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第14話 この足で、ここまでこれた

 その日の夕方、二人は小さな野営地に着いた。


 街道沿いに、旅人がよく使う石囲いの火場がある。

 近くには細い川が流れ、馬に水を飲ませることができた。

 宿まではまだ遠い。

 車輪が泥に取られたせいで、予定より進めなかった。


 シルヴィアは川で外套の泥を落とした。

 冷たい水が指を刺す。それでも泥はなかなか落ちない。

 まるで屋敷の噂のようだと思った。


 ヴィンツェンスは火を起こし、荷物の整理をしていた。


 彼は何も言わなかった。

 転んだことも。足のことも。泥のことも。


 その沈黙が、ありがたいようで、癪だった。


「何か言いたいのでしょう」


 シルヴィアが言うと、彼は顔を上げた。


「夕食は豆以外にしましょうか」


「その話ではないわ」


「では、豆に戻しますか」


「あなたの頭には豆しか詰まっていないの?」


「空腹時には大事な思考です」


 シルヴィアは火のそばに座った。


 左足がずきずきする。

 泥で冷えたせいもある。

 転んだ時に少しひねったかもしれない。


 ヴィンツェンスは川から戻ると、彼女の杖を手に取った。


「何をするの」


「修理です」


「壊れていないわ」


「壊れる前に直すのが安上がりです」


「持ち主に断りなさい」


「杖には断りました」


「またそれ?」


「彼は寛大です」


 ヴィンツェンスは荷袋から革切れを出した。

 古い鞍の端を切ったような厚手の革だった。

 それを細く裂き、杖の先に巻き始める。


 シルヴィアは眉を寄せた。


「何それ」


「滑り止めです」


「許可した覚えはないわ」


「杖に聞きました」


「杖は喋らない」


「あなたよりは静かです」


「それ、昨日から気に入っているの?」


「使い回せる冗談は節約になります」


「貧しい男」


「ええ。だから革も再利用します」


 彼は器用に革を巻き、細い釘で留め、さらに麻紐で締めた。

 手つきは雑に見えて、仕上がりは悪くない。

 杖の先は少し太くなり、地面を掴みやすくなっていた。


 シルヴィアは黙って見ていた。


 母の包丁を握った時とは違う、妙な感覚が胸にあった。


 誰かが自分のために何かをする。

 それは嫌いだった。


 「おかわいそうに」と同じ匂いがするから。

 「無理をなさらないで」と同じ湿気があるから。

 「気にしません」と同じ、見ないふりの優しさを含むから。


 だが、ヴィンツェンスのそれは違った。


 彼は彼女を歩かせないために杖を直したのではない。

 歩けるように直した。


 それが、ひどく厄介だった。


「勝手なことをするのね」


「苦情は受け付けます。返金はしません」


「お金を払っていないわ」


「では苦情だけになります」


 ヴィンツェンスは杖を彼女に返した。


 シルヴィアは受け取った。


 握りは同じ。重さもほとんど変わらない。

 けれど先が少し違う。


 地面につくと、革が土を噛んだ。


「どうです」


「不格好ね」


「機能には関係ありません」


「趣味が悪い」


「道具は持ち主に似ます」


「あなた、今日の夕食を抜かれたいの?」


「共同炊事における権力の乱用です」


 シルヴィアは杖を見つめたまま、小さく言った。


「悪くないわ」


 ヴィンツェンスは薪を火にくべた。


「それは杖に伝えておきます」


「あなたには言っていない」


「分かっています。傷つかずに済みました」


 火が強くなった。


 夜が森の方から降りてくる。

 鳥の声が遠くなり、川の音だけが細く残る。


 シルヴィアは杖を膝の横に置いた。

 革の巻かれた先は、少し不恰好だった。


 不恰好で、実用的で、気に入らなかった。

 気に入らないのに、明日も使うだろうと思った。


 それがさらに気に入らなかった。


 ヴィンツェンスが干し肉を切りながら言った。


「今日は、歩きましたね」


「当たり前でしょう。足があるもの」


「ええ」


「悪い足だけれど」


「ええ」


「そこは否定しなさい」


「否定したら怒るでしょう」


「慰めても怒るわ」


「でしょうね」


「面倒な女だと思っている?」


「思っています」


 即答だった。


 シルヴィアは彼を睨んだ。

 ヴィンツェンスは干し肉を鍋に落とした。


「ただ、面倒でない人間と旅をするほど、私の人生はまだ退屈していません」


 シルヴィアは言葉を返そうとした。


 けれど、うまく出てこなかった。


 仕方なく、火の方を見た。


「あなたの人生、思ったより趣味が悪いのね」


「ええ。最近、特に悪化しています」


 鍋から、肉と湯の匂いが上がる。


 シルヴィアは杖の先をもう一度見た。


 革は火の光を受けて、鈍く光っていた。


 この足は嫌いだ。

 今日も嫌いだった。

 明日もたぶん嫌いだろう。


 けれど、この足でここまで来た。

 泥に倒れて、杖を拾って、また立った。


 それだけは、誰にも渡さなくていい。


 シルヴィアは黙って、鍋の湯気を見ていた。

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