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臨界の星穹  作者: Mr.佐藤焫焵
臨界の星穹:ロスト
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120. 複雑な心境 2

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。

何か言うべきだとは分かっていた。 問題は、こういう時に何を言っても、たいていは無駄だということだ。


「真紀」


彼女は答えなかった。


私は副制御板から手を離し、少し前へ伸ばして、操縦桿の傍らに置かれた彼女の左手首に触れた。フライトグローブ越しに、艙内の薄暗い灯りの中で、その動作は非常に軽かった。ただ、彼女がまだそこにいるかどうかを確かめるような軽さだった。だが実際に触れると、彼女が少し冷えていることに気づいた。


「見ていて」私は低く言った。「今は他のことを考えないで」


彼女は黙っていた。


私は続けた。 「あなたのせいじゃない。それに、今あなた一人で処理できることでもない」


彼女はやはり振り返らなかった。 「分かってる」と彼女は言った。


語気は相変わらず安定していた。 だが私はその三文字の中に聞き取った――彼女は今、全力の理性で、あの商船を家紋ごと吹き飛ばしたいという衝動を、死力で押さえ込んでいる。当然だ。私だったら、とっくに口から出ていたかもしれない。それでも彼女は今なお景雲を外科用メスのように飛ばし続けている。これはもう冷静などという話ではない。修行の域だ。


外では、帝国の巡邏艇の一隻がキャプテン・ハックの後方側面まで迫り、残りの二隻が猟犬のように左右から航路を挟み込んでいた。キャプテン・ハックはさらに追い詰められ、外付けのコンテナをもう二個投棄し、推進器を焚き上げた。金を捨てても、自分は捨てたくないという意志が透けて見えた。


私はレンズを商船側へ切り替えた。 「交渉が始まりそう」 「撮って」


真紀はたった一言だけ返した。


だから私たちは、最もプロフェッショナルで、最も品のない深宇宙の覗き魔として、混乱に乗じてデブリ帯の影に貼りつき、帝国軍と九島商船の相対姿勢、信号灯の応答、係留口の開口角度、艙外の武装カバーが半開きになっていないかまで、一フレームずつ記録し続けた。


撮れば撮るほど、不気味さが増した。


あの商船は、あまりにも手慣れていた。 自分をどう洗い流すかをよく知っていた。帝国軍が何を見たがっているかをよく知っていた。どんな協力の姿勢を見せれば、「疑わしい対象」から「協力的な守法民間船」へと素早く格上げされるかをよく知っていた。


これは初めて悪事を働く者の振る舞いではない。 悪事を長く続けながら、それを手順として包装することを覚えた者の振る舞いだ。


録画を続けながら、前席からごく軽い息の音が聞こえた。 溜め息ではない。 歯の隙間から漏れ出した疲労のような音だった。


「真紀?」 「……何でもない」 「あなたがそう言う時は、たいてい大事なのよ」


今度は答えが返ってこなかった。


私は彼女の横顔を見た。景雲の艙内灯は暗く、前席の顎から首筋の線がその暗さの中にくっきりと浮かび上がっていた。冷たい金属で彫ったような輪郭だ。だがそれほど冷たい人間が、今この瞬間、肩と背に、ごく細く、ごく短い弛みを見せていた。ずっと張り続けていた何かの弦を、誰かに初めて見られたような弛みだった。


私はほとんど考えずに、シートベルトの片側を緩め、半寸だけ前へ身を乗り出した。


景雲の複座はもともと狭い。 狭すぎて、呼吸すら共有財産のようなものだ。 だから私が後ろから近づいた瞬間、真紀はすぐに気づいた。


「シモ、あなた――」


彼女の言葉は終わらなかった。 私がもう一方の手で彼女の肩に触れたからだ。


特別に巧みな慰め方でもなければ、ロマンチックでもない。正直に言えば、こんな局面でロマンを求めるのは、宇宙線で脳を焼かれた証拠だ。ただ、今触れなければ、彼女は自分を張り詰めすぎて、見ているこちらの肩まで痛くなりそうだった。


「まず生きていて」私は言った。


彼女はようやく、少しだけ頭を傾けた。


私たちは近かった。 彼女の睫毛が薄明かりの中に落とす影が見えるほどに。その目の奥の平静の下で、本当に揺れているものが見えるほどに。それは涙でも脆さでもなかった。真紀という人間は、本当に血が出ても、まず血の落ちた位置が整っていないことを嫌がりそうな人間だ。


それはむしろ、何かに突き崩された失衡だった。家族がきれいではないと、彼女はとっくに知っていたはずだ。だが「知っている」と「自分の目で見る」の間には、やはり埋めようのない距離がある。


彼女は私を見た。 私も彼女を見た。


外では帝国軍が包囲し、海賊が荷を投棄し、九島商船が無実を演じている。内側には改修強偵察機が一機、自分を張り裂けるほど張り詰めた女が一人、そして自分もひどく乱れているくせに、どうにかなるふりをしようとしている私が一人。


今から思えば、あの瞬間に私たちが唇を重ねることになったのは、どちらも完全に無実とは言えない。


近すぎたせいかもしれない。 外が騒がしいのに、艙内だけが静かすぎたせいかもしれない。 あるいは、圧力がある限界まで達した時、人は本能的に目の前の相手が本物で、温かく、生きていることを確かめたくなるのかもしれない。映像でも、データでも、次の瞬間に自分の眼前で爆発する標的でもなく。


いずれにせよ、真紀が先に動いた。 あるいは、私が先に動いた。 正直なところ、私には分からない。


ただ、私たちは、あの馬鹿みたいに狭い艙内空間で、唇を重ねた。


ジェスの、犯行のように速く、鋭く、的確な奇襲とは違う。 星海の中で優雅に堕ちていくような、恋愛教材に書けそうな夢幻の場面とも違う。 それは短く、失衡していて、ほとんど衝突するような感触のある口づけだった。二人とも我慢することには長けているはずなのに、同じ瞬間に、自分がどれほど我慢できるかを忘れた。そういう口づけだった。


私の心臓は、その場で乱れに乱れた。


そして、さらに最悪のことが起きた。


真紀の吐息が押し寄せ、鼻先が触れ、その口づけがもう少しだけ深い位置へと滑ろうとした瞬間――私の頭の中に、極めて廉恥のないタイミングで、ジェスが閃いた。


完全な映像ではない。 ただの一瞬だ。 神経が短絡して、以前の記憶が今この瞬間に誤接続されたように、何か恥ずかしいスイッチが突然点灯したような、そういう一瞬だった。


私の全身が、固まった。 退いたのではない。 まず、固まった。


その一瞬、私には自分が今、真紀と口づけをしているのか、それとも自分の脳内で公開処刑されているのかの区別がつかなかった。羞恥が速く、重く、あまりに重くて、コクピットのキャノピーを開けて自分から飛び出し、宇宙真空に蒸発させてもらいたいと本気で思った。


私は一体何をやっているのか。 相手が誰で、場所がどこで、外で今何が起きているか、全部分かっている。 それなのに、よりによってこのタイミングで、あの忌々しい、泥棒みたいなジェスの「友情のキス」が頭に閃くとは。


あまりにも恥ずかしすぎる。 自分で自分を殴りたかった。


私は無意識に、半寸だけ後ろへ引いた。 本当に小さな動作だ。 気づかれないはずの、小さな動作だ。


だが、真紀は誰だ。 後席で私が自分の唇を見つめてぼんやりしているのさえ見抜く人間が、この半寸の躊躇いを見逃すわけがない。


彼女の睫毛が一度震え、そして私から離れた。


追及しなかった。 眉をひそめなかった。 「今、誰を考えていたの」という、恐ろしい質問もしなかった。


ただ、一度だけ私を見た。 短く、静かな一瞥だった。私の異変をすでに目に収めながら、今はそれを解体しないことを選んでいる、そういう静けさだった。次の瞬間、何事もなかったかのように手を操縦桿へ戻し、視線を前方へ向けた。


「疲れてるのよ、あなたは」


それだけだった。


私は口を開いたが、何も出てこなかった。


客観的に言えば、彼女の判断は間違っていない。睡眠不足、長時間の高ストレス、連続した尾行、感情の過負荷――どれ一つ取っても、脳を短絡させるには十分だ。私の異常を疲労のせいにしてくれたのは、最も体裁が立つ、最も優しい処理だった。


だからこそ、余計に額を計器盤に叩きつけたくなった。


これは優しさではない。 公然と、私に一つの命を残してくれているのだ。


「……ええ」私はようやくそれだけ絞り出した。


彼女を見る勇気がなかった。


幸い、宇宙は忙しく、私が狭いコクピットの中で自滅していく全過程を鑑賞する暇はなかった。外の状況はまだ転がり続けていた。一秒でも遅れれば、次に不運を引くのは自分だと全員が恐れているように、速く。


九島商船はすでに姿勢の切り替えを完了し、あの吐き気のするほど清潔な協力モードを掲げながら、帝国の巡邏艇の側面をゆっくりと離れていった。勝利の撤退ではなく、慌てた逃走でもなく、もっと嫌な、しっぽを巻きながらも体裁だけは保とうとする去り方だった。


同僚を盾にして、袖口を整えてから去る者の去り方だ。


私はその最後の航跡と、帝国軍との相対位置を撮り、保存し、標記した。 「商船が離脱した」私は言った。 「ええ」 「随分きれいに逃げたわね」 「今だけよ」


真紀の語気はすでに平静を取り戻していた。 さっきの短い失制など、最初からなかったかのように。それが余計に、振り返る気を失わせた。


前方のキャプテン・ハックは、そうはいかなかった。


三隻の帝国軽型巡邏艇が彼を完全に包囲した。一前、両側、教科書の図解のような挟撃角度だ。あの老狐がどれほど逃げ足が速くても、同時に締まる三本の鋏からは逃げられない。彼の船は針路を何度も修正し、尾部噴流はどんどん明るくなっていく。どれだけ荷を捨て、どれだけ外付けモジュールを切り離せば、帝国軍の歯の間を抜けられるか、必死に計算しているのだろう。


画面を見つめながら、私の心に、ひどく場違いな感想が浮かんだ。 ――因果応報とは、来るのが早い。


もっとも、その小さな喜びも長くは続かなかった。 キャプテン・ハックの手元には、まだあの九島重工のヘリウム・水素駆動炉がある可能性が高い。私たちが欲しいもの、そして帝国軍の手に渡るべきでないものが。もし帝国軍が今すぐ彼を船ごと拿捕すれば、後の話はずっとこじれる。


「アッシュから更新は?」 「まだ」私は通信スロットを一瞥した。「雪風は出港ウインドウに入ってるはず」 「なら、先に見ていましょう」


真紀は静かに言った。 だが私には分かっていた。この静けさが一番消耗する。先に見るとは、先に耐えるということだからだ。


だから私たちは耐えた。 近づきすぎないように耐えた。 手を出さないように耐えた。 あの口づけが静電気のように皮膚に残っているという錯覚に耐えた。 そして、頭の中に残るあの忌々しいジェスの残像に耐えた。


宇宙は広い。 なのに私の頭は小さく、羞恥と戦術と女のことを順番に詰め込むのがやっとだった。 人類文明の無駄遣いも、甚だしい。


「シモ」 「……なに?」 「集中して」 「集中してる」 「さっきの間の取り方が、そう見えなかった」 「あれは戦術的な間よ」 「そんなわけない」


彼女の返しは淡かったが、語尾が本当に冷えきってはいなかった。 私はふと、真紀も何かに気づいていないわけではないのだろうと思った。ただ彼女は、その件を「生きて帰ってから処理する」という引き出しに入れて、とりあえず鍵をかけたのだ。彼女らしいし、恐ろしくもある。帳尻は消えない。ただ、決済が後回しになるだけだ。


前方で、キャプテン・ハックはついに袋小路へ追い込まれた。


三隻の帝国巡邏艇の包囲が、危険なほど縮まった。訓練された猟犬が三頭、傷ついた老狼をデブリ帯と火力線の間に追い詰めているようだった。キャプテン・ハックの船腹には、まだ切り離せていない外付けモジュールが二個残っていて、探照ビームの縁でぶら下がっているのが見えた。


彼が今、船橋でどれほど汚い言葉を吐いているか、容易に想像できた。


そして、その瞬間――


一条の光が、宇宙を引き裂いた。


帝国巡邏艇の制式砲火ではない。 キャプテン・ハックの船が放てるものでもない。 それは、そこには何も存在しないはずの方向から横切ってきた、鋭く、正確で、過剰なほど澄んだ直射砲光だった。まるで誰かが光そのものを刃として使い、深宇宙の幕を一直線に切り裂いたように。


次の瞬間、キャプテン・ハックの左側を挟んでいた帝国巡邏艇の一隻が、その場で爆発した。


息を吸う暇もなかった。 閃光が先に来て、残骸が後から散った。半截の艦体が、巨人の指でつぶされた玩具のように、炎と金属の破片を撒き散らしながら、音のない宇宙の中で四散していった。


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