42. 負傷 1
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
本来なら、第144班をそのまま南へ切り込ませて、あの救難信号弾なんて見なかったことにするつもりだった。
理論上は、それが正解だ。
だが実際には、蒸発の森という場所は、人に「正解だけ」やらせて済ませてくれるようなところじゃない。こいつが好きなのは、点数もつかない追加問題だ。間違えたら、先に死ぬ。
南へ圧をかけて進んで、八分も経たないうちに、ハーヴィーが手を上げた。
「停」
私は即座に身を沈めて、ついでにジェスのバックパックをぐいっと引き下げる。あの生意気な頭が先に焦げた枝の上から突き出ないように。前の斜面は焚風に焼かれて半分剥げて、黒くなった木の根が、地面から生えた骨の列みたいに並んでいる。その下は、低い窪地になった焦げた泥。泥の表面には、新しく踏み荒らされた跡がある。一組分じゃない。
望遠鏡を目に当てる。
救難信号が上がった方向は、さっき推測したよりも少し近かった。事故現場そのものは、焦げた低木と半分崩れた板根に囲まれていて、中心は見えない。でも、その外側はもう十分に「賑やか」だった——熱血とは真逆の意味で、気持ち悪いほうの賑やかさだ。
左側の高所に一組。三人。発砲はしていない。観客みたいに伏せている。
右下には、もう一組がじわじわ近づいている。動きは軽い。救助に行くというより、骨を拾いに行く動きだ。
さらに離れた場所に、単独の影が二つ。元の班から外れて、どこかに便乗しようとしている運の悪いやつらだろう。
ジェスが私の横ににじり寄って、声を落とす。
「うわ。禿鷹ビュッフェ」
「訂正」私は地形から目を離さず、小声で返す。「禿鷹は少なくとも、死に切るまで待つ。あいつらのほうがよっぽど積極的だ」
九島が後ろで低く補足した。
「外周に、校方の回収班は見当たりません」
首筋が少しだけこわばる。
見えないからと言って、いないとは限らない。ただ、まだ来ていないだけかもしれない。あるいは、別の側にいるのかもしれない。校方が一番好きなのは、私たち自身に先に現場をぐちゃぐちゃにさせておいてから、のんびり出てきて記録を取り始めるパターンだ。
ハーヴィーはさらに体を低くし、指先で泥の上にざっと略図を描いた。
「事故地点は窪地。北側に焦げ根の高所、西側は半分崩落、東南に泥の帯。今の時点で最低三班が張りついてる。最初に降りたやつが、最初の的」
「それに、人間だけに見られてるわけじゃない」私は泥の縁を見ながら言う。「焚風の後の半焼け地帯は、何かが潜むには最高。運が悪ければ、同級生にマークされながら、足元の熱の袋にも落ちる。教育的効果は抜群だ」
ジェスが口の端をゆがめた。
「連邦の大好物、総合問題」
無視して、観察を続ける。
すぐに、信号弾を上げた班が残していった痕跡を見つけた。
潰れたテント布一枚、ひっくり返った濾水バレルが一つ、散らかった物資袋が二つ。短期の野営地があって、撤収がかなり雑だったのが分かる。まともな撤退というより、誰かが吐きながら引きずられていったような跡だ。
さらに左側に、焦げ木の切れ端の陰にもたれかかっている人影がある。
目を細める。
死体じゃない。まだ動いている。だが、その動き方が遅すぎる。一呼吸ごとに、自分の肺と交渉しているみたいなスピードだ。胸のアーマーには大きく焼け跡。右脚は伸ばせていない。横に、途中で折れたロケーションフラッグが一本、突き刺さっている。
ジェスもそれに気づいて、声が少し低くなった。
「一人、残ってる」
九島がすぐに続ける。「置き去りにされたとは限りません。回収待機の可能性もある」
「餌として使われてる可能性もある」ハーヴィー。
そうだ。それが一番、この場所らしい。
望遠鏡を少し下げて、すぐには口を開かない。先に頭の中で回す。
直接介入?バカだ。
完全に放置?それも損かもしれない。
事故地点の外周は、もう単純な「誰かが助けを求めている」場所じゃない。新しい観測ノードになりつつある。誰かは物資を漁りに来る。誰かは校方の回収タイミングを張りに来る。誰かは、どの班がどれだけ悲惨かを見に来て、「殺しておくか」「組む価値があるか」を測る。そういう場所を完全にスルーするのは、無料の情報ページを一枚破り捨てるようなものだ。
だが、本当に中に踏み込めば、一つ判断を誤っただけで、第144班が観客から次のメインディッシュに変わる。
乾いた唇を舌でなめて、口を開いた。
「フロスト01、命令。まず外周から回る。核心には入らない。まず、あいつらが何をするつもりか見る」
ジェスが首をかしげて私を見る。「つまり、半分だけ介入?」
「つまり、自分をボランティアとして差し出すのは後回しにするってこと」私は言う。「フロスト02、お前は私と一緒に左の高所へ。上の班を観察。フロスト03は中央で、右下の班の接近ラインを監視。フロスト04は傷者の状態と、その周囲の撤退ルートを記録。どこかが手を出しそうになったら、まず報告。自己判断で動くな」
「了解」ハーヴィーが最初に返す。
「了解」九島も続く。
ジェスが最後に、低く笑う。薄い笑いだが、刃の匂いだけはしっかりある。
「フロスト01、その喋り方、部下を死地に送っておいて、死に様が悪いと文句言いそうな隊長そっくりね」
「じゃあ、その文句を言わせないようにしろ」
---
四人は、それぞれ少し距離をあけて焦げ木のライン沿いに散った。焚風に焼かれた雨林で一番嫌なのは、見えないことじゃない。見えすぎることだ。遮蔽が減って視界が開けると、他人の悪意の輪郭までやけにくっきり見える。
私とジェスが左の焦げ根の高所に這い上がるころには、上に伏せていた班もじわじわ前に詰めていた。三人。男二、女一。腕章は第121組。動き自体は悪くない。少なくとも、バカみたいな音は立てていない。問題は、視線だ。ずっとあの傷者のほうに流れている。
救うための目つきじゃない。
値踏みする目つきだ。
ジェスが耳元で低く言う。
「ああいう顔、嫌い」
「私も連邦のランチは嫌いだ」私は言う。「でも嫌いだからって、その場で吐く必要はない」
下の右側の班も動き始めていた。ハーヴィーの抑えた声が、すぐにイヤホンに入ってくる。
「こちらフロスト03。右下の二人組、接近速度アップ。ターゲットは散乱している物資。傷者じゃない」
九島が続けて補足する。「傷者の手元には信号銃ホルスターがありますが、中身は空。主武装は見当たりません。周辺の土には引きずった跡。少なくとも二名が搬送された形跡」
私は焦げ木に凭れたその人影を見据えながら、胸の奥からじわじわと苛立ちがせり上がってくるのを感じた。
これが林間学校のいちばん胸くそ悪いところだ。
本当の危険が来ると、むしろみんな礼儀正しくなる。
制度側が先に残酷さを正規化してくれているからだ。他人が酷い目に遭っていても、自分がわざわざ手を下す必要はない。回収されるまでの間に、端っこを少し拾っていくだけで、「実務的」だと自分に言い聞かせられる。
素晴らしい。本当に、上等な高等教育だ。
不意に、傷者が動いた。
寝返りじゃない。手が、上がった。
わずかな動きだ。腕の中の骨一本一本に反対されたみたいな、ぎりぎりの振り。彼女は左の高所の班に向かって手を振った。水を求めているのか。あるいは、誰かに炎天下から引きずり出してほしいのか。
121組のリーダー格は、ちらりと一瞥しただけで、動かない。
右下の二人はもっとはっきりしている。散らばった物資を物色する手を止めもしない。一人は物資袋をひっくり返し、もう一人はしゃがんで濾水バレルをバラし始めた。
ジェスの息が一段低くなる。
「あの二人の手、切り落としてくる」
彼女の手首を掴んで、押さえ込む。
「今お前が降りたら、全員にとってちょうどいい共通ターゲットが出来上がる」
ジェスは歯を噛みしめて、噛みつきそうな目つきで私を見る。でも、私の手を振り払ったりはしなかった。
それでいい。
私も急に心優しくなったわけじゃない。ただ、彼女より少し先を見ているだけだ。
今この場で一番足りないのは、正義感じゃない。最初の一発を、私たち以外の誰かの問題に変えてくれる奴だ。
下の二班を睨みつけながら、頭を回す。
直に介入しない。
でも、あの傷者をそのまま「目印」として、みんながじわじわ取り囲むのを放っておく気にもなれない。
このまま時間をかければかけるほど、場は濁る。校方の回収班が来たとき、第144班がまだ周りで這いつくばっていれば、一緒に記録に載る未来しかない。
「フロスト01、決定」声を落として言う。「限定介入」
ハーヴィーがすぐ訊く。「方法」
「入り込まない。姿を見せない。傷者に接触しない」私は窪地を見下ろしながら言う。「フロスト03、右側で熱のポケットを一つわざと崩して、物資漁りを外へ弾け。フロスト04、お前はそいつらの注意がそれた隙に、傷者の左後方へ水と止血材の小包を一つ投げる。あの子が自力で繋げる程度。私たちに縋れるほどじゃない量だ。フロスト02——」
ジェスはもう笑っていた。薄い笑いだが、刃味だけは十分だ。
「分かってる。左の高所の三人に、『ここには自分たち以外にも目がある』って思わせればいいんでしょう」
「そう」私は言う。「ここには私たち以外の目もあるってことにしておけ。誰にも気持ちよく物を拾わせない」
「この決定、性格悪いわね」ジェスが低く言う。
「ありがとう。努力してる」
三秒後、第144班は同時に動いた。
先手はハーヴィーだ。
彼は右側の半焼け泥の下に工具の柄を突っ込み、ぐいっと一発持ち上げてから、即座に後退した。次の瞬間、その焚風で外側だけ冷やされた半熟の地表が、ごそっと一枚崩れ落ちて、鈍い音を立てる。熱気が一気に噴き上がり、焦げくさい匂いが広がる。物資を漁っていた二人の学生は飛び退き、危うく隣の泥溜まりに一緒に落ちかけた。
「クソ!熱の袋!」
一人が低く罵る。その声は、こちらにはっきり届く。
同時に、九島が別の側から、小さなパックを一つ素早く投げ込んだ。焦げ木の陰をかすめて、傷者のすぐ脇に転がる。小さいが、十分目立つ。中身は処理水が半分、止血パッドが二枚、電解剤の小片が一本。それ以上は入れない。慈善事業と勘違いされないために。
ジェスは、そのどちらよりたちが悪い。
石を投げもしないし、大きな音も立てない。ただ、焦げた木の内側を、刃の背で軽く三回叩いた。場所を変えて、もう二回。わざと「別の班が移動している」ようなリズムにする。左の高所の三人は、案の定、即座に緊張して身を伏せ、私たちとはまったく違う方向に視線を走らせた。
いい。疑心暗鬼は、最安で一番よく効く毒だ。
傷者もその変化に気づいたのか、一瞬身体を固くした後、ようやく自分のそばに転がってきた小包を視界に捉えた。動きは遅い。だが、それでも腕を伸ばし、自分のほうへ引き寄せる。
顔を上げて、送り主を探そうとはしない。
叫びもしない。
少なくとも、頭はまだ働いている。
心の中で、彼女にこっそり一点加点した。気に入ったからじゃない。こういう場面で自分をサーチライトにしない奴のほうが、まだマシだからだ。
右下の物資漁り二人組は、熱のポケットに驚いたせいで、事故の中心にそう簡単には寄りつかなくなった。一人が、上の高所に向かって怒鳴った。たぶん、そっちが仕掛けたと決めつけている。左の高所の三人も、高所に別の班が上がってきたと疑っているらしく、勝手にピリついている。
場が荒れれば荒れるほど、こっちにとっては都合がいい。
五秒待って、誰も本当のトリックに気づいていないことを確認してから、即座に命令を出す。
「フロスト01、命令。全員離脱。南やや西へ後退。回収しない。痕跡も残すな」
「了解」ハーヴィーが先に退く。
九島は最後に、もう一度だけ傷者の位置を確認してから、低く「了解」と返した。
ジェスは私と一緒に焦げ根の斜面を滑り降りながら、まだ人を刺した後みたいな冷たい笑いを口に残している。
「で、私たちは介入したことになるの?それともしてないことになるの?」
「まあ、『余計なお世話』というジャンルの中では、まだマシな部類だな」望遠鏡をしまいながら、さっき自分が伏せていた泥の跡を拭う。「英雄ごっこはしてない。現場を漁りにも行ってない。自分たちを事故に縛りつけてもいない。出せるものは、フロスト01から04が明日も校方に悪態をつけるラインまでに抑えた」
ジェスが鼻を鳴らす。「冷たいわね」
「違う」私は言う。「これは『数量限定の人間らしさ』。軍学校の特売品だ」
ハーヴィーが前から一言足す。やっぱり短くて、冷たい。
「十分だ。これ以上は、ただの自爆」
九島も、枕で顔を押さえたくなるような平静な声で補足する。
「それに、さきほどの対応で、外周の各班がしばらく互いに警戒せざるを得なくなりました。短期間は誰も安心して場を占拠できない。あの傷者にとっては、私たちが直接降りるより有利です」
横目で彼女を見る。
正しい。また正しい。本当に腹立たしい。
「記録しろ、フロスト04」私は言う。「六日目。事故区域外周での観察結果。一つ、救難信号弾の後、周辺小隊の第一反応は救助じゃなく、観察・漁り・ポジ取り。二つ、外圧が十分に高い場合、人間同士の牽制は、虫以上に機能する。三つ——」
一度言葉を切って、焼け割れた根を踏み越える。
「三つ、どんな事故現場にも『きれいな期待』はするな。そこから生えてくるのは、いつだって新しい事故だけだ」
九島が低く答える。「記録しました」
窪地を大きく外していく頃には、空の信号弾の尾煙はほとんど消えかけていた。汚れた灰色の空に、洗い残した傷のような、淡い白い線だけが残っている。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




