136.帰路 1
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
艦橋の主照明がブリーフィング・モードへと落とされたとき、私の最初の感想は「やっと帰れる」ではなく――
雪風が、本当に生き残ったんだな。
というものだった。
縁起でもない思考だが、嘘偽りない本音だ。
なにせ私たちがここまで歩んできた道のりは、よく言えば茨の道、悪く言えば「この艦がいつ爆発するか」を連邦のために命懸けで検証するようなものだったからだ。
それが今や、『神風』のテスト曲線は過去の故障記録をわざと嘲笑うかのように安定し、超光速機関のシステム・シミュレーションもすべてパス。二ヶ月近く寝込んでいたエヴリンでさえ、正式に退院した。
これが奇跡でなくて何なのか。だとしたら奇跡のハードルが高すぎる。
私は自分の席に座り、端末パネルを少し前へ押しやった。メインスクリーンでは航路図が少しずつ展開されている。私たちがこの数ヶ月で流してきた血と汗を、冷たい数本の白線に圧縮したような図だ。
艦橋は静かだった。あのハーヴィーでさえ黙っているほどに。そのこと自体がすでに医学的奇跡を構成するに足る。
前方に立つ艦長代理は、白い軍服をいまいましいほど隙なく着こなしていた。ことさら威ぶっているわけではない。ただ、彼がそこに立っているだけで、「全員、姿勢を正せ」という完璧な命令文として成立してしまうのだ。天性の指揮官というやつだ。沈黙すら口令になる。あいにく、艦長代理はそういう種類の人間だった。
「諸君」
その声が落ちると、艦橋に残っていた微かなざわめきも完全に消え去った。
「『神風』の低・中・高負荷テストは完了。超光速機関のシステム・シミュレーションもパスした。雪風が損傷を受けて以来、初めて点対点跳躍を実際の航程に組み込める条件が整った」
彼は一秒だけ、間を置いた。
そのたった一秒で、艦橋全体の呼吸が押さえつけられたかのようだった。
誰かが、ごく細く息を吐く音が聞こえた。私自身だったかもしれない。
なぜなら、この言葉の本当に恐ろしいところは――それが「もしかしたら」ではないことだ。
「将来的に可能かもしれない」でもない。
「いつか直ったら」でもない。
今、なのだ。
今、私たちはついに「帰還」という言葉を、スローガンから計画へと格上げできる。
スクリーンの航線が前方へと伸びる。アカリが一連のマーカーを打ち込んでいく。青、白、赤。教科書のように正確で無駄がない。まずは通常航行で現在の重力干渉宙域を離脱し、安全ベクトルに沿って距離を稼ぐ。二度の姿勢制御を経て、指定ウィンドウで雪風就役以来初となる、正式な点対点跳躍を行う。
演習ではない。机上の空論でも、シミュレーションでもない。
本当に、跳ぶのだ。
「第一航程は通常機関が担当する」
艦長代理が言った。
「第二航程より、『神風』は安定供給モードへと移行。ヴィクトル」
輪機室の投影ウィンドウが点灯した。ヴィクトルの顔は相変わらず、全世界と喧嘩してきた直後のような、職業倫理に満ちたしかめっ面だった。
「『神風』は動く」
彼は言った。
「ただし、点火後五分以内に規格外の負荷をかけるような、頭の湧いた真似を誰も引かなければな。こいつは正常な状態に戻っただけであって、お前らの健気さに感動して神に昇格したわけじゃない」
「聞こえたか?」
ハーヴィーがすかさず、隣のサブウィンドウから口を挟んだ。
「翻訳すると、『調子はいいが、余計な真似はするな』だ」
ヴィクトルは彼を一瞥だにしなかった。
「誤訳だ」
冷たく言い放つ。
「正確には、『お前が、余計な真似をするな』だ」
艦橋のどこかで、低く押し殺したような笑い声が漏れた。
私も堪えきれず、少しだけ口角を上げてしまった。
微妙な笑いだった。本当に面白いからではなく、皆が気づいていたのだ。自分たちが、あまりにも長い間張り詰めすぎていたことに。今にも切れそうなその糸を、誰かが冗談という刃で軽く撫でてくれさえすれば、感情は勝手に少しだけ緩む。
ハーヴィーはその点において、自己犠牲の精神に富んでいた。誰も頼んでいないのに、その口の減らなさで自らを供物として捧げてくれる。
「それに」
医療席のアイダが淡々と補足した。
「エヴリンの退院手続きも完了しています。現在もリハビリ中につき艦橋でのシフト復帰はしませんが、二級システムからの遠隔モニターは可能です」
別の小ウィンドウが開き、医療区のリカバリーチェアに座るエヴリンが映った。顔色はまだ白く、肩には保温ブランケットを羽織っていたが、彼女はこちらに向かって手を振った。
「悪いわね」
彼女は言った。
「今の私、病院から返品された高価な精密部品みたいでしょう」
「違うわね」
ジェスが即座に返す。
「高価な精密部品ならせめて保証書がついてくるけど、あんたにあるのは医者の診断書だけよ」
「おまけに過熱禁止、過負荷禁止、無断接続禁止のおまけ付きだ」
私もついでに口を挟んだ。
エヴリンは私たちを見て、ふっと笑った。
その瞬間、私は唐突に理解した。「生きて帰ってきた人間がいる」という事実は、本当にこの艦に明かりを灯すのだと。
艦長代理はその短い弛緩を遮ることなく、空気が通り抜けるのを待ってから、再び会議を本題へと引き戻した。
「航程のスケジュールは以下の通り。今夜中に最終調整を完了し、明日の第一直で現在の軌道宙域を離脱する。『神風』の出力と超光速機関の同調率が基準値以上を維持できれば、第三日目に点対点跳躍を帰還の第一航程として正式に組み込む」
第三日目。
その言葉は、どんな軍令よりも軍令らしくなく私の耳に響いた。
果てしなく長い夜の底で、ようやく誰かが教えてくれたような感覚。「夜が明けないわけじゃない、ただ少し遅れているだけだ」と。
私はうつむき、自分の端末を見た。航道パラメータが次々とスクロールしていく。だが、指先は少し痺れていた。恐怖でも、興奮でもない。もっと厄介な感情だ。
ずっと歯を食いしばって耐えてきた人間が、突然「もうそんなに力まなくていい」と告げられたような。結果として、最初の反応が安堵ではなく、その抜けた力をどこへやればいいのか分からないという戸惑い。
……情けない。
「星野」
「はっ」
顔を上げると、艦長代理がこちらを見ていた。
「跳躍ウィンドウ突入前の重力残響予測は、貴官が統括しろ。九島が補佐につく。ジェスは通信干渉の修正、アカリは姿勢制御の連動チェック。私が必要としているのは見栄えの良い報告書ではない。この艦を定刻通りに、生きて通過させるための解答だ」
「了解」
「それから」
彼は一拍置き、口調は変えずに、しかしどういうわけか公務とは違う響きを込めて言った。
「初めて点対点跳躍を実際の航程に組み込んだからといって、すでに家に着いたわけではない。浮かれるには早すぎる」
ジェスが私の隣で小さく鼻を鳴らした。
「ほらね」
彼女は近くの数人にしか聞こえない声量で言った。
「うちの艦長代理にかかれば、士気高揚の言葉すら事前の事故報告書みたいに聞こえるわ」
私は顔に出さないよう必死に笑いを堪えた。
会議の最後、艦長代理は航線の縮小図をメインスクリーンに残した。その線は現在地から真っ直ぐに伸びている。細く、白く、理不尽なほど真っ直ぐに。以前は航路図を見るたび、距離、消耗、補給、そして「死ななければ儲けもの」としか思えなかった。だが今回は違う。
その線が初めて、一つの「答え」のように見えたからだ。
散会時、艦橋に歓声は上がらなかった。各席が再び動き出す音、端末パネルを仕舞う音、椅子のキャスターが滑る音。そして、全員が必死に「自分は平常心だ」と装う音だけが響いていた。
いかにも雪風らしい。
私たちは、抱き合って大泣きするようなクルーではない。感動するかどうかを決める前に、まずデータのバックアップが取れているかを確認するような連中なのだ。
私が立ち上がったとき、ちょうど反対側から真紀が歩いてきた。彼女の右脚外側には今日も減圧サポート帯が巻かれており、歩き方に異常はほとんど見られなかった。だが、それが彼女の「平気なふり」の技術によるものだと私は知っている。腹立たしいほど見事なのだ。彼女はいつも「私は平気だ」という事実を、他人に呑み込ませる命令のように提示してくる。
彼女は私の隣で立ち止まり、私の端末パネルを一瞥した。
「さっき記録していたとき、第三ウィンドウのパラメータが逆になっていた」
私は硬直した。
「……直したわよ」
「知ってる」
彼女は言った。
「なら言うな」
「あんたのさっきの顔が、端末を食いちぎりそうだったから」
私は彼女を睨みつけた。彼女の顔に笑みはなかったが、瞳の奥にほんの少しだけ、ごく薄い何かが浮かんでいた。揶揄でも、単なる心配でもない。いつも刃の峰を外に向けていた人間が、ついにその不器用さを悟り、一センチだけ刃を引っ込めたような。
希少だ。
希少すぎて、とっさにどう言い返せばいいのか分からなかった。
結局、私はこう返すしかなかった。
「もし本当に食いちぎったら、ヴィクトルが私を解体して、腹の中に艦の備品がないか確認するでしょうね」
真紀は一拍置き、低く笑い声を漏らした。ごく小さな音。不注意で自分の中身を少しだけこぼしてしまったような。
正直言って、点対点跳躍が実際の航程に組み込まれることよりも希少な光景だった。
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