第8話 幼い頃の味
鍋の中では、豆がまだ硬かった。
シルヴィアは湯の色を見て、干し肉を指でつまんだ。
「塩気が強い」
「保存食ですから」
「保存のための塩と、食べるための塩は違うわ。あなた、金庫に入っていた銀貨をそのまま噛むの?」
「噛んだことはありませんが、税吏ならやりそうです」
「水を足して。あと、干し肉は少し炙ってから戻す。脂が眠っている」
「脂にも睡眠が」
「あなたよりは働くわ」
ヴィンツェンスは肩をすくめたが、言われた通りにした。
シルヴィアは香草袋を開けた。
ブルーノから受け取った母の香草だった。
乾いているが、指で揉むとまだ香りが立つ。
その香りに、ほんの一瞬、母の袖を思い出した。
思い出してしまったことが癪で、シルヴィアは少し乱暴に鍋へ落とした。
「入れすぎでは」
「あなたの料理には、これくらいの更生が必要よ」
「更生に香草を使うなら、犯罪者も喜びそうですね」
「あなたには足りないかもしれない」
「私は何の罪で?」
「湿った塩を売った罪」
「それは伯爵家の会計係が安い方を選んだ罪です」
「罪を客に転嫁する商人は長生きするわね」
「早死にする商人は帳簿を残せませんから」
鍋が煮え始めた。
豆はまだ固い。
だが香草と干し肉の脂が湯に溶け、匂いが変わる。
さっきまでの貧しい湯が、少しだけ食べ物になった。
雨が屋根を叩いている。
小屋の中は暗い。
炉の火だけが赤く、ヴィンツェンスの横顔を照らしていた。
彼は鍋を見ている。
真剣というほどではないが、雑でもない。
物事を大げさに扱わない男なのだろう。
火も、雨も、女の怒りも。
「あなたも料理をするのね」
シルヴィアが言った。
「旅先で食べないと死にますから」
「死なないためだけ?」
「最初は」
「今は?」
「死なないために、少し不味くないものを作る程度です」
「消極的な向上心ね」
「人生にはそれくらいがちょうどいい」
シルヴィアは鍋をかき混ぜた。
「母に教わったの?」
ヴィンツェンスの手が、薪を取る途中で止まった。
火がぱちりと鳴る。
「少しだけ」
「スープ?」
「ええ」
「覚えているの」
「食べ物の恩は忘れにくい」
「金の恩より?」
「金は返せます。食べ物は、妙なところに残ります」
シルヴィアは黙った。
母は、彼にもスープを出した。
行商人の子供に。荷を運んで腹を空かせていた少年に。
その記憶を、この男はまだ持っている。
シルヴィアは胸の奥に、細い痛みを覚えた。
足の痛みとは違う。
もっと厄介で、どこに薬を塗ればよいのか分からない種類の痛み。
「母は、余計なことをする人だったわ」
「そうですね」
「否定しないの」
「余計なことに救われる人間もいます」
「あなた?」
「さあ。私は腹が減っていただけかもしれません」
「便利ね、空腹は。感謝を隠せる」
「皮肉も隠せます」
「隠れていないわ」
ヴィンツェンスは小さく笑った。
シルヴィアは鍋の味を見た。
まだ塩が荒い。
けれど、食べられる。
いや、もう少しで、ちゃんとしたものになる。
「パンを削って」
「入れるんですか」
「硬いパンは煮れば口を黙らせる。あなたと違って」
「私も煮れば静かになるかもしれません」
「鍋が汚れるわ」
彼は硬いパンを削った。
シルヴィアはそれを少しずつ鍋へ入れる。
とろみが出る。
貧しい材料が、互いの欠けを埋め始める。
料理とは、そういうものだ。
よいものばかりを集めるのではない。
悪いもの、足りないもの、固すぎるもの、塩辛すぎるもの。
そういうものを、火と手間でどうにか食べられるところへ連れていく。
人間よりましだ。
人間は、連れていこうとすると噛む。
自分のように。
「できたわ」
「では、毒見を」
「あなたが先よ。売った塩の責任を取りなさい」
「責任とは、いつも食卓に遅れてやってくる」
ヴィンツェンスは木椀にスープをよそい、一口食べた。
少し黙った。
「どう」
「悔しいことに、食べ物です」
「最初からそう言いなさい。遠回しな褒め言葉は、腐った果物より扱いに困る」
「うまいです」
シルヴィアは、鍋を見た。
ただの豆スープだった。
干し肉と硬いパンと香草。客間の晩餐に出せば、皿ごと下げられるだろう。
けれど雨の小屋では、湯気が立つだけで十分だった。
彼女も椀を受け取り、一口食べた。
悪くなかった。
空腹と雨と寒さが、味方をしている。だがそれだけではない。
ヴィンツェンスの火加減は悪くなかった。
豆を煮る順も、干し肉を入れる間も、旅の料理としては理にかなっている。
「あなた、案外まともに火を扱うのね」
「かなりの賛辞と受け取っておきます」
「調子に乗らないで。まともなのは火だけよ」
「火に嫉妬されるとは思いませんでした」
雨はまだ降っていた。
二人は炉のそばで、黙って豆スープを食べた。
沈黙は、客間の沈黙と違っていた。
あちらの沈黙は、人が言えないことを隠すためにある。
こちらの沈黙は、熱いものを飲み込むためにある。
シルヴィアは椀を両手で包んだ。
指先が温まる。
足の痛みは消えない。けれど少しだけ遠くなった。
「レンテンハイマー」
「はい」
「一刻だけのつもりだったのに、ずいぶん遠くへ来たわね」
「貴族の一刻は長い」
「商人の言い訳も長いわ」
「では、次の宿場で降りますか」
その問いは、軽く出された。
だが軽い言葉ほど、時に重いものを載せている。
シルヴィアは椀の中を見た。
豆が沈んでいる。
パンが溶けている。
香草が浮いている。
全部、もう元には戻らない。
「雨がやんだら考えるわ」
「では、雨に期待しましょう」
「やむ方に?」
「続く方に」
シルヴィアは彼を見た。
ヴィンツェンスは、椀を持ったまま火を見ていた。
冗談のような顔をしている。
だが、たぶん少しだけ本気だった。
「あなた、面倒が嫌いなのではなかった?」
「嫌いです」
「なら、なぜ続く方に期待するの」
「豆がまだ残っています」
「それだけ?」
「今のところは」
シルヴィアは笑わなかった。
ただ、もう一口スープを飲んだ。
外では雨が降り続いていた。
屋根を叩く音は、荷馬車の車輪よりも柔らかかった。
そして少なくとも、その音は彼女に戻れとは言わなかった。




