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臨界の星穹  作者: Mr.佐藤焫焵
士官学校編
240/324

69. 彼女の唇は、案外甘い 2

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。

真紀が先に二歩前へ歩いて、展望スペースの縁で立ち止まった。私も後を追い、隣に並ぶ。見下ろすと、街全体が誰かに光る網を広げられたみたいに輝いていた。橋のラインが夜の中に綺麗な弧を描き、川と湾が灯りをいくつもの層に切り分けている。月は少し高いところに懸かり、遠く港の片隅には、雪風号の輪郭がまだ見えた。


大きくはない。


でも、それと分かる。


「……本当に見えるんだ」私は低い声で言った。


「言ったでしょ、ここは見晴らしがいいって」真紀も下を見ている。「港区、橋のライン、外周道路、全部一気に見渡せる」


「ドライブをルート確認って言い張るの、本当にどんどん上手くなるね」


彼女はすぐには答えなかった。


少し経ってから、ごく淡々と口にした。


「じゃあ、暴く?」


風が私たちの間を通り抜けた。


私は港に停まっている雪風号を見て、それから世界の果てまで光り続けそうな街全体を見て、最後に正直に答えた。


「今日は、やめとく」


真紀が顔を向け、私を見た。


彼女のその目は普段から静かだけど、夜になるとさらに危険になる。冷たくなるからじゃない。昼間は秩序と効率と計画、そしてすべてを管理し尽くすあの表情に押さえつけられているものが、ここへ来ると少しだけ表に出やすくなる、そのことに気づいてしまうからだ。


「どうして?」と彼女が聞く。


「だって――」私は少し言葉を切り、やはり正直にいくことにした。「今日はもうダンジョンの難易度が高すぎるから。附属の見学、雪風号、飛田艦長の丁寧な脅し、九島企業のあの顔ぶれ、全部揃ってる。このタイミングで、本当は私を山に誘いたかっただけでしょって真っ直ぐ暴いたら、一日でキャパオーバーになる」


彼女はそれを聞いて、二秒ほど黙った。


それから、また笑った。


さっきよりも少しはっきりと。


大笑いじゃない。まだごく淡いけれど、「ああ、終わった。これはたぶん今後の私の致命的な弱点になる」と思わせるには十分だった。


「つまり、認めるんだ」と彼女は言った。


私は言葉に詰まった。


「何を」


「今、自分で言った」彼女の声は平らだ。「私が妳を山に誘ったって」


私「……」


くそ。


九島真紀と話すときは気を抜いちゃいけないと分かっていたはずだ。彼女が普段会話を奪いに来ないからといって、こっちが自分で穴を掘り終えた後、絶妙な角度から蹴り落としてこないわけじゃない。


私は咳払いをして、自己救済を試みた。


「状況から推論しただけ」


「そう」


「推論は断定じゃない」


「分かった」


「その『分かった』、めちゃくちゃ適当に聞こえるんだけど」


「妳が意地を張ってるから」


「……」


負けた。


清々しいほど、完全に負けた。


仕方なく夜景に向き直り、街全体の灯りで自分の過度に透明な心情をどうにかしようとした。


そこへ真紀がまた口を開いた。


「星野」


「うん?」


「今日は、乗せてきてくれてありがとう」


私は横を向いて彼女を見た。


彼女はまだヘルメットを抱えたまま、表情はさっきより少し柔らかかった。昼間の、何でもきちんと分類するような鋭さもなく、二十二番地でジェスに向けるときの一撃必殺の静けさもない。


ただ、とても真剣に、お礼を言っていた。


これが一番効いた。


真紀は感謝を建前として口にする人間じゃない。彼女がありがとうと言うときは、本当に今日のことを大事だと思っていて、その重みをちゃんと胸に留めているということだ。


私は口を開き、「たいしたことじゃない」みたいな、もう少しかっこいい台詞を言うつもりだった。実際に出たのは、まったく違う言葉だった。


「次も後ろに乗ってくれるかどうかのほうが、心配」


真紀は私を見て、その瞳がごくわずかに揺れた。


「乗る」


返事が早すぎた。


あまりに早くて、私はその場で固まった。


彼女も自分の返事が直球すぎたことに気づいたのか、街灯の下で耳の裏がじわじわと薄く赤らんでいった。それでも言い直しもせず、「ルートが合理的なら」みたいな取り繕いの一言も足さなかった。


彼女はただそこに立って、私を見ていた。


私も彼女を見た。


風はまだ吹いていた。


街はまだ光っていた。


雪風号はまだ港に停まっていた。


橋の上の車の流れは、決して止まらない光の川のようだった。


なのに、この瞬間だけ、世界全体が異常なほど静かに思えた。


はっきりと分かっていた。もし今誰かに「これから起こることが、この先の多くのことを変えてしまうよ」と言われても、たぶん私は疑わないだろう、と。


空気は、もうそこまで来ていた。


後戻りはできない。


私は低い声で言った。


「真紀」


「うん」


「今日の妳、本当に反則」


彼女は分からないふりをしなかった。


ただ、ごく軽く聞いた。


「どこが」


「全部」私は彼女を見た。「バイクを見てるときも、タダの贈呈車を断ってくれたときも、今日私の後ろに乗ったときも、さっきここまで走ってきたときも、それから――」


私は少し言葉を切った。喉が、なぜか少し乾いていた。


「今、ここに立って、私を見てるときも」


彼女の目が、わずかに見開かれた。


風が髪の毛先を揺らし、私がまだ保とうとしていた強がりの半分も、一緒に吹き飛ばしていった。


ここまで言えば、この後はもっとドラマチックになると思っていた。どちらかが急に顔を背けるとか、誰かが低い声で「変なこと言わないで」と言うとか、一番王道の「三秒の沈黙、そして次の瞬間に世界が爆発する」とか。


そうじゃなかった。


真紀はただ半歩、前に出た。


たった半歩。


距離が、一気に近くなった。


彼女のまつ毛が震えるのが見えるくらい、夜色と灯りに拡大された彼女の顔の緊張が見えるくらい、そして――彼女も実は私と同じくらい動揺しているのが伝わってくるくらいに。


なるほど。


私は急に笑いたくなった。


からかう笑いじゃない。「ああ、妳もそうなるんだ」という、肩の力が抜けるような安堵だった。


「何笑ってるの」彼女が低く聞いた。


「別に」私も少し前に出た。声が自然と小さくなる。「今日一日ずっと落ち着いてるふりしてたのに、ここまで来たら妳も大して余裕ないんだなと思って」


彼女は口元をきゅっと結んだ。


「まだ強がる余裕があるってことは、私はまだそこまでやりすぎてないってことだね」


「山まで乗せてきておいて、やりすぎかどうかって聞く?」


「乗せてきたのは妳でしょ」


「……こういうときに論理の正確さ、いらないから」


彼女の視線がごく軽く動いて、それからゆっくりと手が持ち上がった。


その瞬間、私はほとんど本能的に息を止めた。


彼女の手が私の頬に触れたとき、その温度は夜風よりずっとリアルだった。


唐突な接触でも、逃げ場をなくすような強引な動作でもなかった。むしろ確認のようだった。私が本当にここにいて、本当に逃げるつもりがなくて、この距離をここまで縮めることを本当に許しているのかを、まず確かめるような。


私は引かなかった。


たぶん、それがすべてを説明していた。


だから彼女は、もう少し近づいた。


自分の心拍音が聞こえた。


うるさすぎた。あと一センチ近づいたら、そのまま胸から飛び出して、全部白状してしまいそうなくらいに。


「星野」彼女が低く私を呼んだ。


「うん」


「今でもまだ、高台視界の補足確認だって言う?」


目の前にある彼女の顔を見つめながら、私はふと、この問いにもう抗う必要はまったくないのだと悟った。


「……言わない」


真紀の口の端が、ようやくごく軽く弧を描いた。


そして、彼女は唇を重ねてきた。


それは、月がその場で背景エフェクトに変わるような、轟々たる大場面ではなかった。


初めてのキスは、むしろ死ぬほど静かだった。


とても軽く。


とても近く。


少しの探りを含んでいて、こんなに緊張すべきじゃないと分かっているのに、それでも完全には抑えきれない震えがあった。


でも、だからこそ、余計に致命的だった。


私にはまだ、情けないほどわずかな理性が残っていて、「ああ、本当に起きるんだ」と考えていた。


次の瞬間、その理性の半分は、彼女が触れてきた瞬間に焼き切れた。


私は目を閉じた。いつの間にか手も持ち上がっていて、彼女のジャケットの前立てを少し掴んでいた。自分が立っていられなくなるのが怖いのか、それとも彼女が離れていくのが怖いのか、自分でもよく分からないまま。


彼女は離れなかった。


むしろその短いキスの後、ほとんど額が触れ合うくらい近くで止まり、私と大差ないくらい呼吸を乱していた。


私たちはどちらも、すぐには口を開かなかった。


声を出せば、今あったばかりの、とても薄くて、とても危険で、でもとてもリアルな何かが、言葉によって突き破られてしまいそうだったからだ。


でも、口を開かないのも困る。


そのぶん、私はさらにはっきりと自覚するしかないからだ。


私はさっき、本当に真紀にキスをした。


違う、私たちが本当にキスをしたんだ。


山の上で。


夜景の前で。


雪風号と附属中学のダンジョン難易度が、まだ頭から完全に抜け切っていない、その同じ一日に。


私が初めて正式に彼女を後ろに乗せて出かけた、その夜に。


この組み合わせはあまりにも常軌を逸していて、後で思い返したとき、自分でも「どこかライトノベルの読みすぎじゃないか」と疑いたくなるくらいだった。


でも、それは紛れもない現実だった。


私はゆっくりと目を開けた。


真紀も私を見ていた。顔は赤いのに、視線は逸らさない。


その姿は、理不尽なくらい綺麗だった。


あと二秒見つめ続けたら、今夜は本当に帰れなくなって、この場で精神がメルトダウンしてしまうんじゃないかと思った。


結局、先に口を開いたのは私だった。


声は少し掠れていて、まだ冷めきらない熱を、情けないくらい残していた。


「……こんなことされたら、この先このバイクに乗るたび、今日のことを思い出すじゃん」


真紀はしばらく私を見てから、なんと、とても真剣に返してきた。


「うん」


「うんって、どういう意味」


「その意味」


「どの意味」


「妳に今日を思い出させること」彼女は私を見たまま、耳の裏はまだ赤かったけれど、口調はさっきより少し落ち着いていた。「悪くない」


私はその場で、もう一度自分が終わるのを感じた。


容赦なさすぎる。


この人は普段なかなか手を出さないくせに、いざ動くと、必ず一番誤魔化せない場所を正確に撃ち抜いてくる。


私は額を押さえて、低く笑い声を漏らした。


「真紀」


「うん?」


「本当に、危険な人だ」


彼女は今度は否定しなかった。


ただそこに立って、私と一緒に顔を向け、下でまだ光り続けている街全体を見た。

「とても面白い」★四つか五つを押してね!


「普通かなぁ?」★三つを押してね!


「あまりかな?」★一つか二つを押してね!

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