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結界仮説   作者: 磊川 聖悟
14/15

◇白曼珠沙華

 研究所の周りのプランターが、また新しいものに交換されていました。

 白い曼珠沙華がいっぱいです。

 プランターの数もいつもより多い。

 どれも本当に真っ白。

 まるで雪のように広がる白い華の中心にガラスの塔のように研究所が建っていました。

「毎年この時期には、必ず白い曼珠沙華を飾ってくれます。

 僕が好きな花なんです」

 ガラスの向こうに白い曼珠沙華。それを背景に、先生の白いワイシャツが、いつもより輝いて見えました。

「真っ白ですよ」

「白い株を選り分けて栽培してくれているのでしょう。

 専用の栽培園があると聞いています」

「専用……、(すご)

「年毎にプランターが増えるんですよね」

「へぇ〜」

 先生はどこか嬉しそう。

 今日は先生のワイシャツも、いつもより白い。

 曼珠沙華は彼岸花とも言うのに、まだまだ暑い日が続いています。

 価値について重要な知見を得たと思う出来事から、先生の教えは加速度を増していました。

 結界は人を護って在る。その根源には楽園衝動があり、その目的は人を楽園に(いざな)うこと。それは言い換えれば「神の位相」であるということ。

 つまり互いに助け合って生きることは、人間の衝動として存在し、その衝動の求める帰結を先生は楽園と仰いました。帰結として楽園を求める衝動だから楽園衝動なのです。

 けれども、その楽園は決定困難なもの。人の人生を勝手に決めてはいけないのと同じで、楽園が如何(いか)なるものか、勝手に決定できない。良く話し合い、多くの意見を聞きつつ、少しづつ楽園に近づく方法を見つける必要があります。その時に必要なのが他由主義。身勝手な理由だけを押し通せば、楽園は遠退いてゆく。

 今できることは、人々を楽園から遠ざける「七つ厄災」を退けること。その方法について、多くの人々の協力を求め、社会的に成し遂げる同意を得るよう努力する必要があります。

 それらをまとめて「実楽園主義」と先生は名付けました。

 つまり、楽園を目指せって言ってるのに、どんな楽園かは判らない、ってこと。

 楽園を自定してはいけないのは解ります。楽園は皆定するものというのも解ります。でも、皆定する方法が解りません。

 先生もそれは承知していて、「ただ、ひたすら努力して、厄災を遠ざけつつ、皆と相談して、説得し、楽園に近付くしか方法がない」という事らしいです。

「常に意識しなければいけないことは、誰か一人の楽園ではなく、全員の楽園だということ。

 皆で楽園に行かなければ、全く意味がありません」

 いろいろな意味で、難しいです。


 気の所為か、いつもよりホールが明るく感じます。

 ゆっくりと回転する空気の流れも見えません。白い花の照り返しに打ち消されてしまっているようです。

 いま先生に出されている課題は、自分の感情をコントロールすること。

 心が乱れれば、考え方も乱れてしまう。

 そのために教わったのが、光の実験で行なった浄化。イメージとしては火でも水でも、何でも構わないので、自分自身の心をイメージの中で浄化すること。先生の教えでは光を使いました。

 強い光で心の中の良くない感覚を取り除いてゆく作業を繰り返す。

 ただ胸に手を当てて、その温もりを感じようとするだけでも、感情は変化します。

 先生は仰います。

「感情は、自分自身が感解している世界に対する反応でしかありません。

 その感解を変える事で感情も変わります」

 どんなに苦しい状況でも、楽しいイメージを構築できれば、心は軽くなります。

 まずは落ち着くために、心で浄化を行う。或いは、瞑想でも構わないと先生は仰いました。

 そこから自分自身で世界のイメージを構築できれば、それに伴い感情も変わります。

 そもそも世界を理解する事自体、識転移から虚無である可能性もあるのだから、自在に世界の感解の構築が可能だと先生は仰いました。

 それは価値総在。虚無で在る事は、即ち、無限でも在るということ。虚無は無限の可能性の出発点に過ぎない。それを実存の範疇で行えば、現実から逸れる心配もなくなります。

 空想が空虚ならば、現実もまた空虚であり、空想を豊かと感じれば、現実も同様に豊かとなります。

 世界は常に自分自身の感解に基づき、その感解は自定されたものに他なりません。

 であれば、受動的に感解するも、能動的に感解するも同じではないでしょうか。

 私は自分の中を無にする事はできませんが、世界に対する認識を書き換える事は可能です。既に一度、(きら)びやかな世界を見ています。それは世界が変わったのではなく自分が変わった事で、見え方が変わったのだと教わりました。それは無分別に行なうことは好ましくないそうです。しかし、価値の知見を知る者が、選択的に感解するのであれば、問題はないと先生は仰います。寧ろ、無分別に虚無な世界を見るよりは、意識して豊かな世界を認識する事の方が好ましいそうです。

 私達はそこから出発します。


 お茶を淹れ、先生のもとへ。

 書斎エリアの大きな机に座っている先生にお茶を差し出します。

「ああ。ありがとう」

「あの子、最近、来ませんね」

「来ませんね」と先生。

「飽きてしまったんでしょうか」

「どうでしょう。子供ですからね」

 女の子が来なくなってから、毎日食べていたケーキは必要ないからと、私からお願いして、やめてもらいました。

 なぜか子供っぽいことは控えるべきと考えるようになったのです。

 木々の緑も、すっかり深くなり、直に枯れ始めることなど気にしていないようにも見えました。

 蝉はもう鳴いていません。

 それでも暑い日は続いていました。

「先生。いつかは皆で楽園を実現できると思いますか?」

「どうでしょうか。実現してほしいとは思います」

「厄災は遠ざけられるでしょうか?」

「自然災害と戦争は困難な課題ですが、その他は早晩、人類は克服すると思います」

 事件・事故、病気、貧困、飢饉から逃れられるだけでも、多くの人が助かるでしょう。

 机に肘をついて顎を支えながら、どこともなく見上げる先生の顔には、明らかに希望が見えました。

 私達が居なくなったあとに、多くの人達の努力によって、他由主義に基づく社会に至り、それを手掛かりに厄災を遠ざけ、もっと楽に生きられる社会を実現できたとしたら、それは素晴らしい事のように思えます。そのために今の自分が努力できるのであれば、それは喜ばしい事でもあります。

 問題は、この想いを後世に伝える方法です。誰かに伝える必要があります。

「また来てほしいですね」

 女の子が来てくれれば、と思いました。

 今は興味を失っていても、大きくなったら戻ってきて欲しい。少しづつ結界の話しをしながら……、でも、やはり、価値について正しく感解していなければ、誤解により誤謬した結論に至りかねない。どうすれば、価値の知見を得られるのか、全く解りませんでした。

 それに他人の人生を勝手に決定するような真似は厳に慎むべき行ないです。

「自分の思い通りに未来を作ろうとするのは、無理があります」

 先生は私の心を見通しているかのように仰いました。

「自定すべきでない事を自定したり、自定できない事を自定しようとするかのような行ないは、結局は自分自身の苦悩になる事もあります。

 自定すべき事は自定し、他定すべき事は他定し、皆定すべき事は皆定する。

 それを曲げようとすれば、何事も整わなくなり、諍いが争いとなり、結局は誰も何も得られない無為な有様となります。

 それは意味も価値もありません。

 それに実存性からも逸れてしまうでしょう」

 私は先生の机の横に置いてある椅子に腰掛け、先生の机に肘を乗せながら、先生の方を見もせずに、お茶をいただいていました。

 この夏、私は多くの事を学びました。なぜか学べば学ぶほど、思い悩む事も増えたように感じます。それに比べて、自分自身の不甲斐なさや空回りする想いで、自分がまるで取るに足りないもののように感じてもきます。

 それに、そんな立派な人間でもないです。

「人間誰しも、感心しない側面を隠し持っていたりもします」

 先生は仰います。

「重要なのは、それが自分の至らない部分だと自覚しているか否かです。

 自覚していなければ、何度でも間違いを(おか)すでしょう。

 それが間違いだと知っていれば、自分自身を変えられます」

「先生に教えてもらった、大きな理想を考えれば考えるだけ、自分はそれを考える事に似つかわしくないと思えます。

 先生の理想からすれば私なんて、その辺の雑草と同じです」

 先生は微笑まれました。

 私は少し泣きそうです。

「僕も昔、同じ事を言ったことがあります。

 若い頃の一時期、ひと月ほど、農作業をして(すご)した事があります。

 その時、仕事を教えてくれた女性に、君が言った事と同じような事を、僕は言いました。

 その人は作業の手を止めて、笑いながら言ったのです。

 人は誰しも、自分の価値を(おとし)めて考えてしまう事がある。

 それは風にそよぐ草原にある一片の草に等しく、他愛もなく、意味もない。しかし、一面に広がる草の集まりは 、そよぐ風に波打ち、風の行方を写してもいる。更に木々や花々、季節ごとの移ろい、豊かな風景を彩る、そのひと欠片が即ち一片の草ではなかろうか。

 それを意味のないものと言ってしまえば、それまでの事。

 その豊かさを知れば、(おの)が豊かさを知る事にもなる。

 そのように言われました。

 人間は皆、(つたな)い。拙いからこそ間違いを冒す。

 それでも人間の社会は、ひとつひとつ間違いを正し、より良い方向へと歩みを進めてもいる。

 その歩みは苛立たしいほど、ゆっくりとしたものではあっても、楽園の方向へ向かってもいる。

 それは風にそよぐ草に等しい。

 無意味とみれば無意味。豊かと知れば驚くほど豊かでもあります」

 先生の白いワイシャツの袖口のカフリンクスの装飾の(きん)に照り返す陽の光が美しい。

 先生は天井から差し込む幾筋もの光の中で、虚空に夢を見ているようにも見えました。

 決して論理的には到達できない楽園へ行くために論感の可能性を語り、理性・論理・数式の強固な実証的客観性の向こうにある超在(ちょうざい)を見ているようにも思えます。

 上を見上げると、天井の光と影の狭間はざまに、空気の流れが見えました。

 天井の直ぐ下を幾筋もの光の線が、まるで一本の蜘蛛の糸が幾つも交差するような、縦横に行き渡る立体模型がゆっくりと姿を現して来ました。

 陽の光が天頂に至る少し前のひとときのみ現れる光の文様だと教わりました。

「先生、今日は親子丼にしませんか?

 私、作ります」

「いいですね。お願いします」

 ガラス壁の向こうは白い曼珠沙華。

 一陣の風を写して、一斉に波打つ。

 この刹那に価値総在。

 私は腕まくりをして昼食の用意に掛かりました。



 うたた寝に夢を見ました。

 一面の赤い曼珠沙華の中心に屹立するガラスの塔。

 赤は人々の流す血。

 それを人々の願いが一念の想いへ皆定される瞬間に純白へと変わります。

 それは正に夢。

 リビングエリアのカウチで目覚めると、先生は何処かへ行かれたようです。姿は見えませんでした。

 先生の不在には、私がこのホールに居る意味が無くなります。

「帰ろ」

 研究所を出ると白い曼珠沙華に目が行きます。

 揺れている。

 眺めながら歩み出し、振り返り塔を仰ぎ見ました。

 思いの外、陽射しが優しい。

 木立を抜けて、外の車道に出ると、いつもここで(うつつ)に戻るような気がします。

 高い空に細波(さざなみ)のような微かな雲。

 心で(つぶや)きながら歩く。

 自分の事は自分で決める。

 他人の事は他人が決める。

 皆の事は皆で決める。

 手と足を交互に前へ出すのは型式。

 それを歩く事に上手に使えるように無意識に調節しているのは、私。

 人生はその連続のようなものと先生は仰るけど、それだけでは価値総在を感解できないと思います。

 通りの電線には数羽の雀。

 家々の屋根の上を渡る風。その微かな音。

 空の青。

 遠くの潮騒。

 遠く近くの山の深緑。

 庭先の柿の実はまだ青い。

 その日常の風景は無意味と言えば無意味。その無意味は地平水平を越えて、どこまでも続く。そこで人が暮らし生きています。それを無意味と言い切れるでしょうか。そこに戸惑いを感じるのは人の根源の衝動の現れ。他人を無意味と捉えられない。先生はそれを楽園衝動と仰った。

 人は人と共に生きる。

 その奥底にある衝動こそが、私達が望む世界の在り方へと導くのではないでしょうか。

「あら、いま、おかえり?」と言いながら、隣のおばさんがコンビニへ走って行きます。

 少し頭を下げました。

 踏み出した足が小石を蹴って、カラコロと道の端へ転がってゆく。

 思いは逸れて「明日、お昼に何を召し上がっていただこうか」などと思い巡らす。

 烏が鳴く。向こうの電線に一羽。

 自宅の敷地へ入り、玄関を開けました。

「ただいま」と小声。

 台所から「おかえり」。母の声。

 夕飯の支度をしているのだと思いました。

「ちょっと、いい?」と母。

「なぁに?」

 そう言いながら、ダイニングのテーブルへ近付く。

 母は手を拭きながら台所から出てきて、こう言いました。

「もう研究所、行くのやめなさい」

 自分の感情が昂ぶって怒りに変わるのが判りました。

 一呼吸。

 少し冷静さを取り戻して母に訊ねました。

「なんで?」

「世間体があるし、あちらにもご迷惑でしょ?」

 その先は言われなくとも解りました。

「考えておく」

 冷静を装って応えました。

「考えておくって、どうするつもり?

 そろそろ就職もしないと、このままで良いとは思わないでしょ?」

 うるさい。

 声には出さなかったけど、大声で言い放ちたいとは思いました。

「ちゃんと考える」

 冷静にそう言うと二階へ階段を上がりました。

 いつか言われるだろうと思っていた言葉。母からすれば意味もなく研究所に行っているとしか理解できていない。母に楽園衝動を説いても理解されないと思いました。

 部屋へ入り、溜息ひとつ。

 確かに、このままで良いことではないと思いました。どこかへ就職するか、それとも嫁にでもいこうか。嫁にいくには相手が必要だけど、心当たりが全くありません。

「ははは」

 乾いた笑いで誤魔化して、ベッドに座り、そして寝転ぶ。目を閉じて、瞼の星々を追いかけて、心の乱れを鎮めようと試みました。

 だめだ。

 激しく揺れ動く心を鎮めることはできませんでした。

 胸に手の平を当てて、その温もりを確かめます。刹那、心が鎮まる瞬間に身体全体を光のイメージで包み、全ての良くないものを消去してみました。

 少し鎮まった心を、暖かな光で包み、心の穢をひとつひとつ消してゆきます。

 心が落ち着いて、母の立場を思いやる余裕が生まれました。

 きっと母も、私のこれからの人生を考えて心配しているのだと思います。

 母と私の二人っきりでも、思いが食い違い、時に言い争いにもなります。望んでいる関係も世界の在り方も違うのだなと思いました。

 考えてみれば、私は母を思いやる言葉を発していませんでした。いつも言葉を投げ付けるだけ。思い返せば、父に対しても同じでした。

 だめだなぁ。

 人との関わりを整えるって、難しいです。

 自分が何事も整えずに、自分勝手に、我を通していただけのように思います。

 他由になっていない。

 少し改めようと思いました。少しづつ言葉使いから改めて、母に対して不愉快ではない話し方から始めようと考えました。

 それでも研究所には、できるだけ、今までのように通いたい。先生の話はとても大切に感じています。その気持ちだけでも母に分かってもらおう。

 できるだろうか。

 母の前では、いまだに子供のように感情を前面に話してしまう。

 ベッドから起き上がり、窓を開けました。

 もうすぐ夕陽に変わります。

 空の青がくすんできています。東の地平線に薄闇が沸き立っていました。

 残暑を感じて額に汗が滲む。

 母の言っていることは正論です。

 従いたくないのは自分の、自分だけの理由による感情。自分の人生は自定すべきものではあっても、母が完全に無関係とは思えません。やはり他由すべき事も含まれていると考えるべきだと思います。

「就職かぁ」

 重い扉でも開けようとしているかのように、身体が強ばります。

「就職かぁ」

 もう一度言って、自分を納得させようとでもしているのか。そして、自分に言っているのでもない、無意味な響きの言葉でもありました。

 雲の西側が茜色に変わり始めています。

 雲の中に雲の影が伸びています。

 強く吹いた風が額の汗を乾かします。

 大人になりなさい、と自分で自分に言ってみました。

 私の中に僅かに残っていた子供心が終わりを惜しんでいるように、微かに疼きます。

 先生に何と言おうか。

 それは悲しく、つらく、苦しい決断を迫られるようなものでした。

 先生を傷つけたくない。

 自分も傷つきたくない。

 夕陽のように自分の感情が陰りに傾いていきます。

 やがて山陰に隠れる陽の光が茜色を増し始めました。

 先生に何と言おうか。

 息が詰まるような気がします。

 ゆっくりと項垂れて、遠くに烏の声。書棚に置いた時計の小さな音が聞こえていました。

 電柱の残り蝉が短く鳴いて、夕暮れに飛んでいきました。


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