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臨界の星穹  作者: Mr.佐藤焫焵
士官学校編
248/322

72. 乗艦通知 1

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。

不幸な知らせというものは、たいてい、こっちの機嫌が底を打っている瞬間を狙ってはこない。


あいつらが好むのは、もっと別のタイミングだ。「今日いちばん最悪なパートはもう終わった」と油断しかけたところへ、運命が横からひょいと顔を出して、やさしくこう囁いてくる、そういう瞬間。


おはよう、第二ラウンドだよ。


……だいたい、そういう時だ。


あの日の朝食会が終わったあと、私はてっきり、今日の空気はもうアッシュが決定済みだと思っていた。


硬くて、冷たくて、「人間やめて予備軍人を始めろ」と言われているみたいな教育的内容。あのレベルの精神的打撃を一発食らったら、普通は最低でも半日は猶予が与えられてしかるべきだ。


与えられなかった。


テーブルの上のカップと皿を片づけ終わる前に、チャイムが鳴った。


一回だけ、短く。


なのに、あの音を聞いた瞬間、私はなぜか嫌な予感がした。


ジェスは『連邦駆逐艦基本手冊』を宿敵扱いでめくっている最中だった。そう、朝食会からさほど経たないうちに、生徒会の連中は本当にやって来た。しかも胸が悪くなるほど手際がいい。昨夜から二十二号の前で張り込んでいて、精神防御力がいちばん薄くなった瞬間を待ち構えていたとしても驚かないくらいだ。


来たのは亜紀本人ではなかった。


生徒会長自らこういう書類を持ってくると、「通知」が「判決」格上げになってしまう。そんな贅沢な使い方はしないのだろう。今回来たのは生徒会役員二人。制服はきっちり整い、表情は教科書どおり、書類を持つ手つきは病院の受付窓口より手慣れていた。


一人が資料ファイルをテーブルに置き、「これから私が言うことは、お前たちが聞きたくなくても聞くことになっている」という種類の声で読み上げ始めた。


「明日より、各自の私物の雪風号への分割搬入を許可する。サイズおよび規格はB-147表を参照。規格外の物品は登録不可。雪風号の予定出航時刻は前倒し。詳細は追って通達。出航前一週間、帰省を許可。長距離移動証明が必要な者は、C-152要項を参照のこと」


読み終えると、ファイルから薄い冊子を取り出し、一人一冊ずつ配っていった。


表紙には、いかにも真面目な文字。


『連邦駆逐艦基本手冊』


手に取って、二、三ページめくる。


よし。


艦内外の表示の見分け方、警報の種類、緊急時封鎖手順から、「許可なくリアクター保守区画に近づくことを禁ず」まで、事細かに書いてある。まるで、この中の誰かが本当に、乗艦初日に迷子になって、ぶらぶら歩いているうちにリアクターの脇まで到達し、放射線警告マークを見上げながら人生を反省し始める――そういう事態を想定しているみたいに。


……いや。


よく考えれば、二十二号の居住者構成を踏まえれば、これは必ずしも無駄とは言い切れない。


私はマニュアルを中ほどまでめくり、「艦内緊急減圧時の標準伏せ姿勢」というページを見つけて、思わず心の中で「おお」と声を上げた。


さすが連邦。


「吹き飛ばされて壁にぶつかるかもしれない」ことまで、あらかじめ紙面レイアウトに織り込んでくる。


生徒会役員はまだ、搬入登録時間だの、物品種別ラベルだの、私物で通路を塞ぐなだの、規格外の家電を持ち込んだ場合の責任の所在だの、細かい事務連絡を補足していた。


「私物家電」という単語が出たところで、ハーヴィーが鼻を鳴らした。


その一音に込められた意味はあまりにも明瞭だった――輪機室の目の前で不具合を起こすようなガラクタを持ち込んだら、機械を直す前に持ち主から直してやる、と。


アイダは隣でマニュアルをぱらぱらめくり、二ページに一度くらいの頻度で笑っていた。


「あら、『ラベル表示のない容器を勝手に開封しないこと』なんて条文まであるのね」彼女は顔を上げ、本気で楽しそうに笑った。「学校の私たちへの信頼度、ちょっと傷つくレベルで低くない?」


「妥当ね」エヴリンは眼鏡を押し上げ、ほとんど情け容赦のない声で言った。「少なくとも、『なんだか気になる』で手が伸びる人間に対しては必要」


アイダは即座にマニュアルをぱたんと閉じて胸に押し当てた。


「なんでいつも私をそんな危険物扱いするの」


「その価値があるからよ」とエヴリンは言った。


あまりに真っ直ぐで、思わず笑いそうになった。


一方その頃、ジェスはすでに制度と殴り合うモードに突入していた。


「ちょっと待って」彼女はB-147表をめくりながら、表情を「連邦は本気で人間を生かすつもりがないのでは」という方向に崩していく。「このサイズ制限、本気?冬用のブランケットを一枚余分に持っていこうとしたら、立方体に折り直せってこと?」


生徒会役員は彼女を見て、極めて事務的な顔で答えた。


「体積超過の場合、機能性を優先して再選別することを推奨します」


「再選別?」ジェスの声が半音上がる。「それ、私物との生き別れを強制するって意味でしょうが!」


D半は隣で、すでに自分の表にチェックを入れ始めていて、顔も上げずに一言だけ言った。


「保湿剤を三本減らせばいい」


ジェスは即座に振り向いた。


「それは人権問題!」


「艦内では、たぶん単なる私人物資扱いだわ」アカリが淡々と追い打ちをかけた。


「あなたたち、人としての共感能力ってものが――」


「あるわ」アカリは言った。「だからこそ、早めに現実を直視するよう勧めてる」


私は黙ってマニュアルを表紙の方に戻した。


この瞬間、私はふと、こう思った――『連邦駆逐艦基本手冊』は単に「艦上生活の生き抜き方」を教える本じゃない。


同時にこうも言っている。


これから先、お前のすべては圧縮されていく、と。


空間、時間、睡眠、持ち込める量、私的な習慣。それから、「まずゆっくり慣れていきたい」という甘さ。


特にあの一行――出航予定、前倒し。


たったそれだけで、マニュアル全体よりよほど破壊力がある。


前倒し、ということは、すべての緩衝帯が一緒に短くなるということだ。


昨日まで「まあ、まだ何日かある」と自分を宥めていられたあれこれが、今日になって急に通用しなくなる。


私は改めて通知用紙の束に目を落とした。


帰省。


長距離移動証明。


C-152要項。


そのいくつかの単語が、紙の上に静かに並んでいる。印字は整っていて、整っているがゆえに、少し残酷だった。


ある人間にとって、それは臨時ボーナスだ。出発前の最後の帰省、最後の家の飯、最後の「無茶しないでね」と言われる機会。


私にとっては、それはむしろ、事務システムからのやけに丁寧な通告に近かった。


この道は、お前のために用意されたものじゃない。眺めるだけにしておけ。


その行を二秒ほど見つめ、それから視線を外した。


考える必要はない。


「帰省」という二文字で足を止める歳は、とっくに過ぎている。


……理屈の上では、そうだ。


「星野」


顔を上げると、真紀がこちらを見ていた。


余計なことは聞かず、別の用紙を私の方へ少し押しやっただけだった。


「この欄、見落としてる」


彼女の指先を追って目を移すと、B-147の付記――「私用訓練用防具を持ち込む場合は、艦側装備担当官の再検査を要する」という条項があった。


「ああ」私は紙を引き寄せた。「見えた」


「雪風号は、出所不明の個人用防具を正式装備区画にそのまま混ぜたりはしない」


「わかってる」


「ただの確認」彼女の口調は平らだった。「あなたが知らないと疑ってるわけじゃない」


……はい。これはさすがにわかる。


さっき私が「帰省」に目をやって固まった、その空白を、あえて何気ない一押しで埋めに来たのだと。


目立たない。ほとんど偶然のように見える。


だからこそ、始末が悪い。


私は資料を見下ろし、いかにも読み込んでいるふりをした。


「了解。ありがと」


真紀はそれ以上何も言わず、自分のマニュアルを開いて、艦内での補充配置と臨時動線のページから読み始めた。「帰省」という二文字が最初から彼女に関係ないものであるかのように――あるいは、そういうものに注意を奪われるつもりが毛頭ないかのように。


……本当に、恐ろしい。


この女は、ときどき血圧というものが存在しないんじゃないかと思うほど冷静だ。


だからこそ、今の一手が偶然でないことも、私はわかってしまう。


彼女は見抜いた。


そして、あの二秒の空白を私の代わりに塗りつぶした。


その事実が、妙に癪だった。


とても、癪だ。


いったんそういうものに気づいてしまうと、彼女が紙をこちらに押したときの角度まで記憶したくなる。これから乗艦する身としては、あまり健康的とは言えない脳の使い方だ。


「出航、前倒しか……」ロイがようやく口を開いた。手にはマニュアルを握ったまま、微妙な顔をしている。「ってことは、こっちが予定してた『生活リズムの調整期間』も一緒に消えたってこと?」


「だいたいそうだ」アッシュはテーブルに背を預け、マニュアルをぱらぱらとめくりながら、血が通っていないかのような声で言った。「だから言ったろ。今日から、これを『まだ先の話』扱いするな、と」


アイダがにこにこと手を挙げた。「すごく実務的な質問があります」


「言え」


「もし誰かが駆逐艦の中で自分を見失った場合」彼女は手元のマニュアルをひらひらさせた。「先にこの本で道を探すべき?それとも先に遺失物扱いで手続きすべき?」


テーブルが半秒静かになった。


生徒会役員の表情はほとんど変わらない。こういう事務説明の場で、余計な魂が沸くことにはもう耐性があるのだろう。


アッシュは一度だけ彼女を見た。


「まず、その人間が本当にお前かどうか確認しろ」


アイダは笑った。


「もし私だったら?」


「両方同時にやる」アッシュは言った。「探しながら、反省文を書く準備をしろ」


……完璧だ。


完璧すぎて、文句のつけようがない。


ジェスはまだB-147表と格闘している。


「この『常装二組、外出用一組まで』って誰が考えたの?」彼女は半ば泣きそうな顔で言った。「人間がたまには『訓練箱から這い出た直後じゃない服装』をしたい可能性を、完全に無視してない?」


「艦はあなたのファッションショーの舞台じゃないわ」エヴリンが静かに言った。


「ショーなんかする気ない!最低限のコーディネート尊厳を守りたいだけ!」


「本当に尊厳が必要なら」D半がようやく顔を上げた。「まずはあの銀色のマフラーを選択肢から削るところから始めるべき」


ジェスは急所を撃ち抜かれたみたいに固まった。


「あれは銀色じゃない!」


「ライトの下で反射するわ」アカリが淡々と刃を足す。


「あれは素材の奥行き!」


「艦上では、『やたら目に付くので面倒臭い下士官に目をつけられる』って意味になる」アッシュが言った。


私は堪えきれず、わざと横を向いて咳払いした。


具合が悪いわけじゃない。


あそこで咳をしなかったら、普通に笑っていた。


この家の住人の中で、ジェスの本当の適性は補給じゃなく、「一番まずいタイミングで一番完璧に個性を出すこと」なんじゃないだろうか。


生徒会役員は、全員が一通り資料を受け取ったのを見てから、まとめに入った。


「搬入の登録は明日午前八時から。場所は東港舷載前置ステーション。各自、指定時間に来ること。遅れた場合は順延。追加の受付はしない」彼は残りの通知を資料ファイルの内側に挟み込んだ。「なお、帰省用の旅行証明の申請期限は三日以内。それ以降の個別ケースは、生徒会では扱わない」


三日以内。


私は心の中で一度繰り返した。


なんて親切なんだろう。


「向き合うかどうか迷う時間」すら、レポート締切みたいな短さに設定してくれる。


役員は読み上げを終え、礼儀正しく会釈して、もう一人と一緒に出ていった。


ドアが閉まると、部屋の中には短い沈黙が落ちた。


死んだような静けさではない。


「いきなり物事の速度が上がった」ことを、それぞれが自分なりの方法で咀嚼している種類の静けさだ。


最初に動いたのはアイダだった。


マニュアルを立てて、ぱらぱらと数ページめくり、まるで読めそうなライトノベルを選んでいるかのように呟く。


「ふむー」彼女はわざとらしく真面目な顔で頷いた。「いい本ねこれ。『艦内の入浴時間は作戦状況によって変更されることがある』ってところまで書いてある。連邦、人のどこから壊すと一番効率がいいか、よくわかってる」


「衛生習慣ね」エヴリンが言った。


「違うわ、精神よ」アイダはきっぱり言った。


ハーヴィーはすでに立ち上がっていた。このメンツと一緒に風呂の話をして時間を潰す気はさらさらないらしい。


「機関区の搬入規格を見てくる」彼は吐き捨てるように言った。「規格外の家電を誰かが上に持ち込んだら、その人間ごと放り捨てるからな」


「今の発言、若干違法じゃない?」ロイが言った。


「見つかったら、な」ハーヴィーは冷たく返した。


彼が出ていくのを見送りながら、ロイはマニュアルを見下ろし、苦笑した。


「正直、急に前倒しって言われると、ちょっとついていけないな」


蘭は隣で後方支援物資の欄をめくりながら、落ち着いた声で言った。


「ついていけないのは普通だよ。問題は、その『普通』をミスに変えないこと」


ロイは横目で彼を見た。


その目線は短く、静かだった。でも今の私は、知りたくもなかった情報を知ってしまっているので、その静けさの中身が余計に見えてしまう。


……やめた。


少なくとも今朝のうちは、親切な人間でいてやろう。


自ら、あの「気を抜くとジェスに再び爆撃される空気」を覗き込むような真似はしないでおく。


私は自分の『連邦駆逐艦基本手冊』をめくった。


「艦内で道に迷った場合の対処」というページで指が止まる。


内容はだいたいこうだ――落ち着け、区画番号を確認しろ、走り回るな、まず艦内案内図を探せ、必要なら当直者に連絡しろ。


読み終えて、つくづく思う。


連邦の人間不信は、実に徹底している。


いや、あれだけ「自分を見失う」人材を見てきたなら、徹底するしかないのかもしれない。


「星野」


また、その声。


顔を上げると、真紀が私の手元のページを見ていた。


目つきは、少しやりすぎなくらい静かだった。


「迷子時の対処なんか読んでるの?」


「……たまたま開いただけ」


彼女は小さく頷いた。


「そのページはジェスの方が役に立つ」


「おい!」ジェスが即座に噛みつく。「それ、私が駆逐艦の中で迷子になる前提で話してない?」


真紀は彼女を見た。


「リスクの予測をしてるだけ」


私は思わず俯いた。


だめだ。


この一言は容赦がなさすぎる。そして、あまりにも真紀らしい。口元がもう制御できない。


ジェスは完全に撃沈されていた。


「最近みんな、私を弄るのが朝のウォーミングアップになってない?」


「最近じゃない」アカリが淡々と訂正した。「最初からずっと」


「黙りなさい!」


空気が少し緩んだ。


本当に、少しだけ。


どれだけ騒いでも、テーブルの上の通知、B-147、C-152、前倒しされた出航、搬入登録、基本マニュアルはそのままそこにある。


白地に黒の文字。


静かに、これは「そのうち考えればいい」種類の話じゃないと告げてくる。


明日から、自分の荷物を一つ一つ船に送り込み、生活を「持ち運び可能なサイズ」に切り分けて、「まだ整理しきれていない感情」を規格内に押し込んで、そのどこか突然早まった時点で、雪風号と一緒にここを離れる。


マニュアルを閉じると、表紙が掌の中で小さく鈍い音を立てた。

「とても面白い」★四つか五つを押してね!


「普通かなぁ?」★三つを押してね!


「あまりかな?」★一つか二つを押してね!

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