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臨界の星穹  作者: Mr.佐藤焫焵
士官学校編
17/64

05. 入浴一時休戦協定 3

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。



風呂を済ませたあとからが、本番の面倒だ。


寝ること。


別に、寝たくないわけじゃない。六A倉みたいな場所が、そもそも「睡眠」をするための構造じゃないってだけ。


あれはどっちかというと、「集団徹夜実験室」に近い。騒音・悪臭・圧迫感・対人ストレスを一斉にぶち込んで、人間が精神の最低ラインをどこまで維持できるか試す施設。


私はまず、自分のベッドを五分かけて観察する。


下段。壁沿い。利点:寝返り打っても即死はしない。欠点:空気の流れが最悪。しかも上にいるのがアルヴィン。


これはつまり、これから先かなりの頻度で、夜中に誰かの寝返りやら、物を落とす音やら、寝言やら、あるいは突然「なあ、お前さ、帝国語で一番語感のいい罵りって何だと思う?」って聞かれる可能性が高いってことだ。


想像だけで疲れる。


私は個人装備を一つずつ収納スペースに押し込んでいく。


- 医療ポッドから支給された薬のパック。


- まだ少し湿ったタオル。


- 前の船から命からがら持ち出してきた、賞味期限切れのペインコーラ一本。


- 角が全部潰れたライトノベルを一冊。



うん。


こうして並べてみると、ちゃんと人っぽい。


すごく貧乏だけど、自分が何を好きかくらいはまだ覚えてるタイプの人間。


林薇が、そのペインコーラを見て眉を上げる。


「なにそれ、まだそんなの持ってんの?」


私は彼女を見る。


「戦略物資。」


「シェアは?」


「不可。」


「ケチ。」


「うん。」


彼女は不満そうに鼻を鳴らしたが、それ以上は何も言わなかった。


よろしい。


香水の権利を主張するなら、他人の飲み物の主権も尊重しろ。


私は腰を下ろし、肋骨の横に鎮痛ジェルを塗ろうとしたところで、アルヴィンがまたも場違いなタイミングで顔を突き出してくる。


「なあ、新入り。」


「お前、黙ってたほうがいい場面で喋る才能あるよね。」


「どうも、プロ意識は持ってるつもり。」


「もう一回口開いたら、そのプロ意識ごと天井に埋めるよ。」


私の殺害予告を完全スルーして、むしろ嬉しそうに笑う。


「ちょっとだけ気になったことがあってさ。」


私は顔も上げない。


「お前が『ちょっと気になる』って言い出すとき、ろくな話がない。」


「あのさ、お前を送り届けてった書類係の兄ちゃん——」


顔を上げる。


「続けるとケガするよ。」


「——今日お前とブリッジで一緒にやらかしてた、あの人だろ?」


レイスはベッドの端で銃を手入れしていたが、その一言で視線を上げた。林薇も、いかにも「はい来た、今夜ここに着地すると思ってた」と言いたげな顔で手を止める。


クソ。


やっぱりな。


前線兵が盛り上がるネタなんて、高校の廊下で騒いでる連中と本質は変わらない。


違うのは、こっちはその片手で銃を磨いてるってだけ。


私は表情を変えない。


「そうだけど。」


「おお〜〜。」


アルヴィンの「おお」が妙にいやらしい。


「で、何が言いたいわけ?」


「別に?」彼はベッドの柵に肘をかけて、借金取りよりタチの悪い笑いを浮かべる。「たださ、珍しいなーと思って。お前みたいなのでも、人に『ありがとう』とか言うんだ、って。」


レイスが横から一刺し。


「しかもわざわざ薬まで持って来させてな。」


林薇はさらに追撃してくる。


「おまけに名前呼んでた。」


手の中の鎮痛ジェルが、危うく爆ぜるところだった。


「お前ら今日、揃って暇なの?」


「違うよ。」林薇は実に正直だ。「ただ、あんたの顔が話題性ありすぎるの。」


私は深呼吸する。


はいはい。


さっきドアの前での数秒が、もうしっかり今夜の娯楽枠に編集されてるわけだ。


そこでようやく、韓汐が口を開いた。ただし、私の味方でも、向こうの味方でもない。


ただ静かに、一行だけ。


「そういうんじゃない。」


部屋全体が一瞬、黙る。


私は顔を上げる。彼女も一度、私を見る。


その視線は短くて、それでも十分に意味があった。


彼女には分かってる。


私がデイヴィッドを好きかどうか——なんて話じゃない。私自身、そんな面倒なラベル貼る気はまだない。


そうじゃなくて。


彼女には分かってるのだ、「同じ地獄の出口から這い出た人間同士」が、本能的に互いの生存確認をしたくなる、あの感覚を。


あれは恋愛じゃない。


少なくとも、まだ。


もっと単純に、同じ場所で同じ死線を見たあと、「お前もまだ生きてるか」と目で確かめたくなるだけ。


私は視線を外し、ジェルを塗り続ける。


「最初から、そういうのじゃない。」


アルヴィンはまだ何か言いたそうだったが、韓汐が先に蓋を閉めた。


「お前も誰かと一緒に船、ぶつけたことがあったらさ。多分、似たような顔になってたよ。」


アルヴィンは口をつぐむ。


レイスは小さく笑って、手入れの終わった銃をベッド脇に戻す。


「了解。そういう話ね。」


林薇は残念そうに舌打ちする。


「つまんないなぁ。今夜のネタ、あるかと思ったのに。」


私はジェルの蓋を閉めながら、無表情で結論を下す。


「残念だけど、本日の番組編成は『衝突事故の後遺症患者一名』のみで、恋愛ドラマの枠はありません。」


口ではこんなふうに平然と流しているけれど。


胸の奥には、やっぱり少しだけ変な感覚が残る。


別に、やましさじゃない。


どっちかというと……点呼で名前を呼ばれた瞬間、反射的に答えを飲み込んでポケットに隠した、そんな感じ。


うざい。


こういう感情は、六A倉みたいな場所に一番似合わない。


だってここには新鮮な空気すらないんだ。曖昧な感情なんて、贅沢品を置いておく余地はない。


---


本当に消灯してからが、「初夜」の意味を知る時間だった。


灯りが落ちた瞬間、六A倉は別の顔になる。


昼間はまだ、くだらない会話とか、シャワーとか、「忙しいふり」とかで、いろんなものを誤魔化せる。


夜になると、上澄みに浮かんでくる。


エンジンの低い唸り。艙壁が熱膨張と収縮で軋む、金属音。どこか遠くの通路ではまだ誰かが補給箱を引きずっていて、車輪が床を擦る音が、キイ、キイ、と響いてくる。


レイスが煙草をやめたぶん、部屋の空気は多少マシになった。それでも汗と香水の匂いは残っていて、洗い切れなかった夢みたいに、いつまでもそこにいる。


アルヴィンは上で三度寝返りを打ち、四回目でようやく静かになった。ユリクはというと、ほとんど倒れ込むように横になって、そのまま壁のように無音。


林薇は寝る前に香水をひと吹きして、私は本気で彼女ごと瓶をエアロックから投げ出してやろうかと考える羽目になった。


韓汐が一番楽だ。横になって、目を閉じて、スイッチを切ったみたいに沈黙する。


私はと言えば、目を開いたまま、頭上のベッド板の影を見つめていた。


眠れない。


まあ、そりゃそうだ。


だって今日は、人を殺して、ブリッジを乗っ取って、主砲をぶっ放して、巡洋艦にぶつかって、脱出艇で飛び出して、耳を縫って、上官と面談して、六A倉に引っ越して、ついでに老朽艦の風呂制度まで改革した。


スケジュールみっちり。


詰め込みすぎて、今も頭の中は誰かにシェイクされたドリンクみたいに泡立っている。


寝返りを打つ。


肋骨が、すぐに文句を言った。


「……っ。」


かなり小さい声のつもりだった。


それでも、聞かれた。


次の瞬間、暗闇の中から韓汐の平坦な声が響いた。


「ベッドサイドの二段目。医療ポッド支給の圧感パッチが入ってる。」


私は一瞬、固まる。


「……なんで知ってんの?」


「新しく運び込まれた負傷兵の初夜なんて、みんな似たようなもんだから。」


少し間を置いて。


「肋骨の横に貼っときなよ。少しは眠れる。」


私は暗闇の中で瞬きをする。


へえ。


そうか。


この部屋も、完全に救いようがないわけじゃないらしい。


少なくとも、前線特有の——荒削りだけど実用的な——そういう善意は、まだここにも残ってる。


多くはない。


でも、十分だ。


私はゆっくり手を伸ばして、ベッドサイドの二段目を探る。本当にあった。未開封のパッチが一枚。


「ありがと。」


「ん。」


それだけ。


それ以上は何もない。


でも、それでちょうどいい。


パッチを貼ると、呼吸が確かに少し楽になった。


---


暗闇の中で、レイスが不意に口を開く。


「なあ、新入り。」


目を閉じたまま返す。


六A倉ろくエーそうの住民って、人が寝かけてるタイミングを狙って話しかける習性でもあんの?」


「今日の風呂のルールな——」


てっきり文句でも言い出すのかと思った。


でも彼はただ、普通の声で言う。


「明日、また空気読めない野郎が来たら、俺が外で十分くらい見張ってやってもいいぞ。」


目を開ける。


暗くて表情は見えない。でも、冗談じゃなかった。


……へえ。


これは予想外だ。


二秒黙って、結局一言だけ返した。


「いびきはやめない、煙草もやめない、生活の質は知るか、って言ってたよね。」


「そうだな。」声に、わずかに笑いが混じる。「でも、義理は通すって言わなかったか?」


まあ、いいか。


この部屋の連中、表面よりは、ほんの少しだけマシかもしれない。


ほんの少しだけ。


でも連邦軍の中じゃ、それで十分高評価だ。


---


本当に目を閉じようとしたとき、アルヴィンが上からまた小声で口を開く。


「あのさ……」


即座に返す。


「黙れ。」


「まだ何も言ってないじゃん。」


「お前の声が出た時点で、だいたい聞く価値がない。」


「偏見ひどくない?」


「お前に限っては事実認定。」


上段が半秒静かになり、それから、くぐもった笑い声が落ちてきた。


「ただ一言だけ言いたかったんだよ。六A倉、ようこそ。」


私はぴたりと止まる。


……くそ。


こいつの口からそれを言われると、なんか妙に本気っぽく聞こえる。


暗闇の中で二秒ほど間を置いてから、私はしぶしぶ、鼻から短く息を抜いた。


「……ん。」


そのままだと感動したみたいに見えるので、すぐ付け足す。


「明日から誰かが昼寝を邪魔したら、その歓迎の言葉、そのまま喉に詰めて返すから。」


反対側で林薇が笑い声を漏らす。


「怖っ。」


「最初から怖い。」


「はいはい、小さな英雄様。」


私は目を向ける。


「もう一回言ってみ。」


でも今度は、彼女は言い返さなかった。


ただ笑いながら寝返りを打って、ベッドがかすかに鳴った。


部屋が、ゆっくりと静かになっていく。


---


私は上段の影を見つめながら、すでに「まあ我慢できるか」くらいにはなった六A倉の空気を吸っていた。


頭の中に最後に浮かんできたのは、戦場でも、さっきの上官の軍功申請でもなかった。


医療ポッドの中で、デイヴィッド(デイヴィッド)が修復パッチを私の肩に貼るとき、低く囁いたあの一言だった。


——「力、抜けよ。」


……ちくしょう。


私は即座に寝返りを打って、強制的に頭のチャンネルを切り替えた。


今それを思い出してどうする。


周りに人がいる。


上にはアルヴィンがいる。


空気も悪い。


こんな場所で夢を見るには、まず換気許可を申請しないといけない。


でも残念なことに、人の頭は夜になると特別に、面倒なことを繰り返し再生したがる。


私は目を閉じた。


六A倉のいびき、艦体の低い唸り、安物の香水の残り香の中で、私は自分に対して、ひとつの非常に現実的な結論を下した。


明日から。


まず耳栓を調達しなければならない。

「とても面白い」★四つか五つを押してね!


「普通かなぁ?」★三つを押してね!


「あまりかな?」★一つか二つを押してね!

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