01. 最劣なる人生の幕開け-3
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
「今の戦況はどうだ、大学兵」
私は眼鏡の男に声をかけた。
彼はさっきから帝国艦橋のオペレーター席に座りっぱなしで、額には汗を滲ませながらも、指だけは止めない。十本の指が、私なら火をつけてやりたくなるような帝国語UIの上で、せわしなく踊っている。
こういう人材、試験院に放り込めば、タイピング速度だけで文官になれただろうに。残念ながら連邦が今一番欲しがっているのは、文官じゃなくて砲灰だ。だから彼も、私と一緒に、さっきまで人を殺していた艦橋にいる。
「……あまり、芳しくありません」
彼はホロの戦術投影を凝視しながら、喉仏を一度、ごくりと動かした。
「帝国六、連邦四です」
私は斧についた血を振り払い、ついでに足元でまだ痙攣していた帝国士官の死体を軽く蹴ってどかした。
「違う」
と言う。
「今は帝国五だろ」
眼鏡の男は一瞬だけ黙り、それから、ちゃんと空気を読んだ顔で頷いた。
「……はい。帝国五、連邦四です」
いいね。
私は、状況更新の早い男が好きだ。
そのとき、通信チャンネルが突然開いた。耳の奥をざらつくノイズが走り、その向こうから、荒い呼吸が聞こえてくる。
『こちら、上陸第七班。動力室を確保した』
一拍置いてから、そいつは続けた。周囲に、まだ背後から刺してきそうな敵がいないか、慎重に確かめている声だ。
『ヘリウム・水素動力炉は無傷。ただし、班長がやられました』
私は眉をひそめた。
「伍長が死んだってこと?」
『そうです』
「今、誰が指揮してる?」
通信の向こうが、半秒ほど静かになった。
それから、正直すぎる答えが返ってくる。
『あんたです』
私は固まった。
「は?」
思わず笑いかけて——いや、笑い飛ばしかけて、やめた。
「私、一等兵なんだけど」
向こうの声は、私以上に心許なかった。
『……俺たち、全員二等兵です』
口を開きかけて、最終的に一番建設的な一言だけを絞り出す。
「……連邦軍、幹部の谷、深すぎんだろ」
これはもう、出世が早いとか遅いとかいう話じゃない。コンビニのバイトしてたら、店長が交通事故で死んで、次の瞬間、本社から電話がかかってくる感じだ。
「おめでとうございます。本日付でその店舗、あなたのものです」
しかもその店舗、今まさに爆発してる。
午後には体療コースが入っていたことを思い出して、私は頭が痛くなった。
あれは自分で勝手に申し込んだ。クソ高い上に、キャンセルしても金が戻ってこない。ここで死んだら、その受講料は確実に宙に消える。
——クソ。
帝国軍に対する好感度が、さらにマイナスを更新した。
「……了解」
私は通信ボタンを押さえ、声だけは、最低限「指揮官っぽく」聞こえるように整えた。
「こっちは艦橋を押さえた。そっちは残敵掃討を優先、動力室は絶対に死守。私の命令なしに、主炉には一切触るな。いいな」
『了解』
通信を切る。
顔を上げると、艦橋に残った七人の連邦兵が、そろいもそろって私を見ていた。
……やめろ。
見るな。
私だってビビってんだよ。
この感じは、何に近いか。
サボりで教室から抜け出してたら、その日に限って先生が、「じゃあ今日の代表発表は、君ね」と指名してきた。しかも教室の後ろには校長と教頭と、「重箱の隅つつき係」の教育委員会がずらりと座ってる——そんな悪夢。
私は深く息を吸った。
ダメだ。
落ち着け。
考えろ。
さっさと考えろ、星野霜。
人間の頭を斧でかち割れるくらいには器用なんだから、ちょっとぐらい卑怯な手も思いつけ。
艦橋中央の戦術投影テーブルへ歩み寄る。
半透明の立体戦場模型が宙に浮かび、連邦と帝国の艦影が、赤と青の光点として互いに位置を変え続けている。その映像を見ただけで、嫌でも分かった。
状況は、洒落になってない。
連邦の主力艦は、すでに四隻しか残っていない。
本来なら扇形布陣で前方から帝国艦隊の頭を押さえ、そのまま包囲もどきに持ち込むはずだった。だが、どこから湧いたのか帝国の増援艦隊が側面から突っ込んできて、形勢がひっくり返りかけている。
扇の両端は伸ばしすぎ。前への圧力はかけすぎ。おかげで、包囲しているのは連邦ではなく帝国。連邦は今、反包囲の口を閉じられようとしているところだ。
で、私たちが乗っ取った、この艦——
ぴったりその包囲線の端っこにいる。
つまり、この艦がまだ帝国側の戦力としてカウントされている限り、包囲の口は閉じる。だが、もしこの艦が、いきなり反転して牙を向けたら——
話は変わる。
私はその立体マップを、数秒間食い入るように見つめた。
そして、ひらめいた。
別に、崇高な戦術直感なんかじゃない。試験の五分前に、ヤマ勘でマークシートを埋めるときのあの感覚に近い。
「大学兵、こっち来い」
私は眼鏡の男に手招きした。
彼はすぐに小走りでやってきた。手には、自分の汗なのか他人の血なのか分からないものがにじんでいる。全身から、「優秀な文系人材が、現実に襟首をつかまれて肉挽き機に突っ込まれました」という悲壮感が漂っていた。
私は沙盤を指しながら、頭に浮かんだ作戦を手短に説明する。
単純だ。
そして、性格が悪い。
帝国は、まだこの艦橋が陥落したことを完全には把握していない。外の戦況は混乱していて、通信帯域は妨害と火器管制のノイズでごちゃごちゃだ。
だから私たちは、しばらくの間だけ「普通の帝国辺境火力艦」のふりをする。妙な機動はせず、敵主力が予測射界に入りきる瞬間を待つ。
で、連中が一番良いポジションを取ったタイミングで、内側から一発ぶち込む。
全部沈める必要はない。要の一隻を沈めるか、あるいはそこそこ派手にかき回して、敵の隊形を自分たちの手で崩させればいい。
そうなれば、連邦艦隊は、いままさに締め上げられかけている輪の中から、どうにか這い出せる。
別に天才的な妙策じゃない。
ただの、振り向いた相手の背中にナイフを突き立てるやり方だ。
でも、戦争ってのは、本来そういうものだ。誰が高潔かなんて、誰が一番あとまで生き残るかと比べたら、大した問題じゃない。
説明を聞き終えた眼鏡の男の顔に、複雑な色が浮かんだ。
「……卑怙すぎます」
それを聞いて、私は心からホッとした。
「その感想が出るなら、大丈夫だわ」
私は彼の肩をぱんと叩いた。危うく、そのままコンソールにめり込ませるところだった。
「ってことは、この案、八割方は当たるってことだな」
沙盤上の帝国側翼で、射角がいちばん重なっている光点の束を指さす。
「射線軸の計算、始めて。いちばんデカい獲物はいらない。いちばん邪魔で、あいつらが勝手に隊形をグチャグチャにしてくれそうな一隻を狙う。この一発で、帝国にまず人生を疑わせて、次に味方を疑わせて、最後に『俺、ここにいる位置、間違ってね?』って自分を疑わせてやる」
眼鏡の男は深く息を吸い、フレームを押し上げた。
「了解」
彼はオペレーター席に戻ると、両手でコンソールを叩くように入力を始める。艦載コンピューターが即座に応答し、艦橋全体の戦術投影が生き物みたいに動き出した。私たちの位置から無数の仮想射線が伸び、戦場モデルを貫きながら、一本一本、角度、熱エネルギーの減衰、位相のズレ、友軍誤射のリスク、帝国艦体装甲の屈折率を自動で補正していく。
正直に言う。
全然分からん。
私の目には、「高等数学と星間航法と呪いのルーン文字を混ぜて、帝国語で電子レンジの取説を書いてみました」って代物にしか見えない。
ただ、一つだけはっきり分かる。
収束した主射界の束が、きっちり帝国艦隊にとっていちばん気持ち悪い場所を突き刺している。
いいね。
性格が悪くていい。
こういうの、嫌いじゃない。
大学兵は最終シミュレーションの結果を凝視しながら、少し震えた声で言った。
「武器システム、完全掌握。艦首主砲、側面重粒子砲、誘導ミサイル・サイロ、すべて使用可能です」
唾を一つ飲み込んでから、こちらを振り返る。
「……どの兵装を、使いますか」
私は沙盤上の細かすぎる帝国識別コードを眺めて、ほとんど考えもせずに答えた。
「そりゃあ、いちばん強いのに決まってるでしょ」
口の端を上げる。
「バカなの?」
大学兵は、私の顔を半秒ほど見つめた。真剣かどうか、確認している目だ。
そして、諦めた。
ここまで来たら、この艦でいちばん頭のおかしいやつが自動的に指揮官になってる。武器の選択にもう一個ぐらい狂いが増えたところで、大勢に影響はない。
彼は姿勢を正し、両手をコンソールに押しつけた。
艦橋の警告灯が、赤から一斉に深い青へと切り替わる。巨大な獣が胸の奥でゆっくり息を吸い込んだみたいな変化だった。足元から低い唸りが伝わり、艦内のエネルギー伝達ラインが一本ずつ光を帯びていく。血管に、発光する溶岩を流し込んだみたいに。
「複列位相エネルギー砲、チャージ開始」
その声は、さっきまでの「応用外語学部の就活生」じゃなかった。ちゃんと、戦艦の火器管制士官の声になっていた。
前方のメイン・ホロに、主砲の射界ロックが完了した表示が灯る。
帝国艦隊は、まだ前進している。
この艦が、まだ自軍だと信じているらしい。
いいね。
私は、敵が「自分は安全圏にいる」と思い込んでいる瞬間が、いちばん好きだ。
「複列位相エネルギー砲——」
大学兵が、大きく息を吸い込んだ。
そして、発射キーを叩きつける。
「撃てッ!!」
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




