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尾張の飯炊き足軽、信長に拾われる 〜桶狭間の裏で名もなき兵糧係は腹から天下を支えた〜  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第十五話 飯炊き足軽、兵糧方の前に立つ

会議の朝、俺はいつもより早く目が覚めた。


 というより、ほとんど眠れなかった。


 目を閉じれば、米俵が浮かぶ。

 味噌樽が浮かぶ。

 帳面の数字が浮かぶ。

 坂井蔵人殿の硬い顔が浮かぶ。

 そして、まだ会ったこともない兵糧方の武士たちが、ずらりと並んで俺を見下ろしている様子が浮かぶ。


 夢の中で、俺は何度も言葉に詰まった。


 米が九俵足りません。

 味噌樽が三つ抜かれていました。

 湿った俵が十三。

 混ぜ物が七。


 そこまでは言える。


 だが、そのあとが続かない。


 古参の武士たちが笑う。


 飯炊きが数字を語るな。

 蔵の作法を知らぬ者が出しゃばるな。

 足軽風情が家中の面子を汚すな。


 そう言われる夢を、何度も見た。


 朝になった時には、もう一日働いた後のように疲れていた。


「顔が悪い」


 蔵の裏で顔を洗っていると、かやがそう言った。


 俺は手で水をすくったまま固まる。


「そんなに?」


「うん。悪い米を見つけた時より悪い」


「それは相当だな」


「相当だね」


 かやは桶を抱え、隣にしゃがんだ。


「逃げたい?」


「逃げたい」


「正直でよろしい」


「でも、逃げたら駄目だろ」


「逃げたら、あたしが捕まえる」


「怖い」


「五郎兵衛よりは優しいよ」


「そうかな」


「たぶん」


 その「たぶん」が一番怖い。


 俺は顔を洗った。


 冷たい水が目を覚まさせる。


 手のひらには、まだ昨日までの仕事の跡が残っていた。米俵を触った藁の小さな傷、熱い粥で赤くなった指、味噌の匂い。


 どれだけ洗っても、飯の匂いは完全には消えない。


 今日、この手で会議の場に出る。


 刀を差した武士たちの前で、米と味噌の話をする。


「清吉」


 かやが言った。


「練習した通りでいいよ」


「練習通りにできる気がしない」


「じゃあ、忘れたら腹の話をすればいい」


「結局そこか」


「あんたはそこが一番強い」


 かやは真面目な顔で言った。


「米俵の数では、あんたより伊三郎のほうが強い。荷の跡なら、あたしのほうが見える。人の顔なら、五郎兵衛のほうが怖い」


「怖いは褒め言葉なのか」


「今は褒め言葉」


「そうか」


「でも、飯場で腹を押さえていた兵の顔を知ってるのは、あんただけだよ」


 俺は黙った。


 桶狭間前夜。


 泥水を飲み、半煮えの飯を食い、腹を壊してうずくまっていた足軽たち。


 雨の中、俺の握り飯を懐に入れて走った背中。


 戻ってきて、粥をすすりながら泣いていた若い兵。


 敵兵に水を飲ませた時の、乾いた唇。


 あれを見たのは俺だ。


 それは、帳面には書けない。


「分かった」


 俺は小さく頷いた。


「忘れたら、腹に戻る」


「よし」


 かやは満足そうに立ち上がった。


「あと、声が小さくなったら足を踏む」


「やめてくれ」


「やさしく踏む」


「踏むことは決まってるのか」


「必要ならね」


 冗談のようで、たぶん本気だ。


 その本気が、少しだけありがたかった。


 会議の場は、城内の一室だった。


 俺が普段出入りする蔵や飯場とは、空気が違う。


 畳の上に人が座っている。


 武士たちだ。


 坂井蔵人殿もいる。

 ほかにも、年配の者、中年の者、若いが身なりの良い者。

 帳面役らしき者もいれば、荷駄を預かっているらしい武士もいる。


 俺が部屋に入ると、一斉に視線が集まった。


 その瞬間、胃がきゅっと縮んだ。


 泥の中で転んだ時よりも、桶狭間の雨音を聞いた時よりも、怖い。


 ここには槍を持った敵はいない。


 だが、視線が痛い。


 俺は膝をつき、頭を下げた。


「清吉にございます」


 声が少し掠れた。


 かやが後ろから小さく咳をした。


 足は踏まれなかったが、十分だった。


 俺は腹に力を入れ直した。


 伊三郎が俺の横に座る。

 帳面を開き、筆を用意する。

 かやは少し後ろに控えた。

 五郎兵衛殿は壁際に座り、目だけでこちらを見ている。

 弥助殿もいる。


 蔵人殿が口を開いた。


「清吉。先日の兵糧蔵改めについて、報告せよ」


「はい」


 俺は手元の板を見た。


 米。

 味噌。

 塩。

 荷。

 飯場。


 たったそれだけ。


 それでも、これがなければ頭が真っ白になる。


「まず、米にございます」


 部屋の中の空気が少し動いた。


 俺は続ける。


「清洲兵糧蔵の米俵は、帳面では二百四十八俵とございました。実際に数えたところ、二百三十九俵。九俵足りませぬ」


 そこで、伊三郎が帳面を開き、補足した。


「実数は、私が確認いたしました」


 ありがたい。


 数字を伊三郎が支えてくれるだけで、少し息ができた。


 俺は続けた。


「九俵と申しますと、帳面の上ではただの不足に見えるかもしれません。ですが、飯場では違います」


 ここからだ。


 俺は腹に力を入れた。


「米九俵あれば、粥なら多くの兵に食わせられます。雨で冷えた兵、走って戻った兵、腹を壊した兵に、何度も鍋を満たせます。九俵が消えるということは、それだけの椀が消えるということでございます」


 部屋の奥で、誰かがわずかに眉を動かした。


 俺は板を見る。


 次は湿り。


「また、下段の米俵に湿りがありました。床に直接置かれていたため、雨のあとに湿気を吸い、黒くなっているものが十三俵。すぐに捨てるほどではありませんが、このまま置けば下から悪くなります」


「米は多少湿るものだ」


 年配の武士が口を挟んだ。


 俺は一瞬詰まった。


 名前が分からない。


 顔も怖い。


 だが、五郎兵衛殿の声が頭に浮かぶ。


 見たものだけ申せ。


「はい。湿ることはございます」


 俺は答えた。


「ですが、湿ったまま風を通さねば、飯場に届く前に悪くなります。悪くなった米は、白飯にはできませぬ。洗って粥に回せるものもありますが、悪くなりすぎれば人には食わせられません」


「人に食わせられぬ米を、どうする」


「家畜へ回せるものは回します。もう駄目なものは、人の飯には使いません」


「米を捨てる気か」


 声が強くなった。


 俺は唇を噛みそうになる。


 米を捨てる。


 その言葉は重い。


 だが、ここで曖昧にすると駄目だ。


「捨てたいわけではございません」


 俺は言った。


「だから、悪くなる前に動かします。下に木をかませ、風を通し、湿ったものは早く使える飯に変えます。捨てぬために、今動かすのです」


 部屋が静かになった。


 俺は息を吸う。


 次は味噌だ。


「味噌樽について申します」


 声が少しだけ低くなった。


 怒りが戻りそうになる。


 焦がすな。


 五郎兵衛殿の言葉を思い出す。


「三つの樽で、中身が抜かれておりました。上には味噌がありましたが、下には藁と布が詰められておりました」


 ざわめきが起きた。


 これはすでに知られているはずだが、改めて聞くとやはり衝撃があるのだろう。


 俺は続けた。


「飯場で蓋を開ければ、最初は味噌があるように見えます。けれど途中で足りなくなります。汁は薄くなります。握り飯の中身も減ります」


 俺は一瞬、言うか迷った。


 だが、言った。


「中身のない握り飯は、腹に残りません」


 部屋の何人かが、微かに顔を上げた。


 武士でも、握り飯は食う。


 それが空だった時のことは、想像できるはずだ。


「味噌は贅沢のためではありません。雨の中で走る兵に塩気を渡すため、冷えた身体に熱を戻すため、腹を落ち着かせるために要ります。味噌が抜かれれば、兵の腹から力が抜けます」


 そこまで言うと、部屋が先ほどより静かになった。


 怒鳴られない。


 だが、認められているのかも分からない。


 俺は次へ進んだ。


「塩袋にも湿りがありました。湿りかけたものは長く置けませんので、先に飯場へ回すよう分けました。乾いたものは蔵の奥ではなく、風の通る場所へ移しました」


 ここで、別の武士が言った。


「そんなことは、これまでもやっていたはずだ」


 俺は答えに詰まった。


 これまで。


 長年の作法。


 面子。


 またそこだ。


 俺はその武士を見る。


「やっていたところもあると思います」


 慎重に言った。


「ですが、実際には湿ったものが残っておりました。誰かが怠けたと申したいのではありません。戦の前後で人手も足りず、荷も増え、蔵も乱れます。ですので、誰が見ても分かる印を付けました」


 伊三郎が帳面を広げる。


 丸印が見えるように。


「ひとつ丸は、そのまま使えるもの。二つ丸は、洗って粥に回すもの。三つ丸は、要確認。ばつ印は、人には食わせぬもの。字が読めぬ者にも分かるようにしております」


 部屋の中で、空気がまた動いた。


 少し軽い笑いが混じる。


「字が読めぬ者にも、か」


 誰かが言った。


 馬鹿にしたようにも聞こえた。


 俺は素直に頭を下げた。


「俺が読めませんので」


 今度は、はっきりと小さな笑いが起きた。


 かやが後ろで息を呑んだ気配がする。


 弥助殿も少し動いた。


 だが、不思議と俺は傷つかなかった。


 事実だからだ。


「俺が読めない印は、俺には扱えません。俺に扱えぬものは、人足の中にも扱えぬ者がいるはずです。だから、見れば分かる印にしました」


 笑いが止まった。


 俺は続ける。


「飯場では、字を読む暇がないこともあります。雨の中、荷を受け取る時、急いで鍋に入れる時、印を見れば分かるほうが早いです」


 伊三郎が補足する。


「帳面には正式な数と状態を記し、俵や樽には印を併用しております。帳面と現物の両方を合わせる形です」


 その言い方は、俺には少し難しい。


 だが、部屋の武士たちには通じたらしい。


 何人かが頷いた。


 次は、かやの番だった。


 俺は少し後ろを見た。


 かやが前に出る。


 いつものように堂々としているかと思ったが、よく見ると手が少し固い。


 かやも怖いのだ。


 それでも、彼女は声を出した。


「荷について申します」


 部屋の中の視線が、今度はかやに集まる。


 女であり、川筋の荷運び。


 武士たちの前に出る立場では本来ないのだろう。


 だが、坂井蔵人殿は黙っていた。


 信長様の命もある。


 かやは続けた。


「荷車の積み方が偏れば、道中で傾きます。米俵を下に置くのは当然ですが、湿った俵を下にすると下のものから悪くなります。味噌樽は蓋と縄を見てから積まねば、こぼれます。塩は水を吸います。竹皮は濡らせば握り飯を包めません」


 言葉に飾りはない。


 だが、分かりやすい。


「また、伊庭屋の荷車には、荷台の内側で味噌をこぼし、藁で拭った跡がございました。樽を閉じたまま運んだ時の跡ではありません。荷台の真ん中に置いて蓋を開け、中身を移した跡です」


 部屋が少しざわつく。


 かやは一歩も引かない。


「荷は嘘をつきません。嘘をつくのは、人です」


 言い切った。


 俺は内心ひやっとした。


 言い過ぎではないか。


 だが、蔵人殿は表情を変えない。


 ほかの武士たちも、今度は笑わなかった。


 かやは頭を下げ、後ろへ下がる。


 俺は小さく息を吐いた。


 次は、まとめだ。


 ここが一番怖い。


「以上を踏まえまして」


 自分で言いながら、少し言葉が硬いと思った。


 でも、伊三郎が教えてくれた言い回しだ。


「蔵では、米、味噌、塩を出す前に、三つの目を通すことにしております」


 俺は指を一本立てた。


「一つ、米を見る目。湿り、混ぜ物、鼠の跡を見ます」


 二本目。


「二つ、荷を見る目。積み方、縄、蓋、道中の崩れを見ます」


 三本目。


「三つ、帳面を見る目。数と出入りを残します」


 そこで少し迷い、もう一本、指を立てた。


「それから、人を見る目も要ります。誰が無理をしているか。誰が怯えているか。誰が嘘をついているか。これは、俺一人では見えません」


 五郎兵衛殿が壁際でわずかに目を細めた。


「だから、俺一人で蔵を変えるつもりはございません。俺には字が読めません。荷のことも、家中の面子も、商人との付き合いも分かりません。けれど、飯場で兵が腹を壊した顔は知っています。雨の中、握り飯を持って走った背中も見ました」


 声が少し震えた。


 でも、止まらなかった。


「米俵の不足は、帳面の穴だけではありません。兵の腹の穴です。味噌樽の抜き取りは、味噌の損だけではありません。走る足から力を抜きます」


 部屋の空気が、少し重くなる。


 俺は深く頭を下げた。


「俺は、蔵の作法を壊したいのではありません。飯が飯場へ届くまでに、腐らず、抜かれず、迷わず届くようにしたいだけです。そのために、皆様のお知恵と、お力をお借りしたいと思います」


 言い終えた。


 言い終えた途端、身体中から力が抜けそうになった。


 頭を下げたまま、息を止める。


 誰もすぐには話さなかった。


 畳の上が、嫌に静かだった。


 失敗したのか。


 言い過ぎたのか。


 飯炊き足軽が何を偉そうにと、今から怒鳴られるのか。


 心臓の音がうるさい。


 その時、坂井蔵人殿が口を開いた。


「頭を上げよ」


「はい」


 俺はゆっくり顔を上げる。


 蔵人殿は俺を見ていた。


「拙い」


 最初の一言は、それだった。


 胸が沈む。


 だが、蔵人殿は続けた。


「言葉は拙い。場慣れもしておらぬ。数字も帳面役に頼っている。家中の話もまだ分かっておらぬ」


「はい」


「だが、米と飯場がつながっていることは分かった」


 俺は目を瞬いた。


 蔵人殿は部屋の者たちを見回した。


「善右衛門の件は、すでに上様の裁きを受ける。だが、それとは別に、蔵の仕組みを改める必要がある。清吉のやり方を、そのまま全て通すのではない」


 そこで、何人かの武士が息を吐いた。


 反発を抑えるための言い方なのだろう。


「しかし、米、荷、帳面の三つの目を通すことは試す価値がある。まず清洲蔵で続けよ。十日後、腹を下す兵の数、飯場へ届く米の状態、帳面の差を改めて見る」


 十日後。


 試す。


 完全に認められたわけではない。


 だが、潰されなかった。


 続けていい。


 俺の胸に、じわりと熱が広がった。


 蔵人殿が俺を見た。


「清吉」


「はい」


「おまえは飯炊きだ」


「はい」


「それを忘れるな。役を得たからといって、武士の面子を真似るな。おまえが見るべきは、まず飯だ」


 その言葉は、叱責のようで、そうではなかった。


 俺は深く頭を下げた。


「はい」


「ただし」


 蔵人殿の声が少し低くなる。


「飯を見るなら、飯に関わる人間も見よ。米は勝手に歩かぬ。人が運ぶ。人が数える。人が抜く。人が守る。そこを見誤るな」


「はい」


 会議はそれで終わりではなかった。


 そこからは、俺には難しい話が続いた。


 どの飯場へどの米を回すか。

 商人との取引をどう一時的に止めるか。

 伊庭屋の代わりにどこから味噌を入れるか。

 蔵の人足をどう組み直すか。

 帳面の改めを誰の名で出すか。


 俺は半分も理解できなかった。


 だが、時々蔵人殿や伊三郎が俺に確認する。


「これは飯場で使えるか」


「この米は粥向きです」


「味噌が足りぬ時、何を優先する」


「走る兵の握り飯と、怪我人の粥です」


「湿った塩は」


「早く使う。長く置かない」


 俺に分かることは、そこだけだ。


 それでも、会議の中で俺の言葉が使われていくのを感じた。


 飯場。


 粥。


 握り飯。


 腹を下す兵。


 それらが、帳面や家中の話の間に入り込んでいく。


 不思議だった。


 俺の見ていた鍋の中が、少しずつ蔵の外へ広がっている。


 会議が終わり、部屋を出た瞬間、俺は大きく息を吐いた。


 かやが横に来る。


「倒れるかと思った」


「俺も」


「でも、倒れなかったね」


「足を踏まれなかったからかな」


「踏む準備はしてたよ」


「やっぱり」


 伊三郎が帳面を抱えてやってきた。


「清吉。十日間、続けられます」


「うん」


「ただ、十日後に結果を出さねばなりません」


「結果」


「腹を下す兵の数が減るか。飯場へ届く米の状態が良くなるか。帳面の差が減るか」


 急に胃が重くなる。


 認められたのではない。


 試されることになったのだ。


 十日後、何も変わっていなければ、俺のやり方はそこで終わるかもしれない。


 五郎兵衛殿が後ろから言った。


「よかったな。戦が十日延びた」


「よくないです」


「いや、よい。いきなり首を取られなかった」


「物騒な言い方をしないでください」


「戦とはそういうものだ」


 弥助殿も来た。


「清吉」


「はい」


「今日の話、悪くなかった」


「本当ですか」


「拙かったがな」


「それは蔵人殿にも言われました」


「だが、腹の話は届いた」


 その一言で、少しだけ救われた。


 腹の話は届いた。


 なら、今日ここに来た意味はあった。


 蔵へ戻る道で、かやが急に言った。


「清吉」


「何」


「人前で話す飯炊きって、変だね」


「自分でもそう思う」


「でも、悪くなかった」


「本当か」


「うん。途中で数字に潰されるかと思ったけど」


「潰されかけた」


「知ってる。顔に出てた」


「やっぱり」


 かやは笑った。


 俺も少し笑った。


 清洲兵糧蔵へ戻ると、米俵は変わらずそこにあった。


 味噌樽もある。


 塩袋もある。


 人足たちもいる。


 何もかも、朝と同じように見えた。


 だが、俺の中では少し違っていた。


 この蔵での仕事は、続けていい。


 十日間だけだが、続けていい。


 飯場へ届く米を、少しでもましにできる。


 腹を下す兵を、少しでも減らせるかもしれない。


「さて」


 かやが袖をまくった。


「会議が終わったなら、米だね」


「うん」


 俺も手を洗った。


 会議の緊張で冷えていた指に、水が染みる。


 けれど、米を触ると少し落ち着いた。


 やはり俺は、こっちのほうが合っている。


 畳の上より、蔵の土埃。

 武士の視線より、米の匂い。

 難しい言葉より、鍋の湯気。


 それでも、今日覚えた。


 飯を守るには、時には人前で話さなければならない。


 鍋の前だけにいては、飯は届かない。


 俺は米俵に手を当てた。


 少し乾いている。


 昨日より、少しましだ。


 その少しを積み重ねるしかない。


 十日。


 長いのか短いのか分からない。


 だが、飯は毎日炊くものだ。


 今日も、明日も、明後日も。


 火を消さずに、腹を見て、米を守る。


 俺の戦は、まだ続く。

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