104. 不眠の夜 2
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
この一言は、何の変哲もない言葉のはずなのに、どんな過剰な褒め言葉よりも致命的だった。
私はバスルームの入り口に立ち、ドアノブに手をかけたまま、さっき浴びた熱いシャワーがまるごと無駄になった気がした。耳がまた熱くなり始めていたからだ。
「そういうことを、検品報告みたいな口調で言わないといけないの?」
真紀は表情を変えなかった。
「じゃあ、どう言えばいいの?」
「たとえば……」私は言葉に詰まり、そもそも彼女にそんなことを教えようとするのが間違いだと気づいた。「いいわ、今の質問は忘れて」
彼女は少し笑いたそうにして、結局笑うのは面倒だったようで、ただ淡く「うん」と言って立ち上がった。
私の横を通り過ぎるとき、彼女は一瞬足を止め、手を伸ばして、私のルームウェアの襟元でわずかに折れ込んでいたタグを直した。
ほんの一瞬だった。 指先が布に触れ、軽く、速く、余分な滞在は一切なかった。
だが私の全身には、ごく低い電圧で軽く感電したような、うっすらとした痺れが後ろ首から一気に駆け上がった。軍紀もなにもあったものではない。
「これでいい」彼女は言った。
私は口を開き、最後には一言だけ絞り出した。
「……ありがとう」
真紀は軽く頷き、着替えを抱えてバスルームへ入った。
ドアが閉まった瞬間、私はようやくゆっくりと息を吐いた。
そして、ひどく情けなくベッドの端に腰を下ろし、前を見つめたまま二秒ほど呆けた。
部屋が急に、恐ろしいほど静かになった。
さっきまでは誰かが話し、整理すべきものがあり、やるべき動作があって、注意が暴走することはなかった。だが今、真紀がバスルームに入り、水音がドアの向こうで響き始めると、部屋全体が静けさを強制的に拡大されたようになった。
私は自分の着ているルームウェアを見下ろした。 布地は柔らかく、サイズは確かにぴったりだった。
……どうやって見抜いたのだろう。
いや、そこは重要じゃない。 重要なのは、なぜ私がこんなことを本気で気にしているのか、だ。
私は手を伸ばし、買ったばかりのシートマスクの箱を開けた。純粋に、意識が浴室のドアへ流れていかないように、手を動かす理由が欲しかっただけだ。だが包装を開けた途端、使用説明と成分表が異文明の経典のように見えて、まぶたがぴくぴく震えた。
深海ミネラル修復。 セラミド保水。 ヒアルロン酸うるおいロック。
実弾装填の表ですらここまで真剣に読んだことのない私が、今シートマスクの研究をしている。
この世界は本当に理不尽だ。
説明を見つめて呆けていると、浴室の水音が止まった。
心臓が、情けなく一拍止まった。
次の瞬間、私は思い切って手を上げ、シートマスクを自分の顔にぴしゃりと貼り付けた。仮の装甲板を装着するように。
よし。 これで少なくとも、この後何が起きても、まずは自分が本人ではないふりができる。
真紀が出てきたとき、髪はわずかに湿り気を帯びていて、着ていたのはごくシンプルな濃い色のルームウェアだった。制服もなく、肩章もなく、艦橋で彼女と全員の間に距離を作っていた硬い線もない。残っているのは、清潔さと柔らかさと静けさだけだった。
正直に言えば、その光景は思っていたよりずっと目に毒だった。
彼女は、いつも冷静すぎて歯がゆい副長候補には見えなかった。 むしろ、私のすぐ近くにいて、今夜ここにいる一人の人間に見えた。
私は顔を強張らせてベッドの端に座り、すでに人生への期待を失ったシートマスク・ゾンビのように見えるよう努めた。
真紀は私を見た。 もう一度見た。
「何をしてるの?」
「保湿ロック、トーンアップ」私は平板に答えた。「あなたが、私は雑に生きてるって言ったんでしょ。今、文明の矯正を受けているところ」
彼女は一秒黙った。
「事故現場みたいね」
「ありがとう、とても参考になる評価だわ」
「少なくとも、ちゃんと貼れてる証拠にはなる」
「あなたの慰め方、根本的に問題があると思う」
真紀は言い返さず、デスクへ行って通信器を充電に繋ぎ、それから自分もシートマスクを一枚開けた。
私は彼女を見た。
「……あなたも貼るの?」
「うん」
「あなたはもともと、精緻に生きてるんじゃなかったの?」
「精緻さとは関係ない」彼女は包装を開けながら言った。「今日は風に長く吹かれたし、部屋も乾燥してるから」
彼女があまりに当たり前のように言うので、私は突然、荒唐無稽な錯覚に陥った。 今日、艦橋で実弾を装填し、超光速跳躍を行い、入港のミスで全艦の命を賭けそうになったことと、今この瞬間、私たちがビジネスホテルの部屋でシートマスクを貼っていることが、同じ一本の人生の線の上に載っている出来事だとは、どうしても思えなかった。
連邦宇宙軍校の教育が、この落差を訓練科目にできたなら、通過率はさぞ壮観に低くなるだろう。
真紀はもう一方のベッドの端に座り、私との距離は一メートルもない。二人ともひどく白いシートマスクを顔に貼りつけたまま、部屋は空調の低い駆動音と、窓の外遠くから届く港区の車の流れの音だけが響く、低予算ホラー映画のような静けさだった。
もしこのタイミングで誰かがドアを蹴破って入ってきたら――たとえばジェスが――彼女はきっと、私たちが何をしているかなんて聞かない。
まず悲鳴を上げる。 それから録画する。 最後にその映像を全艦に送りつけ、こうキャプションをつけるはずだ。「女子軍校生二名、深夜のホテルで違法な降霊術を行っている疑いあり」。
その光景を想像して、私は思わず小さく笑った。
真紀がこちらを向いた。彼女の顔のシートマスクは、私のものよりずっと平らに貼られていた。まるでシートマスクを貼ることさえ、標準作業手順として処理できるかのように。
「何がおかしいの?」
「考えてたんだけど」私はベッドヘッドに寄りかかり、できるだけ普通の人間らしい声を出そうとした。「もし今ジェスが飛び込んできたら、私たちが前線の亡霊でも呼び出してると思うだろうなって」
真紀は一秒黙った。
「まず、あなたのひどい顔を撮るでしょうね」
「その点は完全に同意する」
「それから、他の誰かに送る」
「それはもっと同意する」
真紀は「うん」と頷いた。何かのリスク評価を終えたかのように。
私はその落ち着き払った様子を見て、なんだかおかしくなった。
「あなた、ジェスの行動パターンを、もうそこまで完璧に分析し終えてるのね」
「難しくない」
「これを本人が聞いたら、自分は理解されてないって嘆くでしょうね」
「まず否定するでしょう」
「それから認める」
「最後に人のせいにする」
「……正確すぎて、少し同情したくなるわ」
そう言いながら、私は顔のシートマスクの端を軽く押さえた。ひんやりとした感触が肌に張り付いていて、今日という日の流れ全体とはまったく似合わない柔らかさがあった。
艦橋、実弾、超光速、入港、離艦、ステーキ、百貨店、ホテル、シートマスク。
この一日をダイジェスト映像に編集したら、スタイルが混乱しすぎて、制作担当者が自害したくなるだろう。
「真紀」
「ん?」
「この港、どう思う?」
その問いを口にした後、私自身が少し驚いた。 自分から進んで聞くような内容ではなかったからだ。 普通すぎる。 普通の友人同士が、普通の息抜きの、普通の休暇の中で交わすような会話だ。
だが、あまりにも普通だからこそ、かえって貴重に思えた。
真紀はすぐには答えなかった。 窓の外に目を向け、夜の色とネオンに切り刻まれた街の縁に視線を落とした。
「生きるのが上手い」
「……その評価、抽象的すぎない?」
「でも、正確よ」
彼女は足を少し引き寄せ、背をベッドヘッドに預けた。声は大きくなかったが、はっきりと聞こえた。
「ここは前線に近すぎる。近すぎて、支払い方法にまで敵国の分を残しておかなければならないくらい。店も、ホテルも、レストランも、通りの人たちも、みんな、戦線がいつ押し寄せてくるか分からないと知っている。だから秩序を信じるより、今日をどう乗り切るかを信じているの」
私は静かに聞いていた。
真紀という人間は、めったに無駄なことを言わない。 だから彼女がこうして少し長く話すとき、それは決して空っぽの言葉ではない。
「悲観的に聞こえるわね」
「悲観じゃない」彼女は言った。「熟練よ」
私は何も返さなかった。
その二文字が、目立たない小さなナイフのように思えたからだ。見た目は普通なのに、刺さると案外深い。
熟練。
生きることに、熟練している。 戦争の際で商売をすることに、熟練している。 今日は連邦の旗、明日は帝国の旗かもしれないと受け入れることに、熟練している。 ステーキハウスが二国の貨幣を同時に受け取ることに、熟練している。 砲火と停戦の間に隙間を見つけて、日々をつなぐことに、熟練している。
こういう能力は、艦橋で学んだこととは、まったく別の体系のものだ。
私はゆっくりと後頭部を壁に預けた。
「今日、なんだかすごく変な感覚があったの」
「何?」
「なんというか……」私は少し間を置き、あまり気取って聞こえない言い方を探した。「ずっと、生きることは、やるべきことをちゃんとやることだと思ってた。時間通りに、正確に、失敗しないで、他の人を巻き込まないで、自分も先に死なないで」
私は手の中の、まだ開けていない二枚目のシートマスクの袋を、ぐにぐにと二度ほど指で押した。
「でも今日、外に出てみたら、外の人たちはそういう生き方をしてないって、突然気づいたの」
真紀は私を見ていたが、口を挟まなかった。
「宿代に文句を言って、ステーキの焼き加減を選んで、百貨店のセールで正気を失って、どのシャンプーが自分に合うか研究して、ホテルのロボットの声が怖すぎるって、レビューに星一つつけてる」
そこまで言って、私は自分から小さく笑った。
「馬鹿みたいでしょ」
「馬鹿じゃない」
真紀の返答は早かった。 思わず顔を上げるほどに。
彼女はまだ顔にシートマスクを貼ったまま、表情はひどく真剣で、場の雰囲気には少し似合わないほどだった。
「それも、生活よ」彼女は言った。
部屋が一瞬静まった。
空調はまだ動いている。 窓の外の光は相変わらず明滅している。 廊下の遠くを誰かが通り過ぎたようで、足音が軽くして、すぐに消えた。
だが私には、真紀のその言葉が落ちた後、空気が少し前と違うものになったように感じられた。
それも、生活。
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