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第19話 良い客

 白鳥亭を出る朝、グレータは袋を一つ投げてよこした。


 シルヴィアは反射的に受け取りそこね、危うく落としかけた。

 袋の中から、乾いた豆と小麦粉と、少しばかりの燻製肉の匂いがした。


「何これ」


「餞別だよ」


「私に施し?」


「違うね。昨日の煮込み代の残りだ。あんたの口の悪さを差し引いても、まだ少し払う分がある」


「計算が甘いわ。私の口の悪さは高いのよ」


「なら出世払いにしておくよ」


 グレータは笑った。


 朝の旅籠は、夜とは別の顔をしていた。

 広間の卓は拭かれ、床には水が撒かれ、昨日の酔客の声はどこにもない。

 厨房では下働きの娘が皿を重ねている。

 竈の火は小さく、灰の下に赤いものを残していた。


 シルヴィアは袋を見下ろした。


「あなた、誰にでもこういうことをするの?」


「気に入った客にはね」


「私は客だったかしら」


「金を払って、文句を言って、鍋に口を出した。立派な客だよ」


「最悪の客ね」


「いい客だ。忘れにくい」


 グレータはそう言って、シルヴィアの杖を一瞥した。

 今度は、足を見る目ではなかった。

 道具を見る目だった。

 使い込まれ、傷がつき、それでも役に立っているものを見る目。


「足、冷やすんじゃないよ」


「その言い方なら許すわ」


「おかわいそうには言わないさ。噛まれるからね」


「賢い女将ね」


「生き残ってるからね」


 ヴィンツェンスが馬の手綱を引きながら言った。


「グレータさん、世話になりました」


「世話した覚えはないよ。働かせた覚えならある」


「帳簿にはそのように記しておきます」


「その帳簿、信用ならないね」


「よく言われます」


 シルヴィアは木箱を使って荷台へ上がった。

 もう、その木箱に文句を言うのを忘れかけている。

 忘れかけたことに気づき、眉を寄せた。


 ヴィンツェンスはそれを見て、何も言わなかった。


 荷馬車は白鳥亭を離れた。


 グレータは戸口に立ち、腕を組んで見送っている。下働きの娘が、その後ろから小さく手を振った。


 シルヴィアは手を振り返さなかった。

 ただ、杖の先で荷台の板を一度だけ叩いた。


 それで十分だった。

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