第17章 廻る人生
音楽祭で歌うヒロシ。プロに進むか悩むのだった。
オヤジバンドで喝采を得たヒロシだったが、次の日も翌週も普段と変わらぬ生き方をしていた。
特に幸せを感じるのでもなく・・それなりに。
朝は4時半に起き、コーヒーを飲みトイレを済ませ・・シャワーを浴びて、着替え身支度する。会社に早めに出勤して、朝のうちに仕事をこなす。
この変わりない日々は彼の本来の生き方だった。
最近は若い時よりも朝起きるのが辛く、週に一度は1時間多く眠るのであった。
あのステージ上で皆が感動したパフォーマンスとには、些かほど遠いおじさんだった。
そんなある日のこと、家に帰ると1台の高級車が家の前に止まっていた。ヒロシは特に気にすることなく、家に入っていったが、玄関に見慣れない革靴があることに気づき、来客がいることに気づいた。
「ただいまー。サユリ!誰かお客さんか?」
声を聞いてサユリは玄関まで来て言うのであった。
「ねえ、ヒロシ君・・何か、前田企画っていう会社の人が来てるの。あなたに話があるって・・」
ヒロシはやっぱり来たか・・そう思った。過去の別次元でヒロシの上司であった、音楽企画事務所の先輩であり社長である。
「そっか・・分かった!」
そう言いヒロシは居間のソファーに座リ、ニコニコしている前田に挨拶した。
「お待たせしてしまってごめんなさい。少し残業あったんで、遅くなっちゃって!」
「良いですよ。私もさっき来たばかりですから」
前田はヒロシのパフォーマンスを目の当たりにして、居ても経ってもいられなくなり、ヒロシの家を探し訪問してきたのだった。
「谷さん・・この前の松戸音楽祭を観てました。なんか・・もう!感動して!どうしてもあなたに会いたい・・そう思って来てしまいました。訪問した理由は・・ズバリ言います!どうですか?・・うちの事務所からプロデビューする気はありませんか?」
サユリは前田の話を聞き驚きを隠せず、持って来たお茶のコップをコトコトと鳴らした。
「前田さん?そんなにうちのヒロシ君は凄いんですか?プロでも売れるとかですか?」
サユリは前田の名刺を改めて手で持ちながら聞くのであった。
「ええ!彼の作詞作曲の素晴らしさと、伸びのある歌声は絶対に売れます!私が保証します!」
ヒロシは舞い上がリ微笑むサユリを横目で見ながら言うのであった。
「・・折角ですけどお断りします。僕にはこの年齢から芸能界のような華やかな場所にチャレンジする気はありません。それに・・売れるのはほんのひと掴みの運ある人達だけです。僕には女房も子供達もいます・・そんな不安定な世界で勝負はできませんよ。ごめんなさい」
ヒロシは現実を知っていた。音楽で食っていくためには、並大抵の努力と運がなければ実現できない事を。
「いや!勘違いしないでくれ!僕は別に君に仕事を辞めて、プロの歌手に専念して欲しいとは思っていない。仕事は続けて!時間ある時にうちの事務所に来て欲しいんだ。そこでレッスンを受けて、いずれデビュー・・としたいんだ。どうかな?」
「いいえ・・うちの会社はアルバイト禁止です。そう副業は御法度なんですよ!悪いですが・・」
ヒロシは頑なに前田の話を受け入れなかった。
だが前田は少し笑い「会社か・・君の上司って渡辺部長だろ?渡辺一郎!彼ね俺の大学時代の1年後輩で、同じ野球部だったんだ。さっき渡辺に電話して、君の話をしたら即okしたよ!その代わり、もしレコード売上が上がって君にお金が入ることは問題になる・・と言っていたから、退職までプールしておくよって言っておいたさ。だから何も心配せずに、趣味だと思って一緒に頑張ろうじゃないか!」
前田は目をギラギラさせてヒロシを見ていた。
気持ちの整理が付かないヒロシは、その場で答えを保留したのだった。
玄関先の車まで前田を送り、車に乗り込もうとした前田は最後に言うのであった。
「あの”心残り“って言う曲・・俺も”風はるか“くんに話を聞いたことがあった。同じ大学に通う君に音楽の指南をして貰うのに、あの曲を即興で作り唄い教える・・感動以外なかった・・そう言っていたよ。だから君はそう言う男なんだよ。良い返事を待ってるよ!」
そう言い車で帰っていった。
サユリはヒロシをずっと見ていた。
「なあ・・なあに!サユリ!言いたいことあるんなら、言ってくれよ。そこまで俺の顔を見られると顔に穴が開きそうだ!」
「凄くない?プロの音楽事務所だよ・・ヒロシ君。信じられない。それにあなたが、あんなに有名な人だとこの前知って驚きの連続・・確かにカラオケならヒロシ君は敵無しだったわ。でも・・あんなに楽器が出来るって知らなかったわ・・いつ練習してたの?」
サユリはヒロシの隠れた才能に驚き、ベラベラと喋ったのだった。
「自然だよ・・自然に音符が浮かぶんだ。それに歌詞と声が・・」
「えっ!凄すぎ!Hiroshi Taniが自分の旦那さんって言うことだけでも驚きなのに、今の言葉は既にプロだわ・・子供達にも教えなきゃ!」
そう言い2階にいる娘のヒカルと息子であるオサムを呼んだのだった。
「ねえ!お父さん!ネットで話題になってるよ!・・伝説のHiroshi Taniが・・驚きなんだけれど!私の父親が実は有名人だったなんて!」
「姉ちゃん!父さんは単なるおじさんだよ。まあ・・普通の40歳よりは若いけど!でも一般人だよ」
オサムはヒロシを疑ったが、ヒカルが松戸音楽祭のビデオテープを持ってきてビデオデッキに入れ、パフォーマンスをするヒロシを見せた。「ねえ!」
その後のオサムの動揺は当然だが焦り、食い入るように画面を見つめ、彼の脳内がパニックだったことは、想像するに難しくはなかった。
ヒロシにとって音楽は趣味の一環で、高校時代の仲間と演奏するのが楽しみだったわけで、プロとかデビューとかへの憧れも目標も無かった。
次の日・・会社の部長の渡辺はそっとヒロシに近づき言うのであった。
「聞いたよ・・前田さんに。俺の先輩で・・野球部だったんだ。高校の運動部といえば縦社会だろ。ついokしたけど、昨日ビデオ見たら俺も納得したよ!これじゃあ、前田先輩も君にアタックする筈だって」
コソコソ話をする2人を見た部下達が、自分たちの人事の話かと・・焦って聞き耳を立てていた。
「部長・・皆んなには絶対にナイショですよ。バレたら部長を恨みますからね!」
「あゝ良いよ!恨んでくれよ!でも早く前田先輩に返事をしてくれよ。俺の立場もあるからさ・・」
ヒロシは家でも会社でも同じ話をされ、少々うんざりだった。
帰宅途中で珍しくヒロシは、息抜きに駅前の居酒屋に寄って飲むのだった。
(はあ〜・・バンドなんて復活しなきゃ良かったよ。おかげでこの騒ぎ・・今更Hiroshi Taniって・・)
ヒロシは生ビールをぐいっと飲みながらため息を吐くのであった。
(でも・・“風はるか”は、俺から音楽の指南を受けたと前田さんに言ったんだ?この次元では恵美に会う前に彼女が死んでしまい、恵美も消えてしまった・・具体的に彼女に会った時がなかった筈だ。確かに同じ次元だが・・蘇り前のことで、出会う前に戻ったのだから、指南した事は記憶に無いはず・・ではなぜ?)
前田の話は分かったが、“風はるか”との事は納得がいかなかった。
家に帰り着替えをし、歯磨きをしたヒロシはベランダでタバコを吸った。
(ここに戻るために俺は、自分を燃やして20歳前の恵美に会い、彼女を邪悪な影から助けて共に魂を飛ばした・・俺は自分の体に飛び、成功したが・・そもそも恵美の魂は本当にこの次元に戻ったのだろうか?“風はるか”の体に憑依すれば、俺が音楽を教えた記憶はなくなる・・だが彼女は覚えており、しかも曲まで残している。・・だとすると、“風はるか”は元の彼女のままで俺と接触したことでストーリーを進めている。あり得ないが、ゼロでは無い。そもそも“風はるか”というアイドルは最初の人生では存在しない。歪んだ次元が生んだ偶像のアイドルだ。だとすれば恵美は魂を憑依させることができなかったのではないか?でも・・この次元に風はるかが襲われた時に、恵美は魂が分裂し朱音に見つかり殺されたではないか)
ヒロシは今までの矛盾点を整理して、今は居ない“風はるか”の存在を考えた。
「そっか・・そう言うことか・・」
何故かヒロシは気づきうな垂れた。
「そうか・・やっぱり“風はるか”に恵美は憑依したんだな。それが原因で彼女が俺と出会い、音楽を指南した記憶を埋め込んだんだ。だから・・彼女が死んで、恵美も消えたんだ。分かってはいたけど・・)
(恵美・・君はどう思う?このどうしようもないグータラな俺が、プロのミュージシャンに・・あり得ないよ。元々の次元に戻り、予定通りにサユリと結婚したし、子供も2人・・借金地獄に、浮気に暴言。予定通りに来たのに音楽なんて・・)
夜中・・彼は夢を見た。
それは最愛の女性である恵美の夢だった。
「俺・・どうやら妙な分岐点に辿り着いたかもしれない・・恵美・・君はどう思う?」
「ヒロシ君・・私の大好きな人・・過去の自分を思い出して!我武者羅に頑張って勉強もスポーツも音楽も・・それに私に愛をくれたこと。そんな過去・・ヒロシ君にとって音楽ってなに?どんな存在?歌う事で苦しみを消そうとしたり、溢れる愛を伝えたかったり、多くの迷いを消してくれたり・・心痛や感情の高ぶりや、隙間を埋めてくれたり・・あなた自身に現れるものじゃないかな。私はいつでもヒロシ君の歌が好き!私を救ってくれたり、大きな愛を感じた。その愛をあなたがみんなに伝えられればいいんじゃないかな?」
「そっか・・俺の荒んだ人生が変えられるのは音だったんだね。知らなかったよ!君が俺の歌をそんなに詳しく聞いてくれたなんて・・感動だ」
ヒロシは眠りながら和かな顔をしたのだったが、突然に人影を感じ起き上がった。
「あゝ・・サユリかよ!驚かさないでくれよ。ドキッとしたよ・・」
「だって・・なんかうなされてるようだったから・・」サユリが言うのであった。
「なんか悪夢でも見たの?」
ヒロシは起き上がりスリッパ履き、台所にの水道に顔を近づけ、水道水をそのまま口に入れた。
はーっと一息付きリビングの椅子に座るのであった。
「俺・・やってみようかな。いい曲が出来ないかもしれない・・苦しみが多いかもしれない。でも人生は一度きりだから・・なあ、サユリ」
サユリは心配な顔をしていたが、表情を変え少し微笑み「今まで・・苦しかった。借金に浮気に暴言に・・ヒロシ君がヒロシ君じゃないみたいで・・。でもね、君が目覚めるって分かっていたんだ。だから私は待っていたよ。Hiroshi Tani・・」
ヒロシは思わずサユリを凝視した。
「サ・・サユリ?・・何かさっきの言葉と言うか、喋り方が”風はるか“さんみたいだったけど・・聞き間違い?・・だよな」
ヒロシは冷や汗をかきながら焦った。
「なに言ってるの?彼女は20年も前に亡くなっているでしょう!変な夢でも見たの?」
ヒロシが感じた言葉尻は、勘違いと気づき安心した。
翌日にヒロシは前田に連絡を入れた。
無論、申し出を受ける返事の為だった。
「そうか!よく決心してくれた。ありがとう!さあ!これから忙しくなるぞ!」
前田は大喜びしてさっそく後輩であり、ヒロシの会社の上司でもある渡辺にお礼の電話をするのであった。
ヒロシは月-金は会社の仕事、週末はスタジオでのレッスンと作曲をするのであった。
長年鈍っていた歌唱力はすぐに取り戻し、楽器はスタジオに全て揃っていた。前田からの贈り物だった。
「どう!谷君!いいスタジオだろ。ここは”風はるか“もよく使っていたスタジオだよ」
「ええ、凄く音響がいいです。作曲が捗ります。ふと思った音符を直ぐに楽器で音出して確認ができますから」
「で、どう?いい曲が出来た?」
前田は焦るようにヒロシに確認した。
「まあ・・途中までですけど、出来てはいますよ」
「ほお・・やっぱり早いね!さすがはHiroshi Taniだ。う〜ん・・少し触りだけでも聞かせてよ!」
前田は出来立てのヒロシの曲を強請ったのであった。
仕方がなくヒロシはキーボードでCを基調にした曲を弾き始めた。そこに小さい声で呟くように歌を入れた。その瞬間だった・・
「た・・谷君。これ今作ったんだよね?昔じゃなくて・・」前田は目を見開き確認してきた。
「うん。そうですよ。昔を思い出し朝に楽譜におこし作りましたけど・・何か?おかしいですか?」
「いや・・違うんだよ!今、君が弾き歌った最新曲にソックリな歌を20年前に聞いたんだ。しかもこのスタジオで・・」
「えっ?最新曲じゃないですよ!?」
ヒロシは俄かに信じ難い話を聞くのだった。
前田はモニター室の奥から、一本のカセットテープを取り出し、ラジカセにセットしてスタジオ内に持ってきたのだった。
「谷君・・驚かないでくれよ!このテープは20年前にここで録音されたものだ」
前田はそう言いラジカセのボリュームを上げ、スタートボタンを押したのだった。
(憂い・・彼女 そばにいてくれ 後ろ・・向きに・・・)
ヒロシは驚愕した。過去に自分が作った今の曲と、曲調もリズムも同じである楽曲がスピーカーから流れ出ている。しかも歌っているのは・・”風はるか“だ。
歌詞に違いはあるが、内容は類似していた。
その瞬間であった・・ヒロシは頭を抱え苦しみ出した。あまりの痛さで気絶寸前であった。
前田は驚き「谷君!しっかりした前!おい!谷君!」
ヒロシは床に倒れ、のたうち回る様に苦しみ出した。
前田はこれはいかんと思い「待っていてくれ!救急車を呼ぶから。少しだけ我慢してくれ!」
そう言いスタジオから出て、車にある携帯電話から119番に電話するのであった。
ヒロシは床でもがき苦しみながら、自分の目の前に迫る炎を目にした。
(あゝ!吸い込まれる・・いったい俺をどうしようと言うんだ。俺はここに残らなくてはならないだ。)
ヒロシは苦しみながらも、床を這いながら炎から逃げるのだった。
だが次の瞬間!(ビュン!)と音がして、額を何かで撃ち抜かれ額から血が吹き出した。
(・・どうせなら終われ。これで楽になるなら・・)
そう心で思い気が遠ざかった。
ヒロシは死んでしまったのか?
(ああ・・やっとこれで恵美に会えるな。俺は40過ぎのオッサンだけど、恵美は20歳だったか・・サユリごめんな、俺どうやら天に召されたかも。いい思いさせてあげられなくてごめんな。先に逝くよ!)
ヒロシの魂は路頭に迷った様にあちこちを飛び回ったが、ある瞬間のある場所に落ちた・・。
「ハッ!はあはあはあっ!・・はー・・」
ヒロシは自分の布団の中で目が覚めた。
(ここは・・いったいどこだ。いつの時代なんだ。それに妙に暑い・・)
ヒロシは起き上がると、頭を抱え痛がった。
顔を水道水で洗い・・気付いた。
(ここは俺が学生時代に住んでいたアパートだけど、あの大怪我をした後に引越したアパートだ。・・そう言えば脚が痛む・・)
ヒロシは椅子に座るとボーッと、状況を把握する為に考え事をしたのだった。
(ここにいると言う事は、あの埼玉の悪夢・・朱音の怨念が入り混じった次元だ。・・どうしてここに戻ったんだよ。俺にどうしろって言うんだよ!)
頭を抱えてショックを隠しきれないヒロシは、冷蔵庫の缶ビールを取り出し飲んで、兎に角落ち着かなくては?と思ったのだった。
ヒロシが来た次元は1984年の8月だった。
ヒロシが大学2学年の夏だ。
(ここからのストーリーは把握している・・だけどここに戻っても、同じ事件が起きて・・恵美は死んでしまう。そんな酷い次元に再度来て俺はどうすればいいんだよ!俺はまた苦しむだけだ!)
ヒロシは理解していた。一度経験し、変えた次元ではそれを修正できないことを。
次の日から反復する様な生活が待っており、出来事は全てが経験済みであった。ヒロシはそれに抵抗せず、流される様に過ごした。
理由は自分が妙な動きをすれば、再び次元が歪み他人を巻き込んでしまうからだった。
そうすれば前回同様に“風はるか”が殺害されたと言うか、憑依していた恵美が現れて、朱音に殺されて自分は焼身自殺をする運命だ。
それをもう一度計画通りにすれば、ここに来る前の次元に進み恵美を発見して守り抜けばいい・・と。
だが・・彼の人生は徐々に歪み出していた。
何故か・・エミリとの絡みが記憶から消えて、この静岡にも現れず、復讐の鬼だった彼女の魂は消えていた。ただ、“風はるか”が彼に酷く絡んできた。
マネージャーによる暴行事件で複雑骨折から完治しようとした時、夜中に現れ、試験の指南をヒロシに受けた。
「あの・・試験の範囲はここだけ覚えれば本当に大丈夫なんですか?なんか嘘みたいだけど」
「うん、大丈夫ですよ。そこの部分を覚えられるだけ覚えてください。・・少なくともD判定は逃れられますから」
“風はるか”は大きな目を更に大きく開け「なんか不思議・・谷さんって、こんな事でアルバイトにしてるんですね」と少し怪訝そうに言うのであった。
「まあ・・アルバイトというか、食事とお酒のためです。教える事で食事券と缶ビール6本券に変わります」
彼女はヒロシを見ていうのであった。
「じゃあ私も谷さんに何か渡さないと」
「いや!いいです。さっきのサイン色紙で十分です」
ヒロシの部屋に来た際に持ってきたサイン色紙を見て言うのであった。
「・・なんか悪いです。前にも・・あなたに怪我させたし・・どう考えても私が悪いんです」
過去で“風はるか”を抱いた記憶や、キスを見られた記憶などヒロシには苦い経験が頭を過っていた。
「いいんです。きっとその時のあなたは、何か病んでいたんだと思うし、あなたとキスした事は事実ですから、もう謝らないでください。僕もちょっと思い出したくありませんから」
「ごめなさい・・って言っちゃいました(笑)」
笑った彼女の顔がヒロシの目に映り、写真の様に心に残された。
“風はるか”は申し訳ないと1通の封筒を渡した。
「あの・・本当に谷さんが困ったと思った時に、封筒を開けて下さい。それ以外は絶対に開けないでください。きっとあなたの助けになると思うから」
そう言い“風はるか”は帰って行った。
その後は井上との喧嘩別れや隣人の佐藤たちとバンド活動をしたが、朱音を誘い出す目的だった。が、朱音は現れず、この部分だけが変わってしまった。
そんな1984年の12月・・起きる事は順番を変えて起きた。大学の講義最終日の12月に5号館の外が騒がしかった。
どうやら“風はるか”が大学内で発見されて、人だかりになっていたのだった。これはヒロシが大学入学時に起きた事象だった。その際には彼女の移動車に引き摺り込まれ、音楽指南を迫られた。だが・・このタイミングだとそれは皆無だった。
彼女には既に恵美やもう1人の人格が存在しておらず、アイドルの“風はるか”しか存在していなかったからだ。「ここはスッと通り過ぎればいい・・」
ヒロシはそう思い小走りで門の方に急いだ。
だが・・起きてはいけない事が起きた。
「ちょっと・・谷さん。行っちゃうんですか?」
ヒロシは振り向き彼女を見た。細身のジーンズに長めのブーツ、ピンクのワンピースに短めの革ジャン・・女神の様な容姿にヒロシは歩を止めた。
「いや・・みんな見てるし・・声は掛けない約束では?」
「待っていたの。あなたが出てくるの。そうしたら他の生徒に囲まれちゃって・・」
周りはざわつき始めた。
「あいつ誰だよ!“はるか”ちゃんとあんなに話して」
「えっ、知らないの?法学部の谷だよ。あのバンド活動していて、女子が目をキラキラさせてる有名人」
「知ってるけど・・気に食わないな!俺のはるかに親しくするなんて!」
「あゝ・・お前のはるかじゃないよ!みんなの“風はるか”だよ!勘違いすんなよ!」
そのざわつきに気が揉めたヒロシは逃げようとしたが、彼女が肩からかけたバックを確りと握っていた。
「あのー困ります。関わらない約束で、勉強の指南をしました。だから・・おおーっと!」
言いかけたヒロシを前と同じように、彼女は車に引き摺り込んだ。
無論だが周囲の学生は騒ぎ出し大騒ぎとなった。
「ここは危険ですね!・・嵐山さん!車を出してください!急いで!」
ヒロシは一瞬で息が止まった。
(嵐山・・?恵美の苗字だ!)
運転手は急ぎ門を出てゆき、周囲の学生を置き去りにした。
「おおーい!ずるいじゃないか!独り占めかよ!」
さっきの学生が怒り、石を車に投げた。それが運転席の窓ガラスを直撃しガラスが破損したが、運転手は構わず車を走らせた。
車は広い国道1号線に出て、パーキングエリアに停まったのだった。
「嵐山さん・・大丈夫ですか?頬から血が出てる」
「大丈夫です。“はるか”さんはお怪我ないですか?ヒロシ君も・・」
ヒロシは驚愕した。
このストーリーで彼女は18歳で“風はるか”のマネージャーになったが、21歳で結婚するため、20歳でマネージャー業は辞めたはずだった。更に朱音の怨念で付き纏われ命を落とした。
ここに彼女が存在する訳がなかった。
”風はるか“は恵美の顔にハンカチを充て、痛そうな顔して傷を押さえていた。
「あの・・どう言う事ですか?恵美があなたのマネージャーした事は知っていますけど、とっくに辞めたんでは?全くもってあり得ません!」
「・・ヒロシ君。私があなたの音楽センスを“はるか”さんに話したの。Hiroshi Taniだって・・」
ヒロシが思っていたストーリーではない全く別のストーリーになっていくのだった。
廻る次元・・翻弄が止まらない。
続く
「どう言うことですか?前田さん・・」
「
最後の足掻きは、元の線路に戻る事であった。
決心して最後に道を見つけようとしたが・・又しても迷い道に・・




