第七話 ホテルのネットワーク
第七話 ホテルのネットワーク
午後五時十分。
サイバーナイト株式会社のインシデント対応室では、三台のモニターに、それぞれ異なる記録が表示されていた。
一台目は、社内の認証ログ。
二台目は、ネットワーク機器の通信記録。
三台目は、タノメチャウ株式会社との新規案件に関する資料だった。
最高情報責任者の黒木厳は、三台目の画面を見つめていた。
「この案件、受注したのはいつだ?」
「正式契約は、先月です」
答えたのは、営業部長の白石だった。
「タノメチャウ株式会社の業務システムの一部を、当社が構築・保守する契約です。受注額も、当社にとっては大きな案件でした」
「受注の経緯は?」
白石は少し言葉を選んだ。
「青木社長と、先方の役員に以前からお付き合いがあったそうです」
「以前から?」
「大学時代のラグビー部の先輩後輩です。青木社長が後輩で、先方の役員が先輩にあたります」
黒木は、資料から目を上げた。
「社長はラグビーをやっていたんだったな」
「はい。学生時代はセンターフォワードだったと聞いています」
「そうか」
黒木は、もう一度画面に目を戻した。
人脈による受注。それ自体は、珍しいことではない。
長い付き合いの中で築かれた信頼が、新しい仕事につながる。営業という仕事には、そうした側面がある。
問題は、その信頼が、どのような業務上の仕組みにつながったかだった。
「今回の案件で、両社のシステムは直接接続されているのか?」
白石は、手元の資料を確認した。
「一部のデータ連携は予定されています。ただ、契約したからといって、すべてのシステムが直接つながっているわけではありません。実際の接続状況は、開発部門に確認しないと……」
「確認してくれ。契約書だけで判断するつもりはない」
「分かりました」
黒木は頷いた。
「それと、先方に確認を依頼する場合は、正式な窓口を通してくれ。緊急時だからといって、普段の手続きを飛ばす必要はない」
白石は資料を抱えて、対応室を出ていった。
黒木は、椅子に座り直した。
会社が人と人との信頼で仕事を得ることと、システムが安全に接続されていること。
この二つは、似ているようで違う。
信頼は、契約を始める理由にはなる。
しかし、アクセス権限を無制限に与える理由にはならない。
午後五時二十五分。
デジタル・フォレンジックチームの相馬が、別の資料を持ってきた。
「黒木さん。社長の出張中の接続記録について、確認できた範囲を整理しました」
「頼む」
「社長のアカウントに結びつくアクセス記録は、通常の社内端末からの接続とは異なる接続元情報を示しています。ただし、現時点では、接続元の情報だけで利用したネットワークや機器を特定できていません」
「ホテルのWi-Fiを使った可能性は?」
「可能性はあります。しかし、会社側の記録だけでは、ホテルのWi-Fiだったとは断定できません。出張先のホテル名が確認できていることと、そのホテルのネットワークを経由したことが確認できていることは、別です」
「ホテル側の記録を確認する必要があるな」
「はい。ただし、記録の保存状況や取得できる範囲は、ホテル側の方針や適切な手続きによります。仮に接続記録を確認できたとしても、それだけで端末の操作内容まで分かるとは限りません」
黒木は、ゆっくりと頷いた。
「では、まず社内に残っている記録を整理しよう。接続先、認証の成否、その後に実行された操作。時刻のずれも確認してくれ」
「承知しました」
「タノメチャウ株式会社との通信記録も、同じ時間軸で照合したい。ただし、先方との通信があったというだけで、攻撃に関係があると決めつけないこと」
「分かっています」
相馬は、資料を机に置いた。
「一つ、気になることがあります」
「何だ?」
「今回の事件を調べるうえで、社内のランサムウェア感染と、外部への不正アクセスの可能性を、分けて整理する必要があります。ファイルが暗号化されたことは確認できていますが、データが外部へ持ち出されたかどうかは、まだ確定していません」
黒木は表情を引き締めた。
「そうだな。暗号化と情報流出は、同じではない。流出が確認できていないことを、流出がなかったという説明に変えてはいけない」
「はい」
「タノメチャウ株式会社への影響も、実際の通信記録と契約上の接続範囲を確認してから判断する。先方に不必要な不安を与えないことと、必要な情報を隠さないこと。その両方が必要だ」
相馬は頷いた。
午後五時四十分。
対応室のドアが開いた。
青木タツオだった。
「タノメチャウとの案件を調べているそうだな」
青木の声には、いつもの経営者らしい強さが戻っていた。
「はい。今回の事件との関係を判断するために、実際のシステム接続と認証権限を確認しています」
「その案件は、私が取ってきた仕事だ」
「承知しています」
「先方の役員は、私のラグビー部時代の先輩だ。長い付き合いがある。先方も当社を信頼して、仕事を任せてくれた」
「その信頼を損なわないためにも、事実を確認する必要があります」
青木は、黒木を見た。
「まるで、私の人脈が問題だったと言いたいようだな」
「人脈そのものが問題だとは考えていません」
黒木は、落ち着いた声で答えた。
「信頼関係があったことと、システムの接続が安全だったことは別です。今回の事件に関係があるかどうかも、まだ分かっていません」
「では、なぜ調べる」
「攻撃者が当社を踏み台にしようとした可能性を、見落とさないためです」
青木の顔から、一瞬だけ表情が消えた。
「踏み台?」
「まだ仮説です。タノメチャウ株式会社が本来の標的だったと確認できたわけではありません。しかし、当社が攻撃を受けた以上、取引先との接続経路や権限を確認するのは、CIOとして必要な仕事です」
青木は窓の外に目を向けた。
六本木の街には、夕方の光が残っていた。
「先輩には、迷惑をかけたくない」
その言葉は、先ほどまでの強い口調とは違っていた。
黒木は、青木を見つめた。
「私も、取引先に迷惑をかけたいとは思っていません」
「だったら……」
「だからこそ、何が起きたのかを確認します。何も確認せずに安全だと言うことも、何も分からないまま危険だと言うことも、できません」
青木は黙った。
黒木は続けた。
「社長が先輩を信頼していることは、分かります。先方が社長を信頼していることも、今回の受注につながったのでしょう。ただ、その信頼を守るために必要なのは、調査を止めることではありません」
「……分かった」
青木は短く答えた。
だが、部屋を出る前に、もう一度振り返った。
「黒木君。会社を守ってくれ」
「はい」
黒木は答えた。
青木が出ていくと、相馬が小さく息を吐いた。
「社長も、先方との関係を相当気にしているようですね」
「当然だろう。自分が築いた信頼だ」
「それだけでしょうか」
黒木は、相馬を見た。
相馬はすぐに言い直した。
「いえ。失礼しました。記録から確認できることではありませんね」
「そうだ。人の表情から、動機を確定することはできない」
黒木は、机の上の資料を整えた。
「社長が何を心配しているのかは、本人にしか分からない。私たちが調べるのは、システムで何が起きたのかだ」
相馬は頷き、モニターへ戻った。
黒木は、タノメチャウ株式会社との契約資料をもう一度見た。
一つの仕事が、会社の成長につながる。
長年の友情が、新しい取引を生む。
それは、会社にとって喜ばしいことだった。
しかし、その信頼を誰かが利用しようとしたのなら。
サイバーナイト株式会社は、自社のシステムを守るだけでは足りないかもしれない。
黒木は、会社案内の一ページ目に書かれた言葉を思い出した。
**UN POUR TOUS, TOUS POUR UN.**
一人は皆のために、皆は一人のために。
ラグビーの試合では、仲間を信じてボールをつなぐ。
だが、会社のシステムでは、信頼だけを頼りに接続を許すわけにはいかない。
誰に、どの権限を与えたのか。
何が、どこにつながっていたのか。
その接続は、必要なものだったのか。
そして、誰かがその経路を悪用した形跡はあるのか。
黒木は、相馬のモニターに視線を向けた。
「まずは、実際に存在した接続を全部洗い出そう。推測は、その後だ」
「分かりました」
モニターの中では、記録が時刻順に並び始めていた。
その中に、まだ誰も意味を読み取っていない接続があるのかもしれない。
しかし、今はまだ、それが何を意味するのか分からない。
分からないからこそ、調べる。
それが、黒木厳の仕事だった。




