110. 限界 3
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
深く息を吸った。そして即座に後悔した。
艦橋の空気は、深呼吸に使うものではなかった。焦げた回路の匂い、冷却液の匂い、血の匂い、大型金属が過度な暴力を受けた後だけに漂う、乾いて硬い匂い——それが全部まとめて肺に入ってきた。事故現場から削り取った鉄屑を一塊、丸ごと飲み込んだような感覚だった。
私は艦橋の中央に立っていた。周囲は半死半生の明滅に包まれている。
ジェスはまだ泣いていた。
普通の悲しみじゃない。泣いても絵になる少女漫画的な泣き方でもない。精神が先に跳躍宙域へ放り出されて、肉体が半拍遅れてついてきた、そういう種類の泣き方だった。泣きながら自分を縮めようとしていて、雷に打たれた後もまだ戦闘報告書を書かされている新兵のようだった。
一瞥して、近づかなかった。
薄情なわけじゃない。今ここで歩み寄って肩を叩いたら、次の瞬間、私自身も一緒に床に座り込んで泣きたくなる。
その絵面は見苦しすぎる。そして今この艦には、情緒崩壊した士官を二人同時に処理する余剰人員がいない。
だから視線を強引に引き剥がし、艦橋中央制御核心を見上げた。
「コンピュータ、本艦の損害を評価してくれ」
本当はアイダに頼もうとしていた。
だが振り向いてアイダと蘭を見た瞬間——死の回転ドラムから放り出されたばかりで、魂がまだ中に引っかかっている二人の顔を見た瞬間——どうにも口が開かなかった。
「損害評価」と頼んだら、二人が自分たちも損害項目に含めて、非常に専門的な口調でこう答えそうだった——本艦の損失は、尊厳の三分の一、平衡感覚の五分の一、そして今夜まともに眠れる見込みの全部です、と。
艦内AIの、永遠に落ち着きすぎている声がすぐに響いた。
「全艦、正常。一部密封区画に漏洩あり。船体構造に損傷なし」
一瞬、固まった。
「……これが正常?」
「はい」AIは一切の羞恥心なく答えた。「雪風の基準では、今回の状況は許容範囲内です」
雪風の耐久性を称えるべきか、「許容範囲内」という五文字を通報すべきか、しばらく判断がつかなかった。
「機関は?」
「機関部にお問い合わせください」
眉をひそめた。
「神風の状態は?」
「機関部にお問い合わせください」
二秒、沈黙した。
「主推進は?」
「機関部にお問い合わせください」
……上出来だ。
三回訊いて、三回「機関部に聞け」と返ってきた。
今や艦のAIまで責任転嫁を覚えたのか。雪風とは一体どんな教育環境で、人工知能まで「それは私の管轄外です」という古参の顔になるのか。
主コンソール上で跳ね続ける赤い文字をしばらく眺めてから、諦めて内線を掴み、機関部へ繋いだ。
画面が点くと、ヴィクトルの、存在感の強い顎髭の顔が即座に映し出された。酒を飲んだばかりだが、まだ何とか立っていられる壁のような顔だった。
私を見た瞬間、眉が動いた。
「……なんでお前なんだ」ヴィクトルが眉をひそめた。「飛田はどうした」
「負傷しました。医務室へ搬送済みです」
ヴィクトルの表情に大きな変化はなかった。ただ、少しだけ不機嫌が増した程度だ。こういう人間は扱いやすい。感情の振れ幅が小さいから、読み取るのに労力がいらない。欠点は、艦長を心配しているのか、単に面倒だと思っているだけなのか、永遠に判別がつかないことだ。
「用件は」
「ああ」喉の奥に引っかかっていた乾いた塊を、無理やり飲み込んだ。「機関の状態を知りたい。それと六式の状態も」
ヴィクトルの返答は早かった。
「神風は死んだ。当分使えん」
「……直せますか」
「直せるさ」彼は当然のように言った。「修理基地があればな」
危うく笑いそうになった。
その慰めの効果は、重傷患者に医者が「安心しろ、大きな病院に戻れば手術できる」と告げるのと、ほぼ同じレベルだ。
ありがとうな、ヴィクトル少佐。本当に励みになる。今唯一の問題は、その「修理基地」とやらを拝める機会が、私たちにあるかどうかという点だ。
「今の最高速は」訊いた。
「せいぜい亜光速だ」ヴィクトルが言った。「もう一度跳べるとは思うな。少なくとも当分は無理だ」
上出来だ。
実に、上出来だ。
帝国軍の背後から思い切り一太刀叩き込み、全速・半速・停止しかない骨董エンジンで辛うじて逃げ延びた戦艦が、今度は一番の命綱だった跳躍能力を失い、最高速は亜光速止まり。
最近、航行安全を司る神様の機嫌を、どこかで損ねたのではないか。本気でそう思い始めた。
通信が切れた後、ゆっくりと顔を上げ、メインディスプレイを見た。
赤い文字の列が、まだ点滅している。
【測位不能】
【未知空間】
その二行を、長いこと見つめた。
耳元で散発的に響く泣き声、呻き声、医療班が撤収していく足音、機器が再起動するノイズ——それらすべてが、一枚膜を隔てたように遠のいていくと感じるほど、長く。
未知空間。
実に見事な四文字だ。
この言葉の恐ろしいところは、すぐに行動を起こせるほど具体的ではなく、それでいて脳内で自動的に百通りの死に方を生成させるには十分すぎるほど絶望的だという点にある。
自分がどこにいるのか分からない。パイク六号星からどれだけ離れているのか分からない。帝国軍が追って跳躍してきているかどうかも分からない。目の前の静けさが安全を意味するのか、それとももっと大きな災厄の前の、ほんの三十秒の空白にすぎないのかも分からない。
急に、誰かを罵りたくなった。
帝国軍にじゃない。
飛田にでもない。
神風という立派な名前を持ちながら、操作方法が壊れた扇風機と大差ない、あの六式エンジンにでもない。
自分自身にだ。
なぜなら私は今、どこへ跳んだのかも分からない艦の中に立っていて、目の前では赤い文字が点滅し続けるメインコンソールがあり、傍らには艦橋要員の半数が負傷して倒れていて、そして、この艦の当面の最高指揮権が、よりによって私の手に落ちてきているからだ。
私が?
星野 シモが?
数時間前まで「帝国軍を殺すことにもKPIがあるのか」などと考えていた、この私が?
神様が本当に見ているのなら、その喜劇のセンスは相当低俗だ。
視線を落とすと、艦長席が目の前にあった。
そこは、空いていた。
飛田が搬送された後、誰が座っても自動的に命令口調が育ちそうだったあの椅子は、今は艦橋の中央にひっそりと残されていた。ひどく不吉な招待状のように。
私はそこに立ったまま、動かなかった。
正直に言えば、一瞬、本当に座りたくなかった。
謙遜からじゃない。
中二病が突然治ったわけでもない。
一度座ってしまえば、「ちょっと代わりに座るだけ」で済む話ではなくなる。それがよく分かっていたからだ。あの椅子は家具じゃない。責任の形をしている。座るということは、この先この艦が生き残れば自分の責任、しくじれば自分の責任だと、認めることに等しい。
そして私は今、正直に言って、死ぬほど怖かった。
抽象的な怖さじゃない。
とても具体的な怖さだ。
次の命令が間違っているかもしれないという怖さ。
見落とした警告があるかもしれないという怖さ。
踏ん張っているつもりで、実は艦ごと引きずり込んでいるだけかもしれないという怖さ。
真紀が目を覚ました時、最初に見るのが、私が雪風を連邦軍の事故教材に変えた後の光景かもしれないという怖さ。
真紀のことを考えた瞬間、無意識に、医療班が撤収していった方向へ視線を向けていた。
顔中血だらけで、ドアの脇に倒れていたあの姿が、まだ目の前にこびりついている。
普段はあんなに冷たくて、あんなに整っていて、眉をひそめることさえ表情の無駄遣いだと言いたげな顔が、あの時はぴくりとも動かず横たわっていて、額から流れた血で、彼女自身にも見えないくらいになっていた。あの光景はひどく嫌だった。嫌すぎて、まともに考えることもできず、頭の中の「今は開けるな」と書かれた引き出しへ、無理やり押し込むしかなかった。
ジェスはまだしゃくり上げている。
視界の端でそれを捉えながら、ふと、ひどく荒唐無稽な感覚に襲われた。
この艦の人間は——一人は泣き崩れ、一人は昏睡し、一人は貫かれて医務室送りになり、一人は機関部で酒を飲んでいて、AIに何を訊いても「機関部に訊け」しか返ってこない。残りの何人かは今にもバラバラになりそうか、魂がまだ半分しか戻っていない。
その結果、最後に艦長席へ押し上げられたのが、私だというのか。
これはもう、運命の悪戯などというレベルじゃない。
運命が酔っ払って、人事表でくじ引きをした結果だ。
私はそこに立ったまま、ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
崩れるわけにはいかない。
少なくとも、今は。
吐きたい、悪態をつきたい、逃げたい、この椅子を自分よりまともな軍人らしい誰かに押しつけたい——そういうのは、全部後回しでいい。今は駄目だ。今ここで私が先に崩れれば、雪風は本当に、まだ死にきっていないだけの鉄の箱になる。
艦長席の肘掛けに、手を置いた。
冷たかった。
金属は、直前まで座っていた人間が担架で運ばれていったことも、次に座る人間が本当にその席にふさわしいかどうかも、まるで気にしていない。ただ、極めて正直に教えてくる。席は席だ。座ろうと座るまいと、艦は待ってくれない。
だから、私は座った。
その瞬間、心臓が重く一つ、跳ねた。
王者の覚醒でも、「よし、これから私が皆を守る」というオープニングナレーションに使えそうな格好良さでもない。「クソ、本当に座ってしまった」という、恐怖そのものの実感だった。崖だと分かっていても、それでも足を踏み出さなければならない、そういう感覚に近かった。
顔を上げ、艦橋を見渡した。
ジェスの泣き声は、少し小さくなっていた。
アイダと蘭は顔色が悪いが、少なくとも座っていられる。
ロイは床から身を起こしたばかりで、人生に三回くらい蹴り飛ばされた後のような顔をしている。
アカリは相変わらず、眠いのか死神に会ってきたばかりなのか、判別のつかない顔だ。
全員が、私を見ていた。
この感覚は最悪だった。
彼らが私を信じているとは限らないからだ。今、ほかに見る相手がいないだけだ。
だからこそ、なおさら負けられない。
喉の奥の乾いたものを飲み込み、この椅子に座る資格があるように聞こえることを願って、声を出した。
「コンピュータ、現在の艦位、使用可能な推進、武器の状態、生命維持の状況を整理してくれ」一拍置いて、付け加えた。「人間に分かる言い方でな」
AIは相変わらず、死活を意に介さなかった。
「了解しました、星野 シモ中尉」
前方に広がる、まだ点滅を続ける未知空間のレイヤーを見つめながら、肘掛けの上の指先に、ゆっくりと力がこもっていく。
怖さはまだある。
疑いもまだある。
真紀は目を覚ましていない。飛田の生死も分からない。帝国軍はどこかで、まだ刃を研いでいるかもしれない。ジェスはまだ泣いている。そして私とこの椅子の適合度は、野良猫と高級レストランのテーブルマナーの適合度と、たぶんそう変わらない。
だが、仕方がない。
真紀が目を覚ますまで、アッシュが起き上がってくるまで、この艦が自分の落ちた場所を突き止めるまで——
私は、持ちこたえているふりを続けなければならない。
なぜなら、指揮官というものは、結局のところ、艦の中で一番最後に崩れる人間にすぎないのだから。
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