65. 愛車選びは慎重に 3
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
その日の午後、真紀はあの『校外居住期間における個人用機動車両の購入および運用実現性プラン』を対外用に簡略化し、内部用バージョンも別に残したうえで、非常に合理的かつ非常に危険な行動に出た。
ハーヴィーを呼び出したのだ。
私が思っていた「技術顧問として呼び出す」というのは、みんなが揃っている時間を見計らって、彼に車種や予算を見てもらい、せいぜい「お前、こういうの詳しいだろ」と丁寧におだてるくらいのものだった。
だが実際のところ、午後三時十七分、地下室のほうからまず、ひどく不機嫌な声が響いてきた。
「俺は今忙しいんだよ――誰だ、メインフレームの前から俺を引き剥がしたのは――」
続いて階段の入り口にハーヴィー本人が姿を現した。基板と格闘でもしてきたかのように髪はボサボサで、袖口には機油か熱伝導グリスかわからないものがこびりついている。「知り合いじゃなかったら今すぐキレてるぞ」という顔だった。
彼はリビングに入り、ダイニングテーブルの上のタブレットや資料、そして真紀が参考用に残しておいた【鳴神】のコンセプト画像を目にした瞬間、ぴたりと足を止めた。
その止まり方には、非常に高度な技術が詰まっていた。
理系の人間が自分の得意分野の超危険なキーワードを目にしたとき、理性が半拍早く死に絶え、それでも強がりシステムだけが必死に持ちこたえようとしている、そんな止まり方だった。
「……」
私は椅子の背にもたれ、腕を組み、彼の顔の表情の変化を誠実に観察した。
まず、苛立ち。
次に、認識。
続いて、興味がないふりをしようとする。
最後に、そのふりが失敗する。
実に見事だ。
ハーヴィーはその画像をじっと見つめ、ゆっくりと眉をひそめた。
「誰だ、これをお前に見せたのは?」
私が口を開く前に、真紀が答えた。
「内部から流出したコンセプトデータ。それは重要じゃない。重要なのは、私たちが買うのはこれじゃないってこと。」
ハーヴィーはそこでようやく画像から視線を引き剥がし、真紀を見、私を見、最後にテーブルの上の計画書を見た。
「……お前ら、何してんだ?」
私は手を挙げた。
「目立たず車を買いたい。」
ハーヴィーは私を見た。歩き方を覚えたばかりの子供が「戦艦を操縦したい」と言い出したのを見るような目だった。
「お前が?」
「その『お前が?』って言い方、失礼なんだけど。」
「失礼じゃなくて、現実確認だ。」彼は椅子を引いて座った。「お前の今の免許の進捗じゃ、低速シミュレーターすらまだ完全に安定してないだろ。それなのにもう車種選びか?」
「事前計画って呼んで。」
「気が早すぎるって呼ぶんだよ。」
真紀は静かに書類を彼の前に押しやった。
「だからあなたを呼んだの。彼女の気の早さに、少しは論理を持たせるために。」
ハーヴィーはうつむいて二ページほどざっと目を通した。最初はまだ適当にあしらうような顔だったが、読み進めるうちに表情が変わっていった。予算の切り分け、保険、点検、駐輪場所、そして生徒会回避の処理欄を見たときには、眉尻がピクッと動いた。
「……お前が作ったのか?」
真紀はうなずいた。
ハーヴィーは二秒黙り、それからひどく不本意そうに言った。
「悪くない出来だ。」
私は危うく吹き出しそうになった。
ハーヴィーの口から「悪くない」という言葉を聞くのは、火山が「今日は機嫌がいい」と喋るのを見るのとほぼ同義だ。
真紀はちっとも意外そうではなく、別の候補リストをめくって見せた。
「問題はプロセスじゃなくて、型番。彼女、最初はあの画像を見て、外観に興味を持ったの。」
ハーヴィーはそこまで聞いて、ようやく顔を上げて私を見た。
その目には、はっきりとこう書かれていた。
――終わったな、お前。
「これに興味を持っただと?」彼は【鳴神】のコンセプト画像を指差した。
私は素直に認めた。
「だって、カッコいいじゃん。」
「当たり前だ。こういうのは元々、一目で人間を沼に引きずり込むように作られてるんだからな。」ハーヴィーは鼻で笑った。「雷神シリーズ、鳴神。デュアル・プラズマコア、前後ツイン駆動、リニア牽引、神経同期――こいつは車じゃない。九島技研工業のイカれた連中が、予算と物理法則を互いにぶん殴り合わせた結果、生まれ落ちたものだ。」
私は彼を見た。
「その言い方、全然批判に聞こえないんだけど。」
「元々、技術にケチをつけてるわけじゃない。これを『目立たない通勤プラン』として持ち出した人間の頭の構造にケチをつけてるんだ。」
「原型を提案したの、私じゃないし。」
「でも、お前、かなり心が動いてる顔してるぞ。」
「……」
はい、出ました。
本日二人目、「お前の目は先に裏切る」認定をしてくる人間の登場だ。
真紀が隣で、さらっと追い打ちをかけた。
「だから、軍用規格も同期も武装も、私が最初に全部排除しておいた。今から話すのは、民間仕様の旧型派生モデルのこと。」
そこでようやく、ハーヴィーは画像を脇に押しやり、本格的に技術モードへ入った。
彼が技術モードに入ると、途端に面倒くさくなる。だが、役には立つ。
「先に言っておく。」彼はテーブルを指で叩いた。「宣伝でもないし、義理でもない。彼女が九島だからって忖度する気もない。俺はただ、お前の状況に対して結論を出すだけだ。」
私はうなずいた。
「よろしくお願いします、ハーヴィー先生。」
彼の顔が曇った。
「その呼び方はやめろ。」
「はい、ハーヴィー先生。」
「……」
真紀は私たちの掛け合いには構わず、候補の型番を画面に呼び出した。
表示されたのは、合計四台。
二台は外見がかなり普通で、道で見かけても「ああ、重機か」と思って五秒後にはメーカー名すら忘れる、無難な安全牌。
一台はラインが鋭く、フロントを低く抑えていて、「合法だけど、気は強いぞ」と顔に書いてあるようなタイプ。
そして最後の一台は――どう見ても、意図的に去勢された鳴神の親戚だった。
型番を見るまでもなく、自分の視線がどこに吸い寄せられているかは、わかっていた。
ハーヴィーが私を一瞥し、鼻を鳴らした。
「やっぱりな。」
「何が『やっぱり』なの。」
「お前らみたいな、ろくに車に触ったこともない初心者は、車を見るのも人を見るのと同じで、まず顔から入る。」
「それの何がおかしいの。」
「おかしいのは、お前が第一印象で、よりによって一番厄介な台の民間近縁種を選んだことだ。」
真紀が型番を拡大した。
『KGI-MC 417B / 通勤型二輪機動車両』
名前は、コピー機のマニュアルみたいに平凡だ。
でも外見は、確かにあの匂いがする。
オリジナル版の鳴神が持つ「今日、法律に縛られてなければ、今すぐお前の世界観を轢き潰してやれるのに」という殺気はない。だが、前傾したフレーム、厚みのあるサイドカウル、低重心のシルエットはそのまま残し、学校側を心筋梗塞に追い込みかねない要素だけをすべて削り落としてある。
まるで、雷獣がロースクールに送り込まれ、スーツの着方、税金の払い方、交通ルールの守り方を覚えたようなものだ。それでも、若い頃には確かに誰かを噛んだことがあるというのは、見ればわかる。
私は素直に、それを指差した。
「これが好き。」
ハーヴィーは頭を後ろに反らせ、「やっぱりそう来たか」という顔をした。
「これは九島技研工業だ。九島重工本体じゃない。まずそこを区別しろ。」彼はそう言いながら、型番のデータを引き出した。「九島重工は看板の母体で、重軍需とグループ全体の名義を担ってる。地上車両を実際にいじってるのは九島技研工業のほうだ。お前が買いたいのは車であって、戦略的抑止力じゃない。」
「わかってる。」
「本当にわかってるといいけどな。」彼はさらにスクロールした。「しかも、これは民間仕様とはいえ、フレームの系譜は明らかだ。九島技研の『人生の障害物くらい跳ね飛ばせそうに見せる』設計哲学を、そのまま引き継いでる。メリットは安定性が高く、低重心で、車体剛性があること。初心者でもサスペンションに振り回されにくい。デメリットは――」
彼は一拍置き、私を見た。
「自分が運転上手いと思い込むことだ。」
「……それもデメリットに入るの?」
「初心者にとっては、大いに入る。」
真紀が横から淡々と補足した。
「車が安定しすぎていると、自分を過大評価しやすいから。」
ハーヴィーはうなずいた。
「そういうことだ。特にこの旧型民間版は、メンテがちゃんとしてれば発進はスムーズで、ブレーキの効きもいい。『俺、センスあるんじゃないか』って錯覚しやすい。実際は、車に助けられてるだけだけどな。」
私は少し悔しくなった。
「私、そんなに調子に乗りやすく見える?」
ハーヴィーと真紀が同時に顔を上げた。
二人とも、何も言わなかった。
でも、その沈黙が、答えをすでに書き終えていた。
私:「……よし、次の話に行こう。」
真紀は予算表を該当欄まで開いた。
「417Bクラスの型番なら、展示上がり整備済みの中古で、妥当なラインはこの辺り。」
彼女が数字を口にした。
私は頭の中で計算し、眉をひそめた。
「かなりきつい。」
「だから切り方が要るの。」彼女は言った。
ハーヴィーはデータを下へスクロールした。
「車体価格だけじゃない。保険、登録、初回点検、タイヤの状態、バッテリーモジュールの健全性もある。この手の中古民間車を本気で買うなら、絶対に削っちゃいけないのは初期点検だ。そこを削れば、あとでお前が修理される側になる。」
私はうなずいた。
それはわかる。買えないのは一つの問題だが、帰り道の途中で私と真紀を山の上に置き去りにするような代物を掴まされるのは、また別の問題だ。ロマンはそういうふうに作るものじゃない。恥をかくのがそういうふうに作られる。
そこまで考えて、私は咳払いをして「真紀を一緒に山の上に置き去りにする」というフレーズを頭から蹴り出した。
危険だ。ひどく危険だ。
ハーヴィーは私が一秒の間に脳内で自爆したことにまるで気づかず、続けた。
「予算の出所として、ローンには絶対に手を出すな。」
その一言に、私の指が反射的に縮んだ。
でも、今日は昨日とは違う。
彼は無神経に投げただけじゃなく、すぐにこう続けたからだ。
「特に、九島銀行のシステムに紐づいてる学生向けクレジットプランには、絶対に手を出すな。」
私は顔を上げて彼を見た。
ハーヴィーは眉をひそめていた。
「あれ自体が問題だと言いたいわけじゃない。ただ、あのルートを一度通せば、残るのは単純な支払い記録じゃない。完全な資金トレースだ。誰が補填したか、誰が保証人か、誰が審査したか、誰がお前の用途を見たか、全部きれいに残る。一般人には便利だろうが、お前みたいに低調でいたい人間にとっては、自分からショーケースに上がるのと同じだ。」
真紀がうなずいた。
「私も同じ判断だった。」
ハーヴィーは短く鼻を鳴らした。
「九島家の銀行が使えないわけじゃない。今回は使えないってことだ。少なくとも、今回は駄目だ。お前が欲しいのは一台の車であって、生徒会や財務部門、それに報告書を読むのが好きな暇人に、お前が最近何を買おうとしてて、どのルートを走るつもりかまで知らせることじゃないだろ。」
これは重要な一言だった。
私にはちゃんと意味がわかった。
昨日、「ローン」という言葉に反応したのは古傷のせいだった。今日、ハーヴィーが九島銀行を引き合いに出したのは、私を踏みつけようとしたわけじゃない。世界観のもう一層を埋めてくれたのだ――この場所では、金は決してただの金じゃない。誰がお前を見ているか、誰がお前を管理できるか、誰が資金の流れを辿ってお前にたどり着けるか、という話でもあるのだ。
真紀はペン先で表を軽く叩いた。
「だから、現金一括払い。資金源は個人の貯金、長期休暇の補助差額、それから今後の実習の合法的な補填だけ。」
「そう。」ハーヴィーは言った。「それと、購入理由は世界で一番退屈な文章に書け。」
私は手を挙げた。
「それ、昨日もう授業を受けた。本当のことを並べ替えて、自分をゴミみたいな話に偽装するってやつでしょ。」
ハーヴィーは一瞬止まり、真紀を見た。
真紀は表情を変えなかった。
「確かに、そう教えた。」
ハーヴィーの口の端がひくっと動いた。
「……お前ら二人、本当にろくでもないな。」
「褒め言葉として受け取っとく。」
「褒めてない。」
私は笑いを堪えながら、417Bの詳細を見続けた。見れば見るほど、今の自分の状態にちょうどいい気がしてくる――外見にはまだ少し気の強さが残っているが、暴走まではいかない。性能は十分だが、初心者に「さあ、今日は一緒に物理の限界を試そうか」と誘ってくるほど凶暴でもない。何より重要なのは、鳴神の遠い親戚に見えながらも、生徒会が遠くから見て警笛を鳴らして集合をかけるほどではないことだ。
私が見つめすぎているのに気づき、ハーヴィーがついに判定を下した。
「本当に買うなら、九島技研の民間旧型が一番爆発しにくい。」
私と真紀は同時に顔を上げて彼を見た。
ハーヴィーはすぐに付け足した。
「システムが安定してるって意味だ。他社が必ず爆発するって意味じゃない。曲解するな。」
私は思わず笑った。
「それ、完全に逆向きのステマじゃん。」
「ステマじゃないと言ってる。」
「でも、九島技研を推してる。」
「彼女が九島だからって、グループの全部門を持ち上げる義理はない。同じ理由で、変に気を遣って一番適した選択肢を意図的に外す義理もない。」ハーヴィーは椅子の背にもたれ、不機嫌そうに結論を投げた。「お前の技術、予算、使用目的、それに目立ちたくないという条件を全部合わせれば、九島技研工業の民間旧型を選ぶのが、かえって一番理にかなってる。」
真紀が淡々と最後の一刀を入れた。
「それに、彼女が後で私を乗せて港区まで雪風号を見に行き、ついでに高台の視野確認をするなら、417Bの帰路の安定性は十分。」
ハーヴィー:「……?」
私:「……」
ハーヴィーの視線が私と真紀の間を一往復し、表情がじわじわと妙なものに変わっていった。
非常に妙だ。
「俺は今、知りたくもない計画の一部に足を踏み入れたんじゃないか」という顔だった。
「高台の視野確認?」彼は繰り返した。
私は即座に背筋を伸ばした。
「軍事用途だよ。」
真紀は顔色一つ変えない。
「ルート偵察。」
ハーヴィーは二秒ほど私たちを見つめ、それから冷笑した。
「はいはい。超軍事的だな。」
私:「……」
真紀:「……」
「安心しろ、お前らがドライブを戦術補完観測に偽装してることに、俺は何も言わない。」ハーヴィーは立ち上がり、タブレットを押し戻した。「ただ、大破した車を俺に修理させる羽目にだけはすんな。」
「誰が大破するって言った。」私は納得がいかなかった。
ハーヴィーは私を見下ろした。
「免許は取った。でも免許があるからって、車をちゃんと養えるわけじゃないし、初めて人を乗せて、いきなり事故の事例にならない保証もない。」
……
ハーヴィーは二歩ほど歩いてから、また立ち止まった。何かを思い出したように、振り返らずに付け足した。
「それと、本当に417B系統を買うと決めたなら、明るい色は選ぶな。」
「なんで。」
「あのフレームラインは性格が悪すぎる。」彼は言った。「マットなダークグレーならまだ無害に見えるが、明るい色にした瞬間、これから何かやります、って顔にしかならない。」
そう言い残して、彼は下に降りて行った。
残された私は、確かに小さなロマンチックな犯行にぴったり似合いそうな417Bを見つめて、ぼんやりとそこに座っていた。
真紀は候補リストをまとめ直し、いつもの落ち着いた口調で結論を下した。
「というわけで、技術顧問の意見が出た。」
私はうなずいた。
「417B優先。ダークグレーかブラックブルー。展示上がり整備済みの中古。現金一括払い。九島銀行には触れない。校内駐輪はしない。購入理由は世界で一番退屈な文章にする。」
「そう。」
「免許はもうある。今足りないのは資格じゃなくて、生徒会が会議を開きたくなるような車を買わないこと。」
真紀が目を上げて私を見た。
私はわざと語尾をゆっくり引き伸ばした。
「あとは、雪風号を見に行って、ついでに高台の視野を補完確認するだけ。」
彼女はごく軽く「うん」と応じた。
「合理的ね。」
私はその、どこにも隙のない顔を見て、ついに笑ってしまった。
合理的なわけがない。
でも、それでいい。
物事というのは時々、立派に包装されればされるほど、その中にある「本当は行きたい」という本音が、かえって透けて見えるものだ。
そして今回は、私はそれをあえて指摘しないことにした。
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「普通かなぁ?」★三つを押してね!
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