34. ぐうの音も出ないほどに 1
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
下院宿舎の事務室の冷房は、いつも半分しか効いていない。
残りの半分は、たぶんコピー機の保護に取られているんだろう。
ドア前に立って三秒で、ついてきたことを後悔し始めた。廊下には古い紙、トナー、濡れて生乾きの制服の布の匂いが漂い、頭上の古い蛍光灯は死にかけた虫みたいな音を立てている。掲示板は色あせた用紙で埋まり、端が反り返ったところを、どの世代のか分からない透明テープで無理やり押さえてある。全体として、ここは「宿泊手続きの場所」というより、「人の忍耐を削るためだけに設計された低コストな刑場」に見える。
そして今日、その刑場には一番いてはいけない人間が立っていた。
九島真紀。
背筋を伸ばし、制服は異世界から間違えて入り込んだみたいに清潔で、両腕にはファイルが二冊、側面にはインデックス付き。見せかけの整理じゃない。一目で中身が完璧に分類されていると分かるタイプだ。こういう人間が下院混宿の前に立っているのは、高級レストランの銀のナイフを軍用缶詰に突き立てたようなもので、歯が浮くほど場違いだった。
廊下ではすでに何人かが足を止めてこっちを見ている。
全然意外じゃない。
上院の人間が自発的に混宿申請してきて、しかも消耗品扱いで林間学校に送り込まれかけている第144班に補充する。この話が足を生やして校内を駆け回らないなら、この学校はもう死んでいる。
「本当に自分で来る気?」私は壁にもたれ、彼女がファイルを抜き出すのを見ながら言った。「今ならまだ引き返せるよ。私は見なかったことにできるし、ついでにまともなマットレスを死守できたことを祝ってあげる。」
九島は顔も向けず、平坦に返す。
「まともなマットレスでは、三週間の野外生存をクリアできません。」
「わあ、下院の宿泊環境をこんなに尊重してくれるとは。」
「尊重じゃなくて、比較した結果です。」
私は口元が引きつった。
……くそ。こういう人間はわざと踏みにじるわけじゃなく、頭の中で答えを並べ替えたものをそのまま口にしているだけだと分かっていても、腹が立つ。
隣でジェス・マッカロウは窓枠にもたれ、腕を組み、公開処刑でも眺めるみたいな顔で笑っていた。
「ちょっと楽しみになってきた。」彼女は言う。「手続きが通るかどうかじゃなくて、リンデの顔。あの人に会った瞬間の。」
「暇なの?」
「忙しいよ。」ジェスは真顔で言った。「上院のお嬢様が書類で行政システムに穴を開ける瞬間を見届けるので。」
ドアの内側から紙をめくる音がして、誰かが抑えても明らかな息を吸う音が聞こえた。
次の瞬間、ドアが開いた。
リンデ・ホフマンがタブレットを持って立っていた。表情は、人生の決算書に「これから事故発生」という欄が追加されたのを見た人間の顔。
まず私を見て、喉仏が動く。ジェスを見て、眉が引きつる。最後に九島真紀を見たとき、半拍だけ、全体が止まった。
その一拍、実に誠意がこもっていた。
危うく笑いそうになる。
「……九島学員。」リンデの声は無理に公式の安定感を保っているが、語尾が少し乾いていた。「提出されたのは臨時混宿調整と班の統合申請で間違いありませんか?」
九島が頷き、ファイルを差し出した。
「はい。第144班現員の欠員補充、混宿ベッド位置の調整、個人物資搬入許可、点呼情報の更新、洗濯室の時間帯共用、林間学校前の整備期間における出入り権限申請を含みます。添付資料は後ろに、索引も付けてあります。」
リンデがそれを受け取る手つきは、爆発物を受け取るようだった。
私は横で、彼が一ページ、二ページ、三ページとめくるのを見ていた。めくるごとに顔色が悪くなる。驚いているのではなく、準備の完璧さに抵抗力を奪われている。
当然だ。
行政が一番恐れるのは、感情的な相手じゃない。
行政より手続きに詳しい相手だ。
「理論上、こうした学部を跨ぐ宿舎調整は——」
「上院生活管理課の事前承認は三ページ目です。」九島が淡々と言う。
リンデは三ページ目をめくり、固まる。
「……理論上、班のコアメンバー同意も必要で——」
「第144班の現コアメンバーの署名は五ページ目です。」
リンデは五ページ目をめくり、また固まる。
そのページを横目で盗み見た。私の名前が一番上にあり、字は感情を込めて汚い。ジェスのやつはご丁寧に横に笑っているようなオバケの落書きを添えていて、リンデがそれを見た瞬間、目尻がピクッと動いた。
悪くない。少し気分がいい。
「理論上、混宿ベッドは下院宿舎管理側でスペース確認が——」
「だから私が本人で来ました。」九島は言う。「空きベッドが不足する場合は折りたたみベッドでも構いません。個人ロッカー、壁面フック一組、ベッド脇のコンセント、消灯後の基本動線さえ確保できれば。」
私は彼女を振り向いた。
ちょっと待て。
フックまで計算に入れてるのか?
「宿泊しに来たの? それとも拠点を接収しにきたの?」思わず口にした。
九島はやっと私を一瞥した。
「三週間生き残るなら、宿泊は寝るだけじゃ足りません。」
……はい。
正論すぎて腹が立つ。
リンデは書類を見つめて、最後の尊厳を探そうとしているようだった。「ただ下院混宿エリアは現状——」
「B棟三階東側の一番奥。」私は先に言った。「サイラスが使ってた場所が空いてる。ベッドフレームはまだ直してないし、下の引き出しも引っかかるけど、人間一人なら詰め込める。」
リンデが顔を上げ、「なぜそこまで——」という顔をする。
私は「そこで寝てるから当たり前でしょ」という顔で返した。
ジェスが追い打ち。
「それにあのベッド、洗濯室に近いし、夜中に誰か臭い靴下で死んでも搬出が楽。」
「ジェス学員、正式な宿泊配分を——」
「どうせ配分なんて大して正式じゃないでしょ。」
リンデは黙った。
説得されたのではなく、図星を突かれたからだ。
事務室の奥ではもう一人の事務員が端末の後ろに縮こまり、自分は存在しないふりをしている。プリンターが一枚紙を吐き出す音が、リンデの代わりに悲鳴を上げているみたいだった。
リンデは何ページかめくり、ようやく一つ、抵抗できそうな点を見つけた。
「個人物資の搬入には安全確認が必要です。上院仕様の私物に通信機器や暗号機器、下院宿舎の許容範囲を超える設備がある場合——」
九島はすぐに別のリストを抜き出し、机に置いた。
「まとめてあります。私用通信機なし、違反電熱器なし、密閉型蓄電ユニットなし、違法薬品なし。医療用品の数量は上限内、浄水タブレットと防虫用品は別表二に記載。項目ごとに確認できます。」
リンデは三秒黙った。
その三秒で、彼の人生は二年分は縮んだと思う。
「……分かった。」最後に搾り出す。「仮ベッドと権限更新を手配する。今日中に完了させる。」
私は眉を上げた。
思ったより早い。
温室の夜に撮られた映像の威力が長く残っているらしい。今のリンデは、私を見るたびに歩く不発弾を見るような顔をする。
不快だけど、少し気分はいい。
「じゃあ、よろしくホフマン先輩。」私はわざと最後の二文字を強調した。
リンデは私を一瞥し、声を半音下げた。
「……面倒ではありません。これは本来、規定のプロセス内で処理できる案件です。」
ジェスは吹き出しそうになり、手で口元を押さえた。
九島は空気の中にある諸々をまったく受信せず、静かに最後の一言を足す。
「それと、第144班が今日午後三時に整備室B区を臨時使用する申請も、併せてお願いします。」
リンデが固まる。「もう申請を?」
「まだです。」九島が言う。「だから今、口頭で。」
私は横を向く。
歩きながら道を敷いていくタイプ。本当に「補充要員」として動いている。口だけで「入れてください」ではない。
こういう人間は、厄介だ。
そして使える。
この二つはまったく矛盾しない。
リンデは眉間を押さえ、頭痛を抑え込むように言った。「……分かった。三時前に開けておく。」
九島は一つ頷き、副本の一部を手際よく回収した。
用件が済むと、彼女は「やっと終わった」という息の抜け方もなく、今日のToDoリストの一つを消しただけの顔で踵を返した。
その背中を二秒見送ったとき、上院に荷物ごと投げ返してやりたい衝動が、なぜか少しだけ静かになっていた。
少しだけ。
調子に乗るなよ。
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「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




