40. 強襲 3
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
再出発してからの足取りは、さっきよりずっと静かだ。
別に空気が良くなったんじゃない。さっきの潜影鋸蜂一同に、全員きっちりお仕置きされて、足元・頭上・口、三つ同時に間違えるとどうなるかを、いやってほど叩き込まれただけだ。
隊形もちゃんと広がった。ハーヴィーが半歩前で踏み、ジェスが左翼で、肩に二枚の金属板をぶらさげ、九島が中前で上下を監視し、私は最後尾で全体を見る。
今度は、十分近く歩いても、地面から何かが生えてくる音はしなかった。
少なくとも、それは進歩だ。
その代わりに、人の声がした。
大きくはない。
まず、押し殺した罵り声がひとつ。続いて、金属のバックルが木の根に軽く当たる音。そのあとに、息をわざと潜めようとして、かえって緊張しているのが丸わかりな呼吸のリズム。
ジェスが一番に手を上げて、左前方の方向を指さした。
私が手を下げて合図し、隊を止める。
九島が、前方の幹のすき間を一瞥して、低く言った。
「三から四人」
ハーヴィーが補足する。「負傷者あり」
どうやって分かるのかなんて訊かない。次の瞬間、私にも聞こえたからだ——一人だけ足音が揃っていない。半拍ずつ引きずっていて、膝かふくらはぎあたりに問題がある。
私は素早く手信号を出した。迂回せず、まず確認。
板根と垂れた蔓が入り乱れた狭いくびれまで前に出たところで、向こうの連中もこちらに気づいたらしい。
先に止まったのは、私たちじゃない。向こうだ。
結構なことだ。
少なくとも、相手も全員バカってわけじゃない。
壁みたいに太い板根を二本挟んで、最初に見えたのは、あまり愛嬌のない顔だった。
一年生。女。短髪。肩には、ほとんど空の水袋。袖には別の班の識別バンド。隣の三人のうち、一人の男ははっきりとびっこを引いていて、右脚のアーマーに、腐蝕された白い跡がべったり残っている。残り二人のうち一人は、船内のバーをもぎ取ったような棒を握り、もう一人は、露骨にこちらの装備を値踏みしている。
誰も、先に銃には手をかけない。
これはいい。
この雨林で、不確かな方向に先に撃ち込むのは、自分から針鋼蚊の前菜になりに行くのと同じだ。
最初に口を開いたのは、短髪の女だった。
「何班?」
私はすぐには答えず、まず彼女の立ち位置を見る。
自分が前。負傷者を半ば中央にかばい、残り二人を左右に振っている。だらけているんじゃない。少なくとも、頭はまだ働いている配置だ。
「第144」と私。「そっちは?」
「131」彼女も早い。視線が私の胸の識別タグと装備を一通りなめてから、顔に戻る。「今、降りたばかり?」
「他に見える?ここで三日ピクニックしてた顔に見える?」と返す。
彼女の口角がぴくりと動く。何か言い返したそうに見えたが、一度飲み込んだ。
それも、悪くない。
飲み込める奴のほうが、がなり立てる奴より面倒で、価値もある。
ジェスが私の左後ろで、わざと聞こえるくらいの小ささで鼻を鳴らす。
「おお、朗報。向こう、ちゃんと班番号は訊けるらしい。いきなり人を掴んで、シェルターのドア前に飾ろうとは思ってない」
131のほうで、さっきの痩せた背の高い男が、露骨に不機嫌そうに顔を上げた。
「シェルターの位置、知ってるのか?」
早い。
その問いは、早すぎる。礼儀の皮にナイフを仕込んで、初手から刃先をのぞかせてくる速度だ。
内心で冷たく笑いながら、表情は変えない。
「その質問、なかなか夢見がいいわね」とだけ言う。
短髪女はすぐにその男を横目で睨み、「バカ」とでも言いたげににらみつけてから、視線をこちらに戻した。
「気にしないで。さっきまで何かに追われてて、まだ脳みそが息してるの」と言う。「こっちは、前が通れるかどうか確認したいだけ」
「この星のどこだって『通れる』さ」ハーヴィーが私の半歩前でぼそりと言う。「違うのは、通り抜けた後に、どれだけ残るかだけ」
短髪女はハーヴィーを一瞥して、すぐに悟ったらしい。この班に、ぬるい言葉は期待しないほうがいい、と。
そこで九島が、ふとした調子で口を開いた。
「そちらの右脚、鋸蜂ですか」
質問というより、判断。
131の跛脚の男の顔色が、さらに悪くなる。否定はしない。
短髪女がうなずく。
「一巣。関節ギリギリ。今は、何とか歩けるくらい」
「ってことは、西北から切ってきたわけね」と私。
彼女がこちらを見る。表情が、一瞬だけ微かに揺れた。
緊張じゃない。私がどこまで知っているかを測りにきている。
「痕、見た?」と訊いてくる。
「さっき、何かにぶつけた音も聞こえたけどね」ジェスが言う。「あんまり軽くはない音」
高瘦の男が、すぐさま苛立った声を上げる。
「どういう意味だ、それ」
「意味は簡単。もう少し強くやったら、巣が『地震だ』って勘違いするってこと」ジェスは嘘くさい笑みを浮かべる。「安心して。私たちも、さっき同じ授業を受けてきたとこ」
空気はすぐに和んだわけじゃない。でも、少なくとも悪化はしなかった。
短髪女は私たちを一通り見、それから、背後の濃い林を一度振り返ってから、最初の「提案」を投げてきた。
「この先に、比較的乾いた根の稜線が一本ある」彼女が言う。「かなりの泥地をショートカットできる。東南に行くつもりなら、そのまま進むと沼に落ちる」
きた。仮の協力。
「ありがとう」は言わない。まず訊く。「見返りは?」
彼女も、回りくどくはない。
「そっちが処理できる水場を見つけたら、方角を一本、返してほしい」
いい。
ようやく取引らしくなってきた。
私がまだ返事をしてないうちに、ジェスがイヤホン越しに小さく舌打ちする。
「こちらフロスト02の翻訳提案。今の発言の意訳は:『毒水の地雷を先に踏みたくないけど、タダで済ませる気もない』」
ハーヴィーはさらに冷たく継ぐ。
「向こうも、こっちが雨林の資源ポイントをどこまで分かってるか探ってるだけだ」
九島は何も言わない。ただ、短髪女の右側のバックパックを見ている。そこには、無理やり折り曲げて外した濾水チューブが一本ぶらさがっていて、まだ泥がついている。
本気で水を探しているし、もう追い詰められてもいる。
頭の中で、すばやく打算を回す。
左前の、あのやけに甘い水たまり。そのすぐ横には捕蠅大士。
何も言わなければ、あいつらはまず、そっちに向かう。
全部しゃべれば、こっちの有効情報を丸投げすることになる。
適当に嘘を混ぜてやり過ごすのは、短期的には楽だが、長期で見れば後味が悪すぎる。おまけに、こっちの今後のルート上で、余計な死体を増やすかもしれない。
鬱陶しい。
この星、十分に一回、人間性の小テストをしかけてくる。
私は短髪女を見て、最後に口を開いた。
「水場なら、ある」と言う。
痩せた男の目が、一瞬で光る。
次の一言で、その光をあっさり潰す。
「でも、左前の甘いのはやめとけ」言葉を区切る。「あれは水じゃない。口だ。合掌してくれる」
131側が、半秒ほど黙り込む。
跛脚の男が、低く罵り声を漏らした。どうやら、本気でそっちに行くつもりだったらしい。
短髪女は二秒ほど私を見つめ、私が脅かしているだけかどうかを測ろうとする。
面倒なので、考える時間を削ってやる。
「さっき、石で試した」続ける。「食い付きが早すぎる。信じないなら、その棒で突いてみれば?」
ジェスが隣で、実に親切に上乗せする。
「そうそう。めちゃくちゃフレンドリー。手を引くのが遅れたら、今日の晩ご飯、一人分減るよ」
短髪女は、今度は完全に信じた。
こういう細かさは、今思いつきででっち上げられるものじゃない。
息をひとつ吸ってから、私に向かって小さくうなずく。
「その根筋、教える」彼女が言う。「この先二十メートル。三つに裂けた黒い木がある。その右側の稜線を行け。左の泥皮は踏むな。下、空洞」
悪くない。
小さいが命に関わる情報。タダにするには惜しいが、交換条件としては妥当だ。
私はうなずいて、それを受け取る。
本来なら、ここで手仕舞いでもよかった。
わざわざぶち壊してくれたのは、やっぱり高瘦の男だ。
「もし本当にHUDに公式ポイントが——」
短髪女は即座に遮る。「黙れ!」
遅い。
言葉はもう外に出た。
周囲の空気が、また一段きつく締まる。
ハーヴィーは半歩、前に重心をずらす。
ジェスの肩に掛けてあった金属板が、カチャリと小さく鳴る。
九島は動かない。目だけが、いやに冷えている。
私は、逆にすぐには噛みつかない。
早く噛みつきすぎると、自分から「図星です」と言いにいくみたいだからだ。
男の顔をまっすぐ見て、声を平らに落とす。
「そっちの班、今の時点で他人のHUDに希望を預けるんなら、先に補習コースを探したほうがいい」
男の表情が引きつる。何か言い返そうとするが——
短髪女が先に一歩、体を前に出して遮る。場を取り戻しにくる。
「こいつ、口だけ悪い」彼女が言う。「試してるわけじゃない。ただ、怖いだけ」
「怖いなら、口を先に縛っとけ」と私。
そこまで言って、自分のラインも決めた。
小さいが、重要な線だ。
掩体のことは、言わない。
HUDのことも、言わない。
この先、東南に切り込むつもりがあることも、言わない。
でも、あの噛みついてくる偽の水場のことは、言った。
別に、急に蒸発の森で慈善事業を始めたくなったわけじゃない。
一年の班が、一個の「無邪気な水たまり」に釣られて、間抜けに全滅するのを見る必要はないと思っただけだ。
それ以上に——
後で、自分が通るかもしれないルートの途中に、新鮮すぎて虫を呼ぶ同学年の死体を転がしておきたくない。
ものすごく実利的だ。
それで、自分には十分、言い訳がつく。
短髪女も、私が開けた情報の隙間が極端に狭いことには気づいているのだろう。それ以上は突っ込んでこず、ただ低く一言だけ落とした。
「助かった」
私は鼻を鳴らす。
「礼を言うのは、生き延びてからにしな」
ジェスが横で首をかしげ、珍しいものでも見るような目をしてくる。
「おやおや、今のフロスト01、なんか普通の人みたいなこと言った」
「もう一言でも余計なこと言ったら、ここに置いてあの子たちと一生、偽装協力させるわよ」
「それは困るなあ。うちの班、待遇は最悪でも、笑いのセンスはそこそこ安定してるんで」
131の短髪女が、今度はほんの一瞬、本気で笑った。
横に一歩ずれて、乾いた根筋の方向を空ける。
「黒い木の右側。高いほうを踏んで」と言う。
私はうなずき、顎をわずかに上げた。
「そっちの傷脚。酸がまだ白く泡立つようなら、そこで止まれ。無理して低地には入るな」
彼女が一瞬、意外そうにこちらを見る。まだ何か言うとは思っていなかった顔だ。
「了解」
それでいい。
取引、終了。
探り合いも、終了。
仮の協力関係、三分で締結して、その場で解消。
健全そのものだ。
私は手を横に切る。
「フロスト。前進」
131が空けた根筋をかすめるようにして抜けていく間も、誰一人として、背中を完全に相手にさらしたりはしない。これは敵意じゃない。常識だ。傷脚の男の横を通るとき、彼のアーマーから立ちのぼる、中和済みの酸蝕の匂いが鼻を刺す。さっきまで、私たち自身がまとっていたのとまったく同じ匂いだ。
同じ授業。
払った授業料の種類が、班ごとに違うだけ。
数歩進んだところで、ジェスが我慢できなくなったらしく、イヤホン越しに声を落とす。
「こちらフロスト02、真面目に質問。さっきのあれって、善意?それとも商売?」
ちょうど、三つに割れた黒い木の右側の稜線に足を乗せ、足裏の硬さを確認してから、答えた。
「将来の障害物の除去」
ジェスが笑う。
「いいね、その答え。フロスト01らしい」
半歩前の九島は振り返らず、淡々とひと言だけ足す。
「でも、有効ではある」
私はその背中を半秒ほど見つめてから、ため息交じりに一言返す。
「私を美化するな」
彼女はそれきり何も言わない。
でも、聞き取れた。
たぶん今ので、少しだけ笑った。
大きな笑いじゃない。自分でも気づきたくない、短い一歩分の笑いだ。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




