危うく笑いそうになった。
本当に、あと少しだった。
こんな場面でこれほど不謹慎かつ正確に核心を突ける人間が、前世は人ではなく、煽情的な空気を割るための戦術装置だったのではないかと疑いたくなる。
艦長代理がついに口を開いた。
長々とした言葉も、「これから文明を代表して一言申し上げます」という顔も、どちらもなかった。それは私が好きなところだ。本当に重みのある人間は、字数で重みを証明しようとしない。
「乗艦しない」
三言で、決定だった。
「安全距離を維持。座標、周波数帯、艦体状況、外部映像を完全に記録する。蘭、残存信号の原本を保存しろ。アカリ、相対星位と円盤上の位置を航行記録に記入しろ。アイダ、本艦の生化学・放射線指標の監視を継続しろ。ロイ、雪風を《テキサス》のデブリ軌道に入れるな」
「了解」
「承知」
「はっ」
それから艦長代理はメインスクリーンの《テキサス》を見つめ、一秒だけ黙った。
短い一秒だった。だが私にははっきりと分かった。次に彼が下すのは技術的な命令ではない、と。
「副長」
「はっ」
「全艦に通知しろ」
真紀はすぐに壁掛け通信機を取った。
私はてっきり、いつもの冷たく硬い、軍艦らしい通報口調が来ると思っていた。だが口を開いた時、その声はほんの少しだけ柔らかかった。ほんの少し。錯覚と言えるほどわずかに。だが相手が九島真紀だから、私には分かった。
「全艦注意」
彼女は言った。
「本艦は第一段超光速安定期の航道上において、旧連邦第一世代開拓試験艦KX-03《テキサス》を発見した」
艦橋の誰一人として動かなかった。
だが私には分かっていた。この瞬間、雪風の中でまだ目を覚ましているすべての人間が、私たちと同じように頭を上げているに違いない、と。
「当該艦は消息を絶った墓船と確認された。本艦は接近、乗艦、回収作業のいずれも実施しない。非当直要員は最寄りの観測舷窓または艦内観測スクリーンの前に起立せよ。当直要員は持ち場で待機」
そこで彼女の声が、もう少しだけ低くなった。
「全艦、先行者へ敬礼の準備」
私の指先が、きゅっと丸まった。
先行者。
その呼び方は、ひどいと思った。
なぜなら、二百年間漂い続けたあの死の船を、歴史の名詞から、もう一度人間に呼び戻してしまったから。
蘭が艦長代理を振り返った。
艦長代理が頷いた。
蘭は残存信号を再び呼び出し、前半の破損部分をほぼすべて取り除き、最後の一文だけを残した。余計な演出は何もなかった。そして、二百年前からの救難の声が、もう一度雪風の艦橋に流れた。
「……私たちは……帰る道が……見つけられない……」
誰も口を開かなかった。
艦橋の全員が起立していた。ロイでさえ片手だけで舵輪を押さえ、もう片方の手を上げ、きれいに前額へ敬礼した。
私も立ち上がった。
視線はメインスクリーンを越え、観測窓を越え、円盤の陰に沈む古い船の上に落ちた。《テキサス》は静かに漂っていた。半身はデブリと氷塊の暗がりに沈み、半身は双子の青い巨星の冷たい光に照らされていた。傷だらけの鈍い鋼鉄の装甲に、その光が落ちていた。
不思議なことに、海面に映る月明かりのように見えた。
おかしな話だ。
宇宙に海などない。
なのにその瞬間、私は確かに海を思った。船に乗って沖へ出て、二度と戻らなかった人たちのことを。
私は手を上げ、敬礼した。
視界の端で、真紀も立っていた。姿勢は正確で、残酷なほど正確だった。だが、彼女の指先がわずかに固く閉じているのが見えた。錯覚ではないと分かっていた。なぜなら、そういうところを見るのは私だけだし、こういう瞬間にそれを目で追ってしまうのも、やはり私だけだからだ。
……まったく。
なぜ死者へ敬意を示している最中に、私はまだ彼女のことを気にしているのか。
自分の情けなさに、本当に失望する。
もっとも、初めてのことでもないが。
まあ、いい。
三十秒の黙礼の間、雪風に余計な音は一切なかった。システムの通知音もなく、誰かが芝居がかって鼻をすする音もなく、どこかの間抜けが急に「皆さん、お疲れ様でした」などと言い出すこともなかった。ただ、艦の深部で『神風』がかすかに鳴り続けていた。ようやく安定した鼓動の打ち方を覚えた心臓のように。二百年という時間を隔てて、とっくに止まってしまったもう一つの心臓のために、黙って一拍だけ補うように。
ふと思った。帰るということは、もしかしたら航路図の上の一本の線だけではないのかもしれない、と。
それは運だ。
技術だ。
炉心を直してくれた誰かがいることだ。
地表で四・三Gに押しつぶされながら、それでも生きて戻ってきた誰かがいることだ。
艦橋で手を止めなかった誰かがいることだ。
もう少しで折れそうな時に、隣に立っていてくれた誰かがいることだ。
そして――
帰れなかった誰かがいたから、後の人間が「帰ること」の値段を知れるということだ。
敬礼が終わり、艦長代理が最初に手を下ろした。
「記録が完了し次第、元の航道に戻れ」
彼は言った。
「はっ」
ロイが応じた。
「蘭、残存信号を艦内の歴史アーカイブに封存しろ。通信ウィンドウが開いたら連邦へ報告する」
「承知」
「アカリ、目標に特別な注記を付けろ」
「注記の内容は?」
艦長代理はメインスクリーンを見たまま、平坦に答えた。
「KX-03《テキサス》、喪失墓標」
私の喉が、何かに軽く塞がれたような感覚があった。
その言葉は冷たかった。
軍の公文書のように冷たかった。
だからこそ、痛かった。
アカリは頷き、航行図に標識を打ち込んだ。星図の上に、極めて小さな白い記号が一つ浮かんだ。清潔で、正確で、ひとかけらのロマンチックさもない。まるで歴史が二百年越しに、ようやく彼女に属するべき句点を補ったかのようだった。
「針路修正完了」
ロイが言った。
雪風の艦首がわずかに向きを変え、原始惑星系円盤の陰影区域からゆっくりと離れていった。観測窓の中で《テキサス》は少しずつ遠ざかり、双子の青い巨星とデブリ帯が織りなす冷たい光の中へ、再び沈んでいった。時代にようやく見つけてもらいながら、それでも元の場所に留まることを選んだ船のように。
ジェスが席に戻る時、珍しく先に何かを言わなかった。
数秒後、彼女はごく低い声でこう言った。
「少なくとも今は、本当に誰かが答えてくれた」
私はすぐには返さなかった。
彼女が言っているのは通信のことではないと分かっていたから。
二百年前の録音のことでもない。
私たちが見た、ということだ。
覚えた、ということだ。
ただそこに浮かんでいる鉄の塊として扱わなかった、ということだ。
私はメインスクリーンの上で少しずつ小さくなっていく白い標識を見つめ、最後にごく小さく返した。
「……ええ」
それから手を戦術台に戻し、前を向いた。
第一段超光速安定期は続いていた。
双子の青い巨星はまだ遠くで燃えていた。
原始惑星系円盤はまだゆっくりと回っていた。
雪風もまだ前へ進んでいた。
ただ、この瞬間から、私はもう「帰る」という言葉を、当たり前のものとして口にすることはできなくなっていた。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




