87. ペナルティ・テストは突然に 2
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
筆記試験当日の保安部教室は、前日の近接戦闘訓練室よりも、よほど凶事の現場に近い空気だった。
また誰かが血を流したわけではない。
竹中曹長が机の上に試験用紙の束を「パン」と置いた瞬間、少なくとも七人分の魂が艦から脱出したのが確実に分かったからだ。
連邦軍標準の教室は、元々人情味とは無縁の造りをしている。灰白色の壁、黒い感応式デスク、前方の投影幕は裁判台のように眩しく、冷房はこれでもかと効いていて、ここは教室ではなく保安部が新兵の自尊心を急速冷凍するための低温倉庫ではないかと疑いたくなる。
私は三列目の左寄りに座り、右斜め前に真紀がいた。士官資格審査に出ているのかというほど背筋が真っ直ぐだ。左後方にジェス。開始前からずっとペンの尻で机を叩いていて、その音はカウントダウンタイマーのように聞こえた。
Dは一番端の席で、椅子にだらしなく沈み込んでいた。顔色は、たった今死刑判決書の副本――しかも「上訴不可」と注記された方――を受け取ったばかりの人間のようだった。
竹中曹長は前に立ち、その表情は「親しみやすい年長者」と「今日こそ全員を吐き気にさせてやる大人」のちょうど中間に張り付いていた。
「昨日も言ったはずだな」彼は講義資料をめくりながら、ひどく気遣わしげで、実際にはひどく意地の悪い口調で言った。「一人でも不合格が出たら、全員再試験だ」
教室は真空のように静まり返った。
次の瞬間、Dが手を挙げた。
「報告します、曹長。ひとつ、非常に成熟した提案があります」
竹中曹長がちらりと見た。「言え」
「いっそ全員最初から再試験にしましょう。互いに疑心暗鬼になったり憎み合ったりする過程を省けて、その方が効率的です」
クラスの半分は笑いを堪え、半分は泣きそうな顔をした。
竹中曹長はニヤリと笑った。
「提案却下。試験開始」
その瞬間、教室中で紙をめくる音が一斉に響いた。
続いて、魂が裂ける音がした。
一ページ目に目を落とした私は、表紙に『連邦軍艦内近接防御及び反制基礎概論(教官私的報復増補版)』と印刷されていないか、思わず確認したくなった。
第一問。
連邦軍標準戦闘装甲服を着用し、艦内密閉環境において感熱式気化爆薬の放出に遭遇した場合、取ってはならない誤対応を五つ挙げ、それぞれの致死メカニズムを説明せよ。
その一行を三秒ほど見つめた。
五つ。
しかも致死メカニズムの説明つき。
竹中曹長は試験をしているんじゃない。誰の遺書がより完璧に書けるかを選別しているのだ。
第二問。
敵味方双方が対ビームコーティング付き標準装甲服を着用している場合、狭隘な通路、ハッチの曲がり角、低重力保守通路の三種の環境下で、MK標準六号戦斧と対ビーム防爆シールドを用いる際の優先攻撃角度と圧歩原理を分析せよ。
第三問。
艦内近接戦における七・七ミリパルスレーザー銃と実体弾火薬銃の戦術的機能差を比較し、前者がむしろ敵の移動制限に適している具体的状況を例示せよ。
私は静かに息を吸った。
解けないわけじゃない。
ただ、竹中曹長の出題の仕方が、あまりにこう言っているようだった。「さあ、お前が昨日どこまで頭を使っていたか、証明してみせろ」
前列のハーヴィーが二ページ目に入ったところで、肩が明らかに震えた。緊張ではない。魂が肉体から緊急脱出しようとして、無理やり引き戻された時の反応だ。
ロイが小さく「くそ……」と漏らした。
反対側に座る蘭は顔も上げず、冷たく一言。
「今さら気づいても遅いわよ」
「これ保安部の試験なの、士官学校の教官資格試験なの……」アイダが息を漏らすように文句を言った。「自分の授業ノートを、そのまま切り貼りしてない?」
「切り貼りじゃない」エヴリンは無表情でページをめくった。「社会への報復に利用してるんだと思う」
後方のアカリは最初こそ無理に笑おうとしていたが、記述問題の最後の一問を見た瞬間、顔が完全に崩れた。
「なんで『艦内警報フラッシュ環境下における標準シールド角の視野死角補償方式』まで図示しなきゃいけないの?」
「昨日、お前らの中にシールドを弁当箱みたいに持ち上げていた奴がいたからだ」竹中曹長は顔も上げずに言った。
教室が一瞬で静まり返った。
それから全員の視線が、示し合わせたかのように、一瞬だけDの方へ流れた。
ペンの尻を噛んでいたDは、空気の変化を察知し、ゆっくり顔を上げた。
「なんで俺を見る?」傷ついた顔をする。「昨日のあれは弁当箱じゃない。実験的自由シールド角だ」
ジェスが後ろから容赦なく笑った。
「自由すぎて、自分の首を差し出しかけてたわね」
「あれは戦術的誘敵だ」
「敵に自分を斬らせるの?」
「……今日、お前やけに敵意強くない?」
ジェスは取り合わず、俯いて書き続けた。だが私には分かった。この二人は、いつものような純粋な口喧嘩の状態ではない。昨日の一件の後、皆、口では普通に騒いでいるふりをしているが、その下にうっすら別のものを敷いている。
たとえば、用心。
たとえば、もう二度と踏んではいけない場所を踏まないようにという線引き。
私も同じだった。
試験用紙を見つめながら、頭は普段より冴えていた。冴えすぎて、少し煩わしいくらいに。昨日あんな風に一度制御を失うと、しばらくの間、自分の呼吸ひとつまで検査されているような、嫌な自己監視状態に入ってしまう。
右前方の真紀が、ふとペンを止めた。振り返らないまま、ごく自然な手つきで、自分の水筒を私の机の角へ少し押しやる。
うっかり手が当たった程度にも見える、小さな動作だった。
でも、私には分かった。
――水を飲め。頭を冷やせ。
二秒ほどその水筒を見つめ、結局手に取って一口飲んだ。
冷たかった。
本当に冷たくて、それまで妙に張り詰めていた肩の力が、少しだけ抜けた。
……こういう人間は本当に反則だ。
普段は公文書を渡すみたいに話すくせに、人を落ち着かせるところだけは、定規で測ったように正確だ。
水筒を戻したときも、真紀はやはり振り返らず、ただペン先を紙に戻した。何もなかったみたいに。
左後方のジェスが、たぶんそれを見ていたのだろう。机を叩くペンの音が、一瞬止まった。
次の瞬間、さらに強く、二度机を叩いた。
私はなぜか、自分がひどく奇妙な戦術的挟み角の真ん中に座らされているような気分になった。
……保安部の筆記試験は、空気まで人を試してくる。
二十分ほど経過した頃から、教室のあちこちで瀕死の反応が出始めた。
ハーヴィーが最初に手を挙げた。
「曹長、記述問題の第四小問で、『先行ポジション取り』と『予測圧歩』の概念が重複する場合、分けて書いても採点対象になりますか」
竹中曹長は教壇でお茶を飲んでいた。まぶたも上げない。
「書けるなら、する」
ハーヴィーの表情は改善しなかった。「そのままその苦しみを抱えて生きていけ」と宣告されたような顔だった。
さらに五分後、ロイが頭を掻き始めた。
さらに五分後、アイダは図示欄を見つめながら、人生のどこで間違えてこうなったのかを真剣に検討しているようだった。
Dは完全に半狂乱状態に突入していた。
「この問題、絶対おかしいだろ」机に伏せながら、声を殺してぶつぶつ言う。「なんで『隊員が狭隘通路で撃倒された場合、シールド手が優先的に保護すべき三部位とその理由』を書かされなきゃいけないんだ?保安部の授業じゃなくて法医学予備校だろこれ」
蘭が冷たく追い打ちをかけた。
「昨日、あなたがロイの頭を二回もがら空きにしたから」
ロイがすぐに顔を上げた。「俺、まだここにいるんだが」
「だからこそ、あなたが悪い見本だと証明する資格がある」
Dは胸を押さえた。
「蘭、お前の口が悪いのはずっと知ってたが、今日は完全に竹中曹長の外付けスピーカーだな」
「ありがとう」
「褒めてない」
「分かってる」
こういう会話は、普段なら笑えただろう。
今日は、皆がまだ互いを弄る気力を残しているということが、かろうじての安心材料だった。
本当に胃が痛くなったのは、終了十分前だった。
竹中曹長が立ち上がり、指で机を二度叩いた。
「一応言っとくぞ。合格ラインは八十点。連帯責任だ。自分が再試験を嫌なら、隣の人間もちゃんと頭を使っていることを祈るんだな」
その一言で、教室の空気は「各自玉砕」から、「互いが全体を道連れにしていないか監視する」へと一段階昇格した。
Dが真っ先に爆発した。
「誰、誰だよ、もう書き終わってるやつ!先に自信があるか教えてくれ!これはカンニングじゃない、チームリスク管理だ!」
「黙れ」ジェスは顔も上げない。
「いや、マジで、せめて誰を先に殴るべきか知りたいだけで――」
「自分の心配を先にしたら」アカリが言った。
「してるよ!」Dは声を潜めて泣き声を上げた。「今、視界に入る全員が俺を再試験に引き込む戦犯に見えるし、自分自身もそう見える!」
「その最後の一文だけは誠実だな」とハーヴィー。
私は最後の問題を書き終えて、顔を上げて一巡見渡した。
真紀はすでにペンを置き、答案を見直していた。表情は恐ろしいほど平静だった。自信満々というより、「これくらい解けて当然だ」という当たり前さだ。ジェスはまだ書いていて、ペンの速度が速い。答案ごと敵艦の艦橋を斬り裂こうとしているみたいだ。Dは汗だくで左右上下を見回し、最後は観念したようにペンを置き、口の中でまだ先祖代々への謝罪と抗議を唱えていた。
なぜか、笑いたくなった。
昨日まで戦斧とシールドで殴り合っていた連中が、今日は数枚の紙のせいで、集団反乱寸前の顔をしている。
大人の報復には、本当に刃物はいらない。
答案の提出は、処刑台へ向かうよりは少し文明的だった。ほんの少しだけ。
竹中曹長は答案を回収すると、そのまま前に座って、その場で採点を始めた。
そう、その場で。
せめて職員室に持ち帰って、最後の体面くらいは残してくれると思っていた。
なかった。
彼はそのまま眼鏡をかけ、赤ペンを抜き、躊躇なく教壇の前で採点を始めた。
教室に、奇妙な静寂が広がった。
赤ペンが紙を走る音だけが響く。
さっ、さっ、さっ。
一音ごとに、心臓のすぐ横で刃物を研がれているような気分になった。
Dは机の上で両手を合わせ、口の中で何かを唱え続けていた。
祈っているのかと思った。
よく聞いてみると。
「標準六号戦斧の神様、艦内防御の神様、連邦軍試験問題の良心の神様、どなたでもお暇な方がいらっしゃったら、どうかお救いください……」
「うるさい」とジェス。
「今うるさくしなかったら、点数が出た後は声を出す機会がないかもしれないだろ」
「それはそうかもね」
真紀は何も言わず、一度だけ教壇に視線をやり、また戻した。
私もつられて前を見た。竹中曹長の採点速度が、正直、恐ろしく速い。あの速さが意味するのは二択だ。目も通さず適当に丸をつけているか、あるいはこの手の問題を、目を閉じてでも誰がどこで的外れなことを書いているか嗅ぎ分けられるくらい、身体に染み込ませているか。
私は後者だと信じている。
十五分ほどが経過した。
その十五分は、十五年のように長かった。
竹中曹長が赤ペンを置き、答案を揃えて、顔を上げて私たちを一通り見た。
全員が瞬時に背筋を伸ばす。
「全体的に、思っていたよりは少しよかったな」彼は言った。
誰も息を吐かなかった。
この言葉の要点は、確実に後ろにある。
案の定。
「ほんの少し、だがな」
やっぱりな。
竹中曹長が点数を読み上げ始めた。
エヴリン、九十一。
蘭、九十。
真紀、九十六。
教室に、ごく短い一秒の静寂が落ちた。
Dが真紀の方を向いた。表情は、ほとんど信仰に近かった。
「昨夜、講義資料を丸ごと暗記したのか?」
真紀は平坦に返した。
「してない」
「じゃあどうして九十六が取れるんだよ」
「授業を聞いてたから」
Dは二秒沈黙した。まるでその一言が、彼の人格そのものへの侮辱であるかのように。
ジェス、八十八。
アイダ、八十四。
アカリ、八十二。
ハーヴィー、八十一。
ハーヴィーはその場で盛大に息を吐き、椅子の背もたれから滑り落ちそうになった。三途の川の淵から誰かに蹴り戻されたばかりのようだった。
「くそ……今、本当に三途の川が見えたぞ」
ロイ、八十五。
一色、同じく危うかったが、合格ラインを越えた。
そして、Dの番になった。
竹中曹長は答案を少し持ち上げた。口の端の角度が、ひどく不吉だった。
「D」
Dが立ち上がる姿勢は、法廷で名を呼ばれた被告のようだった。
「はい」
「八十」
教室に、一瞬の静寂が落ちた。
次の瞬間、爆発した。
「くそっ――!」
「ギリギリ王!!」
「あと一点低かったら全員再試験だったんだぞ!」
「やっぱりお前だと思ってた!!!」
D本人は両手で頭を抱え、最初は呆然とし、次に狂喜し、最後には後からじわじわと込み上げてきた恐怖で顔面を蒼白にしていた。
「俺、受かった?俺、マジで受かったのか?!」
「受かったんじゃない」蘭が冷ややかに言った。「合格ラインに爪を引っ掛けて、ぶら下がってるだけだ」
ハーヴィーが泣きそうな顔で机を叩いた。
「分かってるか、俺、さっき心臓が半拍止まったぞ!八十点!よくもそんな点数取れたな!」
「俺のせいにするなよ!」Dも机を叩き返す。「俺だって必死だったんだ!最後のあの『双方向火力通路における三段式圧歩とシールド偏角の切り込み選択』って、あれ人間の言葉か?!」
「違うわね」ジェスが実に意地の悪い笑い方をした。「あれは竹中語よ」
教室は一気に騒がしくなった。誰も本当に記過処分になるわけではないが、魂の傷をきっちり伝えるには十分な言葉で、Dの学力と人生に対する姿勢に挨拶が飛んだ。
私も一緒に二言三言言ってやろうかと思った。
だが、死地を脱してほっとしているDが、十人の仲間から一斉に視線で狙われている様子を見ていたら、先に笑いが出た。
正直、こういう人間が今日まで生き延びてきたこと自体、連邦軍の医療体制も功績として数えていいと思う。
竹中曹長は私たちを止めなかった。騒ぎが少し収まったところで、のんびりと一言付け加えた。
「それと、Dの第六問第二小問は、本来七十九点にするつもりだった」
Dの笑顔が固まった。
教室が再び、一瞬で死に絶えた。
「だが、こいつ、備考欄に一文書き足していた」
竹中曹長は淡々と読み上げた。
「『味方がシールドを弁当箱のように構えるタイプであれば、最優先で第一列に立つ資格を剥奪すべきである』……とな」
私は危うく吹き出しそうになった。
ハーヴィーは笑いすぎて咳き込んでいる。
ロイは両手で顔を覆い、肩を震わせ続けた。
ジェスでさえ顔を横に向け、口の端を抑えきれずにいた。真紀はほんの一瞬だけ目を閉じた。栄養価はゼロだが確かに少し笑えるものを、辛抱強くやり過ごしているような顔だった。
竹中曹長がニヤリとした。
「内容は無礼極まりないが、戦術判断は正しい。だから一点戻してやった」
Dはぽかんとした。
「……俺、自分の口の悪さに救われたのか?」
「他に何があると思ってたんだ」蘭が言った。
「問題児に対する連邦軍の最低限の慈悲でしょうね」アイダが追い打ちをかけた。
「宣言する」ハーヴィーが胸を押さえながら言った。「今日から、Dの垂れ流す戯言もチームの資産の一部と認定する」
「俺が普段そうじゃないみたいな言い方だな」
「普段はどちらかというとチームのリスクだ」
今度は私まで俯いて笑ってしまった。
笑っているうちに、昨日からずっと胸の奥に沈んでいた重さが、本当に少しだけ軽くなっているのに気づいた。
人間というのは、時々そういうものだ。
前日には場を血まみれにするほど荒れていたくせに、翌日には、ギリギリ八十点で生き延びた馬鹿な仲間のせいで、危機を逃れた間抜けの群れみたいに教室で笑い合っている。
ひどく格好悪い。
でも、確かに生きている感じがした。
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私たちが「Dのせいで全員再試験」という悪夢からようやく立ち直りかけた頃、竹中曹長は答案を片づけながら、ついでに一刺し入れるように言った。
「全員合格したことだし、午後は実技を再開する。浮かれるのはまだ早いぞ」
教室が一秒、静まり返った。
それから、哀号と呪詛の中間のような声が一斉に上がった。
「嘘だろ!?」
「曹長、あんた本当に情けって言葉を知らないのか!」
「もう一回筆記の方がマシだ――いや、やっぱり撤回する!」
「黙れ」ジェスがDの椅子の脚を蹴った。「あんたに再試験を語る資格はない」
Dは自分の点数表を抱きしめ、傷ついた顔をした。
「俺は今日、七十九点の深淵から全隊を救い出した英雄だぞ」
「全隊を突き落としかけた奴が、英雄を名乗るのか」蘭が言った。
「名乗れるさ。物語の起伏ってやつだ」
「ただのゴミだ」
私は笑いながら首を傾け、ちょうど真紀がペンをケースにしまうところを見た。動作はいつも通り、無駄がなく清潔だった。
私の視線に気づいたのか、彼女がわずかに顔をこちらへ向けた。
「お前も悪くなかったな」
私は一瞬、言葉に詰まった。
「……それ、褒めてるの?」
「事実を言っただけだ」
「あんたって、事実をもう少し人間らしい言葉で言えないの?」
「言えない」
私は彼女のほとんど無表情な顔を二秒ほど見つめ、結局笑ってしまった。
「分かった。じゃあ、褒め言葉として受け取っておく」
真紀は何も返さず、ただ淡く一度頷いた。
隣のジェスがちょうどその場面を目にしたらしく、ペンのキャップを「カチッ」と、やけに力を込めて押し込んだ。
私は聞こえなかったふりをした。
なにしろこの艦では、警報音が鳴っていても、システムがまだ自動通報するように更新されていないと仮定して、先に聞き流した方がいい場合がいくつかある。
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その日の昼、死地を脱した気分で教室を出ると、廊下の向こうから中等部のガキが数人歩いてきた。
普段のあの年頃で妙に度胸だけはある連中は、私たちを見つけると、大抵その目に「一悶着起こしてやろう」と書いてある。
だが、今日はまったく違った。
私の姿を認めた瞬間、奴らの足が一斉に止まった。
その中の一人は、直前まで笑っていた顔をその場で凍らせ、ひどく不自然な動作で頭を下げた。
「せ、先輩、お疲れ様です」
私は一瞬、言葉に詰まった。
私だけじゃない。隣のDも足を止めた。
「……何が起きてるんだ、これ」彼は声を潜めて聞いた。
別のガキもすぐに続いた。
「先輩、ご苦労様です」
「……あ、ああ」私は反射的に答えた。「お前らも……ご苦労?」
相手は特赦でも受けたかのように猛烈な勢いで頷き、壁際に張り付いて通路を丸ごと空けてみせた。
私はその場に立ち尽くし、どこかチャンネルを間違えたような光景の荒唐無稽さに、少し眩暈がした。
そのとき、廊下の角の向こうから、ひどく生々しく、ひどく切実な悲鳴が響いた。
「あああああああ――!あの人だ――!!」
次の瞬間、体格だけ先に重装歩兵に育ってしまったような中等部の男子生徒が、真っ青な顔で角から半分だけ顔を覗かせた。
またこいつか。
少し前に私に床の上で摩擦され、歯を一本飛ばされた元ガキ大将だ。
私を見た瞬間、瞳孔が開いた。幽霊でも見たような目だった。
「く、来るな――!!」
そう言うと、きびすを返して走り出した。
普通の逃げ方ではない。
背後から戦艦の主砲にロックオンされていて、あと一歩遅れればその場で蒸発する――そう信じているみたいな逃げ方だった。
私「……」
D「……」
ハーヴィー「……」
最初に笑い出したのはジェスだった。
しかも、まったく堪える気のない、肩ごと揺れるような笑い方だった。
「わあ」彼女は目尻に存在しない涙を拭う仕草をした。「あんたの中等部での都市伝説ランク、もう保安部の教材を超えてるんじゃない?」
「一ミリも嬉しくない。ありがとう」
「いや、これはいいことだろ」Dが顎に手を当て、大真面目な顔ででたらめを言い始めた。「お前は今や天然の威嚇兵器だ。今後の艦内対侵入演習じゃ、お前が廊下の突き当たりに立ってるだけでいい。敵の士気は即座にゼロだ」
「先にあんたの士気をゼロにしてやろうか」
「勘弁してくれ。俺は今日、八十点でようやく生き延びた命なんだ。特別に大事にしたい」
私は白い目を向けたが、本気で怒る気にはなれなかった。
ただ、その廊下を歩きながら、気分はどこか妙だった。
荒唐無稽と呼ぶべきか、居心地が悪いと呼ぶべきか、自分でもよく分からない。
昨日の事件が残したものは、どうやら違反報告書一枚と、教官式の筆記試験による報復だけではなかったらしい。誰かがどこかで何かを掘り起こし、それが艦内の噂話のようにあちこちへ流れ始めている。
――星野霜は、かつて帝国の戦艦に斬り込んだことがある。
――艦ごと敵を粉砕したこともある。
言われなくても分かる。この手の話が、「英雄伝説が一番好き」で「本物の血を見るのが一番怖い」という、ちょうど中途半端な年頃の中等部の連中に届いたら、どう発酵するかくらい。
たぶん今の彼らの目には、私はもう「少し関わりたくない先輩」から、「普段は黙っているが、動けば人の歯を飛ばし、艦で敵を轢き潰せる危険生物」へと格上げされているのだろう。
……正直、いい加減にしてほしい。
でも、なぜか。
昨日の、胸が詰まって自分を丸ごと解体してやり直したくなるようなあの息苦しさに比べれば、今のこの荒唐無稽さの方が、まだ呼吸しやすかった。
少なくとも、彼らは一つのことを学び始めている。
他人の身体を笑いのネタにするのは、ユーモアじゃない。
それは、命知らずって言うんだ。
そして私は、その区別を人に思い知らせるのが、わりと得意な方だ。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




