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臨界の星穹  作者: Mr.佐藤焫焵
士官学校編
279/320

83. 零式格闘艇  3

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。

三回目――今日最後のラウンドが始まると、チャンネルの空気は明らかに変わっていた。


さっきまでの「うわまた回った」だの「ああああ」が飛び交う騒ぎは影を潜める。 口の軽いやつはまだ喋るし、緊張しているやつはまだ緊張している。加速に入った途端に罵りたくなる病も完治はしていない。 それでも、その下にようやく一つ、まともなものが敷かれた。


テンポだ。


まず、第一波が上がる。


ロイ、ハーヴィー、アッシュの零式三機が、前方へときっちり圧をかけながら進む。 無理に詰めない。無駄に追いすがらない。 ただ、いちばんきれいな角度だけで、飛田の進路を狭めていく。


飛田もすぐにそれを察した。 彼の零式は、黒い魚雷のように三機のあいだを一度滑り抜け、その反動でロイを一輪の疑似的な火花に変えた。


「やられた!」 ロイがチャンネルで叫ぶ。


「叫び声でかい!」 Dが即座に返す。


第二波がすぐに切り込む。


D、エヴリン、アイダ、アカリ、蘭が側方から角度を潰しにかかる。 技量の粗さはまだある。だが、人数の多さと角度の多様さで、空域全体を、きれいとは言い難いが、それなりに目障りな網に変える。


飛田は、それでも速く切り裂いていく。


エヴリンが先に弾き飛ばされる。 「ロックしたロックした!」とDが叫んだ次の瞬間、蘭に「それ、味方」と冷たく指摘されて沈黙する。 アイダとアカリはほとんど寄り添うような間合いで飛び、一人がテンポを一定に保ち、もう一人が角度を矢継ぎ早に報告する。その二人で、ほんの瞬間だが、飛田の進路を内側へ押し込むことに成功した。


その一瞬――。


「星野」 真紀の声が入る。


深く息を吸う。


「了解」


私たち二機の零式が、内側から切り込む。


もう、ここでは装わない。


右手で操縦桿を抑え込み、左手で推力を抜き、機首を落とす。 一見、直線的に追うように見せておいて、最後の瞬間に半段だけ推力を緩め、機体全体を、堪え性を失った刃のように側下へ滑らせる。


J.J.が得意で、しつこいくらい叩き込んできた手のひとつだ。


教科書的な、きれいな機動ではない。 ほとんどミスに見える。だが、追ってくる側の視界をほんの一瞬だけズラす、悪質な軌道変更だ。


飛田は、それを認識していた。


完全に食ってかかることはできなかった。 だが、それで十分だった。 彼の離脱線が、半拍ぶんだけ、予定からズレる。


その半拍で足りる。


「今」 真紀が短く叫ぶ。


彼女の零式が、まっすぐすぎる物差しのように別方向から伸びてきて、飛田が回収しようとしていた出口をぴったり塞ぐ。 それは攻撃ではない。扉を閉じる動作だ。


飛田は、もう一度ラインを変えざるを得ない。


そして、そのラインの先端に――


ジェスがいた。


「もらった!」 低く叫ぶ声は、いつもの口喧嘩の声色とは別物だ。


あの一瞬だけ、彼女の声は尖り、妙に鋭く輝いていた。 本当に零式の腹の中で牙を剥いているのが見えるような声。


ジェスはまず機首副砲を点けた。 二条の七・七ミリ脈衝レーザーが、試しでもあり、誘いでもある線を引き、飛田の最後の切り返しの姿勢を、ほんのわずか左へ寄せる。


そして、そこで色気を出さない。


ヒーローの一撃みたいな美しい単発を狙いにいかない。


そのまま、主砲に切り替える。


翼根の二十ミリ九九式プラズマ砲二門が、近距離でひときわ獰猛な光を短く叩き出す。


次の瞬間、命中判定が弾けた。


飛田機の外層シールドのシミュレート値が赤く点滅し、システム音が冷たい調子で告げる。


「有効命中。教官機、被弾判定成立」


チャンネルの中身が、一拍だけ完全に空白になった。


本当に、その一瞬だけ、何も乗らなかった。


そして――


「当たったああああ!」 最初に悲鳴を上げたのは、当然のようにDだ。ほとんど裏返りそうな声で。


「本当に? 本当に当たったの?」 エヴリンも思わず叫ぶ。


「ジェス、おまえマジで――」 ハーヴィーは途中で笑いに変わる。


「言っただろ、噛みつけるって!」 ジェスの声には、自信と興奮が溢れている。獲物の喉笛をようやく噛み抜いた狼みたいな声だ。


その喧噪を断ち切るように、飛田の声が全周波数に乗る。 あまりにも平らな声で。


「静かに」


チャンネルは、一瞬で停止ボタンを押されたみたいに黙る。


「判定、成立」 飛田が言う。 「全員、合格だ」


その瞬間、誰かが長く息を吐く音が、はっきり聞こえた。 半分命を拾い直したみたいな、あの息の出し方。


私も、その一人だ。


正直に言えば、命中のアナウンスが入った瞬間、胸の中で骨を内側からこじ開けていた何かが、一気にしぼんだ気がした。 勝ったからじゃない。今日のは、まだ「勝ち」なんかじゃない。 ただ――さっきまで宇宙の失物箱で互いにぶつかり合っていた連中が、場当たりで組んだ連携で、本当に一度だけでも飛田の機体に有効命中を出した、その事実が、あまりにも非現実的だった。


模擬が終わり、艙蓋がまた開く。


今回は、みんなの降り方が、最初の二回とも違っていた。


疲れているし、汗でぐしゃぐしゃなやつもいるし、顔色が冴えないやつもいる。 でも、そのみっともない中に、一つだけ別のものが混じっている。


たちの悪い種類の高揚だ。


まるで、一通りしつけを食らったあとで、「さっき本当に主のズボンの裾を噛んでやったぞ」と気づいた犬の群れみたいな。


ジェスが地面に降り立つやいなや、Dが飛びつかんばかりに近寄り、抱きつかれかけて、片手で突き放される。


「離れろ」 ジェスが言う。 「失敗の匂いが移る」


「おい! チームワークとか言葉知らないのか!」


「チームでも、おまえを抱く義理はない」


ハーヴィーは横で笑いながら、少し息を切らしている。 ロイは汗を拭きながら、まだ真面目にそれぞれの角度を頭の中でなぞっている。 エヴリンとアイダは端末を見合わせて、最後の封じ込めのラインを確認し合っている。アカリはもう当然のように復盤に入っていて、蘭は少し離れたところで、いつもどおりの顔をして立っている――口元が、いつもよりほんの少し緩んでいるようにも見えるが。


私は、手袋を片方脱ぎかけたところで、飛田と目が合った。


……ほら来た。


「星野」


「はい」


「こっちだ」


今度の十本の視線は、さっきよりさらに熱い。


ジェスなんか、腕を組んでこちらを睨みつけながら、「何か吐かせないと今夜ベッドフレームから吊るして尋問するからな」という顔を隠そうともしていない。


見なかったことにして、飛田の前へ出る。


彼は二秒ほど私を見ていた。 視線は重くない。ただ、何かを照合している。


「さっきの、内側の変則ライン」 彼が言う。 「あれ、場当たりじゃないな」


「……報告します。完全な思いつきではありません」


「だろうな」 飛田は私を見据える。 「答えろ。お前の空戦の師匠は、誰だ」


今度は、確認じゃない。


公式な回答を、求めている。


少しの沈黙のあとで、観念して口を開く。


「J.J.リコス大佐です」


飛田は、ごく小さく頷いた。


「やっぱりな」


たったそれだけだ。


だが、その一言には、私がまだ読み切れないものが色々入っていた。 その名前に聞き覚えがあるようでもあり、最初はただ疑っていただけで、今のでピースが揃ったようでもある。


我慢できずに、訊く。


「……本当に知ってるんですか」


「知ってるとは言えないな」 飛田は言う。 「ただ、あいつの教え子の飛び方の噂は聞いてた。今日、現物を見た」


少し間を置いて、さらに続けた。


「まだ、全部は習ってないな」


「それは、こっちがいちばんよく分かってます」


「全部習うと、もっと面倒だ」


「……今の、褒め言葉ですか?」


飛田は私を見て、ふっと口の端だけを上げた。


「警告だ」


名誉にしていいのか、すごく判断に困る。


彼は全員のほうへ向き直り、歩いていく。 そして、立ち止まって声を上げた。


「今日はここまで。第一段階、格闘艇操縦模擬――全員、合格」


今度はシステム音じゃない。彼本人の声だ。


重みが、まったく違う。


最初に静けさが落ちてから、ようやく本当の意味で緩む。 Dはその場で仰向けに倒れ込み、ハーヴィーに靴先でつつかれて、「そこに寝てると、そのまま回収に出される機械部品みたいだぞ」と言われていた。 ジェスはそんなのには構わず、飛田に向かって顎をしゃくる――まるで、さっき一撃当てたのが「偶然じゃない」って証明したくてしょうがない、という顔だ。


飛田は、その挑むような得意顔を拾わない。 ただ、淡々と言う。


「浮かれるな。今日の合格は、上手く飛べたって意味じゃない。ようやく学んだってだけだ――エースは、順番に一人ずつ出ていって、運試しでぶつけるものじゃない」


誰も口答えしない。


あまりにも、的確すぎるからだ。


彼の視線が一人ひとりをなぞり、最後に一瞬だけ私と真紀に留まる。 すぐに、離れた。


「解散」


その一言で、ようやく場がほどける。


息をつこうとしたところに、ジェスが突っ込んでくる。


「星野」 声は、完全に取り立てだ。


「何」


「隠してたな」


「隠してない」


「隠してる」 ジェスは目を細める。 「さっきの内側の切り方が、初めて模擬艙に乗ったやつの動きに見えたか?」


「私、一度も『初めて』って言ってないけど」


「今のでさらにムカついたぞ」


「それは、付き合い始めてからずっとでしょ」


そう言いかけたところで、真紀が横に来た。


私のすぐ隣に、少しだけ身を入れる形で立つ。 それだけで、ジェスが私を掴んでどこかに連れ込む計画が、かなりやりづらくなったのが分かる。


「ジェス」 真紀が言う。 「最後の一発、悪くなかった」


ジェスが、半秒ほど固まる。


この女が自分から人を褒めに行くタイプじゃないのを、全員が知っているからだ。


「……分かってる」 すぐにまた顎を上げて、いつもの生意気な得意顔に戻る。 「私の咬みつきがなかったら、あんたたちの前座なんて意味なかったでしょ」


「そう」 真紀は言う。 「だから、悪くなかった」


平坦で、真っすぐ。


甘さも、社交辞令も、何一つ乗っていない。


だからこそ、いちばん返事に困る。


ジェスは何か噛みつき返そうとして、一度喉で言葉を噛み砕き、結局、鼻を鳴らしただけだった。


「そのくらい分かってるのが、まだマシね」


「最初から分かってる」 真紀は言う。


隣で見ていて、思わず笑いそうになった。


この二人、本当に性質がいい。 一人は刺の生えた火薬袋。 もう一人は冷え切った金属尺。 普段は触れれば爆ぜるくせに、空の上では、どちらも仕事を茶化さない。


そして私は、そのあいだに挟まれて、使い捨ての避雷針みたいな役割を押し付けられている。


真紀が、そこで私のほうを向く。


「あんたも」


「私も、何」


「よく飛んだ」


一瞬、理解が遅れる。


そして、どうしようもなく、耳の後ろが熱くなるのを感じた。


「……今日のあんた、誰かに中身入れ替えられた?」


「入れ替わってない」


「じゃあ、なんで急に人間みたいなこと言うの」


真紀は、こちらを見ながら、ほとんど無垢と言っていいくらいの顔をしていた。


「今日は、あんたが珍しく人間らしいことをしたから」


……はい、撤回。 この女に、三秒以上まともに心拍数を上げさせてもらえることなんて、やっぱり無理だ。


いつの間にかDが起き上がっていて、こちらを露骨にニヤついた顔で見ていた。


「おお〜」 わざとらしく声を伸ばす。 「なんか、戦闘報告書には書いちゃいけない種類の空気、してきたぞ?」


「それは機油の匂い」 通りがかりに、蘭がさくっと刈り込む。


「いや、絶対それだけじゃ――」


「黙れ」 私と真紀が、ほとんど同時に言った。


空気が、一瞬止まる。


Dが目を丸くする。 ジェスは一拍呆けたあと、吹き出した。 ハーヴィーも横を向いて、肩を震わせている。


私はその場で自爆ボタンを探したくなった。


真紀はといえば、まったく表情を崩さず、むしろ私に向き直って一言。


「少なくとも、さっきより連携は取れてる」


「……あんた、そういうのまで採点するつもり?」


「癖だから」


「あんたのその癖、本当に立派な精神攻撃だと思う」


答えの代わりに、真紀の口元が、ほんのわずかに動いた。


小さすぎて、もし私が正面から見ていなかったら、自分の見間違いだと思ったかもしれないくらいの弧。


たったそれだけで、胸のあたりが、また勝手に乱れる。


理不尽な話だ。


さっきまで空の上で部品になりかけていたのはこっちなのに、今さらこいつに一度見られただけで、心臓が余計な仕事量を勝手に増やしている。


私は慌てて視線を外し、中央に据えられた黒い零式の外殻模型に目を移す。


それは相変わらず、機庫の真ん中で、光を飲み込むみたいに黒く佇んでいた。 さっき模擬空域で見せた刃のような圧力が、まだ目の裏に焼き付いて、抜けきらない。


そして、これがまだ「最初の一段階」にすぎないことも、よく分かっている。


四段構成の演習の、ただの入り口。 飛田が、最初に格闘艇で私たちを風の中に放り込んで、「誰が先に翻るか」「誰が先に吐くか」「誰がもともと飛べるか」「誰が、最後の一秒まで追い詰められたとき、本当に隣と揃えて飛べるか」を見ただけの段階だ。


ジェスは、一度だけ飛田に咬みついた。 私たちは全員、合格した。


飛田は、私の背後にいる「リコス」の姓を持った狂人の存在を知った。


真紀も知った。私が再びこれ以上装ったところで、もう見苦しくなるだけだ、ということを。

「とても面白い」★四つか五つを押してね!


「普通かなぁ?」★三つを押してね!


「あまりかな?」★一つか二つを押してね!

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