第三十話 美濃道の腹を見に行く
清洲を出る朝、蔵の米俵がいつもより遠く見えた。
同じ場所に積まれている。
同じ匂いがする。
乾いた藁。
米。
味噌。
塩。
少し焦げた薪。
朝の冷たい空気。
けれど、今日の俺はその前に立っているだけでは済まない。
清洲蔵を離れる。
美濃へ続く道を見る。
水場、泥、橋、渡し、荷を隠せる場所、飯場に向く場所。
信長様は、そう命じた。
清洲式を持っていけ。
だが、押しつけるな。
その土地の腹を見ろ。
言葉では分かる。
だが、実際に足を前へ出そうとすると、腹が重い。
清洲蔵には、俺の手で触った米がある。
佐助が見た味噌がある。
伊三郎の帳面がある。
かやの結びがある。
五郎兵衛殿の目がある。
弥助殿の声がある。
作兵衛たち人足の手がある。
俺が失敗しても、誰かが「そこは違う」と言ってくれる場所だ。
けれど、美濃道は違う。
知らない水。
知らない泥。
知らない橋。
知らない村。
知らない腹。
そこに、清洲式を持っていく。
米俵より重い仕事だった。
「清吉」
佐助が味噌樽の前から呼んだ。
「これを持っていってください」
小さな竹筒だった。
中には、少量の味噌が詰められている。
「これは?」
「清洲蔵の基準にしている味噌です。匂いを比べる時に使えると思って」
俺は竹筒を受け取った。
ずしりと重い。
量は少ないのに、妙に重く感じた。
「基準か」
「はい。美濃道で出てくる味噌が良いものか悪いものか、土地によって違うかもしれません。でも、清洲の味を忘れないように」
清洲の味。
そう言われると、胸の奥が少し熱くなった。
「ありがとう」
「いえ」
佐助は少し照れたように俯いた。
それから、真面目な顔になる。
「向こうの味噌が全部悪いわけではないと思います。清洲と違うだけのものもあるはずです」
俺は驚いて佐助を見た。
その言葉は、大事だ。
清洲の味と違うから悪い、ではない。
土地には土地の味噌がある。
水が違えば、米も違う。
人の腹も違う。
信長様が言った「押しつけるな」は、たぶんそういうことだ。
「覚えておく」
「はい」
佐助は頷いた。
「でも、悪い匂いは悪いです」
「それも覚えておく」
俺がそう言うと、佐助は少し笑った。
蔵の入口では、伊三郎が小さな帳面を持って待っていた。
道中用の帳面だ。
大きな帳面ではない。片手に収まるくらいのもの。油紙で包まれ、雨に濡れにくくしてある。
「清吉。これを」
「ありがとう」
「字は少なくしました。印を多くしています」
表紙を開くと、丸や線や簡単な絵のような印が並んでいた。
水場の印。
火の印。
泥の印。
橋の印。
飯場候補の印。
危険の印。
俺でも分かる。
いや、完全には分からないが、字だけよりずっと分かる。
「これなら、道で書けるかもしれない」
「書くというより、印を付けてください。戻ったら私が聞き取って、正式な帳面に直します」
「分かった」
「あと、これを」
伊三郎は細い炭筆を渡してきた。
「墨と筆は道中では扱いづらいので。炭なら、濡れなければ書けます」
「濡れたら?」
「濡らさないでください」
「厳しい」
「帳面は飯の道ですから」
伊三郎の顔は真面目だった。
俺は帳面を懐にしまう。
佐助の味噌竹筒。
伊三郎の小帳面。
それだけで、清洲蔵の一部を持っていくような気がした。
かやは外で荷を見ていた。
今日の荷は少ない。
見回りのための荷だからだ。
米少し。
味噌少し。
塩。
干し菜。
竹皮。
水こし布。
小鍋。
火打ち。
縄。
小さな木札。
ただ歩くだけなら多い。
だが、道の腹を見るには必要なものばかりだ。
「清吉、持ちすぎ」
かやが俺の背負いを見て言った。
「そうか」
「そう。あんたは米を見ると何でも背負いたがる」
「そんなつもりは」
「ある。顔に出てる」
また顔だ。
もう諦めている。
かやは俺の荷から竹皮の束を半分抜き、自分の荷へ移した。
「俺が持つ」
「あんたは味噌と帳面と、自分の腹を持てばいい」
「自分の腹は荷なのか」
「結構重いでしょ」
「否定できない」
かやは笑った。
その笑いで、少しだけ緊張が薄れた。
五郎兵衛殿は槍を肩に担ぎ、少し離れて立っていた。
年寄り扱いすると怒るが、今日の歩きぶりは誰よりも安定している。
「五郎兵衛殿」
「何だ」
「美濃道、危ないですか」
「危ないな」
即答だった。
「少しは安心させてください」
「安心して転ぶより、怖がって歩け」
「それはそうですが」
「敵の目もある。地元の目もある。商人の目もある。道を見るということは、見られるということだ」
見られる。
俺は思わず周囲を見た。
清洲の町の人々は、いつものように動いている。
だが、その中にこちらを見ている者がいないとは限らない。
米と味噌の荷を見る者。
清洲式の動きを知りたい者。
美濃へ向かう道を探る者。
腹が冷える。
「清吉」
五郎兵衛殿が言った。
「怖くなったか」
「はい」
「よし」
「皆、それをよしと言いますね」
「怖がらない奴は、飯の匂いより自分の手柄の匂いを嗅ぐ」
それは嫌だ。
俺は頷いた。
「怖がります」
「怖がったまま、見ろ」
そこへ弥助殿が来た。
護衛は二人。
大きな隊ではない。
大勢で行けば目立つからだ。
「行くぞ」
弥助殿は短く言った。
「まずは美濃道の手前、木曽川へ向かう道を見る。今日は深く入りすぎない。水場と渡し、仮飯場候補を二つ見つければ戻る」
「二つ」
俺は繰り返した。
「一つじゃ駄目ですか」
「一つが潰れた時に困る」
かやが即座に言った。
俺は頷いた。
そうだ。
清洲で覚えたことだ。
荷を分ける。
火を分ける。
飯場も分ける。
一つに頼れば、止まった時に終わる。
「二つ見ます」
俺は答えた。
清洲を出る時、作兵衛たち人足が見送ってくれた。
「清吉、向こうの米に負けるなよ」
「米と勝負はしません」
「泥に足取られるなよ」
「それは気をつけます」
「腹で怒ってこい」
「怒りに行くわけじゃない」
皆が笑った。
その笑いを背中に受けて、俺たちは歩き出した。
清洲の町を抜ける。
朝の商いの声が遠ざかる。
田の匂いが近づく。
水路の湿った匂い。
土。
草。
遠くの川の気配。
蔵の中とは違う匂いだ。
俺は何度も深く息を吸った。
かやが横で言う。
「匂いだけで歩くと転ぶよ」
「分かってる」
「前も見て」
「見てる」
「足元も」
「見るところが多い」
「道を見るって、そういうこと」
本当にそうだった。
蔵なら、米俵と味噌樽と床を見ればよかった。
だが道では違う。
前。
足元。
水の流れ。
轍。
草の倒れ方。
橋の板。
人の目。
匂い。
音。
全部が飯に関わるかもしれない。
少し歩くと、最初の水場があった。
小さな流れだ。
田へ水を引くための水路に近い。
透明には見える。
だが、底には泥が溜まっている。
俺はしゃがんで水をすくった。
冷たい。
匂いは強くない。
だが、少し土の味がする気がした。
「そのまま飲ませたくない」
俺は言った。
「煮れば?」
かやが聞く。
「こして煮れば使えるかもしれない。でも、三百人分には細い」
「水量が少ない?」
「うん。汲むのに時間がかかる」
俺は小帳面を出し、水場の印に丸をつけ、横に小さく線を引いた。
水あり。
量少ない。
こして煮る。
そんな意味の印だ。
伊三郎が見れば分かるだろうか。
少し不安だ。
「清吉」
かやが言った。
「飯場候補としては弱いね」
「水が足りない」
「あと、ここは田の持ち主に嫌がられる。水を汲みすぎると田へ行く水が減る」
俺ははっとした。
そこまで考えていなかった。
水があるから使える、ではない。
その水を使っている人がいる。
地元の腹だ。
「帳面に入れる」
俺は慌てて印を足した。
田の水。
使いすぎ注意。
「清吉、もう一つ」
「何」
「ここで兵が座ると、田の畦を崩す」
かやが足元を指した。
確かに、道が狭い。
三百人どころか百人でも、ここで止まれば田の畦に足をかける者が出る。
地元の者に嫌われる。
嫌われれば、水も薪も教えてもらえない。
俺は腹が重くなった。
水だけ見ていては駄目だ。
人の暮らしも見る。
飯場を置くというのは、そこにいる人の腹へも触れることなのだ。
「ここは、飯場には向きません」
俺は言った。
弥助殿が頷く。
「記せ」
「はい」
さらに進むと、小さな集落があった。
家は十数軒ほど。
道端で年配の男が柴を束ねていた。
俺たちを見ると、すぐに手を止めた。
警戒している。
当たり前だ。
織田の者が、美濃へ続く道を見に来ている。
地元の者からすれば、厄介事の匂いしかしないだろう。
弥助殿が前に出ようとしたが、かやが小さく言った。
「待って」
かやは自分の荷から小さな竹皮包みを出した。
握り飯だ。
いつの間に用意していたのか。
俺のではない。
かやが握ったものだろう。
「じいさん」
かやが声をかけた。
「この先の水場、兵が休める場所ある?」
男は警戒した顔のままだ。
「知らん」
即答だった。
かやは竹皮包みを差し出す。
「味噌入り。しょっぱいけど、腹には入る」
男は包みを見た。
受け取らない。
「織田の飯か」
「清洲の飯」
「同じだろ」
「少し違う」
かやは平然と言った。
男はしばらくかやを見ていた。
やがて、包みを受け取った。
「……何が知りたい」
飯は、口を開く。
俺はそう思った。
銭ではなく、飯。
それがいいのか悪いのかは分からない。
ただ、腹に入るものを渡すと、人の声は少し変わる。
かやは聞いた。
「この先で、水が多くて、田を荒らさず、荷車が止められる場所」
男は握り飯を一口かじった。
顔をしかめる。
「しょっぱい」
「歩くため」
「誰が作った」
かやが俺を指した。
「飯炊き」
俺は頭を下げた。
「清吉です」
男は俺をじろりと見た。
「飯炊きが道を見るのか」
「飯が通る道を見ています」
男は少しだけ目を細めた。
「変な奴だな」
「よく言われます」
かやが横で笑いをこらえている。
男は二口目を食ってから、道の先を指した。
「この先に古い社がある。その裏手に湧き水がある。水はいい。だが、社の前を荒らすな。村の者が怒る」
「荷車は?」
「社の手前の空き地なら置ける。雨の日はぬかるむ。右手の大木の下は根が張っていて沈みにくい」
かやが頷く。
俺は慌てて帳面に印をつけた。
社。
湧き水。
水良し。
社前荒らすな。
大木下、荷置き可。
雨、ぬかるみ注意。
印が増えて、もう自分でも少し怪しい。
だが、戻れば伊三郎に説明できる。
「ありがとうございます」
俺が言うと、男はふんと鼻を鳴らした。
「礼はいい。兵を入れるなら、畦を踏ませるな。去年、別の連中が踏み荒らして、米が減った」
「分かりました」
「本当に分かってるのか」
男の目は鋭い。
俺は腹に力を入れた。
「米が減るのは、腹が減ることです」
男は少し驚いた顔をした。
そして、ほんの少しだけ笑った。
「変な飯炊きだ」
二度目だった。
だが、今度の「変な」は、少しだけ悪くなかった。
社の裏手の湧き水は、本当に良かった。
冷たく、澄んでいる。
匂いも少ない。
少しすくって口に含むと、すっと腹に落ちる感じがした。
「これはいい」
思わず声が出た。
かやも水を見て頷いた。
「水量もある。汲みやすい」
五郎兵衛殿が周囲を見た。
「ただし、社の前は避けろ」
「はい」
「兵は座る場所を決めてやらないと、勝手に座る」
「大木の下なら荷置きに」
「兵はこっちの少し高い場所だな。水場へ近すぎると泥になる」
弥助殿が護衛に指示を出し、周囲を確認させる。
俺は小帳面に印を重ねた。
第一候補。
ただし、社を荒らさない。
薪は少なめ。
持ち込み必要。
「薪、少ないですね」
「よく見たな」
五郎兵衛殿が言った。
「木はあるが、落ち枝が少ないです。村の人が使っているのかも」
「なら、ここで飯場を開くなら薪は持ってくる必要がある」
「はい」
水が良くても、火がなければ飯にならない。
また一つ覚える。
次に向かったのは、渡し場だった。
川幅は思ったより広い。
水の流れは穏やかに見えるが、真ん中あたりで色が変わっている。
かやがすぐに言った。
「見た目より流れが強い」
「分かるのか」
「水面のしわが違う。荷を積んだ小舟なら、渡し方を知ってる人が要る」
渡し場には、小屋が一つあった。
中年の船頭が、網を直している。
こちらを見るなり、嫌そうな顔をした。
「今日は客じゃないぞ」
弥助殿が名乗ろうとしたが、船頭は首を横に振った。
「武士の話なら聞かん。川は戦のためにあるんじゃねえ」
空気が硬くなる。
護衛の一人が少し前に出かけた。
だが、弥助殿が止めた。
俺は船頭を見た。
この人の腹は、怒っている。
ただ織田が嫌いというだけではない。
川を勝手に使われることへの怒りだ。
かやが前へ出た。
「荷を沈めたことがあるんだね」
船頭の目が変わった。
「何で分かる」
「川を戦に使うなって言う人は、たいてい何か沈めてる」
「知った口を」
「荷運びだから」
船頭はしばらくかやを睨んだ。
やがて、舌打ちした。
「去年、兵を渡せと言われた。荷も人も一度に載せろと。止めたのに載せた。川の真ん中で傾いた。米俵が二つ沈んだ。兵は俺のせいにした」
俺は腹の底が冷えた。
米俵が沈む。
それは、飯が川に消えることだ。
「それは、載せすぎです」
俺は思わず言った。
船頭が俺を見る。
「何だ、おまえ」
「飯炊きです」
「飯炊きが川の何を知ってる」
「川は分かりません。でも、米俵は水を吸うと終わります。沈んだ米は、腹に届きません」
船頭は黙った。
俺は続けた。
「荷と人を分けます。米と味噌を一度に積みすぎません。渡し方を知る人に従います。その代わり、どれだけなら渡せるか教えてください」
船頭の顔はまだ険しい。
だが、さっきより少しだけ声が低くなった。
「武士は、そう言っても急げと言う」
「急ぐために、分けます」
「分けたら遅い」
「沈めたら、もっと遅いです」
船頭は俺をじっと見た。
しばらくして、ふっと笑った。
「変な飯炊きだな」
今日三度目だ。
美濃道では、俺は変な飯炊きとして始まるらしい。
船頭は川を指した。
「この渡しなら、米俵は小舟一艘に三つまでだ。味噌樽なら二つ。人を乗せるなら、荷は半分にしろ。真ん中の流れで慌てて立つな。立った奴は川へ落とす」
「落とすんですか」
「落ちる前に落とす。船をひっくり返されるよりましだ」
かやが頷いた。
「正しい」
「正しいのか」
「船では正しい」
俺は帳面に必死で印をつけた。
渡し。
流れ強い。
米三俵まで。
味噌二樽まで。
人と荷は分ける。
船頭に従う。
立つな。
最後の印はどう描けばいいのか分からず、立った人にばつをつけた。
伊三郎が見たら何と言うだろう。
少し不安だ。
日が傾き始める頃、俺たちは二つ目の飯場候補を見つけた。
渡し場の手前にある小高い空き地だ。
水は川から汲めるが、必ず煮なければならない。薪は近くの林から少し取れる。ただし、荷車を置くには地面が斜めだ。石で車輪を止める必要がある。
第一候補は社裏の湧き水。
第二候補は渡し場手前の空き地。
どちらも完璧ではない。
だが、使い方を間違えなければ飯場になる。
「清洲みたいにはいかないな」
俺は呟いた。
「だから見に来たんでしょ」
かやが言った。
「そうだな」
「清洲式をそのまま置いたら、たぶん怒られる。田も社も渡しも、それぞれの腹がある」
「うん」
俺は小帳面を閉じた。
印だらけだ。
字は少ない。
だが、今日見たものが詰まっている。
田の水を使いすぎるな。
社を荒らすな。
大木の根の上に荷を置け。
薪は持ち込め。
渡しでは人と荷を分けろ。
船頭に従え。
立つな。
どれも、飯を腹へ届けるためのことだ。
清洲へ戻る道で、空が赤くなっていた。
足は疲れている。
腹も減った。
かやが竹皮包みを差し出す。
「食べる?」
「食べる」
握り飯は少し潰れていた。
味噌が片寄っている。
でも、うまかった。
「今日の飯は、道の味がする」
俺が言うと、かやが目を丸くした。
「清吉が変な味のこと言い出した」
「うつったかもしれない」
「よしよし」
「よしよしじゃない」
かやは笑った。
俺も笑った。
清洲蔵へ戻ると、伊三郎が待っていた。
「どうでしたか」
俺は懐から小帳面を出した。
「印が多すぎるかもしれない」
伊三郎は受け取り、中を開いた。
一瞬、固まる。
「……立つな、の印ですか?」
「渡しで立つな、です」
「なるほど」
「分かるのか」
「分かります。少し独特ですが」
独特。
たぶん、下手という意味を優しく言ったのだろう。
伊三郎はすぐに筆を取り、聞き取りを始めた。
「第一候補、社裏の湧き水。水量あり。社前荒らすべからず。薪少なし。荷置きは大木下。雨天ぬかるみ注意」
「はい」
「第二候補、渡し場手前。川水は煮ること。荷車は石止め。渡しは米三俵まで、味噌二樽まで。人と荷は分ける。船頭に従う。立つべからず」
「はい」
伊三郎の筆が走る。
俺の印が、帳面の言葉になる。
それを見ながら、胸の奥が熱くなった。
清洲式は、少しだけ美濃道の腹に触れた。
まだ入口だ。
でも、今日見たものは本物だった。
水も、泥も、社も、渡しも、地元の人の怒りも。
全部、飯に関わっていた。
夜、蔵の外で皆と粥を食べた。
佐助が選んだ味噌を使った薄粥だ。
歩いた後だからか、やけにうまい。
五郎兵衛殿が言った。
「どうだった、美濃道の腹は」
「清洲とは違いました」
「当たり前だ」
「水にも持ち主がいると分かりました」
「それを忘れると、道で嫌われる」
「渡しでは、立つなと」
五郎兵衛殿が笑った。
「それは大事だ」
かやも笑う。
伊三郎は真面目に帳面へ何か書いている。
「何を書いてる」
俺が聞くと、伊三郎は答えた。
「美濃道第一見分。清吉、地元の腹を見る、と」
「それは少し恥ずかしい」
「重要です」
恥ずかしい言葉がまた残る。
だが、もう止めなかった。
今日、俺は少しだけ分かった。
飯を運ぶとは、米を動かすことだけではない。
水を借りること。
道を借りること。
渡しを借りること。
地元の腹を怒らせないこと。
その全部が、飯を腹へ届ける道になる。
清洲の火は、美濃道へまだ小さく灯ったばかりだ。
燃やしてはいけない。
消してもいけない。
この小さな火を、どう守るか。
俺の次の戦は、そこから始まる。




