77. クソガキどものせいで胃が痛い 1
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
甲板の風は、さっきより少し冷たくなっていた。
気温が本当に下がったわけではない。雪風全体が、「あと数分すれば、誰も知らんぷりはできない」という状態に入りかけていた。補給車が引き上げ、吊りアームが収まり、岸壁側の作業員が標線に沿って足早に退いていく。艦側に固定されていた接舷プラットフォームが、一つ、また一つと固定位置を外れていった。さっきまで自力で増殖しているように見えた中等部の小鬼たちも、竹中曹長と各クラスの引率教師による挟み撃ちで、どうにか指定区画に押し込められていた。
私は上甲板のやや後ろ寄りに立ち、制服の布地の下を朝の風が抜けていく冷たさを、肩越しにまだ感じていた。隣には真紀、反対側には第一ラウンドの保母仕事を強制終了させられたばかりのDがいる。ジェスは少し離れたところで、「もう人生に何も期待していない」とでも書いてありそうな顔をしながらも、大人しく線の内側に立っていた。
そこで、艦内放送が鳴った。
今度の声は、昨夜のような抑え気味の夜間管理放送とは違った。もっと短く、もっと硬く、骨が直接鉄板を叩くような調子だった。
「全艦注意。出港部署」
半秒の間を置いて――甲板上の空気ごと締め上げるようなあの口令が落ちた。
「――総員、出港部署につけ」
背筋に、わけもなく震えが走った。
これは昨夜の「明朝六時起床」とはまるで別物だった。昨夜の命令は、艦が夜をたたむための合図だった。今のこの一声は――艦がようやく肺を開いて、本当に呼吸を始めるための音だった。
「お、来たな」Dが低く言った。声にどこか興奮が混じっていた。
「楽しそうだね」私は小声で返した。
「当たり前だろ」彼は前を見たまま言った。「教科書で読むとロマンで、現場で聞くと天罰だ。俺はどっちも好きなんだよ」
「あんたの趣味、本当に歪んでる」
真紀が隣で、視線を艦橋の方向へ少し上げた。
「静かに。命令が来る」
言い終わるか終わらないかのうちに、前方の艦橋外部スピーカーから、再び飛田艦長の声が流れた。昨夜の落ち着いた調子とは違い、今の言葉は短く、鋭く、一語一語の角があらかじめ削り出されて、そのまま手順を切り分けるために使われているようだった。
「離岸用意」
甲板の向こう側から、即座に復唱が返ってきた。
「離岸用意、よし!」
艦側の作業位置をすべて見通せるわけではなかったが、音と振動だけで、雪風が一層ずつ港から自分を剥がしていくのがわかった。固定具が外れる金属音、甲板下で大型機械が待機状態に入るときの低い唸り、通信の中を一件また一件と流れていく確認応答――どれも抑制が利いていた。それなのに、その抑制ぶりがかえってはっきりと伝えてくる。これは演習でも、展示でもない。本当に、出て行くのだ。
次の命令が落ちたとき、私は気づかないうちに息を止めていた。
「前後部、係船索離せ」
「前部、よし!」「後部、よし!」
その瞬間、雪風の艦体から、言葉にしづらい感覚が伝わってきた。
激しく震えたわけでもない。映画のような大袈裟な起動音が鳴ったわけでもない。ただ、巨大なものがついに自分の意志で動く決心をしたとき、骨格の奥底から伝わってくる、微かな弛み――そんな感じだった。甲板の下から、非常に安定した振動が滲み上がってくる。まず靴底に、次いで脛へ。一八五万トン――いや、十八万五千トンのこの巨体が、低く一息ついて、自分の重さを港の手のひらから取り戻したかのようだった。
後ろのほうで、中等部の女子生徒が声を押し殺して叫んだ。
「ちょ、ちょっと、本当に動いた――」
隣の子がすぐに息を呑んだ。
「もっと大きい音がするんだと思ってた!」
「もっと大きい音が聞きたいなら、あとで駆動炉のすぐ隣に立って聞けばいいわよ」ジェスが振り向きもせずに言った。「竹中曹長が先に許してくれれば、だけど」
二人はその場で肩をすくめた。
……いい。ジェスはすでに「無理やり子供の管理を手伝わされたついでに、脅すのも業務の範囲内」というモードに入っていた。
前方から、また命令が続いた。
「取舵五度」
「取舵五度、よし!」
「両舷、微速前進」
甲板下の振動が、さらにはっきりしてきた。
今度は、雪風が本当に離れていくのがわかった。単純な「前進」ではない。まず、理不尽なほど巨大な金属の生き物が、ゆっくりと自分の身体を港の拘束から引き抜き、それから命令通りに角度を修正し、距離を開いていく。遠くの桟橋、補給車、作業員、港のライトポールが、視界の中でごくゆっくりと位置を変えていった。世界が退いているのではない。私たちが、出て行くのだ。
少しずつ広がっていく港との距離を見つめていたら、胸の内側が、妙に熱くなってきた。
昨夜、私は八人部屋のベッドに横たわって、初めて「艦に乗った」という実感を持った。だが今、港が本当に一寸一寸遠ざかっていくのを見て、それがまったく別の二つのことだとわかった。
乗艦は、ひとつのことだ。
離港は、もうひとつの、別のことだ。
乗艦は、この艦の腹の中に足を踏み入れることに過ぎない。離港は、この艦が自分ごと、私を元いた場所から連れ去っていくことだ。それは象徴的な意味ではなく、物理的に、制度的に、日常のすべてが、まとめてそうなるということだった。
「顔色、おかしいわよ」真紀がふいに低く言った。
振り向いた。
「そう?」
「そう」彼女は一瞥して、変わらない調子で続けた。「あとで吐きそうになったら、先に言って」
「誰がこんなときに吐くのよ」
「見た感じ、そうなりそうだけど」
「これは感動よ。艦酔いじゃない」
「余計、怪しいわね」
言い返そうとした瞬間、前方から飛田艦長の声が再び落ちてきた。
「面舵一〇度。針路修正。港外誘導航路接続」
なぜかわからないが、そのとき強くこう思った――飛田艦長という人は、普段はどこか怠そうで、散漫で、あの淡々とした調子でジェスをいなしたりもする。だが、いったん艦橋に立って命令を下し始めると、彼は一本の張り詰めた鋼索になる。声が大きくなるわけでも、荒くなるわけでもない。ただ、より正確になる。一語一語が、自分がどこに落ちるか、次に何を動かすかを知っている声だった。
そしてそういう人間の隣に、よりによってエレナ少佐が立っている。
そう思うと、つい艦橋の上を見上げた。
細部までは見えなかった。それでも、彼女がそこに立っている様子はほとんど想像できた。銀白色の短髪は一筋も乱れず、灰色の瞳はデータに向き、戦術眼鏡が青い光を帯び、全身が艦橋に静かに差し込まれた一本の刃のようだ。飛田艦長が命令を下す人間なら、彼女はきっと、その命令をひとつも誤らせない人間なのだろう。
……そう考えると、飛田艦長が彼女を少し怖がっているように見える理由も、前よりずっと腑に落ちる気がした。
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雪風が正式に泊位を離れてほどなく、私たちは上甲板から艙内へ移動するよう指示された。
理由は単純だった。全員編制点呼だ。
そして、この「全員編制点呼」は、私が思っていたよりずっと大規模な人間整理術だった。
四百五十名を超える基幹乗員、後方支援要員、陸戦隊員、そこに乗り込んできた学生たちを、まとめて一か所に集めて名前を呼んでいく――なんてことはしない。そんなことをしたら、雪風は今日の正午までに正規の業務を片付けられないだろう。本当の艦上点呼は、部門別に、区画別に、編制別に、一層ずつ報告を積み上げていく。艦の中で呼吸しているすべての部分を、ひとつずつ座標に押し戻していく作業だった。
私たちは、大きな集結艙に連れて行かれた。
そこは機庫付属の待機区と大型会議艙の中間くらいの場所で、大人数を収めるだけの広さがあり、それでいて濃い艦内らしさを残していた。灰黒色の耐摩耗床、四方に埋め込まれたライン照明、壁際の固定シート、頭上には収納式の投影スクリーンと艙内配置図がいくつも吊られている。空気そのものが、「ここは人を安らがせる場所ではなく、人を秩序立てるための場所だ」と語っているようだった。
中等部の一団は、教師と竹中曹長の部下に連れられて反対側にまとめられていた。私たち一四四班は、前列やや右寄りの位置に配置された。特に目立つ場所ではないが、士官がいつでも呼びやすい位置だということは明らかだった。
「嫌な予感しかしない」ジェスが小声で言った。
「乗艦してから、十分おきに嫌な予感がしてるじゃないか」隣のDが返した。
「この艦が毎回ちゃんと証明してくれるからよ」
「それは、確かにそうだな」私も言った。
アカリはすでに背筋を伸ばして座り、端末を開いていた。いつでも書き取れる構えだった。ロイと蘭は並んで座っている。ロイの体格が固定シートに収まると、「椅子が相当頑張っている」という実感があった。蘭は「手順さえ早く済めば、この世界を一時的に許してやってもいい」という冷淡な顔をしていた。
真紀は私の隣に座った。
座った瞬間から静かで、手は膝の上、背筋は一直線。軍校教材の「着席姿勢・合格例」にそのまま使えそうだった。横目でこっそり見て、この人は眠るときも同じ脊椎の角度を保っているのだろうか、と本気で訊きたくなった。
だが訊く前に、前方で点呼が始まった。
「機関科、報数」
「機関科、応到八十六、実到八十六!」
「航海科、報数」
「航海科、応到三十二、実到三十二!」
「戦術科、報数」
「戦術科、応到二十七、実到二十七!」
報告が一件ずつ、錠前が嵌まるように積み重なっていった。雪風の内部構造が、一節ずつ締め直されていく感覚だった。部門ごとに声の質は違う。太いもの、硬いもの、速いもの、直前まで当直に張り付いていた疲れをまだ喉に残しているもの。それでも、すべての報告には同じ味があった――正確で、簡潔で、引きずらない。
実習生編制の番になったとき、私は思わず背筋を伸ばした。
「実習生編組、報数」
アッシュが立ち上がった。
今日の彼は、明らかに三か月分は前倒しで大人にさせられていた。クリップボードをしっかり抱え、声からは学生らしさが二割ほど抜け、「ここで手順を潰したら即死する」という覚悟が二割ほど加わっていた。
「一四四班実習生、応到十一、実到十一!」
続いて、反対側から引率教師の報告が上がった。
「中等部見学組、応到百二十七、実到百二十七!」
……百二十七。
その数字を聞いた瞬間、胃のあたりが妙に縮んだ。
さっきの人波は、気のせいではなかった。本物だった。
点呼がすべて終わり、前方が一瞬だけ静かになった。
そして、エレナ少佐が前に出た。
彼女が最前列に立った途端、集結艙全体の気圧が再校正されたような感じがした。特に大きな動作をしたわけでも、意図的に人を怖がらせようとしたわけでもない。むしろ逆で、動きは少なく、立ち姿は安定していて、声も高くはなかった。それでも、低く、明確で、余計な一語もないその話し方は、本能的にこう思わせた――今、咳払いなんかしたら、それだけで邪魔になる。
彼女は全体を一度見渡し、口を開いた。
「点呼完了。以下、航行期間中の実習生臨時職責分配を発令する」
隣の真紀が、ごくわずかに動いた。
緊張ではない。「ようやく来た」という準備に近かった。
エレナ少佐は原稿を見ず、端末の投影を一瞥しただけで読み上げに入った。
「まず、原則をはっきりさせておく。諸君は雪風における実習生であって、観光客ではない。活動範囲、接触権限、勤務参加、すべて分配に従って行動すること。命令なくして勝手な判断をするな。引率者なくして制限区に立ち入るな。『たぶん大丈夫』と思ったことは、大抵大丈夫ではない」
「第二。中等部見学組は、航行期間中、保安部、引率教師、各区画要員の共同管理とする。一四四班は正式な管教編制には含めないが、臨時補助編制には含める。わかりやすく言えば――人手が要るときは、諸君が出る」
ジェスが前列で、ほとんど聞こえないくらいの不服な鼻音を立てた。
エレナ少佐は彼女を見ていなかった。だが、すべて知っているようだった。
「マッカロウ。意見があるなら、私が話し終えてから死ね」
一列が、瞬時に静まり返った。
舌を噛みそうになった。
Dが頭を下げ、肩が明らかに怪しく震えていた。
……間違いない。笑っている。
エレナ少佐は、まったく調子を変えずに続けた。
「以下、分配」
投影スクリーンが点いた。
「アイダ・ローゼン、エヴリン・サド――女子見学組前導、兼生活区秩序調整。必要時は保安部を支援すること。二人の仕事は、なだめることではない。隊列を目的地まで連れて行くことだ。一人でも欠けたら不合格」
アイダが端的に答えた。「了解」
エヴリンは軽く笑い、柔らかく、しかし揺るぎない声で言った。「承知しました」
「ロイ・ハルトマン、蘭・ヴァイス――中段通路秩序維持、兼装備搬送と集合区再編組。押し合い、落伍、物資の詰まりが起きたら、まず二人が動くこと」
ロイが頷いた。
蘭は短く一言。「了解」
「ハーヴィー・ノックス、アカリ・フラック――後段巡回、兼後方補充。人数、欠員、いまにも問題を起こしそうな個体を見ること。事が炸裂してから動くな」
ハーヴィーは「やっぱり俺か」という顔で、だるそうに手を挙げた。「わかった」
アカリはさらに少し背筋を伸ばした。「了解」
「ドワイト・“D”・バークリー、ジェス・マッカロウ――側面機動支援。通路の節点処理、臨時遮断、落伍者の回収を優先すること。簡単に言えば、一番荒れているところへ行け」
Dは今度は本当に笑った。
「この職名、格好いいな」
ジェスが即座に振り向いて睨んだ。
「喜んでる場合? どう見ても、私たちを人型バリケード扱いしてるだけでしょ」
エレナ少佐が淡々と補った。
「判断は正しい」
今度は私まで堪えきれなくなった。
「アッシュ・ヴァンダー――実習総表の統括、区画間の引き継ぎ記録、日次報告の整理。この実習計画を提出したのがあなたなら、その後の実施状況を追うのもあなたの仕事だ。書くだけで済ませないこと」
アッシュの表情が複雑になった。
「合理的なのはわかっている。だが、報いがこんなに早く来る理由は誰かに聞きたい」という種類の複雑さだった。
「……了解」
「星野霜、九島真紀――中線機動監督、兼中等部高リスク個体の識別および回収」
その場で、自分の耳を疑った。
……何?
高リスク個体の識別および回収?
これは、人間に割り振る職務名なのか?
真紀は眉ひとつ動かさず、静かに答えた。「了解」
私は半拍遅れて、どうにか続いた。
「……了解です」
そこで初めて、エレナ少佐がこちらに目を向けた。正確には、私を見た。
灰色の瞳が戦術眼鏡越しに向けられた瞬間、艦上で私が考えていた余計なことのすべてが、そのまま大型スクリーンに投影されているような錯覚がした。
「星野。質問は?」
慌てて背筋を伸ばした。
「報告、ひとつだけあります」
「言え」
「……高リスク個体の識別および回収とは、具体的には?」
エレナ少佐は考える間もなく答えた。
「一番、事件を起こしそうな顔をしている連中。無断で走り出す者、無断で口を開く者、無断で触る者、無断で余計な質問をする者、無断で自分の度胸を証明したがる者を見ること」
一拍置いて、声はあくまで平坦なまま、刃の角度だけが変わった。
「さっきの対応は悪くなかった。続けなさい。九島の制止効率は高い。あなたの補足も、ぎりぎり使える。二人一組で、ちょうどいい」
その場に座ったまま、一瞬、本気で迷った。褒められた半分を先に喜ぶべきか、今日から正式に問題児回収の半職業要員になった事実を先に悼むべきか。
ジェスが隣で、極めて低い笑い声を漏らした。
睨むと、彼女はわざとらしくウインクを返してきた。
……この女、いつか天罰が来る。
「最後に」エレナ少佐が言った。「共通事項は以下の通り」
投影が次のページに切り替わった。
「第一。すべての実習生は、毎日午前・午後の二交代で輪番当直に就く。非当直時間は自由行動ではなく、待機とみなす。第二。艦橋、CIC、機関区画、炉区、弾薬層、飛行甲板作業区――点名なくして立ち入るな。第三。中等部の生徒に何かあれば、まず人を処置し、次に責任を処理し、最後に報告を書け。順番を取り違えるな。第四――」
彼女の視線が、冷ややかに私たちの列をなぞった。
「自分たちが中等部生より数歳年上だからといって、一緒になって馬鹿をやるな」
明らかに、一四四班全体に向けられた一言だった。
そして私はかなりの確信をもって言えるが、その精神の半分はジェスとDに、残りの半分は時々巻き込まれがちな誰かに向けられていた。
Dは今回はさすがに観念したように鼻をさすった。
ジェスは「どう見ても私を狙ってるでしょ」という顔をしていたが、反論できなかった。あまりにも正解すぎて。
エレナ少佐は端末を閉じ、調子を変えずに締めくくった。
「以上。職責は名誉ではない。仕事だ。雪風に乗ると決めた以上、雪風の規律で動きなさい」
そう言って、一歩退いた。
まるでそのタイミングを測っていたかのように、飛田艦長が前に出た。
エレナ少佐ほど冷たくはなく、竹中曹長ほど硬くもない。彼はむしろ、「一度は息をつかせてくれそうに見えて、次の一言で『本当に気を抜いていいわけじゃない』と思い出させてくる」タイプの人間だった。
「今、エレナ少佐が話したことが、この数日の基本線だ」彼は手の中で識別票を軽く回しながら、いつも通りの緩急のない口調で言った。「この分配を重く考えすぎるな。だが、軽く見るのもやめておけ。雪風は普段、規律の多い駆逐艦に見えるだろうが、本当に厄介なのは規律そのものじゃない。『規律は他人に守らせるためにある』と思い込んでいる誰かのほうだ」
……どう聞いても、経験談だった。
そしてこの艦では、それがおそらく一度や二度では済んでいないのだろうと思った。
飛田艦長は中等部の集結エリアに一瞥をくれ、口元をごくわずかに上げた。
「それと、今日から正式に副業開始だ。おめでとう」
場内が半秒、静止した。
なぜか、笑いそうになった。
台詞が面白かったからではない。あまりにも的確だったからだ。
そうだ、副業。艦上実習に来たつもりが、いつの間にか仕事内容に秩序維持、半職業的な引率、幼体回収、通路封鎖、高リスク個体識別が追加されていた。これはもう単純な実習ではない。雪風が、使える人間を最も効率的な方法で自分の日常へ折り畳んでいるだけだ。
集結解散の号令が出て、人の波が分かれ始めた。私がまだ席で半分ぼんやりしていると、真紀はすでに立ち上がり、こちらを見下ろしていた。
「行くわよ」
顔を上げた。
「……この分配、妥当だと思う?」
彼女は少し考えて、腹立たしいほど冷静な声で言った。
「妥当ね」
「どこが?」
「あなたは人と話せる。私は人を黙らせられる」彼女は言った。「これが、一番効率がいい」
一瞬、言葉が止まった。
……くそ。
この分類、完璧に反論できない。
立ち上がりながら、小声でぼやいた。「こういうときだけ、妙に自己分析が的確だよね、あんた」
真紀が横目で見た。
「何か問題でも?」
「ないけど――」
そこで一拍置き、正直に言った。
「雪風が港を出た瞬間から、私たちの人生が、いきなり妙で、でも絶対に逃げられない手順に組み込まれた気がして」
真紀は珍しく、すぐには返さなかった。
集結艙の外、分流し始めた通路の人波を一度見て、二秒ほどしてから、静かに言った。
「軍艦なんて、もともとそういうものよ」
「どういうもの?」
「最初は船に見える。でも長く乗っていると、その実体が『人を呑む制度』だってわかってくる」
その言い方が物騒すぎると先に突っ込むべきか、的確すぎて怖いと先に認めるべきか、一瞬どちらにもなれなかった。
そのとき、前方から竹中曹長の声が飛んできた。
「一四四班、分配通りに散れ! 第一陣の見学学生、五分後に主通道進入。まだ突っ立って考え込んでる奴がいたら、案内板に吊るして教材にするぞ!」
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




