第二章:過去からの呼び声
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第二章:過去からの呼び声
スマホの画面に表示された名前を見た瞬間、全身の血が引いた。
――高瀬 理奈
ありえない。
もう関わることはないと思っていた。
いや、関わってはいけない相手だ。
指先が震える。
既読をつけたまま、画面を見つめ続ける。
《久しぶり。やっと見つけた》
その一文が、やけに重い。
(なんで今さら……)
心臓の鼓動が速くなる。
この名前は、ただの“元カノ”じゃない。
もっと厄介で、もっと深く関わった存在だ。
――あの夜。
思い出したくもない記憶が、脳裏に浮かびかけて、慌てて振り払う。
「……っ」
息が詰まる。
見なかったことにすればいい。
無視すれば終わる。
そう思うのに、指は勝手に動いていた。
《何の用だ》
送信してしまった瞬間、後悔が押し寄せる。
関わるべきじゃない。
でも、もう遅い。
すぐに返信が来た。
《冷たいなぁ。昔はあんなに優しかったのに》
胃の奥が重くなる。
あの頃のことを、軽々しく引きずり出すな。
「……やめろよ」
思わず声が漏れた。
だが、画面の向こうの相手には届かない。
《ねえ、奥さんとうまくいってないんでしょ?》
心臓が止まりかけた。
どうして知っている。
いや――
(あいつなら……)
全部、知っていてもおかしくない。
俺のことを、誰よりも深く知っている女。
それが高瀬理奈だ。
* * *
翌朝。
目が覚めても、気分は最悪だった。
ほとんど眠れていない。
スマホには、未読メッセージが三件。
全部、理奈からだった。
見るべきじゃない。
でも、見ないわけにもいかない。
恐る恐る画面を開く。
《ねえ、会おうよ》
《話したいことがあるの》
《あなたにとっても大事なこと》
嫌な予感しかしない。
大事なこと――そんな言葉を使う時点で、ろくな話じゃない。
しかも、相手は理奈だ。
普通の“再会”で済むはずがない。
「……はぁ」
深くため息をつく。
リビングから、食器の音が聞こえる。
美咲が起きている。
いつも通りの朝。
でも俺の中では、何かが完全にズレ始めていた。
* * *
「今日、帰り遅くなる?」
朝食中、美咲が何気なく聞いてきた。
「……分からない。仕事次第」
嘘ではない。
でも本当でもない。
「ふーん」
それだけ言って、会話は終わる。
昔なら、もう少し続いていたはずなのに。
今はこれが普通だ。
普通に壊れている。
* * *
会社に向かう電車の中。
俺はずっとスマホを握りしめていた。
画面には、理奈とのやり取り。
無視すればいい。
そう思い続けているのに――
《……どこで会う》
送ってしまった。
完全に、自分で踏み込んだ。
数秒後、返信。
《やっぱり来てくれるんだ》
その言葉に、背筋が冷える。
逃げられない。
いや――
最初から、逃げるつもりなんてなかったのかもしれない。
《今日の夜、駅前のバー。覚えてるでしょ?》
覚えている。
忘れるわけがない。
あの場所は――
“すべてが始まった場所”だからだ。
* * *
夜。
ネオンが揺れる街の中、俺はその店の前に立っていた。
古びた看板。
薄暗い入口。
変わっていない。
三年前と、何も。
(……やめろ)
帰れ。
今ならまだ間に合う。
そう思うのに、足が動かない。
ドアに手をかける。
ゆっくりと開く。
ベルが小さく鳴った。
カウンターの奥。
そこにいた女が、ゆっくりと振り向く。
「遅いよ」
懐かしい声。
変わらない笑み。
そして――
変わってしまった、何か。
「久しぶりだね」
高瀬理奈は、そう言って微笑んだ。
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