第13話 杖の先
昼近くになり、道は森の際へ入った。
そこは日が差しにくく、雨水がまだ残っていた。
轍には濁った水が溜まり、草の下は柔らかい。
馬車で通るには危ういところだった。
ヴィンツェンスは馬を止めた。
「ここから少し歩きます」
「なぜ」
「荷を軽くします。車輪が沈む」
「私も荷?」
「質問に答えると殺されそうなので、沈黙します」
「賢明ね」
シルヴィアは荷台から降りた。
木箱は置かれた。
彼女はもう文句を言わなかった。文句を言わなかったことに、自分で気づいて腹が立った。
杖を地面につく。
泥が柔らかい。杖の先が少し沈んだ。
ヴィンツェンスは荷をいくつか下ろし、肩に担いだ。
「無理なら荷台に」
「その台詞を最後まで言ったら、その干し肉を泥に埋めるわ」
「高かったのでやめてください」
「私の機嫌より?」
「比較が難しい」
「正解は、私の機嫌の方が高い、よ」
「覚えておきます。仕入れはしませんが」
シルヴィアは歩き出した。
一歩。
泥が杖を取る。
二歩。
左足が沈む。
引き抜く時、膝に痛みが走る。
ヴィンツェンスは前を歩き、時おり振り返る。
彼は手を貸そうとはしない。
ただ、歩く速度を落とす。
落としたことを隠すように、馬の手綱を直したり、荷の紐を確かめたりする。
見え透いている。
腹立たしい。
「もっと早く歩いたら」
「馬が景色を楽しんでいます」
「馬は泥しか見ていないわ」
「では泥に風情を感じているのでしょう」
「あなたに似て、趣味の悪い馬ね」
その時、杖の先が滑った。
一瞬、身体の重心が消えた。
左足は踏ん張れない。
右足は泥に取られている。
手を伸ばす間もなく、シルヴィアは横へ倒れた。
泥の冷たさが、袖と肩に染みた。
痛い。
足も痛い。腕も痛い。
けれど、それより先に熱いものが顔に上った。
見られた。
ヴィンツェンスに。
馬に。
空に。
自分自身に。
彼女は泥の中で、歯を食いしばった。
「笑えばいいわ」
声が鋭く出た。
ヴィンツェンスは数歩先で止まっていた。
振り返った顔は、いつものように眠そうで、少し困っていた。
「笑うほど面白い転び方ではありませんでした」
「慰めのつもり?」
「いえ。批評です」
「最低ね」
「転倒にも改善の余地があります」
「黙りなさい」
彼は近づいてきた。
シルヴィアは反射的に身を固くした。
手を出されたら払いのける。
抱き起こそうとしたら、杖で打つ。
そう決めた。
だがヴィンツェンスは、彼女に触れなかった。
泥の中に落ちた杖を拾った。
ハンカチではなく、荷物用の布で先を拭いた。
黒木にこびりついた泥を落とし、柄の部分も拭く。
それから、シルヴィアの手が届く場所に、そっと置いた。
「どうぞ」
それだけだった。
シルヴィアは、しばらく杖を見た。
差し出された手ではない。
起こしてくれる腕でもない。
自分で立つための杖だった。
腹が立った。
腹が立つほど、正しかった。
「気が利くのね」
「余計なところでだけ」
「本当に余計よ」
「では、次から泥も拭きません」
「それは困るわ」
「難しいお客様ですね」
「あなたの商品棚よりは整理されている」
シルヴィアは杖を掴み、右膝を立てた。
左足に痛みが走る。
視界が白くなる。
だが歯を食いしばって、立った。
泥が外套から落ちた。
ヴィンツェンスは見ていた。
手を出さずに。
急かさずに。
立ち上がった時、シルヴィアは息が乱れていた。
「見世物は終わりよ」
「入場料を取り損ねました」
「今からでも請求する?」
「支払う客が私しかいないので、赤字です」
シルヴィアは歩き出した。
足は痛む。
泥はまだ滑る。
だが、杖は手に戻っていた。
それだけで、少し歩けた。




