83. 零式格闘艇 3
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
三回目――今日最後のラウンドが始まると、チャンネルの空気は明らかに変わっていた。
さっきまでの「うわまた回った」だの「ああああ」が飛び交う騒ぎは影を潜める。 口の軽いやつはまだ喋るし、緊張しているやつはまだ緊張している。加速に入った途端に罵りたくなる病も完治はしていない。 それでも、その下にようやく一つ、まともなものが敷かれた。
テンポだ。
まず、第一波が上がる。
ロイ、ハーヴィー、アッシュの零式三機が、前方へときっちり圧をかけながら進む。 無理に詰めない。無駄に追いすがらない。 ただ、いちばんきれいな角度だけで、飛田の進路を狭めていく。
飛田もすぐにそれを察した。 彼の零式は、黒い魚雷のように三機のあいだを一度滑り抜け、その反動でロイを一輪の疑似的な火花に変えた。
「やられた!」 ロイがチャンネルで叫ぶ。
「叫び声でかい!」 Dが即座に返す。
第二波がすぐに切り込む。
D、エヴリン、アイダ、アカリ、蘭が側方から角度を潰しにかかる。 技量の粗さはまだある。だが、人数の多さと角度の多様さで、空域全体を、きれいとは言い難いが、それなりに目障りな網に変える。
飛田は、それでも速く切り裂いていく。
エヴリンが先に弾き飛ばされる。 「ロックしたロックした!」とDが叫んだ次の瞬間、蘭に「それ、味方」と冷たく指摘されて沈黙する。 アイダとアカリはほとんど寄り添うような間合いで飛び、一人がテンポを一定に保ち、もう一人が角度を矢継ぎ早に報告する。その二人で、ほんの瞬間だが、飛田の進路を内側へ押し込むことに成功した。
その一瞬――。
「星野」 真紀の声が入る。
深く息を吸う。
「了解」
私たち二機の零式が、内側から切り込む。
もう、ここでは装わない。
右手で操縦桿を抑え込み、左手で推力を抜き、機首を落とす。 一見、直線的に追うように見せておいて、最後の瞬間に半段だけ推力を緩め、機体全体を、堪え性を失った刃のように側下へ滑らせる。
J.J.が得意で、しつこいくらい叩き込んできた手のひとつだ。
教科書的な、きれいな機動ではない。 ほとんどミスに見える。だが、追ってくる側の視界をほんの一瞬だけズラす、悪質な軌道変更だ。
飛田は、それを認識していた。
完全に食ってかかることはできなかった。 だが、それで十分だった。 彼の離脱線が、半拍ぶんだけ、予定からズレる。
その半拍で足りる。
「今」 真紀が短く叫ぶ。
彼女の零式が、まっすぐすぎる物差しのように別方向から伸びてきて、飛田が回収しようとしていた出口をぴったり塞ぐ。 それは攻撃ではない。扉を閉じる動作だ。
飛田は、もう一度ラインを変えざるを得ない。
そして、そのラインの先端に――
ジェスがいた。
「もらった!」 低く叫ぶ声は、いつもの口喧嘩の声色とは別物だ。
あの一瞬だけ、彼女の声は尖り、妙に鋭く輝いていた。 本当に零式の腹の中で牙を剥いているのが見えるような声。
ジェスはまず機首副砲を点けた。 二条の七・七ミリ脈衝レーザーが、試しでもあり、誘いでもある線を引き、飛田の最後の切り返しの姿勢を、ほんのわずか左へ寄せる。
そして、そこで色気を出さない。
ヒーローの一撃みたいな美しい単発を狙いにいかない。
そのまま、主砲に切り替える。
翼根の二十ミリ九九式プラズマ砲二門が、近距離でひときわ獰猛な光を短く叩き出す。
次の瞬間、命中判定が弾けた。
飛田機の外層シールドのシミュレート値が赤く点滅し、システム音が冷たい調子で告げる。
「有効命中。教官機、被弾判定成立」
チャンネルの中身が、一拍だけ完全に空白になった。
本当に、その一瞬だけ、何も乗らなかった。
そして――
「当たったああああ!」 最初に悲鳴を上げたのは、当然のようにDだ。ほとんど裏返りそうな声で。
「本当に? 本当に当たったの?」 エヴリンも思わず叫ぶ。
「ジェス、おまえマジで――」 ハーヴィーは途中で笑いに変わる。
「言っただろ、噛みつけるって!」 ジェスの声には、自信と興奮が溢れている。獲物の喉笛をようやく噛み抜いた狼みたいな声だ。
その喧噪を断ち切るように、飛田の声が全周波数に乗る。 あまりにも平らな声で。
「静かに」
チャンネルは、一瞬で停止ボタンを押されたみたいに黙る。
「判定、成立」 飛田が言う。 「全員、合格だ」
その瞬間、誰かが長く息を吐く音が、はっきり聞こえた。 半分命を拾い直したみたいな、あの息の出し方。
私も、その一人だ。
正直に言えば、命中のアナウンスが入った瞬間、胸の中で骨を内側からこじ開けていた何かが、一気にしぼんだ気がした。 勝ったからじゃない。今日のは、まだ「勝ち」なんかじゃない。 ただ――さっきまで宇宙の失物箱で互いにぶつかり合っていた連中が、場当たりで組んだ連携で、本当に一度だけでも飛田の機体に有効命中を出した、その事実が、あまりにも非現実的だった。
模擬が終わり、艙蓋がまた開く。
今回は、みんなの降り方が、最初の二回とも違っていた。
疲れているし、汗でぐしゃぐしゃなやつもいるし、顔色が冴えないやつもいる。 でも、そのみっともない中に、一つだけ別のものが混じっている。
たちの悪い種類の高揚だ。
まるで、一通りしつけを食らったあとで、「さっき本当に主のズボンの裾を噛んでやったぞ」と気づいた犬の群れみたいな。
ジェスが地面に降り立つやいなや、Dが飛びつかんばかりに近寄り、抱きつかれかけて、片手で突き放される。
「離れろ」 ジェスが言う。 「失敗の匂いが移る」
「おい! チームワークとか言葉知らないのか!」
「チームでも、おまえを抱く義理はない」
ハーヴィーは横で笑いながら、少し息を切らしている。 ロイは汗を拭きながら、まだ真面目にそれぞれの角度を頭の中でなぞっている。 エヴリンとアイダは端末を見合わせて、最後の封じ込めのラインを確認し合っている。アカリはもう当然のように復盤に入っていて、蘭は少し離れたところで、いつもどおりの顔をして立っている――口元が、いつもよりほんの少し緩んでいるようにも見えるが。
私は、手袋を片方脱ぎかけたところで、飛田と目が合った。
……ほら来た。
「星野」
「はい」
「こっちだ」
今度の十本の視線は、さっきよりさらに熱い。
ジェスなんか、腕を組んでこちらを睨みつけながら、「何か吐かせないと今夜ベッドフレームから吊るして尋問するからな」という顔を隠そうともしていない。
見なかったことにして、飛田の前へ出る。
彼は二秒ほど私を見ていた。 視線は重くない。ただ、何かを照合している。
「さっきの、内側の変則ライン」 彼が言う。 「あれ、場当たりじゃないな」
「……報告します。完全な思いつきではありません」
「だろうな」 飛田は私を見据える。 「答えろ。お前の空戦の師匠は、誰だ」
今度は、確認じゃない。
公式な回答を、求めている。
少しの沈黙のあとで、観念して口を開く。
「J.J.リコス大佐です」
飛田は、ごく小さく頷いた。
「やっぱりな」
たったそれだけだ。
だが、その一言には、私がまだ読み切れないものが色々入っていた。 その名前に聞き覚えがあるようでもあり、最初はただ疑っていただけで、今のでピースが揃ったようでもある。
我慢できずに、訊く。
「……本当に知ってるんですか」
「知ってるとは言えないな」 飛田は言う。 「ただ、あいつの教え子の飛び方の噂は聞いてた。今日、現物を見た」
少し間を置いて、さらに続けた。
「まだ、全部は習ってないな」
「それは、こっちがいちばんよく分かってます」
「全部習うと、もっと面倒だ」
「……今の、褒め言葉ですか?」
飛田は私を見て、ふっと口の端だけを上げた。
「警告だ」
名誉にしていいのか、すごく判断に困る。
彼は全員のほうへ向き直り、歩いていく。 そして、立ち止まって声を上げた。
「今日はここまで。第一段階、格闘艇操縦模擬――全員、合格」
今度はシステム音じゃない。彼本人の声だ。
重みが、まったく違う。
最初に静けさが落ちてから、ようやく本当の意味で緩む。 Dはその場で仰向けに倒れ込み、ハーヴィーに靴先でつつかれて、「そこに寝てると、そのまま回収に出される機械部品みたいだぞ」と言われていた。 ジェスはそんなのには構わず、飛田に向かって顎をしゃくる――まるで、さっき一撃当てたのが「偶然じゃない」って証明したくてしょうがない、という顔だ。
飛田は、その挑むような得意顔を拾わない。 ただ、淡々と言う。
「浮かれるな。今日の合格は、上手く飛べたって意味じゃない。ようやく学んだってだけだ――エースは、順番に一人ずつ出ていって、運試しでぶつけるものじゃない」
誰も口答えしない。
あまりにも、的確すぎるからだ。
彼の視線が一人ひとりをなぞり、最後に一瞬だけ私と真紀に留まる。 すぐに、離れた。
「解散」
その一言で、ようやく場がほどける。
息をつこうとしたところに、ジェスが突っ込んでくる。
「星野」 声は、完全に取り立てだ。
「何」
「隠してたな」
「隠してない」
「隠してる」 ジェスは目を細める。 「さっきの内側の切り方が、初めて模擬艙に乗ったやつの動きに見えたか?」
「私、一度も『初めて』って言ってないけど」
「今のでさらにムカついたぞ」
「それは、付き合い始めてからずっとでしょ」
そう言いかけたところで、真紀が横に来た。
私のすぐ隣に、少しだけ身を入れる形で立つ。 それだけで、ジェスが私を掴んでどこかに連れ込む計画が、かなりやりづらくなったのが分かる。
「ジェス」 真紀が言う。 「最後の一発、悪くなかった」
ジェスが、半秒ほど固まる。
この女が自分から人を褒めに行くタイプじゃないのを、全員が知っているからだ。
「……分かってる」 すぐにまた顎を上げて、いつもの生意気な得意顔に戻る。 「私の咬みつきがなかったら、あんたたちの前座なんて意味なかったでしょ」
「そう」 真紀は言う。 「だから、悪くなかった」
平坦で、真っすぐ。
甘さも、社交辞令も、何一つ乗っていない。
だからこそ、いちばん返事に困る。
ジェスは何か噛みつき返そうとして、一度喉で言葉を噛み砕き、結局、鼻を鳴らしただけだった。
「そのくらい分かってるのが、まだマシね」
「最初から分かってる」 真紀は言う。
隣で見ていて、思わず笑いそうになった。
この二人、本当に性質がいい。 一人は刺の生えた火薬袋。 もう一人は冷え切った金属尺。 普段は触れれば爆ぜるくせに、空の上では、どちらも仕事を茶化さない。
そして私は、そのあいだに挟まれて、使い捨ての避雷針みたいな役割を押し付けられている。
真紀が、そこで私のほうを向く。
「あんたも」
「私も、何」
「よく飛んだ」
一瞬、理解が遅れる。
そして、どうしようもなく、耳の後ろが熱くなるのを感じた。
「……今日のあんた、誰かに中身入れ替えられた?」
「入れ替わってない」
「じゃあ、なんで急に人間みたいなこと言うの」
真紀は、こちらを見ながら、ほとんど無垢と言っていいくらいの顔をしていた。
「今日は、あんたが珍しく人間らしいことをしたから」
……はい、撤回。 この女に、三秒以上まともに心拍数を上げさせてもらえることなんて、やっぱり無理だ。
いつの間にかDが起き上がっていて、こちらを露骨にニヤついた顔で見ていた。
「おお〜」 わざとらしく声を伸ばす。 「なんか、戦闘報告書には書いちゃいけない種類の空気、してきたぞ?」
「それは機油の匂い」 通りがかりに、蘭がさくっと刈り込む。
「いや、絶対それだけじゃ――」
「黙れ」 私と真紀が、ほとんど同時に言った。
空気が、一瞬止まる。
Dが目を丸くする。 ジェスは一拍呆けたあと、吹き出した。 ハーヴィーも横を向いて、肩を震わせている。
私はその場で自爆ボタンを探したくなった。
真紀はといえば、まったく表情を崩さず、むしろ私に向き直って一言。
「少なくとも、さっきより連携は取れてる」
「……あんた、そういうのまで採点するつもり?」
「癖だから」
「あんたのその癖、本当に立派な精神攻撃だと思う」
答えの代わりに、真紀の口元が、ほんのわずかに動いた。
小さすぎて、もし私が正面から見ていなかったら、自分の見間違いだと思ったかもしれないくらいの弧。
たったそれだけで、胸のあたりが、また勝手に乱れる。
理不尽な話だ。
さっきまで空の上で部品になりかけていたのはこっちなのに、今さらこいつに一度見られただけで、心臓が余計な仕事量を勝手に増やしている。
私は慌てて視線を外し、中央に据えられた黒い零式の外殻模型に目を移す。
それは相変わらず、機庫の真ん中で、光を飲み込むみたいに黒く佇んでいた。 さっき模擬空域で見せた刃のような圧力が、まだ目の裏に焼き付いて、抜けきらない。
そして、これがまだ「最初の一段階」にすぎないことも、よく分かっている。
四段構成の演習の、ただの入り口。 飛田が、最初に格闘艇で私たちを風の中に放り込んで、「誰が先に翻るか」「誰が先に吐くか」「誰がもともと飛べるか」「誰が、最後の一秒まで追い詰められたとき、本当に隣と揃えて飛べるか」を見ただけの段階だ。
ジェスは、一度だけ飛田に咬みついた。 私たちは全員、合格した。
飛田は、私の背後にいる「リコス」の姓を持った狂人の存在を知った。
真紀も知った。私が再びこれ以上装ったところで、もう見苦しくなるだけだ、ということを。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




