09. 痛覚耐性訓練 5
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
訓練が始まって、すぐに悟った。
昨日の薬物テストなんて、前菜にもなっていなかった。
今日からが本番だ。
右前腕に三枚のパッチを貼られ、博士が刺激モジュールの出力を調整する。ディスプレイには一本の白いライン、その下には一から十までの目盛り。
「疼痛レベルの主観スケールだ」博士が説明する。「一は軽度の不快感、十は機能喪失直前」
「痛みまで点数制ですか」
「管理しなければ、どうやって運用するんですか」
「……連邦って、本当に何でもエクセルにするのが好きですね」
一回目の刺激が入ったとき、指がぴくっと跳ねた。
強めの静電気に噛まれた、くらい。大したことはない。
「三」と告げる。
「早すぎる」博士は一度スイッチを切る。「もう一度。同じ刺激で、皮膚か、筋肉か、浅層神経か、どこが反応しているのかを区別しろ」
じっと睨む。
「普通の教師は、生徒に『痛みの読書感想文』なんて求めませんよ」
「君は生徒じゃない」彼は言う。「実戦配備演習への投入が決まっている要員だ」
二回目の刺激は、さっきよりずっと深く刺さってきた。
痛みが表面で跳ねて終わるんじゃなく、筋肉そのものにねじ込まれてくる感じ。細い熱い針金を差し込まれて、そのまま筋繊維に沿ってぐりっとひと撫でされたような。肩が一気にこわばり、奥歯に力が入る。
「……四。筋肉層。局所収縮、肘の内側方向に伝導」
「いい」
三回目、博士は出力を二目盛り上げた。
悪態をつく暇もなく、スイッチが入る。
今度は腕全体が跳ね上がった。指は勝手に丸まり、前腕から肩の窪みまで、ビリビリとした灼けるような痛みが一気に走る。電気の通った鉄釘を何本も打ち込まれて、その上から適当にハンマーで叩きならされたような感覚。
息を呑んで、危うく声に出して罵るところだった。
「七……くそ……これは七……」
「罵倒は判読には含まれない」博士が冷静に指摘する。
「じゃああんたが代わりに痛がってみなよ!」
「その感覚なら熟知している」
……何したら自分の痛覚にそこまで詳しくなれるんだ、この老狂人は。
レオンは相変わらず後方で口を挟まない。たまにデータを見て、次に私を見るだけだ。
その視線が、気に食わない。
心配でもなければ、野次馬根性でもない。
どちらかと言えば、「この兵器は、次の段階まで持つかどうか」——そんな冷静な査定に近い。
そういう目で見られるのは、心底嫌いだ。
だから四ラウンド目からは、あえて背筋を伸ばし、顎も少し上げて、「全然平気ですけど?」と言わんばかりの死んだ顔を作って座った。
博士は、そこを狙うように刺激部位を側腹に変えた。
パッチを貼られたときは、「ああ、場所替えね」くらいに思っていた。
スイッチが入るまでは。
「っ……!」
普通の痛みじゃない。
側腹なんて、もともと人間の尊厳が行方不明になりやすい場所だ。神経は密で、筋肉は薄く、そのくせ呼吸器官と直結している。そこに電流が噛みついてきた瞬間、肋骨の下から手を突っ込まれて、内臓をまとめて横にねじられたみたいな感覚が走る。本能的に身体を折り曲げようとしたが、固定ベルトに阻まれて、その場で震えるしかない。
「八」博士は機械的に記録した。
視界が一瞬真っ白になる。
「あれで……八、ですか……?」
「まだ完全な文章で話せている。なら十ではない」
吐血ものの科学的説明とは、このことだ。
五ラウンド目にもなると、額に汗が滲み始めていた。
暑さのせいじゃない。
身体のほうが、今自分が「悪意のある教育」を受けていると悟って、自動的に作動させた降伏プログラムだ。残念ながら、頭のほうがその何倍も意地っ張りなので、「助けて」と言いかけた瞬間に、そのプログラムを自分で蹴り倒す。
ここでみっともなくなるのは許さない。
特に、この二人の前でだけは、絶対に。
息を整え、ディスプレイの白線に視線を固定する。注意をひたすら、数字へと叩き込む。
識別。
位置。
方向。
深さ。
博士の言うとおり——耐えるんじゃなくて、読み解く。
……いや、それでも、やっぱりこの理屈は頭おかしいと思う。
「いい傾向だ」博士がデータを見て言う。「リズムを掴み始めている」
レオンが、ようやく口を開いた。
「だが、無理をしている」
思わず睨みつける。
「してません」
レオンは、私のほうを見もしない。データパッドだけを見つめたまま続ける。
「呼吸が乱れている。肩と首に代償が出すぎだ。眼球のフォーカスも散ってきている。姿勢で持ちこたえようとして、却って意識の消耗が早い」
データパッドを奪い取って、その顔面にたたきつけたくなる衝動が一瞬で湧き上がる。
この男のいちばん腹が立つところは、「わかっている」だけじゃない。「わかっていることを、いちいち口に出す」ところだ。
博士がうなずく。
「同感だ。では、次の段階に入ろう」
「ちょっと待て、次の段階って——」
博士がスイッチを押した。
今度は局所じゃない。
背部全域。
一瞬、脊椎のど真ん中から白い閃光で叩き割られたような気がした。
音はない。
形もない。
暴力の本質に限りなく近い純粋な痛覚だけが、背中の神経を一列に爆ぜながら走り抜けた。焼けた鋼索を首の後ろから尾てい骨まで一気に引きずられ、そのまま両端を思い切り引き裂かれるような感覚。全身が弓なりに跳ね上がり、喉の奥から少しも可愛げのない詰まった喘ぎが漏れた。視野が激しく揺れる。
「痛覚は敵じゃない」博士の声が遠くから聞こえる。「逃げようとすればするほど、大きくなる。見ろ。分解しろ。名前をつけろ」
名前をつけろ、だと。
今つけたいのは、てめえの死に様の名前だけだ。
でもその一言すら、最後まで言えなかった。
第二波が、すぐに襲ってきた。
今度はもっと長く。
もっと深く。
無数の細い針を神経に沿って一本一本縫い込まれていくような感覚。背中全体を一枚の布みたいに内側へ引き絞られる。肩甲骨、脊柱、腰の両側——あらゆる場所が鋭く光るような痛みを放ち始める。息をするだけで胸が引きつれ、背を伸ばそうとすれば腰を殴られ、縮もうとすれば固定ベルトが食い込む。
見えない板に磔にされているようだった。
額の汗が頬を伝って落ち、唇が痺れ始め、指先は自分でも苛立つほど震えていた。
「九」博士が言う。
「嘘……だろ……」
自分の声が、自分のものとは思えないほど掠れていた。
「これは最低でも……十二……」
レオンが後ろから淡々と一言添えた。
「まだ口答えできるなら、十二じゃない」
……この二人、本当に最悪だ。
笑ってやろうとした。口角を引き上げた瞬間、第三波が来た。
今度は本当に白い光が見えた。
比喩じゃない。
本当に。
視野の中央が白く炸裂した。頭蓋の内側で照明弾を直接点火されたような。博士の声も、機器の音も、レオンがデータを捲る微かな音も、その一撃で全部押し潰され、遥か遠くへ退いていく。残ったのは、自分の血が鼓膜を叩く轟音だけ。
ドン。
ドン。
ドン。
一打ごとに、頭蓋ごと揺さぶられているみたいだった。
奥歯を食いしばる。歯根が痺れてくるまで食いしばる。それでも喉から、みっともない喘ぎがひとつ漏れた。背中の筋肉が一面痙攣し、肩が震え、腰の横が今にも断ち切れそうなほど張り詰めている。今の自分の顔がどれほど見苦しいかはわかっている。でも、表情を取り繕う力すらもう残っていない。
だめだ。
倒れるな。
少なくとも、こんなに早く倒れるな。
昨日、心の中でドゥナン星全体に啖呵を切ったばかりじゃないか。初日の第一限で気絶したら、外箱だけ立派ですぐ壊れる安物家電みたいじゃないか。
だから意地で頭を上げ、視線を正面に戻した。
ちょうど、レオンの目と合った。
観測区の奥に立った彼が、冷たい光の向こうからこちらを見ている。灰色の瞳には憐れみもなく、嘲りもなく、ただ残酷に近い静けさだけがある。
待っているような目だった。
先に制御を覚えるか。それとも先に砕けるか。
こういうとき、少女的な感情なんて本当に役に立たない。
痛みを消してくれるわけでも、バラバラになった脊椎を組み直してくれるわけでもない。
なのに不思議なことに、その一瞬、まったく栄養のない考えが頭を過ぎった。
——くそ、今の私の顔、尻尾を踏まれた野良猫みたいに歪んでて、絶対ひどい。
その考えが浮かんだ瞬間、自分で自分の首を絞めたくなった。
こんな状況で、まだ顔を気にするのか。
でもその一秒の隙を突くように、博士が最後のパルスを重ねてきた。
全身がぐんと跳ねる。
もう痛みとは呼べなかった。
貫通、に近かった。
見えない錐を後頸から脊柱に打ち込まれ、そのまま一節一節を叩き下りていく。すべての骨、すべての神経を通り抜けながら、私という存在を内側から一寸ずつこじ開けていくような感覚。視野の端から黒が滲んでくる。眼球が制御を失って上を向きかける。唇が震えているのがわかる。何か言おうとしているのに、音節ひとつ絞り出せない。
「……シモ」
誰かが私の名前を呼んだ気がした。
小さな声だった。
近かった。
でも、レオンなのか、それとも意識が消える直前に脳が作り出した幻聴なのか、判別できなかった。
次の瞬間、世界の電源が抜けた。
白い光も、痛みも、音も、数字も、全部一息に消えた。
最後に感じたのは、額のひんやりした感覚と、睫毛が細かく震えていること、そして長く食いしばっていた顎がやっと緩んで、全身が糸の切れた人形みたいに横へ崩れていくことだった。意識が沈む直前の一瞬、自分の目が本当に上を向いたことがわかった。歴史に名を残すレベルで醜い顔だ。
……くそ。
最高に格好悪い。
それから、何もわからなくなった。
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