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尾張の飯炊き足軽、信長に拾われる 〜桶狭間の裏で名もなき兵糧係は腹から天下を支えた〜  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第百五話 村が測る荷

 山裾の村へ向かう荷は、飯ではなかった。


 米でもない。

 味噌でもない。

 乾燥菜でもない。


 中に入っているのは、清洲から持ち込んだ石と木片だった。


 ただし、ただの石ではない。


 飯荷と同じ重さになるように、佐助と作兵衛が何度も量を変えた。


 重すぎれば、村は「こんなものを通すのか」と不安になる。

 軽すぎれば、「本番ではもっと重くなるのだろう」と疑われる。

 幅が広すぎれば、女衆の道を塞ぐ。

 細すぎれば、「本当の飯荷は隠している」と言われる。


 だから、重し入り荷。


 飯ではない。


 けれど、飯荷に近い形。


 それを村の前で測ってもらう。


 清洲蔵の中で、その荷を前にして、太助が深く息を吐いた。


「これ、背負う前から重い」


「中は石だからな」


 作兵衛が答える。


「違う。石の重さじゃない。見られる重さだ」


 権六が、にやりとした。


「いい文句だ」


「もういい。好きに書け」


 太助は抵抗をやめた。


 伊三郎は当然のように筆を走らせる。


 重し入り荷、見られる重さあり。


 かやが荷の横幅を見ていた。


「幅はこれ以上広げないほうがいい。桑の枝に当たる」


「晴れ線は?」


「畑端なら通れるけど、曲がりで荷が遅れる。太助の背中だと少し右へ流れる」


「俺の背中、名指しで問題になるのか」


「今日も名指しで見られるよ」


 太助は嫌そうに肩を落とした。


 きぬは、荷紐の結び目を指で触っていた。


「この結び目、外から見ると少し大げさです」


「大げさ?」


「しっかり縛っているのは分かります。でも、村の人が見ると『開けられないように隠している』と思うかもしれません」


 佐助が小さく唸った。


「中身は石と木です。隠すものはありません」


「だからこそ、結びを少し見せる形にしたほうがいいかもしれません。ほどけるけど、勝手にはほどけない結び」


 かやが頷いた。


「山裾では、水結びより見せ結びだね」


「また新しい結びか」


 太助がぼやく。


 だが、必要だった。


 川道では濡れてもほどける結びが要った。

 山裾では、村の前でほどける結びが要る。


 同じ荷紐でも、道が変われば意味が変わる。


 弥助殿は出発前に、荷を一度見た。


「開けるのか」


「村が求めれば、開けます」


 俺が答えると、弥助殿は頷いた。


「よい。ただし、飯ではないことを先に言え。石を見せる前に、石だと言え。隠し荷ではなく、測り荷だ」


「はい」


「針売りが見ていると思え」


「承知しました」


「だが、針売りのために隠すな。村のために見せろ」


 その言葉は、腹に残った。


 敵に見られるから隠す。


 それは簡単だ。


 だが、隠せば針売りの言葉が勝つ。


 ――清洲は重い飯を隠して来る。


 それを破るには、村の前で見せるしかない。


 ただし、敵のためではなく、村のために。


 山裾へ向かう道中、太助は重し入り荷を背負っていた。


 前の空荷より、明らかに肩が沈んでいる。


「どうだ」


 作兵衛が聞く。


「重い」


「それだけか」


「見られると思うと、背中が変な汗をかく」


「それを書け」


「自分で言っておいて何だけど、嫌だな」


 かやが後ろから荷の揺れを見て言った。


「揺れは少ない。見せ結び、悪くないかも」


 きぬも頷く。


「開けられる形だと、こちらの顔も少し柔らかくなりますね」


「荷紐で顔が変わるのか?」


 太助が聞くと、きぬは微笑んだ。


「変わります。人も荷も、固く閉じすぎると怖く見えます」


 山裾の村へ着くと、糸干し場の横には、すでに人が集まっていた。


 とめ婆様。

 惣右衛門。

 おきよ。

 女衆が数人。

 男衆が三人。

 子どもたちも、少し離れて見ている。


 村水火板の横には、新しく描かれた石入り籠の絵があった。


 空籠ではない。


 今日は、測る荷だ。


 おきよが少し緊張した顔で立っていた。


「来ましたね」


「はい。飯ではありません。重しです」


 俺は最初にそう言った。


「石と木を入れています。飯荷に近い重さと幅を見るためです」


 とめ婆様が頷く。


「先に言ったね。よし」


 惣右衛門が太助の背中を見た。


「重そうだな」


「重いです」


 太助は正直に答えた。


 子どもたちが少し笑った。


 太助も、つられて少し笑う。


 怖い顔で来るな。


 とめ婆様の言葉を思い出した。


 この笑いは、たぶん大事だ。


 まず、荷を糸干し場の横に置いた。


 村水火板のすぐ近くだが、水場ではない。


 女衆も男衆も見られる場所。


 子どもたちは、とめ婆様に「近づきすぎるな」と言われ、板の裏側から覗いている。


 とめ婆様が言った。


「開けられるかい」


「開けられます」


 かやが荷紐をほどいた。


 見せ結びは、手順を見せながらほどける。


 隠している感じが少ない。


 中から出てきたのは、布で包んだ石と木片。


 おきよが目を丸くした。


「本当に石なんですね」


「はい。村の石ではありません。清洲から持ってきました」


 とめ婆様が石を一つ手に取った。


「村の石を使わないのは覚えてたね」


「怖いので」


 太助がぼそっと言うと、とめ婆様が笑った。


「怖いくらいでちょうどいいよ」


 次に、重さを測る。


 もちろん、秤があるわけではない。


 村の者が実際に持ってみる。


 惣右衛門が持ち上げる。


「男なら持てる」


 とめ婆様がすぐ言った。


「男なら、じゃ駄目だよ。村の道で見るんだから」


 おきよが恐る恐る手を添える。


「私は、持ち上げられます。でも運ぶのは無理です」


 かやが頷く。


「人足が運びます。村の人に運ばせる荷ではありません」


「なら、なぜ私たちが持つんですか」


 おきよの問いは素直だった。


 俺は答えた。


「見るためです。これくらいの重さのものが村の道を通ると、怖いかどうか。邪魔かどうか。それは村の人の腹でないと分かりません」


 おきよは荷を見た。


「怖くは……あります。でも、思ったよりは小さいです」


 それは重要な言葉だった。


 思ったより小さい。


 針売りの噂で膨らんでいた荷の姿が、少しだけ小さくなったのだ。


 次に幅を見る。


 かやが荷を背負い直し、太助が実際に糸干し場の横を歩く。


 女衆の道を塞がないか。

 子どもが横を通れるか。

 洗い物の桶を持った人が避けられるか。


 試しに、おきよが空の桶を持って横を通った。


 ぎりぎり通れる。


 だが、肩が近い。


「怖い?」


 かやが聞くと、おきよは少し考えた。


「知らない人が背負っていたら、怖いです。太助さんなら、少し怖いくらい」


「俺、少し怖いのか」


 太助が困った顔をする。


 とめ婆様が言った。


「それは褒め言葉だよ。完全に怖くない男なんて、道で荷を背負わせるには頼りない」


「そういうものですか」


「そういうものだ」


 また笑いが起きた。


 だが、きぬは小さく書き留めていた。


 知らない人が背負うと怖い。


 人足を誰にするかも大事だ。


 山裾村線では、荷だけでなく、背負う顔も見られる。


 作兵衛が太助の背中を見て言った。


「山裾は、慣れた顔の人足から始めるべきだな」


「顔で選ぶのか」


 太助が言う。


「道がそう言ってる」


 とめ婆様が頷いた。


「初めての顔ばかりで来るな。村が慣れるまで、同じ者で来な」


 また条件が増えた。


 だが、納得できる。


 次に匂いを見る。


 飯ではないので、強い匂いはない。


 だが、荷包みの藁と布の匂いはする。


 おきよが鼻を近づけた。


「変な匂いはしません」


 別の女が言った。


「でも、飯だったら匂うんでしょう?」


 佐助がいれば詳しく答えただろう。


 今日は同行していないが、準備してくれた山裾用の火なし飯の見本がある。


 俺は小さな包みを出した。


「これは食べません。匂いだけです」


 とめ婆様が目を細める。


「飯は入れないと言ってたね」


「はい。これは匂い見本です。開ける前に確認します。嫌なら開けません」


 女衆が少し相談した。


 とめ婆様が頷く。


「開けな」


 包みを開く。


 小さな握り飯と、薄い味噌片。


 匂いは弱い。


 佐助が気を使ったのが分かる。


 おきよが少し笑った。


「思ったより、おとなしい匂いです」


「おとなしい飯です」


 俺が言うと、子どもたちが笑った。


 とめ婆様は真面目に聞いた。


「これで足りるのかい」


「足りません。腹いっぱいにする飯ではありません。山裾では、長居しないための配り飯です」


「つまり、ここで座って食べさせない」


「はい。荷を渡すだけ。村の中で飯場を作りません」


 とめ婆様は深く頷いた。


「そこは守りな。飯の匂いで子どもが寄る」


「はい」


 子どもたちが、少し残念そうな顔をした。


 それを見て、全員が逆に納得した。


 匂いを強くしてはいけない。


 子どもが寄る。


 子どもが寄れば、母親の腹が荒れる。


 飯荷は、村の暮らしの中心へ入ってしまう。


 次に時刻を見る。


 糸干し場の横に集まった女衆が、それぞれ意見を出した。


「朝は駄目。水と洗い物が重なる」

「昼前なら少し空く」

「雨後は女衆の迂回路を使うから、そこも短時間だけ」

「夕方は水汲み。絶対に駄目」

「祭り前は糸干しが増えるから避けて」

「子どもが桑の実を取りに行く時期も危ない」


 多い。


 とても多い。


 だが、これが山裾の腹だ。


 とめ婆様が俺を見た。


「どうだい。面倒だろう」


「はい」


「嫌になったかい」


「いいえ。先に知れてよかったです」


 とめ婆様は少しだけ笑った。


「その返事は嫌いじゃない」


 最後に、とめ婆様が荷を見ながら言った。


「この大きさなら、晴れの日の昼前、月に何度かなら通してもいい」


 蔵の中なら歓声が上がるところだったかもしれない。


 だが、ここは村だ。


 俺は深く頭を下げるだけにした。


「ありがとうございます」


「まだ礼は早い」


 とめ婆様はぴしゃりと言った。


「飯を入れていいとは言ってない。重しは通せるかもしれない、だ」


「はい」


「次に本当に飯を入れる前に、もう一度村で見る。水と火は使わせない。匂いは今日くらい。荷を背負う者は、今日の顔を覚えさせる」


 太助が小さく呟いた。


「俺、また来るのか」


 とめ婆様が聞きつけた。


「嫌なら来なくていいよ」


「いえ、来ます」


「なら、怖い顔をするな」


「はい」


 おきよが笑った。


「太助さんは、困った顔のほうが多いから大丈夫です」


「それ、褒めてます?」


「たぶん」


 また笑いが起きた。


 その笑いの中で、俺は思った。


 山裾村線は、少し通った。


 飯ではない。


 まだ重しだ。


 それでも、村の前で測り、村が「これなら条件付きで見てもいい」と言った。


 針売りの「重い飯を隠して来る」という言葉は、今日、少しだけ力を失った。


 隠していない。


 村が測った。


 それが事実になった。


 帰り際、とめ婆様は村水火板の横に、新しい小さな絵をおきよに描かせた。


 石入りの籠。

 その横に、短く文字が添えられた。


 重い荷は、村で測る。


 惣右衛門の字だ。


 少し曲がっていたが、とめ婆様は何も言わなかった。


 たぶん、わざと見逃したのだろう。


 清洲へ戻る道で、太助は空になった籠を背負っていた。


 石と木片は、また清洲へ持ち帰る。


 村に置いていかない。


「どうだった?」


 作兵衛が聞く。


「背中より、顔が疲れた」


「顔?」


「怖い顔をするなって言われると、ずっと顔が気になる」


 かやが笑った。


「山裾は、顔も荷なんだね」


 俺はすぐ書いた。


 山裾、顔も荷。


 太助はもう何も言わなかった。


 清洲蔵へ戻ると、報告はいつも以上に丁寧に行われた。


 伊三郎は線帳と村腹帳を開き、俺の言葉、かやの見た幅、きぬの聞いた女衆の声、作兵衛の人足判断を分けて書いた。


 山裾、村測り荷試験。

 飯ではなく重し。清洲石・木片持ち込み。

 見せ結び有効。隠し感減。

 村の前で開封。石と木を確認。

 重さ、村側確認。思ったより小さいとの声。

 幅、桶持ちの通行ぎりぎり可。知らない人足なら怖い。

 匂い、火なし飯見本はおとなしい。子どもが寄る恐れあり。

 時刻、晴れ昼前、月に数度なら条件付き可。

 祭り前、桑の実時期、朝夕不可。

 荷を背負う者は、村が慣れるまで同じ顔が望ましい。

 村水火板に「重い荷は、村で測る」追記。

 飯荷投入はまだ不可。本飯前に再確認。


 権六が最後まで聞いて、腕を組んだ。


「通ったようで通ってないな」


「その通りです」


 俺は答えた。


「でも、閉じてはいません」


 弥助殿への報告では、そこを強調した。


 弥助殿は静かに聞き、最後に言った。


「山裾は、一歩進んだ」


「はい」


「だが、本荷はまだ入れるな」


「はい」


「村が測った事実ができた。これで針売りの『隠す』は弱くなる。次に針売りは、測る場を狙う」


「測る場を?」


「そうだ。測る場に清洲が細工した、村が清洲に丸め込まれた、と言うだろう」


 また次の噂が見えた。


 敵は止まらない。


 こちらが約束を作れば、約束を狙う。


 村が測れば、測った場を狙う。


「測る場も、村の場として守る必要があります」


 伊三郎が言った。


「はい」


 俺は頷いた。


 夜、清洲蔵では山裾用の火なし飯が出た。


 今日の見本と同じ、匂いの弱い小さな飯。


 権六が食べて言った。


「今日の飯は、測られた味だな」


「どういう味だ?」


「見られて、持たれて、匂いをかがれて、それでも怒られなかった味」


 かやが笑った。


「それ、けっこういい味じゃない?」


「悪くない。でもまだ腹いっぱいじゃない」


「山裾では、それでいい」


 きぬが言った。


「腹いっぱいにするより、不安を減らす飯ですね」


 作兵衛が太助を見た。


「顔も荷だそうだ」


 太助は味噌片を噛みながら、困った顔をした。


「この顔でいいんですかね」


「おきよさんが大丈夫って言ってたからいいんじゃない?」


 かやが言うと、太助はさらに困った顔になった。


 皆が笑った。


 その笑いの中で、俺は村水火板の写しを見た。


 空籠。

 石入り籠。

 水桶。

 火種。

 針。


 山裾の村は、自分たちの絵と言葉で噂に返している。


 清洲が一方的に守っているのではない。


 村が、自分の暮らしを守りながら、清洲の飯線を測っている。


 山裾村線は、まだ細い。


 だが、確かに線になり始めていた。

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