壊れる音は、静かだった
雨の日は
第三章:壊れる音は、静かだった
人は。
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本当に大切なものを失う時。
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案外、静かに壊れる。
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夜。
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雨。
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薄暗いホテルの部屋。
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ベッド。
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乱れたシーツ。
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そして。
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黒瀬 恒一 は、自分の呼吸音だけを聞いていた。
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「……っ」
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頭が真っ白だった。
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隣。
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眠っている少女。
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水城 みく 。
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――ひよりの友達。
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自分の生徒。
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「なんで……」
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掠れた声。
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思い出す。
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飲み会帰り。
偶然の遭遇。
相談。
泣き顔。
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「先生だけは優しいと思ったのに」
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その言葉。
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疲れていた。
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弱っていた。
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言い訳はいくらでも浮かぶ。
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でも。
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全部、最低だった。
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黒瀬は顔を覆う。
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「俺、何やってんだよ……」
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朝。
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スマホ。
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通知。
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『旦那様、今日早い?』
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送信者。
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橘 ひより 。
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黒瀬の呼吸が止まる。
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『シチュー作る』
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いつもの文面。
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普通。
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幸せな日常。
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なのに。
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黒瀬は返信できなかった。
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「……先生」
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みくが目を覚ます。
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黒瀬は振り向けない。
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「ごめん」
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先に言ったのは、みくだった。
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「私、分かってた」
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「……」
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「先生、ひよりのこと好きなの」
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黒瀬が固まる。
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「でも」
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みくが苦く笑う。
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「昨日だけは、私見てくれたから」
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痛かった。
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全部。
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自分の弱さも。
みくの孤独も。
ひよりの笑顔も。
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全部。
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「……忘れろ」
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最低な言葉だった。
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みくは少し黙る。
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そして笑った。
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「教師って、ずるいね」
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その笑顔が、ひどく苦しかった。
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帰宅。
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アパート。
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ドアを開ける。
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「おかえりなさい、旦那様」
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いつもの声。
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ひよりが笑う。
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エプロン姿。
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「今日シチューなんです」
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黒瀬の胸が軋む。
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「……ひより」
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「?」
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言わなければ。
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でも。
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言った瞬間、全部終わる。
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頭の中がぐちゃぐちゃだった。
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ひよりが近づく。
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「疲れてる?」
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その手が、黒瀬の頬へ触れる。
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優しい。
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あまりにも。
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だから。
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黒瀬は耐えられなかった。
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「……ごめん」
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「え?」
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ひよりが目を瞬く。
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「旦那様?」
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黒瀬は目を逸らす。
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言え。
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今言え。
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でも。
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怖かった。
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失うのが。
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全部。
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「……何かあった?」
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ひよりの声が少し不安になる。
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黒瀬は拳を握る。
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喉が痛い。
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息が苦しい。
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そして。
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「……ひより」
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震える声。
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「俺……」
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そこで言葉が止まった。
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人は。
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間違える。
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弱いから。
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寂しいから。
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逃げたいから。
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でも。
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本当に苦しいのは。
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間違えた後、
“どう向き合うか”
だった。
何をやってるのだろう
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愛していた。
だから、一番壊した。




