第15章 リスタート
最愛の女性を失った彼は、昔を思い出すように堕落していった。これは止めることのできない現実であった。
1986年・・ヒロシは大学4年になり、23歳になった。
恵美を失い泣き崩れていたが、徐々に正気を取り戻していった。大きな要因は、本来の自分が出てきて恵美が結婚して子供も産まれた・・という最初のストーリーに戻ったように心に刻み出したからだった。
そう思うことで、恵美が生きており幸せを掴んだと・・そう自分に思い込ませていた。
朱音はあれ以来現れず、不思議と思い新聞店を訪ねた。寮母さんに佐々木主任それにエミリは、何も無かったようにヒロシの肩を叩き「やあ!谷君頑張ってるか!少し痩せたんじゃないか?ちゃんと食わなきゃダメだぞ!」主任は相変わらず大きな声で寮母さん共ども笑っていた。
エミリは久しぶりに会うヒロシに「こんにちは・・お元気でしたか?」
それだけ言った。彼女は今年大学3年になっており、驚いたことにあの埼玉学院大に通っていた。
過去の悪夢はここから全て消えていた。
リスタートして朱音から恵美を守るはずが、朱音自体が存在しなくなっていた。
(どう言うことだろう?この次元に戻った時に、確かに朱音は俺の元に来て罠を仕掛けようとした・・それがおかしい・・)
ヒロシは朱音はどこにも消えたのか?不可思議だと思うのであったが、理由は最終的に明らかになる。
ヒロシは静岡に戻り、部屋で缶ビールを飲みながらぼーっとした。
心の整理がついたように次の日から、本来の谷ヒロシが始まった。
ヒロシは気付いた。朱音が消えたのは、ヒロシが本来のストーリーに戻ったせいではないかと・・そもそも、朱音の存在は第二の人生から始まったことであり、最初の人生には登場しなかった。
この第一の人生では・・
あのサユリと出会い、付き合い、大学卒業後に結婚をする・・そんな決まりきったストーリーだ。
ヒロシとサユリは大学4年で同棲を始めるが、サユリは短大であったため既に働いていた。
ヒロシは過去のやり直しの人生で避けていた飯島と同じバイト先に勤めた。
昼はバイトで夕方は賭け事に・・
ヒロシには過去をやり直してきた自分など忘れてしまっていた。最初の人生を判で押したように歩くのであった。
「なあ!サユリ。忙しいけど、少し話いい?」
サユリは引っ越した狭いアパートで夕食を作っていた。無論だが家賃は半々で出していたが、ほぼサユリに食べさせてもらっていた。
「・・何?お金なら無いわよ。ギリギリでやってるんだから。賭け事を辞めてよ!いい加減にして!」
ヒロシは怒り部屋を出て外の公園に行った。
(何だよ!サユリの奴俺がそんなに嫌なら、別れればいいだろう!俺の気持ちなんか誰にも分からないんだ)
そう思いタバコをふかした。
ヒロシはすっかり過去の最初である自分に戻ってしまっていた。自分勝手な屁理屈で人を傷つける・・そんなどうしようもないヒロシになった。
このようなやり取りは月に数度あり、さすがのサユリもヒロシの行動が嫌になっていた。
サユリは我慢しきれずに、遂にバックひとつで実家に帰ってしまった。
ひとりになったヒロシは、昔のようにギターを爪弾き、自分のやり直しの効かない人生を恨んだ。
心の奥底で、過去を何度も走ってきた自分に聞いていた。(なあヒロシ・・結局・・これだな。この生き方が俺の生きざまだよな。でも俺・・このぐうたらを進むしかないんだ。もう・・これでいいんだ)
昔のように酒を飲み、タバコを吸って息苦しいくらいになっていった。
その後実家にサユリが帰ってしまい、家賃を負担できなくなり今のアパートに住めなくなったヒロシは、元のボロアパートに移り住んだ。
大学の卒業式になり、自分には何も無くなった今がここを去ることで変わるかと思ったが、ある事件がヒロシに起きた。
就職が東京のメーカーの販売会社に決まり、引越しの準備をしていたのだった。
無論だがサユリの親戚の叔父の紹介であり、断る理由もなく入社試験も受かり東京に出ることになった。
その時なぜかサユリが訪ねてきたのだった。
「おお、久しぶり!元気だった。仕事は順調?」
ヒロシは久しぶりに会うサユリに心配をかけまいと元気に振る舞った。
サユリは少し部屋の前に立ったままだったが、玄関に入り靴を脱ぎ部屋に上がった。
「ヒロシ君・・私・・」
「どうしたんだ?なんか顔色悪いぞ!大丈夫か?」
サユリはゆっくりとヒロシに近づき、ヒロシの胸にそっと抱きついた。
「おいおい、どうしたんだよ!具合でも悪いのか?」ヒロシはサユリの両肩を持ち、自分の体から少し離して確認した。
サユリ・・俺たちの関係もう終わったんじゃ?」
サユリはゆっくりと顔を上げ涙目で言うのであった。
「・・赤ちゃん。お腹の中にあなたの赤ちゃんがいるの・・もう安定期。いろいろと考えたけど、親に妊娠してること言ったわ。・・」
予想はしていた。過去でも同じ経験をしていたのに、なぜかドキッとして顔が青ざめた。
「・・どう言うことだ?俺の子か?・・・」
真っ白になった自分の心は(このまま進め!)だった。
こよなくしてサユリの両親に挨拶をして、子どこが生まれる前に籍を入れ、サユリを連れ千葉に借りたアパートに移り住んだ。
10月に子供が産まれ、暫くは幸せな日々を送っていた。だが本来の自分はまたしても暴走しだした。
会社での付き合いや東京という慣れない土地に、ヒロシの心は荒んでいった。
心の底で恵美は結婚して、子供がいるストーリーであり、頭の中では納得した筈だったが、全てにおいて彼女の影がヒロシを覆い、行き先を真っ暗にした。
しかも夜になると更に思い出し、啜り泣きながら恵美あての手紙を書いている始末だ。
届きもせず、読まれることもない手紙・・
昔ふたりで過ごした高校時代を思い出して、一生会えず失ってしまった後悔の念にひしがれた。
彼にはやはり恵美しかおらず、救えるのも彼女しか存在しなかったのである。
自暴自棄に陥ったヒロシは、この虚しさから逃れるためにまた賭け事に手を出し、多額の借金を何度もした。サユリに「今度は大丈夫だ!」と言いながら、賭け事に手を出した。頭では分かっていても、甘い罠に簡単に嵌り落ちたのだった。
(金さえあればサユリは笑うだろう!金がないから愚痴ばかりなんだ・・)
そんな身勝手な理由で賭け事にのめり込んだ。
休みには娘を連れてパチンコに通ったり、仕事をサボって賭け事をしたり・・最悪になっていった。
娘のヒカルが3歳の時に息子が産まれて、さらに家計を圧迫したが、ただヒロシのこの頃の仕事ぶりは高評価だった。会社でも信頼が厚く、顧客への請けも良かったので、早くに主任となり給与も上がっていった。
それに反して30代は浮気が原因でサユリを大きく傷つけた。
会社に出入りしていたメーカーの女性と仲が良くなり、その子のマンションにも泊まったりもしていた。
妙に真面目なヒロシはサユリに浮気をしていることを自ら自白した。無論だが離婚を前提としてだった。
怒り狂ったサユリだったが、なぜか・・あっさりとヒロシを許し、別れるようにその女性に会い説得したのだった。少し・・変であったが、サユリの作戦が変わったと思いヒロシは注意が必要だと感じた。
だが30代後半で同期の奴に先に課長昇進の辞令があり、ヒロシは相当にガッカリしたのだった。
(あいつより俺の方が会社に貢献してる。なのに・・)
納得のいかないヒロシは部長に確認したが、正確な理由までは聞けなかったが、「島田の方が協調性があり、部下の面倒見がいい」そう言われた。
家路に帰りながらヒロシは痛いところを突かれたと反省していた。自分の成績を上げるために多くの人を利用したヒロシだった。
協調性もくそも無かった。自分が出世すれば親やサユリが見る目が変わり、優位に立てると信じていたからだった。もっと言えば成功者なら、虐めてきた奴らに仕返しできると思ってもいた。
だが・・最大の理由は、恵美に報告をしたかった。
(君が居なくても、俺はこんなに偉くなったよ・・)と。
本来のヒロシは褒められて伸びるタイプだったが、ここ数年は誰も褒めてはくれなかった。というより、褒められるような行動や言動は皆無だった。
家に帰りサユリに悔しさのあまり今日のことを話した。サユリは何も言わなかったが、少しだけ笑い言うのであった。
「できるでしょ!ヒロシ君はいつだって1番だったでしょ!」そう言うだけだった。
サユリと付き合い始めた頃・・当初に恵美との顛末を話したことがあったが、この言葉は恵美を思わせるような一言だった。
2002年のことだった・・
ヒロシは家を建て家族と引っ越しをした。
これをきっかけとして、賭け事は辞めた。
また外での飲食も極力減らし、家で呑むように変わってきた。少しでも節約して、子供たちの高校の費用や大学のお金を稼ぐのであった。
「ヒロシ君、身体大丈夫?毎日のように残業で、朝も早いから寝てないんじゃない?」
サユリはヒロシを心配して聞いてきた。
「ああ・・大丈夫。まだまだ仕事頑張らないと、子供達の学費が掛かるし、家のローンもあるからな・・」
ヒロシはすっかり泥沼から脱出していた。顔色も良く食事も時間きっかりに3度摂り、休みには会社の仲間と草野球を楽しんでいた。
過去の彼であれば、この頃はグータラから抜け出せず、惰性の人生を過ごしていた。
何かが変わっていくのをヒロシは自分自身で感じ取っていた。
理由は直ぐには分からなかったが、徐々に理解し始めたヒロシだった。
(俺が浮気をした時から、サユリは変わっていった。それまでの愚痴や暴言を言わなくなったし、少しばかりのバイトで家計を支えて、俺にはきちっと小遣いも渡してくれる。休みには一緒に野球にも来るし、朝も早起きして弁当まで作る・・サユリがサユリではないようだ)
そんなことを考えてはいたヒロシだったが、元を正せばヒロシ自身の行動が変わったのだった。
38歳の時に高校時代の同級生であったマコトから誘われてバンド活動を始めた。
オッサンバンドだったが、ヒロシのもち前の歌唱力で、各大会で優勝を飾っていた。
高校時代にバンド活動をし始めたのは恵美のお陰であった。彼女の存在がヒロシの奥底に潜む、音楽センスを目覚めさせた。
ヒロシは活動することで、天に召された恵美に届くように歌うのであった。
「ヒロシ君、次の松戸公園での音楽祭に出るの?結構な有名人も来るらしいよ」
寝る間を惜しむように仕事にバンドに勤しむヒロシをサユリには心配であった。
「うん!出るよ!呼んでもらっているからね。断るのも失礼だしね!君も観にきてよ!」
人間は不思議な生き物である。あれほど最悪な人生を過ごしてきた彼が、生き生きと蘇っている。やはり人間には生き甲斐が必要だと思う。
音楽祭の当日・・
「ヒロシバンドです・・えっと・・もうすぐ40過ぎになるオッサンですが、精一杯頑張って演奏しますので、よろしくお願いします!」
ヒロシはそう挨拶するとギターを肩から外し、キーボードに座り弾き出した。
その曲はあの<Melody>だった。過去に朱音を思って作ったヒロシのオリジナルだった。
会場で見ていた音楽企画会社の前田は驚き、目をまるくした。(この曲・・素人レベルじゃない!こんな逸材埋もれてたなんて・・ん?・・このプロフィール・・)
前田は事前に貰っていたヒロシバンドのプロフィールを見て驚愕した。
(こ・これは・・Hiroshi Taniだ。伝説の中学生<汗>)
前田は気づいた。彼自身がずっと探し求めいたHiroshi Taniが今、ここで歌っている・・と。
演奏後、ヒロシは多くの来場者に感謝の挨拶をしてステージを降りた。
前座ではあるが皆は驚愕した。こんな素人見たことない・・と。しかもキーボードも完璧であった。
ステージ下にはサユリが待っていた。
サユリはヒロシをじっと見つめて、少し涙目でサッと抱きついた。
「おい!サユリ!どうしたんだよ!びっくりするし、みんな見てるよ!恥ずかしいじゃないか!」
「ヒロシ君・・やっぱり私のヒロシ君だわ!やればできるのよヒロシ君わ!」
そう言いもう一度抱きついた。
ステージでは司会者が出演者を紹介していた。
「それではトップバッターは、あの伝説のアイドル・・宇津井玲香さんです。唄うは茜雲です。よろしくお願いします!」
ヒロシは驚いた。彼女は知らない芸能人であったが、歌・・歌がヒロシの曲であったからだ。
彼女は歌い終わると、会場の観衆に話すのであった。
「この曲は私の親友であった”風はるか“ちゃんが大好きだった歌です・・彼女に会いたい・・そう思ってこの音楽祭に出ようか迷っていた時に、前座にHiroshi Taniさんが演奏するって聞いたので・・急遽曲を変えてこの曲を歌いました。彼女も天で聞いてくれたと思います。大好きなHiroshi Taniさんの茜雲・・ねえ!谷ヒロシさん!」そう言いヒロシを会場に引っ張っ揚げてきた。
ヒロシは恥ずかしくて仕方がなかった。
「Hiroshi Tani!・・どんな思いでこの曲を聴きましたか?」
突然、宇津井玲香が聞いてきた。
「・・えっと・・この曲は俺が中学生の14の時に作った曲です」
会場はどよめいた・・僅か14歳でこのような楽曲を作ったことに・・
「それで・・谷さんは?どんな感情でこの曲を作ったんですか?興味津々!」
「・・う〜・・なんだろう?みんなもあると思うんだ。劣等感や負けてしまってる事・・俺はその事を僅か14歳で感じた。みんなより劣ってるし、皆んなより背が低くて痩せて黒い・・身体も弱かったし・・。自分が意図してないのに、どの部分を攻めるんだ!比較して・・う〜・・でもそれって何?優越感?それとも自慢や集団軽視?いろんなこと考えた。答えは出なかったけど・・この曲にあるように・・空には皆んなと同じ雲が見えるし、夕焼けが見えるよねって・・自分たちの勝手もあるけど、その勝手から傷つく人も存在するよ・・そう伝えたかったんだ。歌詞の中に深い意味があるって・・そう思って作った曲です」
宇津井玲香は少し涙目で「だから・・はるかが好きな曲だったんだね。あの子も孤独だったから・・」
「残念です・・彼女は良いシンガーでした。彼女はアイドルの域を超え、シンガーソングライターとして活躍できたと思います・・」
「・・Hiroshi Tani!折角だから彼女の好きだったあの曲を最後に聞かせて!お願いよ!」
ヒロシは緊張したが、恵美がよく言っていた「客席の人達をカボチャに思いな!」という事を思い出した。
ヒロシはガットギターを手に取ると、宇津井玲香の隣に座りEから始まる・・そう一度だけ”風はるか“に聞かせた(心想い)を弾き始めた。
この曲は彼女に作詞作曲の盲点を教えるために、即興で作った曲だった。
どこか悲しみも感じ、何故か美しさや憂いも感じる曲で、”風はるか“が絶賛したのだった。
合わせるように宇津井玲香がコーラスを入れて、往年のファンは彼女を想い涙した。
ヒロシにとってはあり得ない瞬間だった・・茜雲も心思いも・・自分が自ら作った曲だったから。
自分にまだ・・感動や感謝がされる瞬間が存在する!そう思って皆に感謝したのだった。
続く
少しずつだが自分に敷かれたレールがズレを生じ、過去の栄光を思い出させてくれる事象が起き、ヒロシはこの次元で初めてやり直しのきっかけを得たのだった。




