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夏目おじさんは言う。菜々子を守ってくれと。

「どこまでと申しますと・・・」


「もうやっちゃったのか!?」


 興奮気味に僕に顔を近づけてくる。


「いや、そんな事はしていませんよ」


「何だよつまらないな」


「何がつまらないんですか?そう言うことはもっとお互いを知り合ってからやるものだと思っています」


「なるほど、菜々子が気に入る訳が分かってきたぞ」


「それは気に入って貰わなきゃ困りますよ。僕達一応つきあっていることだし」


「でも、今時の男女は付き合い始めたら、まず、やらなきゃつまらないんじゃないか?」


「何を聞くんですか?やるやらないの関係には至ってはいますが」


「じゃあ、君がその気になれば、菜々子はやらしてくれると」


「やめてくださいよ。そんな嫌らしい話、聞きたくありません」


「俺はよう。あいつが心配なんだよ。でも彼氏をつれてくるなんて思わなくてよ」


「用があったのは打撲の件です。別にあなたに会いに来た訳じゃありません」


「分かっているよ。でも俺はあいつが心配なんだよ。多分・・・名前は?」


「木之元アツジです」


「アツジ君は気がついていると思うけれど、あいつは心を許した相手じゃないと、あんな態度を取ることが出来ないんだよ」


「それは僕も気がついています」


「菜々子は本当に良い女の子だよ。君にはもったいないくらいに」


 君にはもったいないなんてちょっと言い過ぎで少しだけ僕の心に傷が付いた。

 でも菜々子さんの親族で菜々子さんの事を知るチャンスだと思って夏目おじさんとやらに聞いてみることにしよう。


 夏目おじさんとやらは菜々子さんの事を語り出す。


「あいつは本当に心がきれいなんだよ」


「本当ですよね。片親だからって、周りに同情されたくないと聞きました。その他にも何か事情があったりするんじゃないんですか?」


「菜々子の父親はどうしようもない奴でよ。仕事もしないで博打にお金をつぎ込んで、相当なお金の借金をしてとある公園の木に首吊り自殺なんてしちまってよ。

 それでも菜々子は泣いていたよ。

 ろくでもない父親でも菜々子は泣いた。

 それを目の当たりにした俺と菜々子の母親に当たる妹は、心配したんだ。

 もしかしたら、菜々子も同じような人と結婚して、同じような目に遭うんじゃないかって。

 それで俺と菜々子の母親でしっかり働いて、借金を返したんだ。

 今から思うとろくでもない父親だった。

 まだ物心の付かない菜々子は必死に泣いて、俺達は必死に働いた。

 菜々子の将来のためにと。

 だからアツジ君菜々子を大切に幸せにしてくれ」


「分かっています!」


 と僕は菜々子さんの事情を聞いて、本当に幸せにしてあげなきゃと本気で思った。


 診察室から出て、そこには菜々子さんが待合室の週刊誌を読んでいた。


「大丈夫だったの?」


「うん。大丈夫だって、このくらいの怪我」


「そう。夏目おじさんがそう言うなら本当だね」


 その時、菜々子さんの僕に対する心配がぷつりと切れた感じがした。

 そして夏目おじさんも診察室から出てきて、「菜々子、お前は良い奴を選んだな」

 すると菜々子さんは顔をカァーと真っ赤にさせて「二人で何を話していたのよ。診察時間から察するに私の事を話してたでしょ」


「おお、言ったよ、菜々子の事を幸せにしてくれって」


 菜々子さんは「バカ!」と言って、夏目おじさんに週刊誌を投げつけた。


「おいおい、俺を怪我させるつもりか?他の患者さん達が来たら驚くだろう」


「近くに大きな病院に患者を取られている癖に!」


「何だ、お前、俺の心配をしているのか?」


「してないわよ」


「まあ、そう言う事にしておくよ。本当は最近は往診が増えているから午後から忙しくなるんだ」


「そんなのどうでも良いよ、それよりもアツジは大丈夫なの!?」


「それは本人も言っているだろう。とりあえず、顔の打撲の後をコンシーラーで隠して、腹や胸のあたりの打撲をシップを張っていけば大丈夫だから、大した怪我じゃないよ」


「アツジ帰りましょう、夏目おじさん、処方してくれるコンシーラーとシップ早くちょうだい」


「はいはい。処方箋出しておくから」


「それといくら?」


「金はいらないよ」


 そこで僕は「それは悪いですよただで診察して貰うなんて」


「大丈夫だよ、君は色々と事情がありそうだからね。訳ありの患者の金は高くつく」


「そうなんですか?」


「だから金の事は良い、とにかく菜々子を幸せにしてやってくれ」


「行くわよ、アツジ」


 菜々子さんに手を引かれて「ありがとうございました」と礼を言った。


 夏目おじさんは品よく笑って、僕達を玄関まで見送ってくれた。


 早速処方されたコンシーラーを張って鏡を見てみると、本当に痣が目立たなくなっている。


「これから、図書館に行かない?」


「ダメよ。アツジは今日一日休んでいなさい。私がついていてあげるから」


「でも僕達が図書館に行かなければ、光さん僕達の事を心配するかもよ」


「光さんからは私が言っておくから、アツジは今日は休んでいなさい」


「分かりました」


 でも父親に殴られたわき腹や、胸を触ってみると、痛みは残っている。

 だが我慢できないほどの痛みではない。


 菜々子さんに言われたとおり、僕は菜々子さんがこぐ自転車の後ろに乗り、僕が住んでいる家に帰ることになった。


 僕の家に到着すると菜々子さんに「ありがとう」と手話を交えて言った。


「じゃあ、今日はアツジと私が勉強している手話をしましょう」


「じゃあ、今日は一日僕の部屋で勉強をしましょう」


「そろそろお昼だから、私が何か作ってあげる」


「食事なら買い置きしていた鯖の缶詰やカップラーメンがあるから大丈夫」


「もしかして、アツジ、いつもそんなの食べているの!?」


 なぜか怒っている菜々子さん。


「う、うん。そうだけど。悪い?」


「悪いに決まっているでしょ。そんなものを食べてばっかいると、栄養失調になっちゃうわ。だからお昼は私が作ってあげる」


「そんな、悪いよ」


「悪いのはアツジよ、こんな粗末な物しか口にしていないなんて」


 そう言って、菜々子さんは僕の部屋の冷蔵庫を開ける。

 中に入っているのは一リットルの野菜ジュースだけだった。


「これで野菜の栄養を取っているんだ」


「これで栄養のバランスを取っているの?」


「そうだけど」


「全く仕方がないわね、お昼は私が作ってあげる。今から買い出しに行ってくるから、手話でも勉強して待っていなさい」


「そんな本当に悪いよ」


 と言ったが、菜々子さんには伝わらず、買い出しに行ってしまった。


「はぁ、夏目おじさんの言ったとおり、菜々子さんは本当に良い人だな」


 人知れずに呟き、僕は幸せを感じていた。


 僕は菜々子さんに言われたとおり、一人で手話の勉強をしていた。

 僕は天井を見上げながら、仰向けになり一人でいると考え事をしてしまう。

 親父の奴、また来るんだろうな。

 僕に一人暮らしをさせていることが世間に広まっているとお袋がうるさく言ったんだろうなあ~。

 僕が一人暮らしをする事に父親もお袋も喜んでいたのに。

 あの時は邪魔物の僕が消えてすっきりしたのだろう。

 でも最近世間で僕の姿が見当たらないからって、お袋の奴が親父につれて帰らせろって言ったのだろう。

 親父はお袋の尻にしかれている存在だからな。

 会社では偉そうに取り締まりの役員をやっている。

 その事に関してお袋は自分の夫を世間で自慢して歩いているみたいだ。

 お袋も親父も自分の事しか考えないエゴイストだ。

 そんな奴らの世話になんてなりたくない。

 妹は妹で二人の事をどう思っているかは知らないが、多分あまり良くは考えてはいないだろう。


 色々と考えているうちに、菜々子さんは手提げ袋をいっぱいにして、帰ってきた。


「お帰り菜々子さん?」


 手話と言葉を交えながら言う。


 すると菜々子さんも手提げ袋を台所において「ただいまアツジ」と手話を交えて声に出す。


 こうして手話で会話をしていると、楽しくなってくる。

 今日は福祉センターの手話の会に参加できなくなったのは残念だが、まあ来週があるから、それでいいだろう。


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